耳家族

阿下潮

第1話

 鼻をきつくかみ過ぎて、左耳が中耳炎になってから三日経つ。薬が効いているため痛みはないが、常に耳の中に何かが詰まっているような状態で非常に聞こえづらい。自らの咀嚼音にこんなにも嫌悪感を覚えるとは思わなかった。直接脳に響く音は粘度が高い。

 午前三時、話し声が気になり暗闇の中で目を開ける。布団を頭からかぶり外界の音を遮断しようとしても、ますますはっきり聞こえるようになる。声の主は一人ではない。男の声、女の声、赤ん坊の笑い声。だんだん明瞭に聞こえるようになってきたそれらの声は、外から聞こえるのではなく、どうやら僕の耳の中が発信源のようだ。

 日が経つにつれ、声の主たちの構成が判明した。若夫婦にその両親、長男は小学一年生、年の離れた次男が生まれて半年という、核家族化の進んだ現代には珍しい三世代揃った一家だった。回線の太いweb会議のように息遣いまで分かるような日もあれば、雑音が耳鳴りのように聞こえるだけの日もあったが、それから一週間もしないうちに一家の生活はすっかり把握できた。

 若夫婦の夜の生活が聞こえたときには、あまりの臨場感に自分が若妻を犯しているような妙な気分にもなった。赤ん坊の夜泣きにはほとほと困らされた。しかしそれらも含めて耳の中の家族は淡々とした、どこにでもある普通の家族以上に普通の生活を送っていた。僕は決して覗き見趣味というわけではなく、来るもの拒まずの精神で家族の生活を拝聴させてもらっていた。

 だが、ある時から、彼らは突然僕の生活に闖入してきた。まるで僕も家族の一員であるかのように話しかけてくるようになったのだ。電車に乗れば「前に立ってるOLの香水がきつい」だの、昼食を食べれば「野菜が少ない。もっと体に気を使え」だの、とにかく干渉が過ぎる。

 いきなり耳の中に住み着いて、変な音を聞かせておいて、挙句の果てに家族づらはないだろう。僕は断固として彼らの干渉を無視するという態度で、彼らへの強い拒否の姿勢を示すこととした。

 とはいえ聞こえてくるものはどうしようもない。耳をふさごうにもこの家族は耳の中に住みついているわけで、彼らの声を聞かずにすむには鼓膜をぶち破るしかないのだ。

 そんなある日、普段以上にはっきりと聞こえてきた若亭主の言葉が実に考えさせられる内容だった。


「耳の中で話し声が聞こえるんだ。大家族みたいな声が」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

耳家族 阿下潮 @a_tongue_shio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