ミュンヘン一揆
ヘスはもう一度地下室に向かった。前と違うのは自分で操縦するということだ。彼には一回だけ操縦したことがあった。彼が時間旅行機を操縦したのはこれで二回目だった。しかも、これは時間旅行会社の許可なしに進めるものであり非合法だった。見つかれば、死刑は免れられない。
一回目はまだ空軍という組織があった時だった。彼は空軍に所属していた時期があり、その時に世界統一管理組織に反抗する反乱軍のリーダーの幼少期にタイムスリップし殺したのだ。そして、反乱軍は過去にも未来からも存在しない架空の組織となった。
そのような作戦は必ずと言っていいほど続けられた。その強力な作戦はやがて参謀本部の陸軍最高司令官であるウォン・シャオンの提言により世界統一憲法にて正式に禁止されたのだ。以後、時間旅行機は空軍の管轄から時間旅行会社に移行した。その翌年には空軍は廃止された。
彼は操縦席に乗り込んだ。少し心配していたのは空軍所属時代と操縦方法が変わっているのではないかということだったがその心配は必要ではなかった。空軍時代とは何も変わっていない。彼はさっそく、画面の設定を1924年のミュンヘンとした。
「シートベルトを着用し、レバーを引いてください。なお、期待が故障となった場合は緊急時空回路通信につなげてください。」機体の人工アナウンスがそう説明する。アナウンスはそのあともドイツ語、フランス語、中国語、韓国語、日本語と続いた。
緊急時空回路通信は使えない。これは極秘裏なのだ。つなげれば自ら捕まえてくださいと言っているようなものだ。もしかしたら、もう捜査を開始しているのかもしれない。記録管理局の資料は変更されどこかの目利きのまるで警察犬の血液が入っているのではないかと疑うくらいの職員がその俺の作った歴史を発見すれば終わりだ。彼は少し背筋が寒くなったがそれ以上に早く終わらせなければならないという意思からレバーを引いた。
時間旅行機は時空トンネルをくぐり、わずか10秒で目的地に到着した。
降りた目の前にはレンガ造りの三階建ての建物があった。見るからに上品ないでたちであり、きっと戦争前はどこかの裕福な人間が住んでいたのだろうと彼は推測した。建物の窓からは一つの旗がはためいている。その旗は赤く、真ん中に白い縁があり、そこには黒い記号のようなものが記されていた。彼はそれにはかすかな記憶があった。古代インド文明の紋章‥‥。ハーケンクロイツだ。古代インドの侵略者であるアーリア人の称号。
ヘスはその建物のドアをたたいた。その中から出てきたのは若いそばかすのある男だった。その男の服装は褐色シャツを着て、黒いズボンをはいていた。腕にはハーケンクロイツが描かれた腕章をはめている。男はその高身長から威圧的な目でヘスをにらみつけた。「誰ですか?」その声にはかすかな軽蔑も含まれている気がした。
「私はローベルト・ヘスというものでございます。私は戦中にベルリンの医師協会本部に所属していたものであり、野戦病院に派遣されていたときにアドルフ・ヒトラー殿にあったのでございます。彼が今は、一つの政党の党首となっていると聞いたので久しぶりに出会おうと思ったのですが…。」彼は帽子を脱いでそう説明した。
「党首は忙しいので、今お会いできることは不可能です。」と男は言った。
「いえ、その少しだけでいいので。彼には少しだけ戦争の時に負った傷がありましてそれが心配でして…。」
「党首にはそのような傷はありません。」そしてこう付け足した。「さあ、分かったでしょう。もうお帰りになってください。党首は忙しく、あなたの言うよな傷すらありません。あの方に会いたければ、演説会場にでも足を運んでください。」
彼はこの予想外の敵に困惑し、頭が真っ白になった。彼は頭の中で何とこの城の中に入ろうと更なる言い訳を考えなければならなかった。「しかし、医学を手掛けた私の意見を述べさせて…。」
「この話は終わりです。あなたのことは言っておきますから。これ以上くい下がることがないのでしたら私はあなたを追い出すことだってできるのですよ。」
すると、奥のほうから新たな影が現れたのをヘスは確認できた。その影は今目の前にいる男に比べると小柄だったが計り知れないほどのオーラがあった。そのオーラの持ち主はトレンチコートを着て、古典的なハットを身に着けていた。
その男はヘスを見た瞬間、信じられないような表情をした。その黒い眼を大きく見開き、口は何やら少し震えていた。そしてこういった。その声には威圧感は感じられず友好的な口調だった。「あなたは野戦病院でお会いした医師で間違いないですか?」
ヘスはその質問で察した。この男がベッドに横たわり彼に特別に政治演説を行った負傷兵。アドルフ・ヒトラー。「お久しぶりです。アドルフ・ヒトラー殿。」彼は帽子を脱いで頭を下げた。
「あなたにまたお会いできるとは思いませんでした。あの後、私はあなたのことを探し回りましたから。」そして、背の高い男に向かってこう言った。「このお方は私の命の恩人だ。私を政治の道に導いてくれた。このお方を入れたまえ。」その言葉を聞くと、背の高い男はヘスのほうをじっと一瞥してからその体をどけた。
