草食ワンコ系に一目惚れしたはいいけれど
多田光里
第1話 完結
今日からこちらの担当になりました、道守瑞城です。よろしくお願い致します」
そう言って、丁寧に頭を下げた、色白で、キラキラした輝く瞳を持ったサラサラの栗色の髪をしたスーツ姿の男から、俺は目が離せなくなった。
「こちら、新発売の保険になります。良かったら、パンフレットに目を通してみて下さい。掛け金が、かなりお安くなっています」
言いながら、1人1人のデスクに名刺とパンフレットを持って説明しながら社内を歩く。
あんな綺麗な男、いるんだな…。
今まで付き合ってきた奴らも、そんなに容姿が悪いワケじゃなく、むしろ良い方だった。けれど、こんなにも…。
「あの…」
目の前に差し出されたパンフレットを受け取らずにいた俺に、不思議そうに声を掛けてくる。
細くて白い指。何もかもが綺麗で、俺の中に、何とも言えない感情が芽生えてきた。
『抱きたい…。ベッドで乱れるコイツを見てみたい』
俺は一瞬でそんな欲望に駆られたのだった。
高校時代、何人かの女子から告白をされ、付き合ったり、それなりの経験もしてきた。だけど、何だかいつも違和感がつきまとっていて、すぐに別れたりを繰り返していたある日、後輩の男子生徒から、ずっと憧れていた、と言われ、一緒に過ごすうちに、距離がどんどん近くなり、1度、関係を持った時、自分が男とのセックスに対して、ものすごく興奮することを知った。それから、恋愛の対象が、いつの間にか同性になっていた。
「どうしたんだ?」
「え?」
「何か、心ここにあらず…って感じ」
「今日、めちゃくちゃ美人な奴に会ってさ」
「ふぅん。で、一瞬で心奪われたワケだ」
「よく分かったな」
「何年の付き合いだと思ってんだ?」
伴凪杜。俺、柿崎晴天とは、幼稚園からの幼なじみで、暇さえあれば、俺のアパートに泊まりに来る。母親が再婚し、自宅に居ると、新しい父親と妹に気を遣うらしい。
凪杜はノーマルで、ちゃんと彼女もいるせいか、整った可愛い顔立ちをしてはいるが、1度も手を出そうと思ったことはなかった。
まあ、元ヤンで、口も悪いし、可愛いさが掻き消されてしまっているのもあるのだが…。
「幼なじみだし、家族みたいなもんだから、当たり前か…」
「え?何か言ったか?」
「いや、何でもない」
「そんなに綺麗な人なら、1回、見てみたいけどな。絶対に行く先々で口説かれてるだろ?」
「だろうな…。だから、なおさら営業向きなんだろ。2人きりで話したいと思ったら、絶対保険に入るしな」
「バカな奴だな」
「いいんだよ。動機が不純でも、とりあえず接点さえ持てれば」
俺はもらった名刺を眺めながら、ついニヤニヤしていたのだった。
「それで、次にこちらの商品なのですが…」
休日しか予定が空いていないと言う理由で、外で2人きりで会おうとした俺の策略は見事に失敗し、結局、コイツの勤める保険会社に呼び出され、事務所内で保険の説明を受けるハメになったのだ。しかも、隣には上司らしき年配の女性が座っていた。
「あの…。柿崎さん?」
見惚れすぎて、ボーッとしていた俺に、上目遣いで心配そうに声を掛けてくる。
ヤバい…。可愛すぎるだろ。
ベッドの中でも、こんな顔すんのかな…。
俺のを必死にさ、口で咥えて『…どう…?』とか、この目線で…?
ヤバすぎるって…マジで。
俺はニヤつくのを誤魔化すように頬杖を付くようにして、口元を片手で隠した。
「今日は時間ないんで、また来週にでも、もう1つの商品の説明を伺ってもいいですか?」
俺は、道守さん会いたさに、時間があるにも関わらず、つい嘘を付いた。
「あ、分かりました。来週、何時頃がいいですか?」
スケジュール帳を開くと、そこにはビッシリと予定が埋まっていた。
「…すごいですね。スケジュール帳、真っ黒じゃないですか。忙しそうですね」
「いえ。大丈夫です」
「道守さん、人気あるんですね」
「そういう訳じゃ…」
まあ、その容姿じゃ、仕方ないよな。俺を含めて、狙ってる連中なんて、山ほどいるんだろうけど…。
そこに、LINEの通知音が鳴った。
「あ...」
凪杜からだった。
『今から行っていい?』
そんなメッセージが届いていた。
「めずらし…」
鍵の場所も知ってるし、いつも勝手に部屋に入ってんのに...。
『今から帰るから、先に部屋に入ってろ』
と、返信し、
「あ、すんません。そちらの都合の良い時間で…。来週も予定ないんで」
俺が言うと、
「じゃあ、また同じ時間でどうでしょうか?」
「分かりました。じゃあ、来週、また同じ時間に、ここに来ます」
そして俺は席を立ち、深々と頭を下げる2人を背に、事務所をあとにした。
「やっぱ、そんなうまくいかねぇよな…」
距離を全く縮めることが出来ないことに、俺はひどく撃沈しながら、アパートへと向かって、肩を落としながら歩き始めたのだった…。
「何だ?どうしたんだよ?」
アパートに帰ると、凪杜が、ソファにボーッと座りながら、俺を見た。
「悪い。何か、ちょっとうまく整理できなくて…」
めずらしく、声も低く張りがない。そして、小さな声で、事情を話し始めたのだった。
それを聞いた俺は、
「は!?」
と、思わず、今までにない程の大きな声を出してしまった。
「だから、家に帰れなくて…」
「いや、それ、マズくね?」
「マズい。かなりな...」
「アパート探せよ。家に帰りずらいからって、いつまでも俺ん所に居るワケにもいかねぇだろ?」
「ああ。今、不動産に寄って来て、明日いくつか内見行ってくる」
「彼女は?」
「…言えるワケねぇだろ!」
「いや、一緒に行かないのか?内見」
「同棲するとか、誤解されたらイヤだから行かねぇ」
「…誤解ねぇ」
俺は呆れたように、ため息を吐いた。
その夜、ソファに寝転ぶ凪杜に声を掛けた。
「どうするつもりなんだ…」
「ん…?何が…?」
「どっちを選ぶんだよ…って話だよ」
「…優愛は、血が繋がってなくても、結局は妹だからな…」
「でも、関係持ったんだろ?」
「…まあ。でも、やっぱ妹は妹だから」
「…でも、聞いてると、あっちはお前のこと、かなり好きなんだよな…」
「みたいだな。俺は覚えてなかったけど、昔、あいつのこと助けたことがあるみたいで...。その時から好きだったらしい」
「助けた…?」
「あいつ、小学生の頃から片親だったらしくて。確か、俺が高校三年の時に、高校一年だった優愛が、父親が弁当を作ってくれてるって話してた時に、同級生にからかわれてて…。ほら、俺も片親じゃん?あいつが泣きそうになってるのを見て、つい…さ」
それは、凪杜が高校三年になったばかりの時のことだった。5人の女子が、体育館前のコンクリートの階段に座りながら、外でお弁当を食べていた。その声が、校庭の木陰で寝そべっていた凪杜の耳に届いてきた。凪杜は体を起こすと、俯いて、箸の止まっている女子の姿に、たまらず立ち上がり、歩み寄った。
「ってかさ、娘のために早起きして作ってくれる父親の弁当の何が悪いワケ?逆に、お前らの弁当より、愛情たっぷりじゃね?」
金髪で、耳はピアスだらけの凪杜が、そんな5人ほどの女子の話題に割り込んだ。
「凪杜先輩!?」
学校で、かなり目立っていたせいか、女子たちから甲高い歓喜の声が上がる。
「私たち、父親の弁当が悪いって言ってるワケじゃなくて...ね?」
「そう。お弁当くらい、自分で作れるんじゃないかな…って思って」
「へぇ。じゃあ、みんな自分で作ってんだ?」
「いえ…それは」
優愛以外の4人がうつむき、ゴニョゴニョと、小さな声を出す。
「あ!いた!凪杜!!」
凪杜を追いかけてきたらしい3人の金髪ギャルの女子が走り寄り、そのうちの1人が、
「あれ?この子、いつも夜遅くまでマックでバイトしてる子じゃね?」
と言った。
「あ?マジで?」
凪杜が優愛の顔を見る。
「ああ…。そっか。父親のために、バイト頑張ってんだ。そりゃ、朝、起きられないよな…。あんま無理すんなよ」
と、わざと4人に聞こえるように嫌味っぽく言って、その場を去ったのだった。
「そのあと、その4人の友達がいろいろ協力してくれるようになった...って。で、その時からずっと好きだった、って告白されて…」
「…手を出したと…?」
「…我慢できなかった。健気さとか、純粋さとか、すげぇ伝わってきて…。俺、彼女いんのに、傷付けて、最低だよな」
「お前が傷付けたと思ってんのは、どっちなんだよ…」
「…え?」
「彼女の方か?それとも…」
「分かんねぇ…。どっちに悪いと思ってんだろうな」
「…まあ、今日はもう何も考えずに、寝るか…」
「…ああ。おやすみ」
そして俺たちは黙り込んだのだった。
その日から、凪杜は自宅には帰らずに、俺のアパートに入り浸るようになった。
