一通目の二枚目
──僕と怜が出会ったのは大学のサークルでした。
山登りをするサークルで数ヶ月に一度、方々の山に行っていました。
因みに、僕が山登りをしたいと思ったのは、元々山の多い地域に住んでいたからだと思います。
僕が住んでいたのはビル一つ無い土地で、見回せば山が目に入る、そんな場所でした。
大学に入って都心へと来てから故郷が恋しくなる、みたいなところが少なからずあったと言えます。
都会はコンクリートとアスファルトばかり。僕のような田舎者には逃げ場のない所で、サークルくらいしか逃げ場が作れなかったという話、というのが事実でしょう。
兎に角、僕は大学に入るなり飛びつくようにサークルへと入ったのです。
入ってみますと、思いの外僕には向いていると解りました。というのは、体力的に耐えられると感じたからです。
僕は中学三年まで野球をやり、その後『個人スポーツの方が向いているかも』と柔道へと変え、高校三年間それなりの成績も残しました。
そうやって体は出来上がっていたのです。
山登りに使える体は偶然にも生まれていました。
それに、高校へと上がる時に考えた『個人スポーツに向いているかも』は正にそうだったようで、誰と登ろうが山登りは最終的には一人の頑張りによります。辛くなった時に頑張れる精神力は、大いに役立ちました。
余談ですが、僕が柔道をやめたのは膝の故障です。
高校の時分、大事な大会の大一番で怪我をしてしまったのです。怪我をしたのは団体戦の準決勝、相手は強豪校でした。
僕らは強豪校とは言えない学校でしたが、強豪校に勝ってもおかしくはないという評価をされるような、所謂ダークホース的な学校でした。
評価からも実力からも、部員全員が『勝てるかも』と思っており、勝ち進んだ実績が加わって自信を持って挑んだ試合でした。
そこで起きた僕の怪我です。
一試合落として不利になったのはもとより、怪我によって動揺が生まれた影響で、各々の実力が出せず不利に流れました。
結果、団体戦に負けてしまったのです。
結果からして、とても悔いの残る試合でした。しかも、その怪我のせいで柔道で大学に行ける予定が消えてしまうかも、といった具合です。
行き着いてしまった現状から、試合に出ていなかった部員も含め「居た堪れない」という雰囲気が生まれていました。
ただ、そうなった時点である意味吹っ切れたとでも言いましょうか、僕は一つの選択をするに至っていました。
それは柔道を辞めるという選択です。
僕はもう柔道を散々やってきて辛いシゴキを経験し『大学まで行ってまでやりたくない』となんとなく思っていましたから、柔道は終わりにしようと前々から思っていたのに従って諦めたのです。
簡単に大学へ入れるチャンスであっても、柔道で引っ張ってもらったとなったら、まだ柔道をやるしかなくなります。
ですから僕は、怪我が治ったら推薦をもらえるかもしれなかったのを断りました。
大学側の関係者は「怪我が治れば」と言ってくれていたものの、「いつ治るか解らないから」と言って簡単に断ったのです。
自慢に聞こえるといけないのですが、受験までの期間、勉強をしなくてはいけなくなったとして、元々頭は悪くありませんでした。スポーツで引っ張ってもらえなくなっても、多少の頑張りは必要として、大学を選ばなければ入れる自信がありました。
但し、柔道をなくした今、ここぞという希望もなかったのにも大いに助けられたのは恥ずかしい話です。
多少の誤算はあったにしても、僕は大学に入ることに成功しました。
膝はその間だいぶ良くなっていました。
実を言うと、怪我は大したことはないと解っていたのです。
大学に入学となった頃には全く正常と言って良く、躊躇いもせず山登りをするサークルへと入るとなったのです。
それから僕は二年間サークルで色々と学び、勉学よりも熱心に、こちらを生活の中心に生きていたくらいでした。山へは行けば行くほど、言葉では表現出来ない魅力があると解り、どんどんとハマっていきました。
僕はこの二年、方々へと行ったお陰で体力や知識も増え、サークル内では信頼されるまでになっていたと思います。
三年生になると、山へと行く計画の時、中心的な存在として真っ先に意見が採用される人間になっていました。
三年生で最初の山登りの計画は前年と同じく、毎年入ってくる新入生を連れて行く為の初心者向けプランでした。これは毎年そうで、本来ならこの年もそうなる筈でした。
自分もそうするものと思っていると、サークルではリーダー的な(リーダーはその時その時に決めていたので、決まったリーダーがいたわけではないのです)Y氏が「今年は例外的に厳しめでもいいんじゃないか」と言ったので、割とすんなりその意見が通り、例年にない中級者向けの山へ行く計画が進みました。
計画は最終決定に近い形のままで時は過ぎ、新入生を迎える集まりが後日訪れました。
僕は他の用があり勧誘にはノータッチで、どれくらい人が来てくれるのかを知らないままに集まりに行ってみると(後で聞くと、好感触だった数名が来た人達とは別にいたらしいのですが、タイミングが合わなかったとかで、思ったよりも少ない人数だったようです。その後も、現れなかった人達は一人も来ず、多分僕は見栄による嘘を教えられていたと思われます)五人ほど来ていました。
その中にいたのが怜です。
この時初めて怜を見ました。
僕は怜を見ても好感を抱いた訳ではありませんでした。
