第13話

「プレゼントは決まりましたか?」


 部屋に尋ねてきたピルケットの言葉に、尚里はこくりと頷いた。


「ピルケット王子のおかげで見つかったよ」

「それはよかった。花嫁からの贈り物なんて喜びますよ」


 花嫁。

 その単語に、尚里は曖昧な笑みを浮かべた。

 花嫁という言葉をルキアージュやアーリン達が認めてくれても、尚里は自信が持てなかった。


「そういえばブラコスタ兄上がニニーカや男を宛がってきたそうですね」

「あ……うん」


 眉を下げて答えると、しかしピルケットはテーブルを挟んだ向こう側で肩をすくめた。


「我が兄ながら悪手ばかり踏む男だ。イシリスに取り入ろうとして怒りを買ってる」

「ルキに取り入る?」

「イシリスへの支持は強い。味方につけるだけで人心を掌握できるといっても過言ではありません。王太子だって彼の一言で決まる可能性もある」

「そんなに?」


 双子に軽く聞いてはいたけれど、そこまで身分が上だとは思わなかった。

 ますます尚里は心の底にあるもやついた気持ちが広がっていく感覚を覚えた。


「ブラコスタは権力欲が強いですからね。イシリスに取り入って王太子に指名されたいんでしょう」


 カチャリとティーカップをピルケットが口に運ぶ。

 尚里はお茶を飲む気になれなくて、飴色の液体をじっと見つめた。


「ルキが結婚するって大事なんだね」


 目線を下げたままぽつりと呟く。

 軽々しく好きだなんて言わなければよかったんじゃないかとさえ、尚里は眉をへにょりとさせた。


「まさかと思いますが、結婚は考えていませんか?」


 確信をつかれた尚里は体を思わず固くした。

 きゅっと唇を引き結ぶ姿を見て、ピルケットが頬を人差し指でかく。


「……それは……どうしたものか」

「考えてないっていうか……俺でいいのかとか、そんなルキの影響があるなんて思ってなかったから。周りも認めないだろ」


 肩を縮こまらせる尚里に、カップをソーサーに戻すとピルケットが安心させるように微笑んだ。


「少なくとも民衆は歓迎ムードだし、私も歓迎しています」


 ピルケットが好意的なのはわかるけれど、その理由がわからない。


「どうして?」

「人間味が出てきましたからね。以前よりずっととっつきやすい」


 意外な言葉だった。

 アーリンも似たようなことを言っていたけれど、尚里には好青年にしか見えないからだ。


「わからないよ。いつもニコニコしてるから、そういう人だと思うし」

「違いますよ。試してみましょうか?」


 くすくすと笑いながら、ピルケットが立ち上がって尚里の前までくると、さらりと黒髪を撫でた。

 なんだろうと口を開きかけたとき。


「何をしている」


 いつのまに扉が開いたのか、軍服姿のルキアージュが氷のような眼差しでこちらを見ていた。

 ピリリと空気が冷たく震える。

 けれどピルケットはそれを気にした風もなく、尚里から一歩距離を取って柔和な笑みで両手を上げた。


「いえ、由々しき事態にどうすればいいかと思いまして、花嫁を慰めていました」

「由々しき事態?」


 眉根を寄せて不機嫌に問い返すルキアージュに、しかしピルケットはひるまない。


「花嫁は結婚する気がないそうなので」

「ッ」


 ピルケットの言葉に、一瞬ルキアージュが息を飲んだ。

 バッと尚里に目線が向けられるが、それを見返すことが出来ずに俯いてしまう。


「私でよければいつでも相談にのりますよ」


 流れるようなしぐさで尚里の手にピルケットが唇を寄せた。

 驚いた瞬間、パンッと音がしてテーブルの上のカップたちが割れ飛び散る。

 その音にびくりと肩が跳ねた。


「出て行け」


 氷のような一言に、ピルケットは恭しく一礼すると扉の向こうへと消えていった。

 呆然と滅茶苦茶になったテーブルの上を見ていると、ぐいと腕を取られた。

 抵抗する間もなく、ソファーの方へと連れて行かれドサリとルキアージュにしては乱暴に下ろされる。


「結婚をする気がないとはどういうことです?」


 恐ろしいくらい真剣な眼差しに、尚里は視線を逸らした。


「好き、とは言ったけど結婚を承諾したわけじゃない」

「何故?あの男に何か吹き込まれましたか」


 ルキアージュの言葉に、思わず尚里は目の前の男へ顔を向けた。


「ピルケット王子は良くしてくれてるよ」

「親し気なんですね」


 皮肉気に唇を吊り上げるルキアージュ。


「いい人だよ」

「私以外の男を気にする必要はありません」

「ピルケット王子は俺の事を思って」


 言葉は最後まで紡げなかった。


「んっ」


 ルキアージュが尚里をソファーに押し倒し、唇を奪ったのだ。


「やだ!」


 こんな一方的なものは、あんまりだと尚里はルキアージュの胸を押し返した。


「あなたは私のものだ」

「んっんぅ」


 舌を強引に差し入れられ、むさぼられる。

 生理的なものと一方的な行為に、悔しさで涙が溢れた。


「ッ」


 ルキアージュがバッと顔を離した。

 その唇には血がついている。

 尚里が噛みついたのだ。

 尚里は肩で息をして、ルキアージュの血がついた唇を震わせている。

 その姿に、ぐいと親指で自らの唇の血を拭うとルキアージュは視線を落とした。


「すみません……」


 ポツリと小さな言葉が部屋に落ちる。

 そのまま尚里の顔を見ることもなく、ルキアージュは背中を向けて出ていってしまった。


「最悪だ」


 あの顔は傷つけた。


「好き、なんて言っておいて」