翌週の同じ時間、俺は再び保険会社の事務所へと向かった。相変わらず、あっちは2人での対応だった。ただ、やはり、道守瑞城という男は、とてつもなく美人で、肌も髪も瞳も、全てが透き通るように綺麗だった。俺は、そんな道守瑞城に胸が高鳴りながらも、保険の説明を受けていた。
パンフレットを受け取り、
「来週、どちらにするか選んで、契約させてもらいます」
と、返事をした。
「え?本当ですか?」
道守さんが、驚いたように目を見開く。
「また、ここに来るのでいいですか?」
「…え?あ、はい!もちろん。えと、何時頃がいいですか?」
「何時でもいいですよ。道守さんのスケジュールに合わせます。忙しそうなんで」
俺が言うと、
「ありがとうございます。では、午後1時頃で、どうでしょうか」
「分かりました。引き落とし用の通帳と印鑑と身分証明書持って、来週また来ます」
そう言って、俺は事務所をあとにした。
「…今日もダメだったな…。やっぱ、隣にピッタリ人がいると、連絡先すら聞けないしな…」
たぶん、個人的なやり取りや、カスハラなどの予防のために、2人1組で対応してるんだろうけど…。それに、本当に仕事以外では、俺に全く興味など持ってくれている気配など微塵も感じられないことも、より気分を落ち込ませた。
そして次の週、また保険会社の事務所に足を運ぶと、驚くことに、道守瑞城が1人でいたのだ。
「あれ?いつもの、もう1人の方は?」
俺は、椅子に腰掛けながら、尋ねた。
「すみません。昨夜から、熱が出たとかで…」
「あ、そうなんですね。1人で大丈夫なんですか?」
「今日は、柿崎さん以外のお客様はお断りさせて頂いたので。他のお客様は、商品の説明だけでしたから。さっそくなのですが…」
なるほどね。契約だけは、絶対に欲しかったってことか…。
「あ、こっちの保険にしようかな、と思って。保障も充実してる感じだし」
「保険料がかなり割高になりますけど…?ご年齢的にもお若いし、まだそこまで大きな保障はいらないかと…」
「何があるか、分かんないんで…」
「え?」
「俺の親父、俺が小学生の頃に、車の事故でケガして、その後遺症で半身不随みたいになって、今も普通に動けないし、ほとんど喋れなくて。親父が働けなくなった時に、母親が苦労してたの見てるんで…。受取人は、母親にしてもらっていいですか?俺に何かあった時に、母親に負担かけたくないんで」
「あ、はい。分かりました」
「こっちの保険の方が、障害が残った場合の保障額も大きいですもんね」
「そうですね。でも、みなさん、なかなかそこまでは考えてらっしゃらなくて…」
「そう思います。自分の身に何か起きないと、所詮は他人事ですからね」
俺は淡々と話しながら、契約書に必要事項を記入して行く。
「あの、差し支えなければ、でいいんですけど、今、お父様は?」
「あ、今は、障害者枠で、車椅子で工場の流れ作業の仕事してます。賃金はかなり安いですけど、働かせてもらえてるだけ、ありがたいですよね」
「そうですね。国がそういう方たちを受け入れてくれる体制になってきてるので、本当に良かったと思ってます」
言いながら、はにかむように笑う、その顔が、とてもあどけなくて、しばらく目が離せなくなってしまった。
もう1度、しっかり説明を受けたあと、契約も無事に済み、俺は席を立った。
「長い時間、ありがとうございました」
向こうが深々と頭を下げ、お礼を言う。
もう2度と会えなくなるなら、ダメ元でもいいから…
「あの、このあと時間ありますか?」
俺が尋ねると、
「え…?」
と、驚いたように、顔を上げた。
「うわっ!ヤバい!揺れる!!」
「ちゃんとオール持って、漕いでください。全然進んでませんよ?」
「でも、どうやって動かしていいのか…」
「貸して」
俺は道守さんの持っているオールを一緒に持って、ボートを漕いだ。
「すごっ!早っ!」
「じゃあ、やってみて下さい」
俺が手を離すと、結局、バシャバシャと、水面で水を弾いているだけだった。
とある公園にある、ボートの乗れる、大きな湖へと2人でやって来た。結局、俺がボートを漕いで、湖の端の方まで近付く。
「…紅葉が、水面にも写って、キレイですね」
「俺のお気に入りの場所なんです。春や夏は、緑がキレイで、お薦めですよ」
「そうなんですね…。でもどうしていきなりこんな場所に?」
「…会う度に、眉間にシワが寄ってたので」
「え?」
「オーバーワーク気味なんじゃないんですか?あんなスケジュールじゃ、そりゃ、いつも一緒に仕事してる方も、疲れで体調崩しますよ」
俺が言うと、俯いて黙り込んだ。
「…仕事なので...。少しでもお客様の要望にお応えしたくて…」
「保険目当てじゃない人も、たくさんいるんじゃないんですか?」
「…はい。だから、会社規定で、必ず2人1組でお客様対応をするようにしています」
「なるほどね…。だったら、なおさら一緒に組んでる人のことも考えてあげなきゃ、でしょ」
「…え?」
「道守さんが、スケジュールを詰め込んで入れると、その人も必ずそういうスケジュールの仕事になるってことですよ」
「あ...」
「ゆっくり行きましょうよ…。スピード上げると、息切れもするし、疲れますよ」
そして、俺は、ゆっくりとボートを漕いだ。
「あの、今日は保険に加入して下さって、本当にありがとうございました」
「いえ。俺もちょうど本気で考えてたところだったんで、良かったです。お仕事中、連れ出してしまって、すみませんでした。あんまり無理せずに」
「あの!良かったら、このあと一緒にお食事でも…。その、ボートのお礼に…」
「保険の契約のお礼じゃなくて?」
「あ...本当ですね。そっちがメインですね」
俺たちはしばらく目を合わせると、お互いに黙り込んで、口元を綻ばせたのだった。
2人して、焼き鳥屋に行き、ビールを飲みながら、いろんな話をした。無表情だと思っていた道守さんは、やはり顔には出さないけれど、保険会社で勤務していることの不満などを少しばかり吐露していた。以前、若い女性が1人で対応していた時に、40代の男性から言い寄られたことを上司に相談したが、逆に誘惑されたと言われ、問題になり、2人1組での対応が義務化されたことも教えてくれた。
「そういえば、あの公園、良く行くんですか?」
アルコールで、少しだけ顔が赤く染まった道守さんに、突然尋ねられる。
「あ…、はい。まだ親父の身体が自由に動いてた頃によく連れてってもらってて。思い出の場所ってワケじゃないけど、たまにあるでしょ?何で俺の家だけこんなに苦労しなきゃいけないんだ、的な?そんな時に、ボートに乗ると、ああ、親父だって、なりたくてあんな身体になったんじゃねぇし、きっと、俺たちともっといろんな所に行きたかったんだろうな…って。我に返るっつーか…。だから、未だに、仕事で辛い時とかも、何かボート漕いで、ゆっくり自然眺めてると、頑張ろうって思える感じで…」
「そうだったんですね…」
「あ、暗い話じゃないですよ?母親もバリバリ仕事してて元気だし、弟も、今年就職したから、今は逆にめっちゃ生活も楽になって、幸せに生活してるんで」
「あ...はい」
「今日も1日、無事に過ごせて良かったな…って。何か、毎日そう思ってから寝る習慣がつきましたけど…。こうやって出掛けたり、仕事したり…。当たり前のことが、すげぇ幸せなことなんだな…って」
そう言って笑うと、道守さんの顔が少し悲し気に歪んだ。
「また、保険のアフターフォローするのに、連絡させて頂きますね。また2人1組での対応になると思いますが…」
「はい。俺からも、1ついいですか?」
「あ、はい」
「息が詰まりそうになったら、いつでも、ボート漕ぎに来るのに、付き合うので」
俺が言うと、
「ボートを漕いであげるので…に訂正してもらっていいですか?」
と、道守さんが言って、微笑んだ。
アパートに戻ると、凪杜が、ソファでくつろいでいた。
「お帰り~。先にシャワー浴びさせてもらったから」
「お帰り~、じゃねぇよ。しっかり住み着いてんじゃねぇか」
と、笑いながら言うと、
「何か、機嫌良くね?」
凪杜も笑顔を見せた。
「…まあな。1歩前進ってとこかな。2人きりで飲みに行ってきた」
「え!?だって、いつも2人1組でいて、スキがないんだろ?」
「それが、今日は1人だったんだよ」
「ヘ~。いい風に風向き変わってんじゃん」
「まあな。それより、そっちはどんな感じなんだよ」
「…あれ以来まだ会ってないし、話してもない」
「何だよ。結局、逃げてんのか?」
「逃げてねぇし!だいたい、会って、何を話すんだよ」
「何って…」
「好きでもないのに、抱いて悪かった、って?」
「いや、別に、何も言わなくていいんじゃないのか?あっちだって、彼女いるの知ってんだし、普通に家に帰って、普通に過ごせば、それで良くね?家族なんだから」
俺が言うと、凪杜は黙って俺を凝視した。
「普通に接するとか、出来ると思うか?」
