第8話 夢の中

「よく来てくれたね。暑かったでしょう。さぁ、上がって」

「こんにちは。お邪魔します」

 茶髪の女性が、気さくな態度と口調で家に招き入れてくれた。ひろきの実家から歩いて15分くらいのところにある立派な一軒家、なつの実家だ。


「あら〜まなちゃん!久しぶりね!こんなに大きくなって」

 なつのお母さんは、ひろきの左手を握ってちょこんと立っている「まなか」に視線をやった。薄いピンクのワンピースに麦わら帽子という、何とも夏のお嬢様らしい格好のまなかは、なつのお母さんの後ろにピッタリとくっ付いている茶色いゴールデンレトリバーをじっと見ていた。


「ほら、挨拶は?」

「こんにちわ・・・」

 ひろきは、握っていた小さな右手を揺すった。すると、まなかは徐に挨拶をした。もう何度も会っているはずなのだが、人見知りする年頃なのか、どこかぎこちなく、蝉の声に掻き消されそうなほど声は小さかった。


 リビングに案内されると、なつのお父さんがソファに座ってテレビを見ていた。ひろきとまなかに気が付くと、なつのお父さんはニコッとして立ち上がった。

「おぉ!ひろきくん!よく来てくれたね!あぁ〜、まなちゃん大きくなったなぁ。何歳になったかな?」

「さん!」

 まなかは、指を4本出してそう答えた。


 なつのお父さんはまなかにデレデレだ。まなかが生まれたばかりの頃、1日中膝に乗せて過ごし、ひろきたちが帰る時間になると子どものように駄々をこねて、なつのお母さんに呆れられていた。

「すいません、ご迷惑をお掛けします」

「迷惑なことないわよ。孫の顔が見れて嬉しいわ。お父さんなんか楽しみすぎて3日前からソワソワしてたんだから」

「そりゃそうだろう!孫と遊ぶのが生き甲斐なんだ。孫が生まれてから健康診断も引っかからないし、こんな素晴らしいアンチエージングはないよ」

 カランと音を立てる麦茶を前に、ひろきとなつのご両親は談笑していた。まなかはその側で、積み木のおもちゃに夢中になっていた。


「まなちゃん、もう3歳になったのか。ってことは、あれから3年も経ったんだなぁ」

「ええ、早いものです」

 ひろきの胸中が複雑だったことは勿論のことだが、それはなつのご両親も同じだった。


 ひろきがまなかと対面したのが午前4時半頃、まだ外は真っ暗で、社会は寝静まっている時間だった。

 明け方、なつのご両親に連絡を入れ、すぐに駆けつけてもらったが、目の前には静かになった娘と誕生したばかりの元気な孫娘の姿。

 命の得喪というのだろうか、それを同時に味わうというのは、情緒の乱高下を否応なしに起こさせた。



「お父さん、あそぼ」

 まなかがちょこちょことひろきに寄ってきた。

「ああ、遊ぼうか」

「そろそろお昼ご飯の準備をするわね。ちょっとお父さん、スーパーで卵買ってきて」

「よし。まなちゃん、あとでおじいちゃんとも遊ぼうね」

「うん!」

「そうだ、なつの部屋で遊ぶといい。なつが小さい時に使ってたおもちゃがいくつかあるはずだから。まぁ、あまりクローゼットは開けないようにね」

「分かりました。ありがとうございます」

 そう言ってひろきとまなかは2階のなつの部屋へと向かった。


 なつの部屋に入るのは、ひろきも初めてだった。何とも殺風景な部屋だが、実になつらしいなと思った。

 そんな質素な部屋の隅に、似つかわしくない赤くて派手な大きいカラーボックスが置いてあった。恐らくご両親が、遺品整理の時に発掘した物をここに置いたのだろう、中から大量のぬいぐるみやら、ミニカーやら古びたおもちゃが出てきた。

 まなかは早速カラーボックスから見境なくおもちゃを取り出し、あっという間に床中おもちゃだらけになった。


 ひろきは椅子に座り、何気なく机の上を見渡した。整頓されていて何もなく、よく覚えていないアニメのフィギュアやテニスボール、漫画本で埋め尽くされた自分の机とは大違いで、実につまらないというかロマンがないなどと、心の中で揶揄したのだった。


 ふと横の本棚に目をやると、懐かしさを覚える黄色い冊子を見つけた。糸山中学校の卒業アルバムだ。ひろきはパラパラと眺めるように見始めた。

「うっわ、懐かしい。大和と康二だ!あいつら元気かな、仕事してるとか想像できないけど。うわ、修学旅行じゃん!みんな服装だせぇ。今井先生とか、もうジジイなんだろうな」

 気が付くと床に座り込んで齧り付くようにして見ていた。


 クラス写真。ひろきは、自分の愛想のない表情に小っ恥ずかしさを感じていた。

 大吾、倉田、2人とも若い。夏祭りや勉強会が思い出される。

 大吾も倉田も、高校生以来会っておらず、ひろきは、なつと結婚したこと、なつが亡くなったこと、娘が生まれたこと、一切の報告をしていなかった。

 大吾も倉田も、連絡を取れるような間柄ではなくなってしまったこともあり、もう2人がどこで何をしているのか知る由もなかった。


「このお兄ちゃんって、お父さんでしょ?」

 横に座って遊んでいたまなかが、若かりしひろきの写真を指差した。ひろきはそっと卒業アルバムをまなかの方に寄せるようにして、一緒に見始めた。

「そう、正解。で、これがお母さんだ」

 ひろきはそう言って工藤なつの写真に指を置いた。まなかはじーっと写真を見つめていた。


「うん。知ってるよ」

 ひろきは軽く鼻で笑った。

 まなかは、自分が生まれて間もなくに亡くなった母の表情しか見ていない。なつは、中学生の頃の写真と見比べると、だいぶ大人びていたし、そもそも赤子の頃に見たものなんて覚えているはずがない。

 ひろきは娘のおふざけに付き合うように、優しく質問した。

「何で知ってるの?」

「だって会ったことあるもん」


 子どもというのは発想力が豊かだ。なつはお母さん似だ。そうか。まなかは、何度か会っているおばあちゃんの顔となつの写真を見て、ごっちゃになっているに違いない。

 ひろきは愛おしく思いながら、更に質問をした。

「どこで?」

「夢の中」


 ひろきは眉をぴくりと動かした。

「夢?寝てる時に会ったの?」

「うん。この写真と同じお洋服だった」

 そう言ってまなかは、糸山中学校の制服を指差した。

「どんな夢?」

 ひろきの声のトーンは真剣になっていた。まなかは、クマのぬいぐるみをおもちゃのベッドに寝かせながら答えた。


「あのね、しろーいお部屋にいたの。お父さんもいたよ。あ、あとこの人とこの人も」

 そう言って、大吾と倉田の写真を指差した。

 ひろきは卒業アルバムを閉じ、まなかの目の前に座ってじっと目を見つめた。

「その夢、いつ見たの?最近?」

「ううん、覚えてない」

 まなかは小さな頭を左右に振った。


 あの日以来、ひろきは夢を見なくなった。なつがいなくなった今、もう夢を見せる必要がないのだろう。だから、まなかのこの話を無視することができなかった。

 恐らくまなかが見た夢は、ひろきとなつが見てきた夢と同じだろう。ということは、その子が帰ってきたのかもしれない。

 ひろきは、自分の娘が一体どんな夢を見たのか、そして、夢を見せてきた理由は何なのか、気になって仕方がなかった。


「まなか、その夢の中で誰かと話さなかったか?」

「ううん、誰とも」

「お父さんたちとも?」

「うん」

 ひろきは強張っていた身体を、肩からすうっと落とした。流石に気にしすぎているのかもしれない、そう思った。


「みんないっぱい遊んでくれた。いっぱい遊んで、みんな帰っていったの。それでね、お母さんが小さいお人形くれたの」

「お人形?」


「うん。白い猫のお人形」

 ひろきは目を見開いた。そして、ぬいぐるみ遊びをやめてミニカーを走らせて遊んでいるまなかを、後ろから抱きしめた。


「そうか、大事にしろよ」

 そう呟いて、ほろりと涙を流した。


 ひろきは思った。

 なつはまだ、おれを生かそうとしているのだと。

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生かし愛 耀 田半 @tahan_yo

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