第3話 負債欄と純資産欄の相互関係。そして、資産へ。

 前2話において、負債欄と純資産欄の双方がいかなるものであるかを述べて参りました。ここで、その二者の相互関係について簡単に述べておきましょう。


 商業簿記において負債を減らして純資産=資本を増やそうと思えば、しっかりと売上を確保してその中から債務を返済しつつ、さらに留保された金をもって増資を図る必要があります。それをきちんとできないまま増資なんかすれば、それこそ粉飾決算だのなんだののオハナシになってしまいますがな。

 しかし、この人間性という名の貸方においては、法人や個人事業における金の出入ほど厳密なことをしなくても、自らの努力で負債として受容れたものを純資産へと昇華していくことも可能です。そこは、他者との関係性ばかりでなく自らの努力により可能となる要素でもであるのです。

 

 一例をあげてみましょう。

 ある少年が思うところあって野球関連の本を徹底的に読みました。

 それは確かに趣味のひとつとしての読書と言える範疇かもしれない。しかし彼はそこにとどまることを良しとしなかった。野球本を集中的に読みまくることで、彼はこれから先生きていく腕の糧をそれらの本の中からたくさん得た。彼はそれらの本を読むにあたっていくらかの金も確かに使った。それだけでなく、図書館に通ってこれはという本を借りては読みまくった。

 確かに図書館の本を借りて返すだけなら、表面的には金はかかっていない。

 だが、その金の出どころはどこなのだという議論以上に大事なのは、彼が本を読むためにかけた時間と労力。その時間と労力はやはり、負債欄に関わっているかもしれないが、同時にそれは彼に莫大な財産を形成させているのです。

 もっともその「糧」ともいうべきものは、負債欄ではなくむしろ借方の資産欄に記されるべきものではあります。

 ならば、その損益計算書というべきところにおいて、このような図式が成立しているのではないか。


経費 時間と労力   / 売上 得られたノウハウ

両者を差引いた純利益


 この「純利益」は、彼に無形ながらも得難い利益を与えていると同時に、これまでの負債を差引いてなお有り余る増資すべき資本=純資産としても見るべきものが現れているということになりましょう。


 ちなみに今の実例は、私自身の実体験によるものです。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


職業野球本は、あなたを救う

https://kakuyomu.jp/works/1177354054917971334/episodes/1177354054917971511

↑ 第1話 創刊?の弁


https://kakuyomu.jp/works/1177354054917971334/episodes/1177354054917986537

↑ 第2話 参考書に、ゼニが詰まっとる!

 今回は、こちらの第2話を引用いたします。

 これが言うなら、時間と労力と、ほんのちょっとの金を使って自らの資産を形成した原風景と言いましょうか。


(以下引用。表記はこちらに合せて多少変更しています)


 2000年でしたか、元南海ホークス監督の鶴岡一人氏の訃報を聞きました。

 ちょうどその頃、「高校中退者短歌 その後」ということで、岡山県玉野市の真鍋照雄氏が約10年経った後の高校中退者たちの心境を短歌で詠んで語ってもらおうという企画をされました。

 残念ながら、うちにその現物が見当たらないので、私の書いた文章が出てこないのですけれど、この短歌を詠んだのだけは、覚えています。


 ~元南海ホークス監督 鶴岡一人氏の訃報を聞いて

 参考書にゼニが詰まっているのだと言い聞かせていたあの日あの頃


 それは後になってそう思ったのではなく、当時から、そう思っていたことは言うまでもありません。そんな短歌を作ったのは、プロ野球関連の本を「高校時代」に散々読んだからです。


 「グラウンドに、ゼニが埋まっとる」


 鶴岡親分の大名言のひとつですが、養護施設に6歳から入れられ、高校入試に失敗して定時制高校に籍だけおいて大検から大学受験へと駒を進めるという手段を編み出した私は、鶴岡一人氏のこのセリフを、どなたの本かは忘れましたけれども知るところとなりました。

 要するに、プロはグラウンドに活躍することで、そこから銭をもらえるのだ。グラウンドで活躍せずして、どこで活躍するというのか。

 そういう、親分の「ハッパ」ですな、若い選手諸氏に対する、ね。


 そうか、

わしの場合は、参考書や問題集が、グラウンドに相当するものやないか。


 そう気づいた私の当時の本音を、この歌に託して詠みました。

 正直、このころのことは思い出したくもない。時がたてばいい思い出とか笑い話になるとか、おめでたいことをホザく大人(中身は単なる~以下略)が多かったあの頃。今思い出してみても、いい思い出とか笑い話だろうなどと私の前でホザく奴がいたら、ぶっちゃけそいつをゲバ棒で半殺しにしてやりたいとさえ思っておる、今も。まあ、これ以上は罵倒になるから、先に話を進めましょう。


 これまたプロ野球関係者の本ですが、元巨人の千葉茂さんが、お若い頃の話で、時がたてばいい思い出になるなどと言っている奴がいるが、こちとら、今思い出しても不愉快なものは不愉快だ、という趣旨のことをおっしゃっていた。

 へえ、そういう大人もいるのだな、そんなことを思って、読んだ。

 千葉さんの書かれていたようなことも、やっぱりあったな、今思うと。

 だからこそ、こうして小説やらなにやらを書いて身を立てようとしているわけではあるがね。


 ベースボールマガジン社が出していた、野球殿堂シリーズ。

 「御堂筋の凱歌」

 「猛牛一代の譜」

 他にもたくさん、この手の本を読みました。

 それと同時に、プロ野球の歴史もしっかりと資料にあたって読んでいきました。


 私が高校に入学したのは、1985年。

 当時はまだ、南海ホークスがあった。本拠地も相変わらず大阪球場だった。

 しかしながら、栄光の時期はすでに過ぎ去り、この年も最下位だった。

 西鉄ライオンズはすでになく、福岡を去って久しい。

 日本シリーズで阪神と対戦して負け、当時の広岡達郎監督はそれを機に、辞任された。阪神は21年ぶりの優勝(1リーグ時代を入れて38年ぶりの日本一)。

 その日本シリーズ第6戦が終えたとき、私は岡山大学の学生会館にいました。小5の年に「スカウト」され、鉄道研究会というサークルにずっと通っていました。

 カープファンで当時1回生の先輩が、簡単に、阪神のいわゆる「お家騒動」の歴史を語ってくれました。

 このころまで私は、特定球団のファンではなかったのですが、このころを境に、阪神ファンになっていました。関西圏の文化と親和性の高い場所で生まれていたことも、そのことに影響しているのだと思われます。

  その先輩がポロリと阪神の歴史について語った時、ふと、思いました。


 そうやな、プロ野球やがな。

 ここに、何かのヒントがあるかもしれない。この世界のことを知ることで、何か得られるものがあるかもしれない。

 プロ野球のことを知れば、何かが得られるかもしれない。

 そこから私は、図書館や本屋に行ってはプロ野球の本を読むようになりました。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 この結果が、言うなら私なりの「資産形成」の原風景と言えましょうか。

 あまたの職業野球本のおかげで、私はその世界の先人各位から様々な無形の財産を得たわけです。

 これは今の私の資産欄と資本欄に、計り知れぬ影響を与えています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年9月20日 05:00
2024年9月21日 05:00

社会性と人間性 ~複式簿記の視点より  与方藤士朗 @tohshiroy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