その時は単に、サークルに女性が増えるのは良いことだと思ったくらいです。
ただ、今でも思い出せるのですから『特別な何かは僕の中にあったのかもしれない』と日を追うごとに思ったりしました。
新入生が来たこの日は山登りは当然せず、説明だけをして「山は楽しいところである」という印象を植え付け、すぐ離れていってしまうのを防ぐ、という仕事をメインとして頑張りました。
見た感じは僕を含め皆、好感触でした。次に活動する時にも必ず来てくれると思いました。
実際山へ行くとなった時にも、来てくれた五名は全員来ましたから、印象通りで安心しました。
いずれにしても「少ないながらもメンバーが確保できた」と皆喜びました。
前述の計画である山登り当日は、元いたメンバーも久しぶりの山。皆がテンション高く、だからこそはじめは快調そのもの、ただただ楽しい山登りでしかありませんでした。
束の間、途中から天候が乱れ、足元が悪くなってきます。
ぬかるんだ地面を進んだ影響で時間が掛かり、はじめから初心者には厳しい道のりがより厳しくなって、新入メンバーは二日の行程の一日を過ごした時点で、顔には大分疲れが見えるまでになっていました。
漸く着いた山小屋で、晩飯までの間に古参のメンバーは会議です。
言い出したY氏でさえ後悔する中話し合うと、会議は「新メンバーを十分にサポートしながら行こう」と割とあっさりした内容で終わりました。
これは恐らく、メンバー皆が早く飯にありつきたかったからだと思われます。疲れている所に面倒は御免と、とりあえず話だけして大事な部分は後で話せばいいと、皆会話せずとも同じく思っていたのでしょう。
状況から夕飯は率先して作られ、湯を入れるだけの簡単な飯は程なく出来上がりました。
この時、待っている怜の顔を、僕はなんだか良く覚えています。
彼女は三角座りをしながら自らの膝を抱え、飽きることなく湯を沸かしている鍋の火を見ていました。
よく見ると目は火の方を向いているのに、火の向こうなのか手前なのか、焦点が合わない感じでじっとしていた記憶です。
僕は確か「大丈夫か」と声をかけたと思います。
怜は問いかけに「はい、大丈夫です」とだけ言って、また目を火の方へ戻しました。
答えに反して、僕の印象は大丈夫という感じがしませんでした。それは多分、もう眠たくなっていたからだったのでしょう。
聞けば彼女は、本格的な山登りが初めてだと言います。人生初の山登りで、疲れが襲ってきていたのです。
尤も心配は無用でした。
ご飯というのは人間を活気づける力を持っているようで、一時通夜のような静けさはご飯が出来たのと同時に回復していました。
新メンバーも、また話が聞けるほどまでに回復すると、自然と色々尋ねていました。
各メンバーが話していく中、怜が言ったのは山についての思い出で、妙な感覚を受けたからこそ覚えています。
怜が話したの「私は一度家出をして、山に暫くいた事がある」というものでした。
確か続きは「山にいると、とても静かで綺麗で······月が見えている夜だったからもあるかもしれないけど、山は良いところだっていうのは思ってたんです。だから、家に帰ってからも、また行きたいとずっと考えていました」みたいな感じで、内容から、皆が疑問に思った「なぜ家出をしたか」も尋ねたと記憶します。
怜は「ちょっと色々あって······」というような、ふわっとした返答をしました。
聞いていた皆は『言いたくない何かがあるのだ』と察して、誰もそれ以上尋ねませんでした。(僕だけは後に知ることになったのですが、それは後にしましょう)
さておき、次の日、天気は回復していました。辛い前日を経験したメンバーには「楽」とも思える道のりが待っていました。
一時泥濘んで、一歩は普段の二倍から三倍力がいる所までになっていた足元は、昨日の経験からして全く舗装された道路を歩いているというくらいに感じられました。
そこまでの感覚になってしまうと後は足が軽い。終わった辺りでは、全員が昨日の反動もあり、満足といった感覚を持っていました。
余談ですが、この時僕は前日の会議で怜の担当となっていて、下山する時、付きっきりでした。故に、近くにいた関係でゴールした後に見た、怜のスッキリとした顔をよく覚えています。
彼女は環境のアップダウンを経験して、結果的に無事終えられたという満足感を得、山登りを気に入ってくれたようでした。
彼女は後にもサークル活動に参加してくれる欠かせないメンバーとなって行き、必然的に僕とも話す機会が増えました。
気が付くと僕らは付き合う関係性になっていたのです──
今こうして新たな思い出が二人で作れないとなってしまうと「二人が共に持っている思い出があるのは良かった」と、心からそう思います。本当は、もっと多くの思い出を作るつもりでいました。
思いがけぬトラブルで、いえ、そう呼んではいけないのかもしれません。
兎に角、こういう立場に収まっていなければならないのは残念な限りです。
今日はこれくらいにしておきましょうか。
二人の出会いはこんなものでした。
貴方が知らない場面は、どのように感じられたでしょうか?
まだまだ、書こうと思える思い出はいっぱいあります。
定期的に送らせて頂きましょう。
もしかすると、不定期になってしまうかもしれないものの、こちらには時間があります。
確実に送らせて頂きます。
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