第1話 英雄、或いはただの

 はぁはぁと荒い息継ぎが、がちゃがちゃと鎧の揺れる音が、洞窟の細く長い道を響き渡る。


 全身を鎧で纏った男は慣れない凸凹に足を取られながら、背後から迫り来る怪物から逃げる為に下り坂を転げるように降りて行く。


 ヴィルテッドと呼ばれた大穴の先にある洞窟は地獄と形容するのが正しいと思える程に悲惨な光景が広がっていた。


 道の脇に横たわる腹を抉られた人間や首から上が無い人間。


 腰に付けられた、人間の生命力に反応して発光する魔石がそれらを照らす。


 一人や二人なんかじゃない。もうそんな死体を両手で数えられなくなる程には見た。


 肉塊の流す、赤くヌメっとした体液が足場の不安定さを助長していた。


 くそ、くそ!簡単な仕事じゃなかったのか!


 男はそう思いつつ更なる深みへと堕ちて行くのであった。




 とある酒場にて。


 荒くれ者の冒険者から病的な紳士まで、様々な人物が一同になって酒による対話に浸る場所。


 そんな神聖な場は、一人の暴君の存在によって静寂が訪れていた。


 妙な雰囲気を感じさせる無表情の人面を型どった兜に角張った形をした灰色のプレートアーマー。


 その甲冑の腕と胸部には一つの剣にまとわりつく蛇を表すかのような青色の波模様が刻まれている。この鎧の持ち主はその紋様を自分のアイデンティティに思っているのだろう。


 その甲冑を纏った大男のエヴァンは、自分の事を現実主義者、あるいは合理主義者だと自称している。真偽はさておき、だが。


 彼はその不安にさせる模様を獲物に見せ、彼を青い不死と恐れさせている。


 彼はそのヒロイックな模様を顧客に魅せ、彼を勇敢で忠実な売り物であると表している。


 実際、効果は着実に現れており、仕事の依頼は殺到。そしてその標的たちは彼と対峙することを恐れ、彼の仕事を簡単なものにしてくれる。


 エヴァンは物心ついた時から傭兵を生業としている無法者中の無法者だ。


 彼は特別優れた技術や知能を有している訳では無い。


 ただ己の持つ巨体と、その体つきから生まれる力を使い自分の気の向くままに愛用品である斧を振るい、今の地位を確立したのだ。


 そんな彼は酒を飲む場であると言うのにも関わらず、その不気味な面を下ろし、隙間から微かに見える目をギョロりと一周させる。


 エヴァンを恐れた他の冒険者や商人は、彼に目をつけられるのを恐れ、彼を避けるように席に着き、各々の身内で運ばれてきた料理をつつきながらひそひそと声を潜めて話している。