その通路には様々な絵画が飾られている。どれも二世紀ぐらい前のプロイセン国王たちの肖像画だ。額縁にとらわれている王たちは廊下を歩くヘスのことをじっと睨んでいるようだ。いつかこの絵画と同じように俺の前を歩いているこの男もこのような肖像画において永遠に閉じ込められるのだろうか?その腕利きの画家が使用すような絵の具に体が作り替えられて…。彼はそう物思いにふけった。
「こちらです。ヘス殿。」ヒトラーは立ち止まり、木の扉を開けた。そこは書斎と奥には本棚が二つあった。どちらの本棚も本でいっぱいだ。入りきらない本は書斎の上に置かれている。どうやら、ヒトラーはかなりの読書家のようだ。彼はヒトラーに導かれるがままに椅子に座り、書斎の椅子に座ったヒトラーと面と面を向けて座ることとなった。ヘスは彼の顔をじっくり観察する機会に恵まれた。
最初に気が付いたのは髭の形だ。野戦病院にいた時のかつての皇帝のものをまねたものではない。両端が削られ、鼻の下に長方形にきれいに整えられている。髪型は黒い七三分けで、瞳は青だ。どちらかというとヘスは彼の姿を政治家というよりどこかの道化師に似たものだった。そして、それはヘスが図鑑で見たドイツ人の特徴というよりはラテン系の姿に近いものだった。
「私は本当にあなたに感謝しています。あなたに出会わなければ、私は端がない下士官として生涯を終えたことになったでしょう。」そう言い、ヒトラーは髭の下の口を微笑ました。「しかし、私は今や革命家としての道を歩むことになったのです。あの退廃的な共和国性を打倒するためにです。あなたも見たでしょう。どこもかしこも秩序が守られていません。あるものは殺し、あるものは盗み、あるものは犯す。」そしてヒトラーはこの演説の効果を狙うために一拍を置き。こう言葉を継いだ。「私は見てきました。あの汚らわしいフランス人どもが我々の先人が勝ち取ったルール地方を占領したのを。それに対して共和国政府は何もしなかった。ただ、指をくわえただけ。確かに労働者にストライキを呼び掛けた。だが、それだけ‼軍を出動させる気すらもなかった。このような政府にどうして希望が持てるだろうか‼」ヒトラーはだんだんと言葉に熱を帯びてきた。「ドイツ人はすべての上にあるべき人種であるべきだ‼我々の作り上げた街、我々の作り上げた文化、我々の作り上げた化学、それらは永遠に世界から輝き続けるものであり、私はそれらを攻撃する者たちから断固として抵抗する‼」
ヒトラーの演説はその後も十分は続いた。途中、途中はヘスも聞こうと努めたが、それは不可能だと後で気づいた。ヒトラーの演説は難しい言葉を使わずにただ同じことを次々と大げさに大声で叫び続けるというものだった。これは演説ではない。これはクラスのリーダー的立ち位置の子供が対立するほかの同級生を黙らせることと全く一緒だ。しかし、この演説にはヘスの脳に一種の麻薬のような効果を発揮した。彼はヒトラーの言葉の波におぼれたのだ。彼は理性を失い、完全なる原子動物に成り下がったようだった。考えることを失った進化前の生物。轟音は響き、その音は心臓を揺るがす。
演説が終わると静寂が訪れた。二人とも黙ったまま、かすかに聞こえるヒトラーの呼吸以外何もなかった。
「素晴らしき演説です。ヒトラー殿。いや、素晴らしい。やはり、私の目には間違いがなかったようです。あなたこそが真のドイツの指導者になるべきです。」彼はお世辞ではなく心の底からそう思った。そして、心のどこからか不安も湧き上がってきた。「あなたならドイツを理想郷に変えることができますよ。この世界の頂点に立つ国家、そしてそれを統治する指導者(Fühler)に。」
この言葉にヒトラーは満足したようだ。どこまでも単純な人間だ。まるで古代の人間。すべては善と悪に分断されていると考えていた哲学者や神学者のような類の人間。そして、ヒトラーはこう言った。「あなたにそう言ってもらえるのなら光栄です。」そしてそこで言葉を切り、こういった。「実はというと私は反乱を企てようと思っているのです。」
その言葉にヘスは心の底でほくそ笑んだ。ついに時は来たと。
ヒトラーは先ほどの興奮を沈め、真剣なまなざしとなりこう言った。「計画はもう立てています。私はミュンヘンの州政府本部を占拠し、独立宣言を行い、共和制に対し、宣戦を布告しようと考えているのです。政府軍は弱い。我々には突撃隊だけを含めても二十万人が属しています。さらにはレームが密輸している武器もことらにはある。勝てないわけがない。」ヒトラーは語気を強めこういった。
「それはあなたも戦地に行くのでしょうか?」ヘスはそう尋ねた。
「もちろんです。指導者が前に出ないと兵士の士気は下がります。」彼はそう言った。
