「〝魚影の領域〟ヘイダルゾーン」

イソラズ

第1話『のたうつデザイア』



 時刻は深夜を過ぎ·····

夜の繁華街に並ぶ店が、軒並み揃えて提灯を温めきった頃。


超科学的な発展をした〝剱賀ツルガ国〟の中でも、一際治安の悪い火幻ひげん地区のナイトクラブ。


爆音と酒とショーを提供する奥行きのわからぬ店では、今日も今日とて荒れる人間同士のトラブルが起きていた。



「おいコラてめぇ!ぶっ殺すぞ!!」


赤く染めた髪を短髪に揃え、薄い黒のシャツを腕まくりして入れ墨を見せて、鳴り響くディスコの音に負けじと威嚇。


 如何にもな容姿で如何にもなセリフを吐いた半グレに胸ぐらを捕まれ、しどろもどろしているのは、スーツ姿をしたサラリーマン風の男か。


「いぇ、その···あの」


「あぁ!?てめぇが俺に酒かけてきたんだろ!?ォオン!?」


身長はまだしも、明らかに体格の違う相手に顔を近づけられて、サラリーマンは更に萎縮する。


 他の客や女達は、周囲で距離を取ってその様子を見ている。端末を向けている者もポツポツと見られる。


「慰謝料二十万だ、財布出せ」


「いぇ、その、すいません!本当にごめんなさい!!」


「うるせぇゴラァ!!さっさと財布をッ───」




「兄ちゃん、文句ってなんの用?」



サッと人集りの一端が割れて、数名のスーツ姿の男達が現れた。


 同じスーツ姿といっても、自分の体を守るように縮こまっている被害者の男とは違う。


 半透明のサングラス、短い黒髪に黒スーツ·····ギラギラと光る目をした、明らかな本職そっちガワの男が三名。

 先頭に立つ、サングラスをかけた大柄な男が、二人を後ろに連れている様子だ。


誰がどう見ても、ナイトクラブのケツ持ちの暴力団である。


 自分を真っ直ぐ見つめ、風を切って近づいてくるその姿に、チンピラは明らかにビビり、サラリーマンの胸元から手を離した。


 チンピラの目の前で足を止めた男は、サングラスを上げ、目を見開いて諭した。


「困るんだよねぇ、お店で怒鳴り合いされるとさ·····ほら、他のお客さん困ってるでしょ?」


「知るかよ、こいつが俺に酒ぶっかけてきやがったんだよ!」


「ぁああ、はいはい、分かった分かった、じゃあ話聞くから、、来てくんない?」


男の言葉に、一瞬黙り込むチンピラ。

 その隙を見逃さず、男は、後ろの二人を顎で合図した。


 二人はチンピラの左右を挟むと、肩あたりの服を掴んで奥へと追い立てようとする。



「チッ、触んな汚ぇ」


「あの·····私は·····」


噛み付く直前の犬のような形相をしているチンピラを横目に、口を開き、言外にここを立ち去りたいと伝えるサラリーマンであったが、その首元を男に掴まれる。


「ん?ダメだよ、君も、ね」


「ぇ·····」


 彼らは紛うことなき暴力団であり、ナイトクラブで起きる問題を解決する代わりに、店から金を巻き上げている。

無論それだけでなく、問題を起こした客を脅して小遣い稼ぎも忘れていない。


 ·····当たり前の話だが、彼らは警備員でもなんでもないのだ。義理人情と言いつつも、芝居と計算が上手くて狡猾さもある。


「おいコラ、さっさと歩かんかいチンピラァ!」


サラリーマンの首を抑えたまま、男はなかなか歩き出さないチンピラに吠えた。


 それを受けて覚悟を決めたのか、チンピラが勢いよく衣服を脱ぐ。

腕から肩、胸にかけて四つ首の龍の入れ墨が入っている。


「ガタガタうっせぇんじゃ!!俺はなぁ!龍麗たつうら連合の副総長やってんだぞこらァア!!」


「チッ、うるせぇ餓鬼だ」


 龍麗連合は、文字通り龍麗たつうら地区を縄張りにしている愚連隊の名前だ。

 火幻地区から近い距離ではないが、このチンピラの言うことが本当なら、面倒な事になるだろう。


愚連隊は、馬鹿で声のでかい子供の群れだ。


 たとえ相手が暴力団だろうとなんだろうと、お得意の〝友情〟を持ち出して飛びかかってくるだろう。子供同士の喧嘩しかした事がないから、何をしても青春の一ページ·····、自分の命までは取られないと思っているのだ。

