スーパーヒーローがいたらしい。

青山喜太

第1話 スーパーヒーローがいたらしい

 かつてスーパーヒーローがいたらしい、超常の力を持つスーパーヒーローが。

 私が物心ついた頃にはもう引退していたらしいがとにかくいたのだ。


 もっとも最後には悪人と一緒にビルを砕き、民衆からガン詰めされ、めんどくせぇと言いながら引退したと聞いている。


 そこからだ、スーパーヒーローがいなくなったのは。

 正確にはスーパーヒーローという言葉がなくってしまったらしい。


 『超常特殊部隊』

 

 ミリタリー的な話題は興味がない私でも、ドラマとかで聞いたことのあるその言葉。


 それがスーパーヒーロー達を新たに表す言葉になった。


 国に属し完全に、安全に運用される彼らは新たな国民の希望だった。


『速報、超常特殊部隊、隕石の軌道変えられず』


 はい、絶望。地球は終わりです。


 私はスマホを見ながらため息をついた。


「どうせわかっていたけど」


 自分自身に嘯いて、ビルの階段を登る。もうどうでも良かった。


 とにかく私はビルの屋上まで、歩いてドアノブに手をかける。待っているのは世界の終わりの雅な光景。


 ──の筈だった。


「あ……」


「お?」


 間抜けな言の葉が空中で混じり合って沈黙を産む。私は強風で乱れる髪を押さえつけながら目の前にいる老いた男を見つめた。


「どうした、君。ここはもう避難区域だぞ」


「避難区域? どうせどこ行ったって無駄でしょ。せいぜい宇宙遊泳が一瞬遅れるかどうかじゃない」


「だから見に来たのか? 隕石」


「そう、この熱い時に……」


「まったくだ、やっと夏が終わりかけたと思ったら今度は地球が終わりかけるとはな」


 老人が笑いながら言う。

 はぁ、と私もため息をついた。よくもまぁ笑えるものだ、あと3時間で地球は終わるのにこの余裕はどこからくるのだろうか、なんとも呑気な人。


 それは、私も同じか。


「しかし運が悪いな、隕石はこれじゃ見えない」


 老人は天を指す。空は灰色だ。これでは落ちてくる星など見えるはずがない。

 それは、神の最後の慈悲なのか、せめて迫り来る私達の死を知らせないための。


 それがきっと安らかな感情をもたらすこともあるだろう。注射の刺される瞬間を直視しないことでホッとする人もいる。


 だが、私にはどうもこの曇天が死刑囚の目隠しのように思えてしまう。

 どうせ殺さなきゃいけないのだから、せめてジタバタするなと言われているような気がした。


「それにしても、いい曇天だな」


「ええ、まったく」


 老人の皮肉に私は皮肉で返す。

 すると、老人は笑った。


「皮肉で言ってんじゃねえよ、お嬢さん」


 ガハハ、そんな下品な笑い方をする老人に私は訝しんだ。

 