「お互いの生活もあるし、そんなに顔を合わせることもないだろ?それに、何か言われたら、そん時に考えればいいだけの話で、妹の立場に立って考えてみろよ。避けられてる方が絶対に辛いだろ」
俺は冷蔵庫から冷えたビールを取り出して、1口飲んだ。
「…辛い?」
「人間が1番されて辛い行為は、無関心と無視だろ?それに、悩んでんの、お前だけじゃないし。あっちだって、かなり悩んでると思うけど?」
凪杜が黙り込む。
「…そうだよな」
「そうそう!だから、早く家に帰れ」
「何か、追い出そうとしてないか?」
「別に。俺はいつまででもいてもらってもいいけど?ただ、妹の気持ちを考えたら、可哀想だな…と思っただけだよ」
「…晴天…」
そしてその夜、凪杜は荷物をまとめて、俺のアパートを出て行ったのだった。
「はあ…」
あれから3週間が過ぎた頃、仕事中に思わずため息が漏れた。
「何だ?どうした?スランプか?まさか、プレゼンに間に合いそうにないとか?」
同期が心配して声を掛けてきた。
「いや、そうじゃない…」
仕事の悩みじゃない。これは、恋の病だ…。
『会いたい』
そう毎日思っているのに。でも、会う理由がない。きっとあっちは仕事に追われて、俺のことなんて考えることすらないんだろうな…。
「はあ…」
「マジで大丈夫か?」
「大丈夫じゃないかも…。ちょっと出てくるわ…」
そう言って、俺は事務所を出た。
俺は、大手のデザイン会社に勤めていた。次にある、新しく発売される缶ビールのデザインのプレゼンの日が近いにも関わらず、なかなかアイデアが出てこなかった。凪杜は、個人で活動している有名デザイナーの個人事務所に勤めていて、ライバルと言うこともあり、仕事の相談だけは、絶対に出来なかった。
俺は以前、道守さんと2人で行った公園に足を運び、ボート乗り場へと向かった。
そこに、
「だから!オールをちゃんと水に沈めて!」
と、ボート乗り場担当のおじさんが、湖に向かって大声を張り上げていた。
「どうしたんですか?」
「あの人、ボート漕げないのに、風で流されて、戻って来られなくなったみたいで」
そこに、俺のスマホの着信音が鳴った。
「…はい」
『柿崎さんですか?あの、道守です。今、いいですか?』
「え!?あ、はい!!」
道守さんから電話とか、嘘だろ?夢じゃないだろうな?
『あの…!戻れないんです』
「は?」
『前に行った公園で、ボートに乗ったんですが、戻れなくて…』
「あ、ああ…。なるほど」
じゃあ、きっとあれが...。
「今、行くんで」
『え…?』
そして、俺は電話を切った。
「おっちゃん、俺をあのボートの所まで乗せてってくれる?」
「ん?ああ、頼むよ」
そして俺は、おっちゃんと一緒にボートに乗って、道守さんが乗ってるであろうボートへと向かった。
「すみませんでした」
結局、道守さんのボートへと移動し、俺がオールを漕いで戻ってきたのだった。
「よく漕げもしないのにボートに乗ろうと思いましたね」
「漕げると思ったので...」
そんな風にしょげてる顔でさえも、ものすごく綺麗で、俺を魅了させた。
俺は1度咳払いをしてから、
「…仕事で何かあったんですか?」
と、尋ねた。
「…いえ。そっちこそ、何かあったんですか?」
「…いえ」
あなたのことで悩みすぎて、仕事が手に付きません…。なんて、言えるワケがない。
「…そろそろ会社に戻らなきゃ…。こんなに時間かかる予定じゃなかったのに...」
道守さんが、力なく腕時計を見る。
その細い手首を思わず握り、
「何があったんですか?」
と、もう1度、尋ねた。
「…僕と2人きりで会う時間を作ってくれるなら、契約してもいい、ってお客さまが…」
「それって…」
枕営業しろって言ってるようなもんじゃないか…。どこのどいつだよ、マジで!!
「…それは会社の規則上、出来ません、って、いつも組んでる女性が答えてくれたんですけど、お客さまが、ブチ切れてしまって…。暴言は吐くし、書類やカバンを投げつけるしで…」
「…怪我とか、なかったんですか?」
「…はい。一応…」
「まあ、かなりショックな出来事ですけど、もう2度と会わない人なんだと思って、割り切るしかないですよね。逆に良かったじゃないですか。そこで本性が分かって」
「え?」
「契約結ぶ時にそんなことがあったら、ダブルでショックでしょうから…」
「…確かにそうですね」
「時間がたてば、そのうち気持ちも落ち着きますよ。その女性の方も、道守さんも」
「…大丈夫でしょうか?」
「え?」
「立ち直れるかな…。結構な暴言だったんで...」
「…あの木、見えます?」
「あ、はい」
「冬には、葉っぱも全部落ちて、細くなって、枯れ木になるんです」
「…はい」
「でも、毎年春には芽を付けて、夏には青々と生い茂るんです。こんもりと、たくさんの葉を付けて。それと一緒です。俺も、ああ、もうダメだな、と思っても、1年の木の流れを見てると、必ず復活できる、って思えるんです。それに、人間は1日後には74%のことを忘れるらしいですよ。嫌な記憶は、ずっとは覚えていられないように出来てるんだそうです」
「…そうなんですね」
「だから、元気出して下さい」
「ありがとうございます」
「いえ。こっちこそ、連絡くれてありがとうございました。俺も仕事に戻ります」
「はい」
そして俺たちは、ゆっくりと歩き出した。
その日、家に帰ってから、ニヤニヤが止まらなかった。まさか、電話くれるとか、あり得ないだろ。
「ヤバい。嬉しすぎる」
家に帰ってからのビールがこんなに美味しく感じるなんて、初めてのことかもしれない。そして、誰かに対して、こんなに恋焦がれることも…。
「何か、一緒にいて楽しいとか、会いたいとか、こんな感覚、今まで付き合ってきた奴らに対しては、なかったかもな…」
こんなにも嬉しくて、胸がくすぐったくなるくせに、考え過ぎて、切なくて苦しくもなる…。
あんな高嶺の花に、手が届くはずもないのに…。
「片想い、ツラっ!」
そして、俺は、急においしくなくなった缶ビールを一気に飲み干したのだった。
信じられないことに、その日から1週間に1度ほど、道守さんからボート(俺的にはデート)に誘われるようになり、いろんな話をするようになった。
ずっと道守さんの横にいた女性は、道守さんの実の母親らしく、三男坊としてかなり大事に、そして過保護に育てられたせいか、同じ職場で働くように強要され、たまに息が詰まりそうになるといったような、弱音を吐く日もあった。ただ、相変わらず無表情で話すせいか、なぜ俺を誘うのか、心の奥の本音まではなかなか見えて来なかった。
そんな曖昧な関係がしばらく続いたある日、突然、道守さんから、時間外に電話があった。
『今から、先日契約していただいた保険のアフターフォローをしに、お宅に伺ってもよろしいですか?』
と。
「え?こんな時間にですか?お母さんも一緒ですか?」
『いえ。僕1人で伺います』
「でも、それって、規定違反なんじゃ…。もし何かあっても、俺は、責任なんて負えない…」
『もう向かってますので、よろしくお願いします』
そして、一方的に電話が切れた。
「ヤバい。念のため、もう1回、ちゃんとシャワーしとくか…」
俺は下心丸出しで、慌てて浴室へと向かったのだった。
インターホンが鳴る。心臓が、激しく鼓動を打つ。扉を開くと、いつものスーツ姿の道守さんが立っていた。
「こんばんは」
夜に会うと、また妖艶さが1段と増していた。
「あの…。その…、入りますか…?それとも、玄関で…?」
緊張しすぎて、つい、しどろもどろになる。
「上がっても…?」
「…え?いいんですか?」
「…それは、こっちのセリフです。上がってもいいですか?」
「もちろん!ただ…」
スリッパを用意し、道守さんを部屋に上げると同時に、俺の欲望は、とうとう爆発してしまった。
「俺の部屋に1人で来てくれたってことは、そういう意味にとっていいんですよね…?」
言いながら、道守さんをベッドへと押し倒すと、すかさず唇を奪った。
「ん…」
夢にまで見た、甘く柔らかい舌の感触。キスが、こんなに堪能的で気持ちの良いものだったなんて、今、改めて気付かさせる。
「どれだけ俺を夢中にさせる気なんですか…?」
少し唇を離したところで囁くと、道守さんは妖艶な笑みを浮かべた。一瞬で翻弄されてしまう自分がいた。
「柿崎さん…」
「ん…?」
「次は僕が上になって、柿崎さんにキスがしたいです」
「…見かけによらず、強引なんですね…」
草食系に見えていたけれど、かなり男に慣れているのかと思って、少し胸が痛んだ。
道守さんが上になり、俺の唇を奪う。優しく、そして時に激しく…。そのうちに、その唇が俺の首筋を這い始め、T シャツを捲り上げたかと思うと、胸の突起を口に含み、舌で舐めとる。
「ん…。道守さん…?」
「実は僕、こっちなんです」
こっち…?え…?つまり、それって…?