 彼の周辺だけ、まるで触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに人が寄ってこない。


 しかし、そんな彼にも共に雑談を交わすことのできる友人がいた。


 エヴァンは仕事仲間である赤髭の男と、お得意様の紳士の三人で丸い机を囲み、話し込んでいた。


「しかし、あの連中ももう手出しはできませんでしょうな。何せ、完全に私の後ろには青い不死がいると思っているのですから!」


 そう言って黒のシルクハットを抑えながら、くつくつと紳士は笑う。


 紳士の人を小馬鹿にするような笑い方に不快感を覚えない人間はいないが、エヴァンと赤髭にとっては慣れたものであった。


「俺としては、連中がアンタを好き勝手にしてくれた方がいいんだがな。そうじゃないと、仕事にならねぇだろ?」


「ははは!それを本人の前で言うのはどうなんだ?」


 相変わらず赤髭は、エヴァンにとって心地良いと思えるようなタイミングで合いの手を入れてくれる。


「ほほほ、構いませんよ。それに、我々の仕事もかなり軌道に乗りましたもので。アナタに仕事を頼む数も、減ってしまうかもしれませんな……」


 それは、困ったな。エヴァンにとってここ最近の食い扶持はこのふざけた若い紳士から出されたものである。


 どうして明日の飯を食おうか。今度は紳士を良く思わない商会に雇われ、彼の仕事を台無しにしてやろうか。


 そんなことを考えながら忙しなく自分の腕の紋章を眺めていると、赤髭は思い出したかのように話し始めた。


「そうだ、エヴァン。ヴィルテッドの話は聞いたか?」


「あぁ、あの例の」


 ヴィルテッドの大穴。


 数十年前、エデンの崩壊と同時に突如として現れた巨大な奈落。エデンを囲む三カ国は禁足地としてその大穴への侵入を許していなかったが、つい最近になってようやく許可が降りるようになった場所である。


 しかし、数十年の年月が経っているというのに、その内部構造は謎に包まれているようだ。


 最近では、一度に何百人もの冒険者だったり、傭兵団だったりを募って、尖兵として送り込んでいるらしいが……


 赤髭が仲間内で聞いた噂だと、どうやら近頃はかなり開拓が進み、"楽"な仕事になっているそうだ。


 エヴァンが、そんな上手い話あるはずがないと否定すると、彼はそれでも仕事を受ける価値はあると返した。


 なぜなら、報酬の価値が価値だからだ。たとえスラムの生まれだろうと、死刑囚の子孫だろうと、機関にとって有益と見なされる情報を持ち帰った場合、貴族の地位と共に一生を遊んで暮らせる財を得ることができるらしい。


「どうだ?」


 何がそこまで彼を突き動かすのだろうか。赤髭による演説を聞いたエヴァンはバカバカしさを感じつつも、うんざりしてこう言った。


「……そいつはいい案だな、まぁ連れてってくれよ」


 二人が席を立とうとすると、紳士はまたもやくつくつと笑いながら言う。


「あぁ、お代は私が出しておきますよ。アナタたちに幸あれです」


 なぁに、間抜けな男の夢物語に付き合ってやるのも友の務めというやつさ。エヴァンはそう思いながら酒場を出る。


 彼が扉から出るのを確認した酒場の有象無象たちは喜んで輪を作り、歌った。



『エヴァンが消えた!エヴァンが消えた!


 あの青い暴君が!あの青い英傑気取りが!


 エヴァンが消えた!エヴァンが消えた!


 魔女裁判の末に!悪魔祓いの後に!


 エヴァンが消えた!エヴァンが消えた!


 エデンの深淵に飲まれて!帰らぬ人へ!』



 そんな様子を、紳士は気まずそうな顔で眺めていた。




 ソヴォルと亡国エデンの国境沿い。


 一面に広がる底の知れない穴は地平線を黒一色に染め上げていた。


 そんな円形の奈落の横には、地獄の入り口とも言える洞窟が備わっており、更にその前には数百以上の人の波ができている。


「第一班から順に並べ!」


 洞窟の入り口では、腕を組んだ緑色の布を分かりやすく首元や関節に巻いた格好をした騎士、つまりは騎士団の長が偉そうに大きな声で叫んでいる。


 隊列を管理していた騎士団員の指示通り、既に出来上がってる第二十三班に割り当てられた二人。


 先程まで仲睦まじく談笑していた第二十三班の八人の男女は、二人の異邦人を見るなり、彼らの悪名を知っているので押し黙った。


 あからさまに二人を仲間はずれにするような対応に赤髭は気を悪くしたが、エヴァンはいつも通りのことだと特段気にする事はなく会話を続けた。


「こんなにいんのかよ。簡単な話ってのも嘘で、俺たちは捨て駒にされるんじゃねえか?」


「まぁ、未知の世界に足を踏み入れるんだ。噂によれば、悪魔だとかが彷徨いてるらしいな」


 どこが簡単な仕事だ、嘘つきめ。エヴァンが赤髭の頬を殴り飛ばすと、周囲からの畏怖の念は更に強まった。


 赤髭は起き上がると、何事も無かったかのように振る舞う。これもいつものことだ。


「気にするこたぁない!アンタがいるんだ!このグループが安心して突き進めるのは確実だぜ?」


 なんだかんだ言って、赤髭の発言は毎回の如くエヴァンの気を良くさせる。彼が赤髭を自分に着いて回る腰巾着だと知っていても身近に置きたがる理由は、まさしくこの為である。


