第12話

次に目を開けたとき、尚里はどこかふわふわとした心地だった。

 温かいものに包まれていると気づき、次いで目の前に完璧に整ったルキアージュの顔が目前で甘く微笑している。


「ふわっ」


 思わず声が出た。


「おはようございます、尚里」


 寝起きの少し掠れている声が、柔らかく挨拶をしてくる。


「おはよう」


 なんでこんな間近に顔があるんだと思ったところで、きゅっと抱きしめられていることに気付いた。

慌てて腕のなかから出ようともがくと、ルキアージュが不思議そうに目をまばたいた。


「どうしました?」

「だ、抱きしめてる!」

「? ええ」


 ますます不思議そうな顔をされる。

 そんな平然としないでほしいと思いながら。


「離せよ」


ますますもがくと、腕の力が強くなった。


「どうしてですか?私に抱きしめられるのは嫌?」

「というか……恥ずかしい」


 ルキアージュの疑問に、腕のなかから出ることが出来ないと気づいた尚里は、思わず両手で顔を覆った。

 目の前に完璧な美丈夫の顔があるだけでも動揺するというのに、それが好きだと気づいたばかりの人間なのだ。

 今さらと思われようが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 尚里はこういったことに慣れていないのだ。


「かわいい、尚里」


 こめかみにキスをされて、ますます手を顔に押し付ける。

 耳まで赤くなっているのが自分でもわかった。


「もうひと眠りしますか?」


 くすくすと笑うルキアージュの声に、手を顔に当てたままぶんぶんと首を振る。

 こんな状態で眠れるわけがない。

 よく昨日は眠れたなと我ながら関心してしまう。


「では朝食にしましょうか」


ようやく腕を離してくれたルキアージュに頷きながら、ベッドからのそのそと出る。

 手を取られて扉へとエスコートされるのに、初めてでもないのに気恥ずかしさがたつ。

 扉を開けてテーブルセットのある部屋へと向かうと、そこにはアーリンとリーヤがにこにこと笑顔で立っていた。


「おはようございます、イシリス、尚里様」


 二人がいることに、尚里は思わず硬直した。

 何でこの部屋にいることを知っているのか。


(一緒に寝てたのバレてるよなこれ!)