「ちょっと、待って…」
「もしかして、初めてですか?」
言いながら、道守さんが不敵な笑みを浮かべる。
「俺は、色っぽく喘ぐ道守さんが見たくて…」
「残念でしたね。僕は、男らしい柿崎さんが、恥じらいながら喘ぐ姿が、たまらなく見たいです。ちょっと意地悪して、焦らして、僕に懇願するところも見てみたい」
「え…?道守さんって、もしかして、Sなんですか?」
恐る恐る尋ねると、
「いいえ、違います」
と答えた言葉に少しホッとしたのも束の間で、
「超ドSです」
と言って、俺のハーフパンツと下着を一気に下ろしたのだった。
嘘だろ…こんな…。
俺なんかよりもずっと華奢で、小柄な男にいいようにされてるなんて…。
「だいぶほぐれてきましたね。さっき、たくさん舐めたせいか、すごく柔らかいです。指、気持ちいいですか?もう、2本も入ってますよ」
「ん…」
まさか自分が、受ける側になるなんてこと、今まで考えたこともなかった。それでも、感情は昂りを見せ、下半身は正直に反応していた。
「こんなに硬くして…。興奮してるんですね。中もすごくヒクついてて、たまらないです。もう、入れても?」
「や…め」
恥ずかしすぎて、涙が滲む。
「その顔ですよ。すごくいい表情です」
優しく出し入れされていた指が、ゆっくり抜けたあとに、グッと押し拡げられる感覚が俺を襲う。慎重に、そして丁寧に奥まで挿入されたのが分かった。しばらくそこで止まっていたかと思うと、
「あ...やっ…」
腰を引かれ、俺の粘膜が道守さんのモノに吸い付いていくのが分かった。
「ヤバい…。めちゃくちゃいいです」
そして再び奥深くへと道守さんのそれを迎え入れる。
「…あ、道守さ…」
「分かってます」
動きが一気に激しくなり、俺は漏れる喘ぎを我慢しようと必死になった。
「我慢しないで、声を出して下さい」
「や…だ、も、やめ…」
グッと腰を押し付けたかと思うと、両膝の裏を手で持たれ、お腹の辺りへと寄せられ、結合がより深くなる。
「すごい締め付けですよ?」
まだ冷静で余裕のある態度に、俺は悔しくて、思わず唇を噛み締めた。
「その顔、ほんと、そそりますね…」
そんな唇に、道守さんは自分の唇を寄せ、開かせた。そして、激しく舌を絡め、吸い取る。その間も、体を激しく揺さぶられ、
「もうダメ…。イク…」
と、思わず口に出していた。
「僕もです。中に出しても…?」
言った道守さんの息遣いが荒い。
「ん…」
その瞬間、道守さんが俺の中で何度も脈打ったのが分かった。
その後、枕に顔を埋めたまま、体を起こそうとしない俺の髪に、道守さんの手が触れる。
「僕の顔も見られないくらい、恥ずかしいんですか?」
言いながら、クスクスと笑う。
「…そりゃ、そうだろ…。だって、あんな...」
気持ち良さに、我を忘れてしまうくらい、行為に溺れてしまった。あんなこと、今まで1度もなかったのに。むしろ、俺の方がいつも余裕かましてるくらいで...
「めちゃくちゃかわいかったですよ」
「わーっ!マジでやめろって!」
枕に顔をより深く埋める。
そんな俺の耳を優しく唇で挟むと、
「もう1回します?晴天さんが、恥ずかしくなくなるくらいまで、何度でも付き合いますよ?」
下の名前で呼ばれ、カアッと全身が熱くなる。
道守さんが、またクスクスと笑い出す。
「耳まで真っ赤にして、本当にかわいいですね。僕と会ってた時のあの男らしさは、どこに行ったんですか?」
そこまで言うと、道守さんは体を起こして、ベッドから降りると、衣服を身に纏い出した。
その視線を感じたのか、一瞬、俺の方を見て、目が合ってしまった。
「…あ...」
「何ですか?」
「帰るんですか…?」
「はい。明日も朝早くから仕事なので」
つれない奴だな…。あまり感情が顔に出ないせいか、こいつが何を考えているのかが、いつも本当に掴みにくい。
身だしなみを整えると、道守さんは、
「じゃあ」
とだけ言って、玄関を出て行った。
「…んだよ…。遊びかよ…」
俺は、横に向けていた顔を再び枕に埋めると、目に涙が溢れて来た。
「くっそ…。おとなしそうで、かわいい顔してるくせに、マジで最低な奴だな…」
こんなに悔しい気持ちになったのは、今まで生きてきた中で、初めてかもしれない。
胸が痛い。喉の奥が苦い。考え出すと、思考がどんどんと悪い方に向いて行き、それが止まらなくなり、俺は嗚咽を漏らしながら、本気で泣いたのだった。
それから、何事もなく、2週間が過ぎた。
「柿崎、今日は昼どうする?」
同期が声を掛けてくれる。
「あ~。何か、まだ食欲ないから、コンビニで何か軽く買って食べるよ」
「…そっか。分かった。大丈夫か?最近、ずっと食欲ないみたいだし、何かやつれてきてるぞ?悩みがあるなら、相談しろよ?」
「…ああ。サンキュ…」
保険に入って、下心丸出しで部屋に上げた男に犯されて、遊ばれて、捨てられたって?そんなこと、誰にも相談できねぇだろ…。俺は大きなため息を吐いた。
そこに、
「こんにちは。お邪魔します。大成保険の
と、若い女性が事務所内へと入って来た。
デスクへと、名刺とパンフレットを置いて行く。
「あの…前の担当の方は…?」
俺が恐る恐る尋ねると、
「私はお会いしたことはないんですけど、急に辞められたみたいで…」
俺は、足元から崩れてしまいそうになった。
これで完全に2人の接点が、なくなってしまった…。名刺に書いてあった携帯番号は、会社用だと話していたし、連絡の取りようもなくて、完全に失恋したことを悟ったのだった。
そして、半年が過ぎた頃、
「俺ら、一緒に住むことにした。親にもちゃんと説明して、何とか説得した」
と、アパートに突然やって来た凪杜から、報告を受けた。
「え?彼女と?」
「いや。あいつは、他に好きな奴ができたんだってさ…。だから、別れたいって」
「…お前の態度が変なことに、気付いたんだな…」
「そうだな。昔から勘のいい奴だったから。優しい別れ方だよな。もっと俺のこと責めてもいいのに…」
「…きっと、もっといい奴と幸せになれるだろ」
「だな…」
「戸籍上は兄妹だけど、一緒に住むことにしたなら、本気で好きになったってことなんだろ?」
「ああ。誰にも触れられたくない。誰にも渡したくない…って、そう思った時に、本気なんだ、って気付いた」
「今からいろいろ大変だろうけど、頑張れよ」
「マジでサンキュな。また遊びに来るよ。今度は2人で」
「ああ」
そして幸せそうな笑顔を見せ、凪杜は帰って行った。
そこに再びインターホンが鳴る。