「本気で曇天が素晴らしいと思ってるの? 普通は青空でしょ、こんな灰色の空じゃなく」


「スカイグレー」


「は?」


「この空の色はスカイグレーというんだ、君」


 笑顔で言葉を訂正された。

 だが私は違いなどわからない灰色は灰色じゃないか。


「どっちでもいい。私、美術得意じゃないし」


「そうか、だがこれは美術の感性じゃないぞ? いわゆるライフハックだ、灰色よりも美しく聞こえるだろ?」


 ライフハック。

 この男、絶妙に老人が使わなさそうな言葉を使うものだから吹き出しそうになる。


 むしろ笑って良かったのかもしれない、現に老人は笑っている。

 白髪をたなびかせながら。

 すると老人は唐突に話しかけてきた。


「君、コレは質問なんだが──」


「はいはい」


「──世界を愛したことはあるか?」


「ない」


 私は即答した、じゃなければ世界の終わりなど見にこない。


「そうか、俺はな。この風景が好きなんだ」


「なに? 突然」


「一仕事終えたある日、このビルに降り立ってな、今日と同じような景色を見た」


 老人は曇天を見つめながら語る。


「結構やばい仕事でな死にかけたんだが、それでもなんとかなって……ここについてこの景色を見た瞬間、思ったんだ──」


「──晴天じゃねぇのかよってな」


 また、ガハハが天に響く。


「なにそれ、好きじゃないの? 曇天が」


「まあ、聞け。でもな同時に思った。このなんでもねぇ屁みてぇな日常を守るために俺は頑張ったんだなって──」


「──そしたらこんなドラマチックでもなんでもない曇天とビルの雑木林が、美しく思えた」


 そこで、私の脳内の電球に唐突に電源が入る。電球がチカリと明滅し思い出した。

 この老人、どこかで見たことがある。


「待って……貴方もしかしてあの……なんだっけ名前が思い出せない……引退したヒーローの……」


「スカイグレー」


 老人の言葉で私はようやく思い出す。スーパーヒーローの名を、もはや引退して過去の人となっていた、知る人ぞ知る偉人の名を。


「俺も有名じゃなくなったもんだな、昔はサインをねだられたんだが」


「ビル壊しのスカイグレーに?」


「はは、我ながら笑える渾名だよな」


 そういうと、スカイグレーは笑った。

 まるで懐かしむように、浸るように。


「全く死傷者ゼロだってぇのに、うるせえ奴がいたもんだ」


 すると息を吐くように愚痴り始めるものだからなんだか拍子抜けだ。

 忘れ去られていたとはいえこのスカイグレーは伝説の人。


 悪い意味でも良い意味でも。


 悪人の放つ弾丸よりも速く飛び、堕ちゆく飛行機を持ち上げ英雄と絶賛されたかと思えば、野球選手のホームランボールを空高く飛んでキャッチしてSNSで炎上したり、ビルを壊したりもする。


 今の超常特殊部隊を作った原因そのものであるその人はスーパーヒーローの歴史を変えた人物でもあった。


 なのに実際の彼はなんとも普通の陽気なおじいちゃんだ。


「意外」


「なに? もっと変なやつかと思ったか?」


「ええ、もっとやばいやつかと思った。もっと嫌なやつかと」


「ガハハ、よく言われるよ! もっとも俺は普通に暮らしているだけなんだが、なにせ普通の基準が皆んなと違うもんでね、オンの時もオフの時も誤解されまくった」


 ガハハとわらう、スカイグレーにつられて私も少し口を綻ばせる。

 すると唐突にスカイグレーは笑うのをやめて、私の方を見た。


「君ももしかして、そうか?」


「なにが?」


「俺と同じく、『普通』に馴染めない奴ってことさ」


 その質問に私は黙り込む。


「でなきゃこんなとこに……世界の終末を見に来ないだろうしな」


 今度は私が話す番な気がした。何故だがそう思った。


「私さ、他人とうまく話せないの」


「ほう?」


「皆んながわかることが私にだけわからなかったり、逆に私だけ理解できることが皆んなにはわからなかったり……」


 スカイグレーはなにも言わない。


「だから私さ、夏休みが終わったほぼ同時期に地球も終わるかもって言われた時は、ホッとしたの、もう頑張らなくていいやって」


 灰色がぼやける。滲む。


「そうか……」


 頭にぬくもりに包まれる。スカイグレーの手が私の頭の上にあった。


「慰めなんていらない……」


「慰め? 違うヒーリングパワーだ、心の痛みをとってやろうと思ってな」


「スカイグレーは壊すことしかできないでしょ……」


「そうだな、妻にもおんなじことを言われた」


 そのスカイグレーの言葉に「ごめん」ということすらできなかった。

 ただ自分の惨めさを誤魔化すことで精一杯だった。

 なのに老人は手のひらをどけない。どけてくれない。


「なあ、君。君はまだ若い素敵なお嬢さんだ。俺なんかよりよっぽど未来がある。だから何度でもやり直せるさ、コレからも」


「気休めはやめて! それに世界は今日終わるんだよ!! コレからなんてあるわけないでしょ」


 灰色の空に私の声が響き渡る。もうどうでもいい。

 コレからなんて、明日なんて来るわけないんだから。


「ククク、ガハハハハハハハ!!」


 そしたら返答はコレだ、スカイグレーはただただ笑っていた。


 なにがおかしいの!


