第2話 チーズフォンデュにさそわれて

「ほあぁ……はむっ……」


 目の前の猫耳少女が、その小さな口を大きく開けてチーズを纏ったソーセージを頬張った。

 パリッ、というソーセージのいい音が鳴り響いたあとに訪れたのは不安な静寂。


 特にリアクションをするでもなく、少女はただ俯いたまま口をもぐもぐと動かすだけ。

 まさか口に合わなかったのだろうかとハラハラしていると、長い咀嚼の後に彼女はゆっくりと顔を上げ……


「すっごく、おいしい……!」


 うっとりとした満足げな表情を浮かべながら、感嘆のこもった声でそう言ってくれた。

 どうやら、俺の心配は杞憂だったみたいだ。


「それは良かった。お腹も減ってるだろうし、好きなだけ食べてくれ」

「ほんと……!? じ、じゃあ、次は……」


 よほど空腹だったのか、目の前の少女はチーズフォンデュに釘付けとなり次々と焼けた食材たちをたいらげていく。

 口にものを入れるたびに幸せそうな笑みを浮かべる彼女を見ていると、こちらも腹が減ってきた。


 俺はきつね色の焼き色が付いたバゲットを竹串に刺す。

 それをチーズにくぐらせて、宙に残った小麦の鼻をつつく香ばしい香りごと口に含む……うん、美味い。


 カリッと焼けたバゲットの食感と、チーズのとろりとした舌触りのコントラストが心地いい。

 チーズの濃密な旨味はもちろんのこと、それによって引き出されたバゲットのふわりとした甘味が口の中にじんわりと広がる。


 空腹と疲労で気だるかった体がこんな小さな欲望の塊で満たされていく……なるほど、これは手が止まらなくなるわけだ。

 ニンジンの優しい甘味はチーズとよく合うし、スナップエンドウのポリポリとした食感もこれまた良いアクセントになっている。


「あっ、そうだ……はいこれ、ホットミルク。熱いからゆっくり飲むんだぞ」

「ん、わかった……んくっ、んくっ……ぷはぁっ、あったまるぅ……!」


 食べ物ばかりでは喉が渇くだろうと思い、横で温めておいたミルクも大好評。

 肌寒い秋の空気で冷えた体によほど温もりが染み渡ったのだろう、少女はとろけるような顔でホットミルクをこくこくと飲んでいる。


 先ほどまでの警戒心に満ちた表情とは違う、年相応の柔らかく愛らしい笑み。

 こんな状況で食糧を分け与えることを躊躇っている自分もいたが、ここまで喜んでもらえるならその価値もあったというものだ。


 それに、今の彼女なら落ち着いた話ができるだろう。

 そろそろ夜も更けてくる頃だろうから、少しでもこの状況を把握しておくために色々と話を聞いておきたい。


「にしても、なんで君はこんなところで倒れてたんだ? 君ももしかして気づいたらここにいたクチなのか?」

「ううん。私はアルケイアを目指してる旅人なんだけど、途中で食糧が尽きちゃって……魔獣も見つからないから、大変で……」


 と、思ったのだが……何を言っているんだ、この子は。


 俺は人の趣味嗜好は自由でいいと思うが、そういうのは時と場合を考えるべきだろう。

 今はもしかしたら遭難しているかもといった切羽詰まった状況なのだから、頼むから真面目に答えて欲しい。


「あー、うん、そういう設定なんだな、分かった。でも、今は……ん? なんだ、あれ?」


 そんな焦りと苛立ちが入り混じったような感情を抑えつつ、彼女に再度話を聞こうとする。

 だが、その時、何やらガサガサという音が聞こえてきたかと思うと、森の中から大きな黒いイノシシのような生物が現れた。


「あっ、いや……えっ? なんっ、なんだこいつ……!?」


 かなり奇妙な言い方かもしれないが、そうとしか形容しようがないだろう。

 口元に生えた2つの大きな牙、真っ赤な瞳孔を持った2対の目、そして軽く5メートルはあろうかという巨体。

 こんなバケモノが、一般的に知られているただの獣であってなるものか。


(とにかく、刺激しないようにしながら逃げなきゃ……!!)


 不幸中の幸いか、あのイノシシのような獣はこちらを威嚇するような声を上げるだけでこれ以上近づいてきそうな気配はない。

 この森の中で装備を全て失うのは惜しいが、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 

 俺は震える足でゆっくりと立ち上がり、手を大きく広げながら少しずつ後退りをする。

 ……だが、その途中で俺は気づいてしまった。猫耳の少女が、あの恐ろしい獣を見つめたまま動けなくなっていることに。


「……っ、逃げるぞ! 怖いのは分かるけど、今は我慢してくれ!」


 小声で……しかし、この子に事態が伝わるよう精一杯にそう告げるものの、彼女は全く動く気配がない。


 まずい。

 腰が抜けてしまったのか、あるいは恐怖で頭が真っ白になっているのか。

 とにかく無理矢理にでも連れて行かないと、この子は確実に喰い殺されてしまう。


 下手な動きをすれば死ぬかもしれない。

 だが、この子を置いていくこともできない。

 この状況で何をすべきか必死で考えている俺に、目の前の少女はとんでもないことを言い出した。


「大丈夫だよ、

「は……はぁ!?」


 ……っ、ふざけるな!

 こんなヤバい状況で、この子はまだ妄言を吐くつもりなのか。それともあるいは、本当に自分にそんな出鱈目な力があると信じ込んでいるのか……どちらにしても最悪だ。


 あぁ、もういい。そんなことを言うならば、こちらだって多少乱暴にでもこの子を連れて行くだけだ。

 そう決意を固めた俺が、少女の手を掴んで逃げ出そうとしたその時。

 ふっ、と小さく息を吐いた彼女は俺の目の前から……消えた。


「えっ!?」

「ガルァッ!?」


 俺と獣が驚いたような声を上げたのも束の間、姿を消した少女は刹那の間に獣の頭上へと飛び上がっていた。

 彼女は空中に浮いたまま体をくるりと回転させ、近くの木の幹を強く蹴ってその獣へと突っ込んでいき────


「────せいっ!!」

「ガァ……カ、ゥゥ……」

「本当に、倒しちゃったよ……」


 全体重を込めた一撃で、巨大な獣の頭を殴り一撃で仕留めてしまった。


 そして俺は、この異様な光景を見てようやく悟る。

 彼女は本物の獣人なのだということを……そして、俺は自分の理解が及ばないものがひしめく場所に来てしまったのだ、ということを。


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アラサー社畜と猫耳少女の異世界まんぷく放浪記 ゆーやけさん @yuuyake2756

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