 あうあうと、なんと言い訳しようと尚里が口を開閉していると。


「よく眠れたようですね」


 アーリンがにこにこと笑う。

 いやそんなことは、と口を開くより先に。


「こんなに熟睡したのは、初めてですよ」


 ルキアージュがどこか嬉しそうに答えている。

 それにおやと思う。


「熟睡って、不眠症かなにかなのか?」


 思わずルキアージュを見上げると、彼は一瞬きょとんとしたあとに破顔した。


「違いますよ、眠りが浅いだけです。でも心配してくれてありがとうございます」

「でも、じゃあ俺と一緒じゃ寝付けなかっただろ」


 隈がないかとルキアージュの顔を見上げると、何故か満ち足りているような満足気な顔で微笑まれた。


「熟睡したのは初めて、と言ったでしょう。尚里の体温や呼吸を感じているだけで、リラックスできました」


 それはリラックスできているのだろうか。

 思わず内心首を傾げる。


「さあさ、朝食の準備は整っています。どうぞ」


 アーリンに促され、腑に落ちない気分でエスコートされるままにテーブルセットについた。

 今朝の朝食はパンケーキだった。

 まあるいきつね色のパンケーキが目の前に置かれ、ご自由にどうぞとフルーツの乗った皿や糖蜜の入った壺。

 ベーコンやソーセージなどが並べられている。

 しょっぱいのから攻めるか甘いのから攻めるかと、目の前の食事に浮足立ってしまう。


「いただきます」


 尚里はまずはシンプルに食べようと糖蜜の壺を手に取って傾けた。

 黄金色の蜜が月のようなパンケーキに染み込んでいく。

 目の前のルキアージュは、分厚いベーコンを一緒に口に運んでいた。

 朝から食欲旺盛である。


「本日ピルケット王子から尚里様へお茶のお誘いがきていますが、いかがいたしましょう」


 リーヤの言葉に昨日のパーティーでの出来事を思い出す。

 尚里の体調を気遣い、ルキアージュのことでも慮った言葉をくれた男だ。


「第二王子って言われてたっけ」

「彼ならかまいませんよ。野心家で才もありますが、分別もわきまえてる。私は残念ながら仕事がありますが」

「そうなんだ」


 優雅な所作でいつのまにやら大量の食事を胃に収めてしまったルキアージュが、食後のお茶をこくりと飲む。

 カップを花の形に模してあるソーサーへ戻すと、拗ねたように眉間に皺を寄せた。


「あなたを伴って帰国できるとわかっていたら、もっと休暇を確保したのに……」

「いいよ、無理しなくて」


 子供のようなセリフに、思わず微笑ましいと笑ってしまう。

朝食を終えてルキアージュを見送ると、尚里もリーヤに先導されてピルケットとの約束の場所へと向かっていた。

廊下を歩いていると、向かいからブラコスタが歩いてきた。

ぺこりと頭を下げると、一瞥されることもなく無視をされてしまった。


「花嫁である尚里様の方が身分が上なのに!」


 憤るリーヤに、そういえばそんな事を聞いたなと思いつつ疑問を訪ねた。


「ルキと仲悪そうだよね」

「イシリスに取り入ろうとしているんですよ。王太子になりたくて」

「第一王子なのに後継ぎじゃないんだ?」


 てっきり尊大な態度から、彼はルキアージュと近い地位なのだと思っていたけれど、違うらしい。


「彼は側妃様の息子で、第二王子のピルケット様は正妃様の息子なので、王太子はまだ指名されてないんです。民衆の指示はピルケット様なので、王と同等の地位にあるイシリスの指示が欲しいんですよ」