 口からその言葉が絞り出されるその前に、スカイグレーがフワリと宙に浮いた。

 ちょうど灰色の空をバックに、白い髪が映えていて、何より彼の目には決意の光が宿っている。


 思わず呟きそうになった。綺麗だって。


「君は勘違いをしていることが二つある」


 唐突にスカイグレーは語る。


「まず一つ、俺はヒーローを引退したつもりはない。外野が勝手に思ってるだけだ。俺が世界を好きなうちは俺はヒーローだ」

 

「つまりは生涯現役だな」とスカイグレーが笑う。


「そして二つ。地球の最後は今日じゃない」


 その瞬間、スカイグレーの目的が私にはわかってしまった。私はついに叫ぶ。


「待って!」


 だが、彼は笑みを浮かべたまま空を見上げる。


「残念、俺はヒーロー『スカイグレー』傍若無人で他人の言葉なんて聞く気はねぇ──」


「──だからじゃあな、楽しかったぜ最後に君みたいな奴と話せて」


 その言葉を残して、スカイグレーは空を飛ぶ。

 私と灰色の空を残して。


 ─────────────


 灰色と青の星に別れを告げた老人はソラを飛んでいた真っ暗闇のソラを。


 酸素のないそのソラをまるで自分のように傍若無人に進み続ける隕石、それを見つけた時、老人はニヤリと笑った。


 お得意のX線による千里眼で隕石の姿は確かに視認できる。

 ついでに、老人の隣を通り過ぎる、宇宙船も。


 どうやら隕石の軌道を変えられなかった老人の後輩達のようだ。


「スカイグレーだ!」


「え? スカイグレー!? なんで!」


 そんな驚きの声を聞きながら老人は口元を綻ばせる。

 きっと、コレが最後の仕事だ。


 スカイグレーはソラを飛ぶ。闇を切り裂き光となりて、思い返すはあの灰色。


 そして心の中で思い出す。


 ──スカイグレーができるのは壊すことだけ。


 全く、その通りだな。


 ─────────────


「速報、地球に迫る隕石が消滅」


 私はスマホに映るそのニュースを見て、悟った。あの老人がスカイグレーがなにを成したのか。


 どこか、穴が空いてしまった気がする。

 その証拠に私の胸に風に晒されるような痛みが走っていた。


 今でも、彼の言っていた、『世界を愛しているか』という質問には私はノーと答えるだろう。


 私にとっては価値のない世界のはずだったなのに、なんで彼はこの世界を守ったのだろうか。


 なんで彼はここを好きになったのだろうか。


 なにもわからない、でも、いやだからこそ。


「学校、行ってみようかな……」


 いつのまにか、私は目の前の曇天を見入るように見つめていた。


 いつか彼の言葉が理解できるようになるまで私も前に進んでみようと思った。

 私の辛さも憂鬱もいつのまにか、スカイグレーに壊されていたのかもしれない。






 ─────────────


 ゴポゴポ……ゴポゴポと泡が浮く。

 ここはどこだ? 水の中だ。冷たい。体に悪いな。

 俺はそう思って光を探す。

 ちょうど真上、そこに光はあった。

 どうやら、この冷たい牢獄の出口のようだな。


 急いで光に向かって泳ぐ、ああ寒いなんなんだ全く。


「ブハァ!!」


 水面に出た俺は思い切り息を吸った。どうやら気絶していたらしい。何時間ぐらいだろうか、時間感覚がわからん。


 どれ、空を見て何時くらいか確かめるか。

 そう思った俺に飛び込んできたのは、


「はは」


 スカイグレーの空だった。


 いつもの見慣れたあの空だ。俺は思わず呟く。


「晴天じゃねぇのかよ」


 美しいその空にいつものからかいを俺は口から放った。

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