「どうした?忘れ物か?」
玄関の扉を開けると、俺は一瞬、言葉を失った。
「誰と勘違いしてるんですか?他の男?」
「いや…違う。道守さんこそ、どうしてここに…?」
「どうして、って?来たらダメな理由でも?」
「俺とは、遊びだったんですよね?」
「…遊び?」
「俺にあんなことしたくせに、急に仕事も辞めて、俺の前からいなくなったから…」
「ふぅん…。それで遊びだと思って、今出て行った他の男と遊んでたんですか?」
「だから、違うって!あいつは本当に、ただの幼なじみで…」
「ちゃんと確認しないと、ですね」
言いながら、道守さんが、自分のネクタイを指で緩めた。
「やだ…。やめ…ろって…」
ネクタイで腕をベッドのパイプに縛られ、俺は道守さんの目の前で、下半身を
「僕以外とは、使ってないんですよね?」
「当たり前だろ…!あんな恥ずかしいこと、他に誰とできんだよ!」
「今もかなり恥ずかしい格好ですけど…。丸見えですよ?」
言いながら、クックッ、と喉を鳴らして笑う。
ヌチヌチと、音が聞こえる。
「な、何する気だ?」
「久しぶりなので、ローションを…」
まだ衣服を身に纏ったままで、ベッドに座ったまま、余裕な表情で、俺の下半身に温かい手で触れる。その目は、俺の表情を確認するかのように、ジッと俺を見つめていた。
「どうですか?気持ちいいでしょ?」
ヌルヌルとした感触が、俺を興奮させ、すぐに硬くなり、勃ち上がる。
「体は正直ですよね。これは…?」
道守さんの指が、後ろのまだ窄まっている穴に、ゆっくりと滑り込んだ。
「ん…」
指が、奥まで入ったかと思うと、引き出される。
「や…め…」
「いいんだ?体が覚えてるみたいですね。より硬くなって、勃ち上がってますよ?」
もう一方の手で、俺のモノを扱き出す。
「マジで、ダメ…だって。も…イク…」
俺が言うと、突然手が止まり、何とも言えないもどかしさが襲ってくる。
俺はそっと目を開けると、道守さんがYシャツを脱ぎ、そしてそっと俺へと顔を寄せ、唇を優しく塞いだ。唇が離れ、俺と目を合わせると、愛しげに目を細め、とても切なそうな表情を見せた。
「何だよ…」
もしかして、少しは俺のことを想ってくれてるのかも…と、勘違いしそうになる。
「目が潤んでる…」
そっと、顔を右手の掌で包み込む。
「優しくすんなよ…。勘違いするだろ…」
「勘違い?」
「…俺で、遊んでるだけのくせに…」
道守さんが、口の端を上げて、意地悪な笑みを浮かべる。
「泣いちゃって、かわいそうに…」
俺の頬を伝う涙を道守さんが舌で拭う。
「僕に本気なんだ?」
「…悪いかよ。俺は、初めて会った時から、ずっと道守さんのこと手に入れたいって、そう思ってた」
「それって、体だけってことですよね?」
「初対面の時は、正直そう思ってた。だけど、商品の説明受けてた時、本当にそいつのためを考えて仕事してんだな、って思って、自分が恥ずかしくなって...。一緒にボートに乗ってる時も、飲みに行った時も、マジで楽しくて、気持ちが和むって言うか…。いつの間にか、毎日考えてしまうくらい、好きになってた」
「へぇ...。初耳です。そっちこそ、僕とは遊びなのかと思ってました」
「何で?」
「何で…って…。一緒に住んでる人、いるんですよね?初めてお会いした日に『今から帰る。先に部屋に入ってろ』ってLINEしてたの、見えてしまったんです。それなのに、僕を部屋に上げて、手を出してきたので」
「あれは、さっきのダチが家庭内でいろいろあって、しばらく家に帰れなくて、ここにいただけで...」
「へぇ...。で?そっちは何で遊びだと思ってたんですか?」
「だって、俺のこと、別に好きなワケじゃないんだろ…?それに、めちゃくちゃこういうことに慣れてる感じで、経験豊富そうだし」
「…なるほどね」
そこまで言うと、道守さんは、自分の大きくなった硬いモノを、俺へとあてがった。
「…っ…」
押し広げられる感覚が拡がり、ゆっくりと奥へと入り込む。
「とりあえず、今は何も考えずに、楽しみましょう」
と、道守さんが腰を一気に打ち付けたのだった。
「痛かったですか?」
ゆっくりとネクタイを外し、手首を自由にしてくれる。
「どっちが…?」
「後ろは、痛くしたつもりはないですけど?」
そうなのだ…。道守さんは、激しく情熱的なくせに、俺のことを労りながら、すごく優しく俺を抱く。
「さっきの話の続きですけど…」
ドクン、と心臓が跳ねて、鼓動が激しくなる。
「僕が男性に興味を持ち始めたのは、高校生の頃でした。夜のお店でカウンターの仕事をしてて、そこのマスターが、僕と正反対の容姿で、すごく男らしくて憧れてたんですけど…」
「…好きだったってことか…?」
「そうじゃなくて。ある日、見てしまったんです。マスターが、店の裏で男の人と、してるところを…。あんなに男らしい人が、男に抱かれて、恥ずかしそうに、喘いで感じてる姿を見た時に、ショックと言うか、衝撃を受けてしまって...。そこから、僕も、男らしい人にこそ、あんな表情をさせてみたい、って思うようになって…」
「その餌食になったのが、今回は、俺ってことなのか?」
「餌食って、人聞きが悪いですね」
「だって、道守さん、俺を初めて抱いた日、涼しい顔で、何も言わずに部屋を出てくし…」
「道守さんじゃなくて、瑞城で…」
「瑞…城?」
「はい。下の名前で呼び捨てにされる方が興奮するので」
「…やっぱ、Sって言うより、変態っぽいよ、瑞城は…」
「…変態…?そんなこと、初めて言われましたけど…」
瑞城の表情が変わる。
「あっ...」
ギュッ、と、まだ余韻の残る下半身の部分を強く握られた。
「…すごく高揚します」
そして、再び俺のモノを扱き出した。
「変態って言われて喜ぶとか、やっぱ、変態だろ…」
そう言った俺のモノを口に含む。
「も…やだ。瑞城…」
指が、再び後孔へと入り込み、先ほど瑞城が俺の中で放った液体が零れ出したのが分かった。
「いっぱい出てきてますよ?グチョグチョですね。蓋、しときましょうか」
瑞城が、また自分の硬くそそり勃ったモノを俺の中へと潜り込ませた。
「やだ、も…。やめ…。ワケわかんなくなる…」
「いいですよ。もっと乱れた晴天さんを僕に見せて下さい」
そして、夜が更けるまで、その行為は繰り返されたのだった。
「…ん…」
外からの光の眩しさに、目が覚める。
体がとてもだるくて、重かった。
少し体を起こして部屋を見渡すと、瑞城の姿はなく、誰もいなかった。
昨日のあれは、夢…だったのだろうか?
