白痴の子よ、英雄となれ

ぐじん

プロローグ

 第一の鍵は壊された。白痴の王は死に絶え、それに連なる無知なる者共は怨嗟の声を上げ深い深淵の広がる底に転がり落ちていく。


 初めに堕ちた民のうち一人は、己の腹部に空白がある事に不満を抱く。


 彼は貧しい肉屋の生まれであった。彼はいつも両親の言う通りに、目の前の赤い血の滴る豪快な肉を解体している。しかし、その肉が己の舌の上を踊ったことは一度もない。


 彼には生まれながら痛覚というものを感じたことが無く、天から堕ちその際に壊死した自らの四肢に興味は無い。


 彼の関心はそれ以上に、周囲に堕とされていた両親だったものに向いていた。


 次々に堕ちてくる民たちは、大抵がその生を終わらせるが、稀に彼のように生き延びることがある。しかし、たとえ延命しようがそこから新たな生命を続かせようとすることは不可能だ。


 何故ならソレに、その僅かで尊い命は貪られてしまうのだから。


 初めに堕ちた民のうち一人は、王宮魔術師であった。


 彼女は永久の命を持つはずの白痴の王が何故急に朽ち果てたかを疑問に思う。


 彼女は国一番に聡明であり、王国が栄えていた頃には賢者として讃えられていた。


 彼女は優れた魔術師であった。


 天に恵まれず、土が乾き始めた頃、民たちは彼女を頼る。彼女が手に持つ棒を空に目掛けて一、二振りすればたちまち心地の良い雨が降った。


 彼女は優れた魔術師であった。


 下劣で時代遅れの蛮族である隣国、パックルに攻め込まれた頃。予想外の侵攻に、その被害に、国防軍は混乱に陥り、ただただ神に祈るしか無かった。


 そんな時である。彼女はパックルの首都に向け、杖を一、二振りすると、その街々は炎に包まれ、パックルは国としての機能を失った。


 それを見届けたバックル軍は力なく項垂れ投降したと言う逸話により、彼女は王より賢者の称号を授かった。


 彼女が崩壊に巻き込まれた時。優れた魔術師であった彼女は、当然己の有する魔術によって周囲の民達の何人か、つまりは彼女の学生と共に、深淵に五体満足で足を付けることに成功した。


 彼女と学生たちは優れた知性と同時に、どうしようもない探究心を持ち合わせていた。


 彼女は言った。我々はこの謎を解明すべきである!と。


 彼女たちはル・カーズ学院を立ち上げ、王の死について、そしてこの深淵の謎を解明すべく日々学問に向き合っている。


 時には現地の民がその門を叩き、議論に参加することもある。彼女たちにとって見た目や能力など関係なく、ただ知識を求めるものを歓迎していたのだ。


 初めに堕ちた民のうち一人は、幸運な騎士見習いであった。


 彼はいつも通り、立派な騎士になるという夢の為、鍛錬として父から譲り受けた粗製品である剣を振るっていた。


 彼が剣を振るうには理由がある。


 先程も述べたように、彼には国防軍専属の騎士になるという夢があった。専属の騎士になる為にはある程度の実績と実力を王に認められる必要がある。


 彼は彼の父に、我はいずれ、国王を守る為の剣となる必要がある。そう言って、手助けを求めたのだ。


 それを聞いた父は喜んで古物商から安物の剣を買い、その剣を彼に手渡し、こう言う。


 お前は毎朝必ず、この剣で素振りをしなさい。いずれ型が身に付いて来た時、俺はそれを認めて騎士になる手伝いをしよう。


 父がそう言ったのには簡単な理由があった。


 それは、息子を立派な木こりにする為であった。彼が日々の鍛錬を続ける度に、父は批難を繰り返した。


 そうして、心折れた時にそっと肩に手を置き、木こりの道へ勧めるつもりだった。しかし、その父の願いは叶うことは無かった。


 彼は父からの助言が騎士になる為の試練であると信じ、毎朝それを繰り返した。


 彼は形から入るタイプだったのだろう。防御効果の全く無い、ただ重いだけのボロい鎧を纏って鍛錬に励んでいる。


 ある日の事。


 彼が目を覚ますと、そこは暗闇に染まった狭い空洞だった。


 彼は手探りで辺りを探るが、手元にあるのは、ザラザラとした砂や岩の感触だけだった。彼はその場所が何かわからなかった。


 きっとこれも神より(あるいは父から)授かった試練なのである。彼はそう思うことにした。


 彼が闇に目を慣らす頃、空間の壁際に何かが刺さっているのが見えた。彼は近づいて手を添えると、何かの正体を知ることができる。


 それは、彼の手に良く馴染む物だった。


 彼は思い出の品に、その剣に想いを馳せる。


 これじゃあ、本の中に出てくる勇者みたいじゃないか。


 誰もが憧れる、聖剣を引き抜く英雄。まるで物語の始まりを告げるかのような展開だ。


 彼の心はそんなおとぎ話に支配されている。剣を引き抜いた時に、辛うじて保たれていたバランスを崩し、自分が岩の下敷きになる可能性なんて考えてないかった。


 彼がその聖剣を引き抜くと、先程まで剣が刺さっていた場所はひび割れる。


 都合の良いことに、彼の頭上のものが崩れることはなく、その一面だけが音を立てて崩れた。


 彼はその窮屈な、物語の始まりの場所から出ると、薄暗い長い道を歩み始める。


 刃こぼれした剣と、ただの重りである見た目だけの鎧をガシャガシャと言わせながら。




 数十年後のソヴォルの国にて。こんなお達しが流布された。



『数十年前の今日、エデンが滅びた。原因はかの国の地下に存在した巨大な空洞が関係していると我が機関は考えている。我々はこの空洞を、ヴィルテッドと名付けた。ヴィルテッドに潜り、エデンの情報、あるいは遺物を持ち帰り、それに価値ある物と判断された場合には、持ち帰った者に多大な報酬と名誉を授ける』



 このお達しを見て聞いた、金目当ての傭兵。心優しく、崩壊に巻き込まれた者に涙を流す聖女。追い詰められた卑しい盗賊。知的好奇心の強い魔術師。


 彼らと、その他の大勢は共々にエデンの地下深くに存在するヴィルテッドと呼ばれる魔窟に足を踏み入れることにした。




 結果から言うとヴィルテッドの一番浅い部分で大多数の人間が死ぬことになる。その原因は……

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