第3話 赤いランドセル

こつこつと人のまばらな朝のアスファルトに、私の音が鳴っていた。

時折せわしなく歩く学生服と、ひとりのる会社員の車が通り過ぎていく。

犬に引きずられながら老夫婦は人のいい笑顔で、挨拶を振りまいていた。


「今日もお疲れ様ね」


皺の分だけ生きてきたおばあさんが、いつもと変わらずに私に労わりの声をかける。

その隣で気難しそうなおじいさんが、いつも通りに呆れた顔でおばあさんを見ていた。不愛想に会釈を返すと、二人は変わらず並んで、会話も交わさずに去っていく。相変わらず車道側はおじいさんが歩いていた。


靴擦れはしなくなった支えの弱いピンヒールは、エントランスの大理石で響かせる音を変えた。エレベーターの着く音が少し遠くで鳴り、足音を早めると、横を黒いランドセルを背負った少年が軽快な音で通り過ぎる。その後ろを赤いランドセルが追いかけていた。おさげ髪の少女の真っ黒い眼をこちらに向けて、星空を詰め込んだような目で私の顔をじっと眺める。


「おねえさんすごい美人!」

「…え」


突然に少女は小さく飛び上がって私に言った。美人。そんなの毎日言われる。かわいいも綺麗も別に珍しい言葉ではない。でも、星だらけの瞳に言われたのは久々だった。


「女優さん?それともモデル?」

「おい、めぐ」


私の足元で飛び上がる少女に何も言えないままでいると、黒いランドセルの少年がこちらに戻ってくる。咎めるような声で、少女を見ていた。


「母さんに言われたろ。知らない人に話しかけるなって。それに、この人水商売の人だよ」


その瞬間、自分は何たるものかを思い出した。そう、私はこのキラキラした子供の世界にはいない人種だ。私の輝きがシャンデリアなのだとしたら、この子たちはそんなものなくても光の下で輝く人種だ。


「みずしょうばい?って何?悪い人なの?」

「…いや、悪い人じゃないけど」


こちらを伺う少年が、守るように少女を自分の後ろに隠した。その後ろでぴょんぴょんとはねた少女はひょっこりと顔を出す。


「悪い人じゃないよ。綺麗な人に悪い人いないもん」

「…めぐちゃんもかわいいよ」


勝手に口が動いて、少女のほうを向く。普段動かない表情筋が少し緩んだ。

少年は驚いたようにこちらを眺めてから、もう一度少女のほうを見る。

少女は星をキラキラと輝かせて、私の目を真っ直ぐに見た。


「おねえさんは赤が好き?」


突然に私のピンヒールを見て、少女が尋ねる。


「…そうね」


少女は体ほど大きい赤のランドセルをこちらに見せながら、ひょこりと顔をのぞかせる。よろけた少女を少年が静かに支えた。


「めぐね、赤が好きなの」

「うん」

「でもねみんなに赤はかわいくないし、めぐに似合わないって言われるの」


悲しそうに見る少女。確かに今の時代に赤いランドセルの子は少ないかもしれない。

水色や茶色、紫をよく見る中で、少女はこの色を選んだのだ。

かわいいなんて時代で変わるし、かわいいがすべてではない。

似合うかに合わないかを決めるのは己の生き方だ。

少女がこうして赤いランドセルを掲げているのが、全てな気がした。


「めぐちゃんが好きならそれが一番かわいいよ」

「ほんと!?」

「うん」


えへへと笑いながらランドセルを背負う少女。それを安心したように見つめる黒のランドセル。眩しくて見ていられなかった。


「めぐここに住んでるの!おねえちゃん、また遊んでくれる?」

「…うん、いいよ」

「めぐ、学校遅れる」


黒いランドセルを追いかけていく、時代遅れの真っ赤な色が。あんなに汚いと思った赤い色が。あの少女の背中にある色だけは、鮮やかな色に見えた。

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