そう錯覚するくらい、静かで穏やかな朝だった。
ゆっくりと起き上がると、ドロリと、中から何か生暖かいものが出てくる感覚がして、俺は、
「ヤバっ…」
と、慌てて風呂場へと向かった。
シャワーを浴びながら、自分の指で押し拡げると、中で出された液体が、次から次へと流れ出てくる。
「あいつ…」
やりたい放題やりやがって。しかも、俺が起きる前にさっさと帰るとか、あり得ない。かわいいクリクリの瞳をしたワンコは、とんだ狂犬…いや、もう野生の狼だ。
シャワーを浴び終えて、リビングに戻る。
「まだ、中に何か入ってる感じがする…」
そんな違和感を感じながら、コーヒーを飲もうとお湯を沸かした。
「そういや、連絡先も知らねぇんだよな…」
保険会社を辞めたなら、以前の会社用の携帯にすら連絡もできない。
そう思ったら、急に息苦しくなって、目頭が熱くなる。
「完全に、遊ばれてんな」
今度は、いつ会えるんだよ。また、ただ待つだけの、胸が締め付けられるようなあんな苦しい日々が続くのか…?涙が、次から次へと、溢れ出した。
そこに、カチャリ…と玄関の開く音がした。ガサガサと袋が擦れる音が、リビングへと近付く。
「もう起きたんですか?意外に早起きなんですね」
ダイニングテーブルに、コンビニの袋を置き、そして、
「これ、朝早くからやってるホームセンターで適当に選んで買ってきたんで。シーツ、かなり汚れたでしょうから」
言いながら、俺に向かって、もう1つの袋を差し出した。それを受け取ることもせず、涙を流しながら呆然と立ったまま、動こうとしない俺の横を通り過ぎ、瑞城が、ベッドのシーツと枕カバーを取り外す。
「洗濯しても、かなりいい天気なので、今日中に乾きそうですね」
そんな瑞城の背後から、俺は思いっきり抱き付いた。
「好きだ」
「え?ちょっと…」
「頼むから、もう黙って、俺の前から、いなくならないでくれよ…」
涙が止まらない。泣いてしまうくらい人を好きになるなんてこと、今までにない経験だった。
「…晴天さん?」
「…毎日、毎日、嫌というほど瑞城のことばっか考えてて、ずっと仕事も全然手につかなくて…」
「…分かったから。とりあえず、1回離れて下さい」
「やだ!離したら、また黙ってどっか行くんだろ?で、自分の気分で急に俺んとこ来て、またいなくなって…」
「…そもそも、何で泣いてるんですか?」
「…瑞城のせいだろ…」
「とにかく、シーツ洗濯したいんで、離して下さい」
「じゃあ、このまま俺も付いてく」
「…歩きにくいでしょ」
「ちゃんと歩幅合わせる」
俺は瑞城にくっついたまま、一緒に移動した。
「あの!椅子にぐらい、1人で座りたいんですけど」
「ダメだ」
俺は、瑞城を膝の上に乗せたまま、ダイニングテーブルの椅子に腰掛けていた。
「じゃあ、ソファに移動しましょう。コンビニでいろいろ買って来たんで、少し食べないと。お腹空いたでしょ?」
「…仕事辞めて、何してたんだ?」
「旅行会社に転職したんです。転職したのはいいけど、覚えることがたくさんありすぎて、半年間、毎日本当に大変で。それに、初めて顧客と関係を持ってしまったので、保険会社の仕事を続けるわけにも行かないかな…と」
「顧客と…?」
「はい」
「…瑞城が?」
「そうです。理由も言わず、勝手に転職したので、母にもめちゃくちゃ怒られるし責められるしで、散々でしたよ」
「…相手、誰?女?それとも男?無理矢理誘われたのか?それとも合意の上か?そん時、受けと攻め、どっちだったんだよ」
俺は捲し立てるかのように、瑞城に尋ねた。
「答える要素が多すぎですよ…。その人は、初めて会った時から、僕に異常なほどの視線を向けてきてて『ああ、またか』って思ってました。それなのに、口説いてくるワケでもなく、毎回、ただ保険の話を聞いて、帰って行くだけでした。その裏腹な態度に、僕が戸惑ってしまって、つい、契約を結ぶ時に、母に内緒で2人きりで会ってしまったんです。その時に、ある場所に誘われて…」
「ホテルか!?」
「違います。その人は、ものすごく、昔くさいセリフを吐いて僕のことを励ましてくれる人で、今時、こんな人いるんだ、って思って呆れながらも、何故か、その人の言葉がすごく心に響いてしまって…。そのうちに、会いたい、話したい、あの人の言葉が聞きたい、励ましてもらいたい、って思うようになって。ある日、つい自分から連絡をしてしまって、その人の部屋に行きました」
「…そっか…」
俺は、瑞城を自分の膝の上から降ろすと、
「そいつと、まだ関係続いてんのか…?」
と、小さな声で聞いた。
「…はい」
瑞城の言葉に、ガクンと体の力が一気に抜けてしまい、俺は肩を落とした。
「じゃあ、俺たち、もう会わない方がいいよな…。そいつのこと、好きなんだろ?」
「はい。いつの間にか、好きになってたみたいです…。晴天さんのことが」
瑞城の言葉を理解するのにかなりの時間を要した俺は、しばらくその場で、フリーズしていたようだった。
そして、それから1年の年月が過ぎた。
「ただいま…」
夜遅く、玄関の扉が開く。
「お帰り。疲れただろ?風呂、沸かすか?」
「いや、いい。今日は、このまま寝る」
「分かった。荷物、置いといて」
「うん。ありがとう」
そして、瑞城は自分の部屋へと入ると、すぐに扉を閉じた。
俺は瑞城の旅行カバンから洗濯物を出し、洗濯機を回し始めた。
そして、瑞城の部屋のドアをノックする。
「瑞城、ちょっといいか?」
部屋には、スーツとスラックス、Yシャツが脱ぎっぱなしになって、床に散らばっていた。
「これ、明日クリーニング出しとくな」
それを拾い上げて、俺は自分の腕に掛けた。
「ん…。ありがとう」
「…どうだった?今回の宿は?」
「うん。すごくいい感じだったよ…。帰りに会社に寄って少し話してきたんだけど、また新しいツアーの企画、増やせそう…」
「そっか。良かったな。瑞城のおかげで、俺たち家族も、いろんな思い出が作れて、本当に感謝してる」
「…晴天がキッカケをくれたから。本当に、大好評で、ありがたいよ…」
ベッドでまどろみながら、瑞城が、けだるそうに喋る。
瑞城は、旅行会社に勤めてから、障害のある人たちを対象にした旅行のツアーを企画し始めた。自分でいろんな県の宿に出向き、観光地を回り、車椅子や足や手が不自由な人たちや高齢者が快適に過ごせるように案を出し、改善に手を尽くしていた。しかも、会社で介護士を雇い、付き添いをするといったツアーが大盛況で、いつも予約でいっぱいの状態だった。そんなツアーに、先日、瑞城が俺たち家族を招待してくれたのだ。
「親父、めちゃくちゃ喜んでたよ。今度はお袋と2人で温泉旅行に行くってさ。介護士の付き添いがあるから、俺も弟も安心だしな」
「…良かった。これからも、たくさんの思い出が作れるといいね…。きっと、行きたくても体が不自由で、旅行を諦めてた人たちも多いと思うから、そういう人たちが少しでも楽しめる企画をもっと作って行きたい…」
今にも眠ってしまいそうに、瞬きの時間が長くなる。
「…でも、あんまり無理するなよ?」
「うん」
「それとさ…」
「…うん…」
「いつか、瑞城との思い出も作りたい」
俺が言うと、瑞城が目を閉じたまま、急に黙り込んだ。
「その、お互い忙しくて、なかなかデートとかも行けてないだろ?だから、今度は2人きりで、ゆっくり温泉とか行ってみたいな、って思ってさ」
しばらくの沈黙のあと、
「そっか、そうだね」
と、瑞城がうっすらと目を開く。
「2人でさ、温泉入って…。で、そのあと…」
「そのあと…?」
「今度は、俺が瑞城を抱きたい」
「は?」
「色っぽい瑞城を1度でいいから、見てみたいんだよ。頼む」
「僕を抱こうなんて、100年早いよ」
「…じゃあ、いつならいいんだよ。もう付き合って1年以上経つのに、まだ瑞城の大事なところ、1回も見せてもらってないし」
「別に見せる必要ないだろ」
「見たい!」
「変態」
「変態はそっちだろ!」
「感じすぎて余裕なくすから、いつも僕の裸を見られないんだろ?こっちだって、ちゃんと服脱いでんのに」
瑞城の突っ込みに、思わず口を噤む。
そうなのだ。瑞城との行為は、あまりにも気持ち良すぎて、我を忘れてしまい、快楽に溺れ、果てたあとに、すぐに眠ってしまうのだ…。
「…俺だって、瑞城のを口でしたいし、後ろの穴にも吸い付きたいし、中に入れてみたい」
「だから、100年早いって」
「好きなら、誰だってそう思うだろ?」
「痛そうだから、絶対にヤダ。無理」
「え…?痛そう、って…。もしかして、瑞城はアナルバージンなのか?」
俺が聞くと、瑞城は、モゾモゾと布団に潜り込み、
「…もう寝るから、早く出てって」
と、静かな声で答えた。
「嘘だろ?マジで…?じゃあ、もしうまく行ったら、俺とが初めてになるってことか?」
ヤバい。めちゃくちゃ興奮してきた。
瑞城はそのあと一切声を出すことなく、そして、そのうち寝息をたてはじめたのだった。
翌朝、瑞城がシャワーを浴び、ラフな格好でダイニングへとやって来た。
「おはよう。コーヒー飲むか?」
「あ、うん」
「パン、焼くか?昨日の夕方、パン屋で買ってきたの、少し残ってるけど」
「そうだね。クロワッサン、食べたいかも」
「了解」
「何か、すごくご機嫌じゃない?」
瑞城が椅子に腰掛けて、新聞を読み始める。
「そうか?」
そりゃ、そうだろ。瑞城が、まだ誰にも初めてを許してないって知ったら、テンションも上がるに決まってる。
「バターは?」
「いい」
「今日は1日休みなのか?」
「うん」
「へぇ。土曜日に休みなんて、めずらしいな」
「一応、交替制なんだけど、子供がいる人たちは、なかなか土日の勤務は難しいから」
「そうだな…。今日はゆっくり出来るんだよな?」
「まあ。予定ないし」
「じゃあ、久しぶりに2人で一緒に過ごせるな」
「…そうだね」
瑞城が無表情で答える。嬉しいのか嬉しくないのか、同棲して1年以上も経つのに、未だに全く本心が見えてこない。
「どっか行くか?」
「…って言うかさ、どこ行きたいんだよ?」
「え?だから、それを今、決めようとして…」
「じゃなくて、温泉だよ。どこの温泉行きたいんだよ?って話」
「え?いいのか?俺と一緒に温泉に行っても…。それって期待しても…」
「そういうことじゃない!思い出作り、してもいいかな、って思っただけで。それに、晴天には、いつも家のことや身の回りのことしてもらってるから、たまには温泉にでも行って、ゆっくりしてもらいたいな、って…」
「…そんなの、別に気にしなくてもいいのに。俺は、2人で一緒に過ごせていることが、これ以上ない幸せだからな」
「まあ、確かに僕もそうだけど…。でも...」
「え!?今、何て…」
そこに、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
くそっ!誰だよ!!せっかく瑞城の本音が聞けそうだって時に!!