ヘスはヒトラーをまるで敵をにらみつけるかのごとく見つめた。「それはおろかの極みだというものです。指導者がもし、敵に打たれるのならば、あなたの無敵伝説は終焉を向かいます。あなたは将来、世界を変革するお方なのです。そのようなお方は確かに勇猛果敢でなければなりませんが、それと同時に慎重さも必要だと思います。」
ヒトラーはそのような言葉を信じられないような顔でヘスのほうを見た。その青い目には少し雲がかかったかのように色が濁ったように見えた。ヒトラーがここで否定されたのは戦争前のウィーンでも這いつくばるような日々以来だ。彼は少し震えたようにこう言った。「どんな時でも歴史を変えてきたのは率先して戦場に赴く指導者のみでした。私に安全な場所でただ傍観していおというのえすか?」その声にはかすかな怒りが込められているのに、ヘスは長年のビジネス経験から分かった。
ヘスは首を横に振り、こういった。「あなたは少しリスクを感じなければなりません。ここで死ねば、せっかくのチャンスが閉ざされるのです。それはあなたの考えうる最悪の状況でしょう。」そして、一呼吸入れこう言葉を継いだ。「別にあなたに線上に行ってはならないと言っているのではありません。それはあなたの自由意志です。つまり、先頭に立つのは私も賛成です。しかし、そのような格好で言ってはなりません。」彼は持っていたバッグから一つの鉄の板のようなものを取り出した。「これを胸に装着してください。心臓は何よりも大切な機関ですので。」
「何ですか、これは?」ヒトラーは鉄の板を眺めそういった。
ヘスはヒトラーに向かい微笑んでこう言った。「もはやなきベルリン医師協会が開発した最新式の防護板です。本当は最前線の全兵士に配りたかったのですが、何しろ生産が間に合いませんでしたので。」噓だ。これはヘスの時代に製造された対銃弾防護装備。もちろん世界統一憲法では違反だ。ましてはそれが軍事に関係したものともなると。
ヒトラーは目を丸くした。そして、顔をほころばせながらこう言った。「私のためにこのようなことをしてくださるとは。感動ですよ。もし、この革命が成功すればあなたを我が国の医師協会の頂点にと約束しましょう。」
ヘスは手を振ってこう言った。「そのようなものはいりません。それはもっと別の誰かがやるべきことです。私はあくまでも一人の医者にすぎませんから。」
ヒトラーがどのようなものを専門に見ているかとは尋ねなかった。尋ねられたらこたえようとも思ったが、外科医とは嘘をつかない。あの時のヒトラーは元気だったからだ。この噓はすぐにばれる。だからと言って、精神科医というのはやめた。ヒトラーは己の自尊心が傷ついたとし、ヘスとの交渉をやめるだろうと考えた。将来の偉大なる独裁者が精神病の疑いありだとスクープされたらそれこそ破滅を意味する。
ヘスはヒトラーの白シャツの上にこの鉄の盾を胸に装着させた。鉄の盾は薄かったことから上着を着れば誰も気づかないものだった。ヒトラーはあまりの薄さに少し不安を覚えていたがそれはヘスがうまく説明を加えた。
すべては整った。ヘスはヒトラーにお別れを言った。「それでは私はこれにて失礼します。次に会うときは国会議事堂の大統領執務室がいいですね。」
ヒトラーは笑った。そして、「そうだとどれほどいいのでしょうか。」と返した。
ヘスは部屋に出る前にヒトラーのほうに向きなおりこういった。「もし、野戦病院のことを聞かれたらこう答えてください。そこでは奇跡が起こり、私は政治家を目指したと。」彼はそう言い、去った。
この作戦は失敗するだろうな。ヘスはそう思った。作戦というのはヒトラーが主導する反乱計画のことだ。たとえ、軍備制限が敷かれていても国軍は強大だ。ヒトラーは敗れ、裁判に連行される。装備のおかげで死ななかった代わりに。だが、ヒトラーはその裁判では本来よりか累計で終わらせられる。そして、政権を取ってもらうのだ。
それはその通りになった。ヒトラーはカール総督のいる宴会場に押し入り、味方につけた。ヒトラー側にはゲーリングという元エースパイロットやルーデンドルフというドイツ帝国時代の将軍が味方についていた。しかし、ヒトラーが州政府本部へと前進しているときにカール総督は裏切り、国軍に情報を漏らした。国軍はヒトラーを向かい打ち、ヒトラー軍は敗走。ヒトラーは装備のおかげで生き延びたが数日後には逮捕。
誰もが、ヒトラーは死刑が言い渡されると思っていたが、ヒトラーは得意の演説でランツベルク刑務所で禁固三年となる。そこで側近たちと自信の理想を描いた自著を描いた。その名は我が闘争。そこには野戦病院の出来事についても触れられている。しかし、それはたった一行だけだった。
「そこで奇跡が起こり、私は失明から回復した。」
独裁ビジネス ポンコツ二世 @Salinger0910
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。独裁ビジネスの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます