三章
第1話 勇者がやってくる
勇者アンナ。
それは間違いなく世界最強の存在だ。人類の希望であり、生ける英雄であり、創造神の苛烈な信徒であり、僕の元カノ。
もし昔の僕にメッセージを送れるならばこう言いたい。いくら顔が良いからってそんなじゃじゃ馬の誘惑に負けてはだめだと。
勇者の宿命である魔王討伐を果たしたアンナ。もちろん穏やかな余生を過ごしている――はずもなく、人類生存圏を拡大すべく北大陸で魔物と戦ったり、世界各地で邪神の徒と戦ったりと忙しそうにしている。
僕と会うのは年に一回あるかないか。たまたまアウルベルナの近くに来たからと僕の事務所を訪れ、一晩泊って出ていくみたいな関係だったのだが、ここ一年は音沙汰なしだった。
少し変人ではあるが――いやかなりの変人ではあるが、これも幼いころから逃れられぬ運命を背負い続けたせいであろう。生まれたときから世界を救う責任があるなんて、僕には想像もできない重みだ。
そういうわけで僕はアンナを尊敬しているし、友人としても好ましく思っているので、たまの邂逅を嬉しく思っているのだが……
今回は事情が違う。
「ビビ……逃げよう」
「はい。そうするしかありません」
事務所のソファにて膝を突き合わせ、ビビはいつもの無表情を崩さない。
「アンナをクリスと会わせるわけにはいかない」
「アンナをエディと会わせるわけにはいきません」
「?」
いつにもましての無表情。僕には分かる。これは不機嫌なときの顔だ。ああ、さっそくビビの嫉妬が昂っている。
「あの女は……狂っています。エディの"女"を気取り、遠い過去の話をペラペラと語ってくる。勇者でなければ消し炭にしてやるところです」
「お、おちついて、深呼吸だよ。深呼吸」
いつになく強い言葉だ。ビビは表情は変えないまま、しかし鼻から荒く息を噴き出した。
ビビが信奉するのは魔法と嫉妬の女神レイラリラ。信徒となったことで影響を受けたのか、もともとそういう気質だから信徒になれたのか。これは永遠の命題だが、ビビはクールに見えて嫉妬深い。
そして悲しいことに、その嫉妬は主に僕をとりまく女性関係によって引き起こされるのだ。
この嫉妬の病は昔はもっと多発していたが、最近は落ち着いていたのに。こうなったビビは反発的になる。僕に対してもだ。
「ビビが相棒だから。一番信頼してるよ」
嘘偽りない言葉だ。濃紺の瞳を見つめて伝える。
しかし――ビビは首を横に振った。
「それで?」
「……それで、と言われても……」
「……ああ女神レイラリラよ。私はどうすればいいのでしょう。あの女のように恥知らずになるしかないのでしょうか。しかしそれは敗北でしょう。お導きください……」
「……何か悩みがあるならいつでも僕に相談してね」
「殺意さえ湧いてきます」
「お、おちついて! とにかくアウルベルナを離れるんだ。それで万事解決さ。ね?」
「そうですね」
僕が背中を擦ってやることでビビは若干の落ち着きを取り戻した。
よしよし。ただでさえクリスにはメンタル面で問題があるんだ。ビビまでそうなったら僕の胃が破裂してしまう。
ちょうどその時、扉が開いた。
クリスだ。
「師匠、ビビさん。おはようございます」
寝ぼけ眼をこすりながら部屋に入ってきて、
「お二人とも今日は早いんですね。いつもは私が一番なのに。少しランニングに行ってきま――」
「クリス」
「は、はい」
真剣な声音を聞いて足を揃えるクリス。
「旅行の準備をしてきなさい。長旅になる。今日中には出発する」
「旅行……ですか? まさかご指導はもうおしまい……?」
「違う違う。修行さ修行。旅行して、場所を変えて修行するんだよ。それから気分転換も兼ねてね。さあ急いで。なるべく早く発ちたいから」
「分かりました!」
クリスは自室へ駆けていく。
「さて、あとは移動手段だけど……」
「すでに手配してあります。勇者アンナの噂を聞いた瞬間にこうなるだろうと思ったので」
「助かるよ」
さすがはビビ。完璧な仕事ぶりだ。
となれば僕も準備をしなければ。アウルベルナを離れるのは久しぶりだ。友人知人へ挨拶をしておきたいが、そんな余裕はないだろう。ナイフと弓だけを携えての旅なんて魔王討伐以来だ。
あのときはゆっくり観光するヒマなんてなかったので、実質僕の人生で初めての旅行ということになろうか。
行き先はどこにしようか。とりあえず南へ下るのは確定だが、目的地を定めずにふらふらするのも楽しいかもしれない。
「馬車の中で暇にならないように本を持っていこう。それからトランプも。それからボードゲームは――ちょっと大きいか。ビビも何か持っていきなよ」
「いりません」
「そ、そう……」
冷たい声色に若干の温度差を感じる。
まあいい。アンナの危機が去れば機嫌ももとに戻るだろう。
冒険者らしくわずかな時間で旅支度を済ませた僕たちは家を出た。
クリスは剣だけを腰に吊って、ほとんど手ぶらだ。彼女は貧乏なのでそもそも物を持っていない。
ビビは杖を持ち、"いつものバッグ"をからっている。遠出するときのための一式を常備していて、中身がなんなのかは僕も知らない。入り切らないだろうという物が中から出てくることもあって、僕は禁術の類ではないかと睨んでいるのだが、触らぬ神に祟りなし。
「エディ、遊びだと思ってますか?」
そして僕が背負う巨大な荷物袋には種々の娯楽やパーティーグッズが入っている。
「いいや、これは修行さ。ねえクリス?」
「はい、師匠!」
「…………」
全てを肯定してくれる強力な味方を得た僕は、この旅の行程についてすべてを決める権利を有したと言っていい。
家の前には立派な馬車が止まっている。それを曳くのはメタリックな馬二頭。
「こんな馬車に乗るの初めてです!」
「きっと驚くよ。クッションが柔らかくてお尻が痛くならないし、揺れもほとんどない。あれは魔術機構で動く馬型ゴーレムだからね」
「わあ! かわいい!」
「早く乗りましょう。ほら、エディから。私が真ん中に座ります」
背中を押され、馬車の扉を開ける。
赤いベルベットの車内、三人が乗り込んでも悠々と広い大きさがある。どころか横になって眠ったって窮屈ではないだろう。
しかし――
しかしそこには――
先客がいた。そいつは馬車の中に我が物顔でいた。
「久しぶり、エディ。会いたかった。なんか家の前に馬車があったから乗っちゃった。どこに行く? あたしはエディと一緒ならどこでもいいよ。強いて言うなら邪教徒がいそうなところかな。――早く乗りなよ。なんで死神を見たみたいな顔してんの? ていうか、まさか……邪教徒と関わってるの? なんか臭い。邪悪な臭いがエディから香ってくるなあ」
そう言って鼻をすんすんする女。
真っ赤な髪、真っ赤な瞳。
燃えているみたいな人間、勇者アンナだ。
人類最強の存在にして僕の厄介な元カノ。そして魔王の卵クリスを打ち滅ぼさんとする神兵。
「なんで君がここにっ!」
遅かった。遅すぎたのだ。アンナは不思議そうに眉を寄せながら馬車から降りて、僕の体を嗅ぎまわる。
「なんか臭い。なんか臭いなあ。なんていうか……魔王みたいな匂いがする。気のせいかなあ」
ビビが杖を構えた。
「エディから……離れろッ!」
唐突な魔力のうねり。僕は慌ててクリスの首根っこを引っ掴んで後ろに下がる。
「あ、ビビもおひさ。……その顔だと恋路の方は上手く行ってないみたいね。今日も私が手伝ってあ・げ・る」
「し、しねーッ!」
爆撃。目を開けていられないほどの白い輝きと、鼓膜が破れたかと錯覚する炸裂音。咄嗟にクリスの耳を覆う。
目を開くと、馬車は黒焦げになっていて馬型ゴーレムはプスプスと煙をあげて倒れていた。
「お、お馬さんが! 師匠! お馬さんが!」
クリスが悲しそうにこっちを見るが、馬なんてどうでもいい。
「ビビは相変わらず弱いね~。そんなだから振り向いてくれないのかもよ。やっぱり私くらい強くなくっちゃ」
黒煙の中から平然とした顔で出てくるアンナ。それを睨みつけるビビ。そして僕に縋りついて震えるクリス。
ああ、カオスだ。僕にはもうどうしようもできないよ……
神よ! 我を助けたまえ!
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追放少女にざまあさせてはいけない! 訳者ヒロト(おちんちんビンビン丸) @kainharst
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