 尚里はソファーの上で膝を抱えた。

 ルキアージュは真剣に結婚を申し込んでいるのに。

 尚里は服の中に入れてあるトゥルクロイドの鎖を引っ張って取り出した。

 ころりと手の平で転がすと、キラリとマリンブルーが反射して輝いている。

 一点の曇りもないそれは、ルキアージュの瞳を思い出させた。

 拒んだ理由は明白だ。

 自信が尚里にはなかった。

 ルキアージュのようにまっすぐに、何の不純物もない想いに愛し返せるのかと。

 はあーっと尚里は深い溜息を吐いてトゥルクロイドを手の平で転がした。


「こんなの持ってるのに拒んだら、そりゃあ怒るよな」


 嫌われたかなと嫌な考えが脳裏をよぎる。


「やだな……」


結局その日は横になる気にもならず、ソファーでぼんやりと過ごした。

粉々になったティーカップ達をアーリン達が片付けて、寝室へ促されても。

眠れるとは思えず、まんじりともせずに夜は開けた。

朝になって双子が部屋に訪れたときに、とても心配されてしまったけれど。

朝食も断った。

いつも一緒に食べるルキアージュが仕事があると言って現れなかったのだ。

昨日の今日だ。

顔を合わせにくくて、少し尚里は安心した。

そして、そんな自分に嫌悪感が募る。

ソファーで寝不足顔でぼんやりと指輪を眺めていると、アーリンがリラックスが出来るからとハーブティーを持ってきてテーブルへと置いてくれた。

それにぼんやりと返事をして、ねえと呼びかける。


「どうしました?」

「これ、何で大事なものなのに俺に渡したままなんだろ」


 花嫁のものだと言っていたけれど、それでも国宝だと言っていた。


「イシリスから聞いていませんか?」

「花嫁の指輪って聞いた」


 はいとアーリンが頷く。


「花嫁を守るし、花嫁以外が手にすると黒ずむんだそうです」

「黒ずむって……俺が持っててもならないってことは、指輪に認められてるってことなのかな」


 そんな不思議なことがあるのだろうか。

 ぽつりと言った言葉はアーリンには聞こえなかったらしい。

 尚里は自分の中の鬱屈を吐き出すように深々と息を吐いた。


「よし!」


 パチパチと自分の両頬を叩く。


「尚里様?」

「ブレスレット仕上げる。出来上がったらルキに会いたいんだけど、できるかな?」


 真剣な気持ちには真剣に返せ。

 日本で黒崎に言われたではないか。


(まったくもってその通りだよな)


 だから伝えようと思った。

 ルキアージュが好きなこと。

 自分に自信がないこと。

 それでも傍にいたいこと。


「ではブレスレットが出来たら、イシリスをお茶に誘いましょう。きっと喜ばれますよ」

「そうだといいんだけど」

「絶対です」


 元気づけるアーリンに、苦笑を返して尚里は作りかけのブレスレットを持ってきてもらってそれを仕上げた。

一時間ほどで仕上がったブレスレットは、艶々と黒曜石が輝いている。

アーリンにお茶の準備を頼み、尚里は中庭のガゼポでルキアージュを待つことにした。

テーブルの上には焼き菓子が並べられている。

アーリンはお茶の準備に席を外していた。

尚里はブレスレットがズボンのポケットにあることを確認して、控えているリーヤへと声をかけた。


「仕事が大丈夫そうならルキを呼んできてくれないかな」

「しかし俺が傍を離れるのは……」


 他に召使はいないので、尚里が一人になってしまう。

 リーヤは眉を寄せてしぶった。


「アーリンもすぐ来るよ。早く渡したいんだ、お願い」


 頭を下げられては断れず、リーヤは後ろ髪を引かれながらもその場を後にした。

 そして予想どおりにアーリンがワゴンを押してお茶を運んできた。


「あれ?リーヤは」


 護衛なのに尚里を一人にするなんてと憤るアーリンに、自分が無理を言ったのだと宥めていた時だ。

 ザッと風が吹いたかと思うと、アーリンに体当たりをされた。

 なんだと思っていると、ガゼポのテーブルに裂いたような跡が残っている。

焼き菓子や食器が無残に粉々になっていた。

 今の風が切り裂いたのだと認識したのと、アーリンにテーブルの下へ押し込まれたのは同時だった。


「何者だ!」


 現れたのは顔の下半分を黒い布で隠した男達、八人だった。

 それぞれ刃物を手に持っているけれど、今のはマナを操った風だったのだろう。

先頭にいた一人が右手をこちらに向けると、再びかまいたちのような風が襲い掛かる。

思わず目を閉じたけれど、自分の前にアーリンがいることを思い出して。


「アーリン!」


 恐怖を感じながらも無理矢理に目を開いた。

 そこにはアーリンが水を操って壁を作っていた。

 そういえばアーリンもマナが使えると聞いたことを思い出す。

 それでも八人も周りにいるのだ。

 他の男が火の矢を飛ばして水の壁を蒸発させていく。

じりじりとアーリンが後退しながら、マナの猛攻撃を防いでいるとその合間を縫ってナイフを持った男が切りかかった。


「尚里様!」


 マナの攻撃に足を止められるアーリンが油断した刹那、少年の額を風が切り裂いた。


「アーリン!」


 思わずテーブルの下から這い出て名前を叫ぶ。

 その刹那、首筋をナイフの柄でしたたかに打ち据えられた。

 痛みと遠のく意識の中、アーリンが名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

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