第15話 自由へ

泣き声がした。

薄暗くそして湿り気のある硬い木の板の上で目覚めた。


「セト…っ!!セト…っ…お…!!」


倒れた俺の身体を揺すっていたのは10歳にも満たない、白い髪の少女だった。痩せた身体に見窄らしく擦り切れた衣服を纏っていた一人の女。


ろくに食べてなく、身体も洗っていないのだろう、ボサボサの髪にガサガサの肌。

なんだか不潔なガキだなぁとは思ったが、悪口はそれだけで不思議とそれ以上の嫌悪感ってのは持ちえなかった。


「うっ…うっ…。

よかった…本当によかったっ…!

生きてて良かったよお…」


それは多分。

きっと、多分、

このガキからは好意のようなものを感じてたからだ。


名前も知らない女は泣いていた。

俺が目覚めたことがよほど嬉しいのだろう、わんわんと声を出して泣いていた。


「…」


俺には…分からなかった。

彼女になんて声をかけたらいいのかが分からなかった。

心配してくれてありがとうと言えばいいのか、

それとも心配をかけてごめんって言えばいいのか。


何も分からないから、だから沈黙した。


沈黙の中、沢山の人に囲まれていたことに気がついた。

俺とその女を車座に囲む老若男女様々な人の群れ、全員が目の前の彼女同様に擦り切れた布を着ていて不潔。


それは、俺も含めてそうだった。

どうにもここではこういった格好が普通なのかもしれないなぁと、

そんなどうでもいいことが少し頭に過る。


「よお!セト。

良かったな…!生きてて」


群衆の一人、背の高く赤い髪の青年に明る気に声をかけられる。

とても親しげだった。

それこそ友人や知り合いに話しかけるみたいに親しげ。


「いやはや!流石にタフだな!

まぁ、こんな腐った場所に妹残して簡単には死ねねえわな!」


彼はポンポンと俺の肩を叩く。

それに合わせるように周りの他の人達の安堵や心配の声も聞こえる。

張り詰められた緊張が解かれた、そんな雰囲気だった。


こんな場所。

妹。

そして名前も知らないこいつら。

彼らと自分との間に確かな認識の差を感じた。


ここはどこだ?こいつらは誰だ?

分からなければ聞けばいいやと思い、


「…お前らはだれだ?」

僕が質問すると、場が静まり返った。少女も言葉を失い、周りの人々も黙り込んでしまった。


「な…なんて?」


赤髪の青年が聞き返してきた。どうやら僕の声が小さかったらしい。


「お前らは誰だ?ここはどこだ?」


今度は大きめの声で再度尋ねると、周りの人々はますます絶句しているようで、誰も答えてくれなかった。


「……」


それは静寂というよりはもはや絶句と言い表すのが適切だろう。誰もかれもが言葉を見つけられず顔を伏せるそんな中。

無視されてんのかなーっと軽くショックを受けつつも俺はめげずに言葉を続けた。


「あと、このガキはなぜ泣いてる?

俺のせいか?俺が泣かせたのか?」


そうやって彼女を指すと、彼女は驚きにびくんと身体を浮かし今度はつらりと頬を伝う声のない涙を流した。


「セト…セト、お前っ…。

お前っ…それ、タチの悪い…冗談じゃないよな?」


赤髪の青年の声、瞳から戸惑いを感じ取れる。


「冗談?なにが?」


なにか面白い話なんかしただろうか?


「…ああ、そうか、そういうことなんだな」


男は何かを悟り、

諦めたかのような表情の後、額を抑えた。


「はぁ、マジかよ…最悪だぜ。

…最悪な結果だ」


その後、覚悟を決めたのか、男は俺の肩を両手で掴んで強く語りかける。

どうやら俺は彼と比較すると幼くそして小柄なようで、その手の圧力に少しの痛みを感じる。


「お前の側で泣いてた…あの子は、ソフィア。

お前の妹だ」


「…妹…?