「任せとけよ。俺は不死身のエヴァンだ……たとえ悪魔だろうが俺の前では野良ラットと同じさ」


 エヴァンがそう呟くと、赤髭はそうだ!そうだ!と頷く。


 しばらくして八人の中の一人、いかにも魔女を思わせるような黒いハットにローブを纏った黒髪の女が二人に話し掛けてくる。


 その時、班の中での彼女の評価は、勇敢であると、蛮勇である、の二分化されることとなった。


「あ、あの!えっと……エヴァンさんと、お付きの赤髭さん、ですよね?私、魔法使いのリアと申します!」


 赤髭と呼ばれた彼は不満そうに魔法使いを名乗る女に詰め寄るが、エヴァンはそれを面白そうに見つめた。


「赤髭だァ?俺にゃあなぁ!立派な名前があんだよ!よーく覚えとけ?俺の名はなぁ……」


「ソイツにも名前はあるんだぜ、嬢さん。ソイツの名前はな、腰巾着って言うんだ。俺にペコペコしてずっと着いてくるんだ」


「エヴァン!それはあんまりじゃねぇか?それに、俺はアンタに頭を下げた覚えは無いぞ!」


「俺らが組み始めたのはお前から仕事を手伝ってくれと声を掛けてきたのがきっかけだろうが、黙ってろよ。それで、嬢さんはなんか用なのか?」


 エヴァンの視線が赤髭からリアに移ると、彼女は身体を震えさせ、早口に話し始めた。


 彼からしてみれば何も特別なことはしていないただの交流術としてのアイコンタクトだが、一般人からしてみればそれはもう恐ろしい殺気立った眼差しが自分を射止めたようなものであった。