 だからこそ、ここでこの副総長を〆るのはリスクが大きい。

大事に発展すれば、自分に責任が発生する。


 男は副総長の入れ墨を眺めながら、以上の事を瞬時に計算して、口を開いた。


「兄ちゃん度胸あんなぁー。おい、お前ら、ちょっとどいてろ」


「へぃ」


 二人の部下を下げさせ、自分はチンピラに歩み寄る。


「なぁ兄ちゃん、俺は緣西えんせい会の木村って言うんだけどもな」


「ぁあ?」


木村の言葉に、チンピラは体を膨らませて威嚇する。


「俺と兄ちゃんが喧嘩して、うちの会と戦争になるのは嫌よなぁ?」


「アァ!?やってるやるよゴラァ!」


「死人が出るぞ」


「·····」


 木村はスーツを脱ぎ、部下に渡した。

そして、シャツの袖を捲りながら呟いた。


「男らしく、族も会も関係ない。俺と兄ちゃんだけで喧嘩しようか」


「·····上等だよ」


 チンピラは、肩を回して準備をしてはいるが、その目には木村に対する僅かな尊敬が光っている。

 それは勿論、周囲の野次馬達にもだ。


 周りから見れば、木村は仲間や会が後ろについているにも関わらず、店で問題を起こした田舎者に付き合ってやる度量を見せたことになっているだろう。


だが実際は身長でも体重でもこちらに軍杯が上がる上に、木村はプロレベルの格闘技を収めている。

 たとえ相手が副総長だろうが、十以上歳の違う子供には負けるはずがない楽な勝負で、暴走族との大規模なトラブルを防ぎつつ、周囲の人間や相手にまで自分の男らしさと粋を見せられる。


 これこそが、裏社会で生きてきた者の名の上げ方、男の上げ方·····。


予想の通り、周りの観客は釘付けだ。中には木村の男振りを褒める声まで聞こえてくる。


 軽く飛び跳ね、ステップを踏みながら、木村は自分の賢さに舌づつみを打った。


後は生意気な餓鬼を殴り飛ばし、程よいところで讃えて地元に帰らせれば·····。


「俺は龍麗連合副総長、五頭だ!」


「おぉほら、来い、ぶっ殺してやるよ」


 群衆の最中、睨み合って戦いが始まる瞬間──────、




「木村」




 突如、自分の後ろから聞こえてきた声に、木村は動きを止めた。

ゾッとした悪寒が背筋を走り、周囲の時間までもが一瞬止まる。



「木村ァ」



二度目の呼び声で、それは確信に変わった。


 木村だけではない。


 周囲であれほど騒いでいた群衆達も、皆一様に息を潜めた。


 誰も動かず、誰も喋らない。


ドムドムと馬鹿に五月蝿い音楽だけが、空気を読まずに鳴り響いていた。


 木村は振り返った。


 見上げたところに顔があった。



「おはよう」



 ───身長は、190に近いだろうか。

人よりも頭二つ分背が高いが、その身長に不釣り合いなほど痩せこけた男だった。


 男は白く染めた頭髪をバサつかせ、目の下の深いクマをかいている。

寒い訳でもないのに、厚手の白のロングコートを着ている。


 顔立ちは整っているが、痩けた頬と、不自然にぎらついた目のせいで、見ている者に恐怖と不安を与える形相だ。


「あ·····おはようございます、〝黒蜻蛉クロトンボ〟さん」


「あぁ、おはよう」


 木村は軽く頭を下げた。


表面では作り笑いを浮かべてこそいるが、内心は震えっぱなしである。


もはや先程までの威風は無く、ただまごつくだけだ。


そんな木村を見ている男は、自分の薄い唇を真っ赤な舌で舐めた。


 その姿と、会う度に量の増える残虐な噂も相まって、自分の親分に会う時でも抱かない程の恐怖が湧いてくる。


「あぁ、なにか話の最中だったかな」


「いえ、本当に些細なことですので、お気になさらず·····。それにしても黒蜻蛉さん、今日はどんな用で?」


 自分で言った後で、失礼なことを言った気がして足が震える。


 裏社会の生態系では上位に位置するはずの自分が、暴力団が、ヤクザが、恐怖を抱く。


 それもそうだ。


 黒蜻蛉は、火幻地区で最も有名な連続猟奇殺人鬼なのだから───·····。


「理由がなきゃ、来ちゃいけないのかい?」


「あぁ!いえ!勿論そんなことは·····」


 いつもならば自分達が吐く側のはずのセリフを言われ、苦い感情ばかりが浮かんでくる。


「お酒が切れちゃってね、ちょうど近くにいたから店に来たんだ」


 黒蜻蛉と呼ばれた男はそう言うと、木村に四万円を握らせた。

 その手の爪の間には、どす黒い血が挟まっている。


 言うまでもなく、この金で酒を持ってこいと言う意味だ。


 木村はウェイターでもなんでもない。

 れっきとした暴力団の一員だ。


 だが、この男から見れば、大した違いは無いのだろう。


 彼は街の支配者であり、裏社会の生態系における不動のトップであった。

 ヤクザだろうが半グレだろうが一般人だろうが関係ない。


 何が琴線かも分からない。


 ただ純粋な事実として、この地区のあらゆる組織が服従を宣言している。


「あー、袋はいらないよ」


 複数本の角瓶を素手で掴んだ黒蜻蛉は、逆さ十字のイヤリングを光らせて背を向けた。



 男の去った後、ナイトクラブが再び客のざわめきに包まれるまで、かなりの時間を要した。


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