「マジで悪い。実家に行ったら、お袋がぎっくり腰で面倒見れないって。優愛、今日、友達何人かと久しぶりにランチに行ってて。俺、結構飲みに出させてもらってるし、呼び戻すのもな…と思って」
凪杜が、まだ5ヶ月になったばかりの赤ちゃんを連れて、俺のアパートにやって来た。
「ミルクは?」
瑞城が凪杜に尋ねる。
「さっき、優愛が出かける前に飲ませてたし、オムツも替えてったから、少しは持つと思う。着替えと、昼寝用の布団もあるし…。3人いたら、何とかなるかな、って」
「まあ、凪杜さんが1人で面倒見るよりは、心強いかもしれないですね」
言いながら、瑞城が、頬に触れる。
「すんごいぷにぷにしてる。めっちゃかわいい」
いや、俺的には、滅多に見られない瑞城の笑顔の方に、悶絶するくらい萌えるんですけど!?
「瑞城君、久しぶりに帰って来たんだろ?疲れてんのに、ほんと、ごめんな」
凪杜が謝る。
「予定なかったし、大丈夫です」
「久しぶりに2人きりで過ごせると思ってたのに...」
ブツブツ言う俺を横目に、瑞城がポットでお湯を沸かし、低い温度に設定する。
「何してんだ?」
「ん?いつミルク欲しがるか分かんないから。すぐに準備できるように...と思って」
「…へぇ...。慣れてるんだな…」
「1番上の兄貴が、よく子供を連れて実家に来てたから。奥さん、看護師で土曜日はほとんど仕事で」
「ふぅん…」
いそいそと、凪杜の子供の世話の準備を始める瑞城に、俺は思わず口元が緩んでしまっていたのだった。
「いや。今日はマジでありがとな。ほんと、助かったよ」
凪杜が改めてお礼を言う。
「晴天さん、瑞城さん、本当にありがとうございました。事情も知らずに、遅くなってごめんなさい。実家に行ったら、いないって言うし。まさか、ここにお邪魔してたなんて。ご迷惑おかけして、すみませんでした」
言いながら、優愛ちゃんも頭を下げる。
「僕たちなら大丈夫だから。ランチ、楽しめたなら良かった」
瑞城が優しく言うと、2人は嬉しそうに笑顔を見せて、そしてスヤスヤと眠る子供を抱っこして、帰って行ったのだった。
2人を見送ったあと、
「子供、欲しくなった?」
俺が聞くと、
「いや、無理だし」
と、突っ込まれる。
「だよな…。2人でいる以上は、無理だよな」
「子供、欲しいの?」
「ん?いや、俺は瑞城さえいてくれればいい」
そして、瑞城の目を見た。
「相変わらず、昔くさいセリフ吐いてるね。…ちょっと今から会社に行ってくる」
「え?今から?晩ごはんは?」
「コンビニで買って、適当に食べるからいい」
「…そっか。分かったよ」
何なんだよ。せっかくの休みだったのに。せめて夜ぐらいはゆっくりできると思って、すげぇ嬉しかったのに。
そしてその日から、またすれ違いの日々が始まった。俺が寝たあとに瑞城は仕事から帰って来て、そして、俺が会社に行く時間は、まだ寝ている。
朝ごはんや晩ごはん、片付けや洗濯や掃除など、瑞城の身の回りのことは、ほとんど俺がしていた。
そんな毎日が続いたある日のことだった。
瑞城の帰りを待っていると、
「まだ起きてたの?もう遅いよ?寝なくていいの?」
「ちょっと話があって。明日から、1週間ほど出張に行くことになって…」
「あ、そっか。プレゼン?」
「ああ」
「分かった。じゃあ、明日から実家に帰るよ」
その瑞城の言葉に、俺は思わずカチンと来てしまった。
「あのさ、俺って、瑞城の何なの?ただの家政婦?俺が出張行くから実家に帰るとか、世話してくれる奴がいなくなるから、って思ってるからだろ?」
「…え?」
「温泉行こうとか言いながら、計画立てようともしてないし、今日、久しぶりに顔見たのに、寝なくていいのか?とか?何だよ、それ」
「だって…」
「もういいよ。よく分かった。出て行きたいなら、俺が出張に行ってる間に出てけ。無理して俺と付き合ってるなら、そんな同情、マジでいらねぇから」
そう言い残して、俺は出張用の荷物を抱えて、アパートを出て行ったのだった。
「何してんだ?こんな夜遅くに」
「…凪杜…」
「入れよ」
凪杜が自宅の玄関の扉を開けてくれる。
「優愛ちゃんたちは?」
「ん?明日からしばらく俺いないから、今、実家に送ってきた。やっぱ、心配だしさ」
「…心配?」
「ん?ああ。お前も言ってなかったか?自分が出張に行く時は、必ず実家に帰るように、いつも瑞城に言ってる、って。心配だから、って」
「あ...」
そうだった。だから瑞城は、自分から実家に帰るって言ったのか…。
「ってかさ、お前も明日から行くんだろ?プレゼンの予選と、通過したら本選も」
「ああ。もちろん」
「このクソ忙しい時に、よく俺ん家に来るよな。まだ持ち物の準備、終わってねぇし。ってか、何?ケンカ?」
「…ああ。ここ何ヵ月も、ずっとすれ違いの生活で、顔も見れてなくて。今日、明日から出張だってこと伝えようと思って、起きて待ってたら、寝なくていいのか?とか言われて」
「で?」
「俺がいない間、実家に帰るって言うから、頭に来て。俺はお前の何?家政婦か?って。しかも、同情で付き合ってるなら、出てけ、って、思わず…そんな感じのこと言ってしまって…」
「かわいそ」
「だろ?」
「瑞城君が」
「何でだよ」
「そのパンフレット、見ろよ。新しい企画らしくて。この前、格安で招待してくれてさ。アンケートに答えて、9割以上の人から高評価を得られたら、企画が採用されるとかで...」
そこには、小さな子供連れでもゆったりできる、託児所付きの温泉宿が何軒か掲載されていた。
「ほら、前にお前んちに子供連れてった時にさ、外食してもゆっくり飯も食えないって話してただろ?それで、思い付いたんだってさ。少し料金は割高になるみたいだけど、3時間ほど、子供を預かってもらえるんだ。しかも、ちゃんと保育士の資格持ってる人たちで。ゆっくり温泉にも入れたし、食事も出来たし、すげぇ良かった。絶対にめちゃくちゃ人気出る旅行の企画だと思う」
「…だから?そんなこと、俺に言われたところで、どうしろって言うんだよ。あいつの頑張りは認めるけど、あいつが仕事に力を入れれば入れるほど、俺はほったらかしにされて、どんどん距離が出来るだけなんだぞ…?」
「…温泉に行きたいって言ってたぞ。この企画が通ったら、しばらく休みもらって、ゆっくりお前と温泉に行きたい、って。何枚かパンフレット持って帰って来たって、嬉しそうに話してたけどな。それなのに、出てけ、って?お前、瑞城君のこと、何も分かってないんだな」
凪杜が呆れた口調で言いながら、俺を見た。
その瞬間、俺は、荷物を手に持ち、急いでアパートに向かって走り出していた。
俺はバカだ。そうだよ。実家に帰るように言ってたのは俺だ。そんなことにすら頭が回らないくらい、瑞城に会えないせいで、不安で仕方なくて、冷静さが保てなかった。俺は慌てて玄関の扉を開き、