 その原因のほとんどが、人の顔の形をした兜のせいであることは、誰も気付いていなかったのだ。


「あ、そうです。あの、これから協力してヴィルテッドに潜る、同志として、親睦を深めませんか?きっと、長い付き合いになると思いますし……」


「あぁ、そうか。それはそうだな。だが、俺らには必要無いな。そうだろ?赤髭」


「当たり前よ」


 赤髭に肯定を求めると、彼の怒りはもう収まったのか、彼は頷いて言う。しかし、これに魔法使いは納得していなかったようだ。


「ど、どうして……」


「嬢ちゃん……君は、わかってないみたいだな。英雄は何人も要らねぇんだ、今回の探索の成果は、俺とコイツだけのモンだぜ」


 エヴァンが指を差して言うと、赤髭は喜んで再び肯定する。


「で、でも……」


 彼女はまだ何かを言いたそうだったが、それを見ていた他のメンバーのうちの一人、恰幅のいい男が魔法使いの肩に触れ、振り向いた彼女の目を見て首を横に振る。


 エヴァンが男の方を見るとすぐさまその男の正体がわかる。


 太った男は双角の乗る蛮族的な兜を被った、マルスコネ市の衛兵崩れだった。


 どうしてエヴァンは、彼が衛兵崩れだと人目見ただけで理解したかと言えば、それは彼の左手に飾られた円形の盾に描かれた双角獣の紋章を見れば一目瞭然なことなのだ。


 もしかすると衛兵狩りの戦果かもしれないが、そんな日陰者が、わざわざこの表に出てくるとは思えない。


「嬢ちゃんと違って、仲間さんは物分りが良いみたいだな。ま、困ったことがあれば言えよ。途中までは助けてやる。途中までは、な?」


 エヴァンはそう言って、再び赤髭との雑話を続けた。


 エヴァンと魔法使いの対話によって二十三班の仲は険悪な仲になったかと思えば、意外にもそういう訳ではなく、エヴァンと赤髭を除く八人は更に親密を深めていった。


 やれ故郷の話だの、やれどうしてこの探索隊に加わったのかだの。


 エヴァンにとってそれは退屈なものだったが、赤髭はちらちらと何度も彼らの方を見て話に入りたそうにしている。


 エヴァンはあまりの退屈さに、仰向けになって昼寝を始めると、赤髭は彼らの輪にそっと入ることにした。


 そこで起きた出来事をエヴァンに話さぬように約束を結んだことによって、二十三班の絆はエヴァンを除いて強固なものとなった。


「あはは!赤髭さんって、意外と良い人なんですね!」


「意外は余計だぜ。それに、俺は赤髭じゃなくてだな……」


「良いじゃねぇか!赤髭!ほら、これ飲めよ!俺の故郷ではこれを一気飲みして、ようやっと一人前の衛兵なんだ!」


「あ?んだこれ……酒か!はははっ、わかってるな!やってやるよ!」


「ちょっと、お酒を飲むのは流石に危なくないですか……?」



 エヴァンが目を覚ましたのは日が落ちきった頃だった。


「二十三班!来い!」


 騎士団長のそんな声で、彼はむくりと起き上がる。


 彼はようやくかと、鎧を纏ったまま寝てしまったことを後悔させてくれる痛みに耐えながらも、身体中を伸ばすことによってその痛みに慣れようと努めた。


 それと同時に赤髭はグループから外れ、また、彼らも赤髭を除け者にし始める。


 赤髭は起き上がったエヴァンに向かって、やっぱり俺にはあんたしかいない、アイツらはクソ野郎だ、と媚びを売る。


 それを見た二十三班の人間たちに嫌悪の表情は無く、むしろ、エヴァンのような人間に媚びへつらわなくてはならない彼の姿に同情していたのだった。


 二十三班のメンツは騎士団員に配布されたある程度の食糧や傷薬の入った鞄と、人の生命力に反応して輝きを放つ魔石を各々で身に着け、それぞれが覚悟を決める。


 そんな中エヴァンはある事に気が付く。赤髭の顔が、やけに……その立派な鼻下に蓄えられた髭と同じくらいに赤に染まった顔色になっていたのである。


「お前、なんで顔赤いんだ?それに、妙に酒くせぇな。こっちに寄るなよ」


「あぁ!これは……盗んだんだよ、あの衛兵崩れからよ。あいつ、かなりのマヌケだから気付かねぇんだ!」


 赤髭は身体をピクリと震わせ、頭に浮かんだ言い訳をとにかく口から垂れ流した。


 彼にとっては小声のつもりだったのだろうが、その言葉は全て衛兵崩れの耳に入っていた。


 衛兵崩れは溜め息をついて、仕方がないと割り切って会話の行く末を見届けることにした。


「ほー、やるじゃねぇか」


「盗みは俺の得意分野だからな……ほら!」


 そう言うと、赤髭は自分のズボン、そのポケットの中から彼の片手に収まるほどの水入り瓶を取り出した。瓶には十字架マークが書かれたラベルが貼ってある。


「おぉ、すげぇな……俺のヤツだ。どうやったんだ?」


「簡単だぜ?寝てるアンタから盗ったんだよ」


「誰にでもできるじゃねぇか」


 二人がけらけらと笑っていると、騎士団員が怒鳴り散らす。


「貴様ら!準備が終わったのならとっとと行け!」


 騎士団員は威張っているつもりだが、その明らかな女の声では誰も気にすることはなかった。


 ただ魔法使いだけが小さくすいませんと頭を下げ、そそくさと、それとなく皆を中に入るように促した。


 正直に言うと、二十三班の誰もが騎士団員の機嫌を損ねることよりも、エヴァンの機嫌に注意を張り巡らせていたのだ。


 彼らは異様な雰囲気を醸し出す洞窟に足を踏み入れた。


 だが、その異常な空気感を覚えるものは誰もいない。彼らのうちの数人は酒に酔い、また彼らのうちの数人はエヴァンに気をやり、そして当の本人は場の空気を感じられるような人間ではないからである。

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白痴の子よ、英雄となれ ぐじん @guzinn3335

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