コイツが?俺の妹?」


「ああ、そうだ、そうなんだよ…。

そしてお前の名はセト。

セト・ソフィール。

いいかよく聞け、セト。

お前は記憶を失ったんだよ」


ーーー


「記憶?」


「そうだ、記憶だ」


その瞬間、頭に鋭い痛みが走った。まるで何かがキンと刺さるような感じで、しばらく顔を伏せていた。そんな中、群衆の中から一人の女が肩を切って歩いてきた。

黒髪で、あのソフィアとかいう女と同じくらいの年齢に見える。


彼女は僕の前に立ち、突然パチンと頬を叩いた。


「え?」


「ばか!っ!」


「なんで叩かれっ…」


再びパチンと叩かれた。

次は胸を叩かれながら、「ばかばかばか」と繰り返される声。


「なんで、どおして、覚えてないの?なにも覚えてないの!こんなに上手くいったのにどうして、セトだけ!」


「なんでって…言われても。そんなの…」


また頭がキンと痛んだ。


「痛いよ、イズナ」


「え?」


「ん?」


「今イズナって…名前知らないはずなのに」


「…え?

アレ確かにそうだ。なんで分かったんだろ」


ぼんやりと記憶が戻ってくる。徐々に思い出されるのは、かつての出来事と人々の顔。


「あ」


涙が流れ、僕は全てを理解した。

記憶が一つずつ鮮明に蘇ってきた。


…ああ、そうか。

そういうことか。


「…ただいま、みんな」



ーーー

イシェトが送り込んだ兵隊によって、ペルディシオの教団は無事鎮圧された。大精霊の存在が教団に大きな打撃を与えたらしく、思ったより短期間で終わったらしい。教団の者たちは、そのままイシェトの国であるグレーディアで裁きを受けるとのことだったが、僕はその辺のことにはあまり興味がなかったので、詳しい話は聞かずにいた。


船の上では、これまで共に戦った多くの仲間たちと再会できた。カレンやソフィアはもちろん、イズナやグライド、保護室で世話になったラニアさんまで。グライドには、僕もカレンも散々怒られた。やってしまったことが多かったから仕方ない。


それでも彼は、最後、僕たちに感謝してくれた。


船はやがてグレーディアに到着し、奴隷だった人々はそれぞれの居場所に戻っていった。故郷がある者は故郷へ、ない者にはイシェトが新しい住まいを用意してくれた。

グライドとカレン、そしてイズナはグレーディアで生きることを選んだ。

カレンは王宮で働くことになり、イズナはイシェトの弟子としてこき使われているという噂だ。

ラニアさんは、遠い国に残した息子に会いに行くとのことだった。

他の奴隷たちも、それぞれ自分の道を歩んでいった。


僕とソフィアは、崩壊した故郷イコルに向かった。家族や仲間たちの墓を建て、祀るためだ。

でも、僕らに村を復興させる気はなかった。村人はもう僕たち兄妹だけだったし、それにソフィアはイズナと特に仲が良く、グレーディアで一緒に暮らすことを望んでいた。

けど僕とも離れたがらなかった。

しまいには板挟みになってイズナと3人で暮らそうとまで言い出す始末。

色々考えた結果。

僕は雲隠れした。

ソフィアにはイズナがいるから大丈夫だと思った。


その後、僕は一人で世界を巡る旅をした。

傭兵として各地を転々と。

特に何か目的があったわけじゃない。

自分探しの旅みたいなものだ。


「けへっ、殺せ!この村にあるもの全て奪え!」


それは、名前もない小さな村だった。

盗賊に襲われて怯える村人たちの前で、僕は震えるおばあさんに向かって優しく言った。


「大丈夫、安心して。必ず助けるから」


そして、盗賊たちの前に立ちはだかり、静かに名乗る。


「セト・ソフィール。精霊使いだよ」


そう言って、僕は次の戦いへと踏み出した。

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奴隷の主人公が頑張る話 黒魔道士 @abcde123123123

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