「瑞城!!」
と、大声で叫んだ。
返事がない。
そこに、ピッ、ピッ、と、機械音がした。
カチャリ、と扉を開くと、説明書を持った瑞城が洗濯機の前に立っていた。
「何してんだ?」
「洗濯」
「どけよ。俺がやる」
「いい。自分でやる」
「…さっきは、悪かった。俺、瑞城のことがマジで好き過ぎて、頭が回らなくて。ホントごめん。瑞城にここを出て行かれたら、俺は絶対に一生立ち直れない」
そして、洗剤と柔軟剤を入れる。
「僕の方こそ、晴天に甘え過ぎてた」
「…行こう」
瑞城の腕を引き、俺の部屋へと連れ込んだ。
ベッドへと押し倒し、唇を奪う。
「温泉旅行のこと、考えてくれてたんだな」
「凪杜さんから聞いたの?」
「ああ」
瑞城の服を脱がして行く。瑞城の胸の突起は、薄いピンク色で、俺が口に含んで舌で転がすと、すぐに固さを持った。
「待って…」
「無理。今日こそは、俺のモノにする」
「恥ずかしいから、自分で脱ぐ。後ろ、向いてて。お願い…」
言いながら、目線を下の方へと流す。それだけで、俺は興奮を覚えた。
そして俺はベッドへと腰かけ、瑞城に背を向けた。
「形勢逆転だね。ほんと、素直って言うか、従順って言うか。晴天って、何か、犬みたい」
後ろで両手を素早く縛られ、ベッドへと押し倒される。
「え?嘘だろ…」
「僕、明日休みなんだよね。明日からプレゼンとか言ってたけど、容赦しないから」
言いながら、瑞城が不適な笑みを浮かべて、俺へと唇を寄せて来たのだった。
「何だよ、寝不足か?仲直りできたんだな」
プレゼン会場で凪杜に会った瞬間、絡まれる。
「まあな…」
夜通し、中に挿入されていたなんて、口が裂けても言えない。
「俺、プレゼン終わったらさ、両親呼んで結婚式して、優愛にちゃんとした指輪プレゼントしようと思ってんだよな」
「買ってなかったのか?」
「ほら、デキちゃっただったし。まだ大卒で仕事始めたばっかで奨学金も返してるし、金もなかったから、今のは3000円ほどの指輪なんだよ」
「金額なんて、関係ないだろ」
「優愛もそう言ってくれてるんだけどさ…」
「お前、マジで惚れてんだな。学生時代に、何人もの女を連れて遊びまくってた奴とは思えないな」
「お前もだろ?いつも冷静なくせに、夜遅くに俺の家に来るとか、まず持ってあり得ねぇから」
「…まあな…。何だかんだ言って、俺たちって幸せなんだな…」
「だな」
そして、2人して目を合わせて、笑い合ったのだった。
「プレゼン、成功おめでとう。凪杜さんのところと、2社選ばれたんでしょ?」
「ああ。同じ商品に違うデザインで、2種類発売することにしたらしい」
話しながら、荷物を準備する。
「すごいね」
瑞城が背を向けた時に、俺は、紙袋に入ったままのローションとゴムをすかさずカバンに入れた。
よし!今晩こそ、絶対に瑞城の初めてを俺のモノに…。
ああ、ヤバい。考えるだけで、口元が緩んでしまう。
俺は咳払いをして、
「準備できたか?」
と、瑞城に尋ねた。
「あ、うん」
「じゃあ、出発するか。いよいよ念願の温泉旅行に!」
「いよいよ念願、って。いちいち言葉が古くさいんだよ」
「じゃあ、何て言えばいいんだ?」
「…まあ、晴天らしくていいけど」
そして、荷物を載せ、車に乗り込み、エンジンをかける。
「晴天ってさ、本当に優しいよね」
「そうか?」
「僕、かなり自分勝手だし、好きにさせてもらってるのに、文句1つ言わないから」
「仕事頑張ってんの、分かってるしな」
「それでも、すごく我慢強いな、って思う」
一緒に住んでるのに、絶対に手を出してこないところも...
「俺が?いや、結構、適当だぞ?瑞城のこと、ちゃんと大事にできてんのかな…とか、考えたりはするけど」
「してもらってるよ。ちゃんと」
もったいないくらい大事にしてもらってるって、心から思ってるよ。気恥ずかしくて、口に出しては言えないけれれど…
「なら、良かった」
言って、運転しながら笑顔を見せる。
「晴天ってさ、実は女の人とか、結構寄ってくるでしょ?」
保険会社に説明を聞きに来る度に、職場の女子が「イケメンすぎる」と、晴天のことで毎回騒いでいた。本人に自覚がないだけで、かなりモテててるのは間違いない。
「いや、そうでもないけど…。瑞城の方が寄って来るだろ?仕事も出来るし、それだけの男前ならさ…」
「男前?」
「美人で綺麗で、男からも狙われやすいかもしれないけど、やっぱり男としても、かなりカッコいいし、イケメンじゃん」
「カッコいい?僕が?」
「ああ。かなりのイケメンだよ」
「初めて言われた。いつも女の人みたい、とか、そういうのばっかで…」
何だか嬉しくて、俯いて、つい笑みが零れた。
「中身も、かなり男らしいしな。バリバリ仕事して、新しい企画、どんどん提案してさ…」
「それを言うなら、晴天だって同じだろ?デザイン考えて、プレゼンして、成績残してるんだから」
「まあ、俺はチームでやってるからな。多少、ラクな部分はあるから…」
そう話す俺の横顔を、瑞城がジッと見つめているのが、何となく分かった。
「…楽しみだね」
「ん?」
「温泉」
「ああ。観光地もいろいろ回りたいし、思いっきり楽しもうな」
「うん。あ、そうだ...」
「何だ?」
「部屋、別々に取ってあるから。食事の場所と時間は一緒にしてあるけど、お風呂も、各自、好きな時間で…。ゆっくりしたいだろうと思って」
「嘘だろ!一緒に風呂に入るの、すげぇ楽しみにしてたんだぞ!!」
瑞城が、肩を揺らして笑う。
「マジで冗談だよな?」
「さあ、どうだろ。それと、晴天がカバンに忍ばせといた、紙袋に入ったままの、いかがわしい物は、さっき僕が没収しといたから」
言いながら、瑞城が、その紙袋を手に持って、俺に見せた。
「何で!?」
「リビングの棚に置いたままにしてただろ?なくなってたから、たぶん持って来たんだろうな、って。荷物を車に載せた時に、確認したら、やっぱりカバンに入ってたから」
「リビングの棚に置いたままになんてしてねぇし。一応、奥の方に隠しといたつもりだったのに…」
「あれで?晴天は本当にツメが甘いよ。残念だったね」
「マジでヘコむ…。って言うか、部屋は一緒なんだろ?」
「だから、別々だって言ってるだろ」
瑞城が、喉をクックッと鳴らして、楽しそうに笑う。いつも俺に意地悪する時の笑い方だ。
一体、どっちなんだ!?本当に、瑞城の本音は今でも掴めない。俺は、いつも瑞城に翻弄されてばかりで、いつまで経っても、適わないのだ。
そして俺は、宿に着くまで、分からない答えを抱えながら、予定地へと車を軽快に走らせて行くのだった。〈完〉
草食ワンコ系に一目惚れしたはいいけれど 多田光里 @383103581518
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