摘みはなし

藤間伊織

本文

「この間、私の叔母さんのお葬式、あったじゃない」

新しく買ってきた今年の冬服のタグを切りながら妻が言った。


「あったな」

長期保存のきく食料の棚を整理しながら夫が短く答えた。


「もうすぐ還暦だったけど、やっぱり今の時代だとちょっと早いお迎えだったと思うの」

「そうだな」


「それに叔母さん、すごく優しい人だったからみんな悲しんでね。『いい人ほど早く行ってしまう』って言ってたの」

「俺もそう思うよ」


「天国があるなら、やっぱり優しい人は早くほしいのかもしれないわね」

妻は言葉を選ぶようにゆっくりと呟いた。

「……どうした。何か悪いものでも見つかったのか」

夫は手を動かし続けているが、眉間には少ししわが寄った。


「!……ふふ、ごめんなさい。変なこと言ったわね。違うわ、私は健康。あなたの話よ」

嬉しさと申し訳なさが混ざった表情で妻は夫に視線を向けた。


「俺か?俺も健康だと思うが……」

くすりと笑う妻にこっそり安堵し、夫は自分の作業に戻っていく。


「一度、病気から離れていいのよ。そんなに心配しなくてもね」

「そうかい」


「ただね、もし私が天国にいて、地上にいる人に早めにそばにきてほしいなって思ったら、目印をつけると思うの」

「ううん?」

また何か妙なことを思いついたらしい、と夫は妻をちらりと見やり、曖昧な音で唸った。


「だってものすごく離れているんだから、多分目印がなくちゃ見失っちゃうでしょ。例えばこの服のタグみたいなね」

そう言って妻はパチンとタグをハサミで切った。


「そこはもっと、自然な特徴じゃないのか」

「わかりやすい方がいいじゃない。それに、もし天国の誰かがあなたにタグをつけていたとしたら、」

全てのタグを切り、仕分けを終えた妻はハサミを持ったまま夫の背後に立った。


「ん?」

丁度作業を終え、くるりと振り向いた夫はいたずらな笑みを浮かべる妻を見て驚いた顔をする。


そのままするりと首に腕をまわされると、後ろからパチンという音がした。

「私が全部切ってあげる」


ハサミをちょきちょきと楽しそうに動かす妻に、夫は盛大に溜息をついた。

「刃物を持って抱き着いてこないでくれ。心臓に悪い」

「それは確かに悪かったわね」

「そうでなくても、気まぐれに抱き着くのもやめてくれ。心臓に悪い」

「いい加減慣れませんか?」

「……照れてるとは言ってないさ」


やれやれと首をすくめる夫から少し離れて妻は悲し気にぽそりとこぼす。

「あの人はとてもいい人ですから、気持ちはわかります。でも今は私の傍にいてほしいんですよ。だからごめんなさい、もうしばらく待ってくれませんか」


妻はハサミを持っていない方の空の手をゴミ箱の上ではらりと開いた。

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摘みはなし 藤間伊織 @idks

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