 なんとも王宮事情というものは複雑らしい。

 離している間に指定されていた中庭のガゼポに行くと、すでにピルケットが席についていた。

 尚里に気付くと、サッと立ち上がり頭を垂れる。

 周りにいた召使達も、深々と頭を下げた。

 恭しい出迎えにひるみつつ、尚里もぺこりと頭を下げた。


「我々に頭を下げる必要はありませんよ、尚里様」


 屈託のない笑顔に、尚里は肩の力を抜いて笑顔を向けた。


「お招きありがとうございます」

「敬語も不要です」


 いやでもと言えば、イシリスに話しかけるように敬語抜きでと言われてしまった。

 ルキアージュには最初に驚きすぎて敬語を使うタイミングを見失ってしまったのだ。

 お言葉に甘えさせてもらう事にして、尚里は席についた。

 それを見て、ピルケットも席につき召使たちが給仕に動き出す。


「今日はどうして俺を?」

「イシリスの誕生日を知らなかったようなので、プレゼントに困っているのではと思いまして」


 ピルケットの言葉に、そのとおりだと尚里は眉を下げた。


「知ってたら、せめて日本で何か用意したんだけど……ここじゃ外に行くのはルキと一緒だし、手持ちも日本円なんだ」


 その様子にピルケットがくすりと笑う。


「今日、明日はイシリスの生誕祭りがあります。何かいいものがあるかもしれません、お金は私が通貨に換えて差し上げますよ」


 願ったり叶ったりである。

 しかし。


「市場に出てもいい?」


 勝手に外出など大丈夫なのだろうか。

 というかルキアージュにバレずに買い物できるのだろうかと疑問に思う。


「リーヤがいれば大丈夫です。彼はマナが使えますから」


 思わずリーヤを見ると、こくりと頷かれた。

 頼もしい限りだ。


「イシリスを二時間ほど足止めしておくので、その間に出かけるといいですよ」


 ピルケットの提案に、尚里は一も二もなく頷いた。

 その後、アーリンも合流して尚里は双子と市場へ繰り出した。

 余談だがアーリンもリーヤ程ではないがマナが使えるらしいと知って、驚いた。

 昨日よりも出店の増えている市場をきょろきょろと歩きながら、尚里はどうしようと頭を悩ませていた。


「尚里様はどんなものをお贈りしたいですか?」

「うーん、プレゼントなんて買ったことないからなあ。ルキは何でも持ってそうだし」


 そっと胸にあるトゥルクロイドを服の上から押さえてしまう。

 これには大きく見劣りするかもしれないけれど、何か身につけるものなんか渡せたらと思っていると、ふとある出店に目が行った。

 店頭には色んな石が並べられており、その横にはブレスレットやネックレスが陳列されている。


「いらっしゃい、アクセサリーの材料だよ」


 店主に声をかけられ作り方を聞けば、一番簡単なのは石をつなげたブレスレットだと教えられた。


「それなら俺でも作れるかも」


 値段もピンからキリまであるので、予算内で納められそうだった。

 早速、石を選ぶけれど色とりどりで迷ってしまう。


「何色にしよう」

「黒曜石などいかがですか?尚里様の色なのできっと喜ばれますよ」


 アーリンの助言に、尚里は指差された黒い石たちに視線をやった。

 艶々とした黒曜石は綺麗だけれど。


「自分の色渡すって恥ずかしくない?」

「そんなことありません」


 双子は見事にハモッた。

 ならばと背中を押されてメインの石は黒曜石にした。

 それを繋ぐ小さな石は紫色のアメジストだ。

 たしかアルバナハルの喜色だったはずだ。

 最後に石を繋ぐ細い紐を選ぶと、尚里は王城へと帰路についた。

 帰ってからは、部屋でブレスレットを早速作り出した。

 細い紐で石をひとつずつ止め縛りながら繋いでると、アーリンが速足でやってきた。


「お帰りになりました」


 その言葉にわたわたとブレスレットをアーリンに渡し、少年が素早く壁にあるチェストの引き出しに隠してくれた。

 すぐに扉が開き、軍服姿のルキアージュが部屋に入ってくる。

 黒く将校らしい丈の長い上着は長身の彼によく似合っていて、仕事着だとわかっていても尚里は見惚れてしまった。


「戻りました」

「おかえり」


 ドキリと高鳴った胸を静まれ静まれと思いながら、平静を装う。

アーリンが部屋を出ていくのをちらりと見て、ルキアージュは口を開いた。


「街に行ったそうですね」

「うん、少しだけ」

「心配しました。双子がついているのは分かっていますが、一緒に行きたかった」


 本当に残念そうに言うので、何だか微笑ましく思ってしまう。


「何か買い物でもしたのですか?」


 何の気なしに聞いた言葉のようだったけれど、尚里はバレやしないかと今度は別の意味でドキドキした。


「カラフルなアイスを食べて散歩しただけだよ」


 ごまかしで口にしたけれど、実際プレゼントを探して歩き回り最後にアイスを食べたのは事実だ。


「尚里が楽しそうで、嬉しい」


 しんなりとたわむ青い瞳。

 ルキアージュが尚里の頬に手を伸ばそうとしたとき、扉の向こうからアーリンがノックと共に呼びかけた。


「どうした?」


 伸ばしかけていた手を下ろしルキアージュが問いかけると、アーリンは室内に入って困ったように眉をハの字にしていた。


「ブラコスタ王子がお見えなのですが、その……失礼します」


 尚里を気にしつつ、足早にルキアージュへぼそぼそと耳打ちする。

 次の瞬間、ピリッと空気が震えた。

 ルキアージュの瞳が先程までとは真逆の氷のように冷徹になっており、表情にはあきらかに不快だと書いてある。


「叩き返せ」


 端的な命令。

 その命令に、アーリンはほっとしたような表情ですぐにと踵を返して部屋を出て行った。


「もしかして、俺のことで何かあった?」


 アーリンが尚里を気にしていたから、自分に対して何かあったのかと思う。


「いえ、すみません。何でもありませんよ」

「本当か?誕生日も知らなかった、何であろうと他人から聞かされるのは嫌だからな」


 キッパリと言い切れば、ルキアージュが思案するように眉根を寄せた。

 彼にしては珍しく言いにくそうに、唇を開く。


「……私の本意ではありませんからね」

「うん」

「男をあてがってきました」


 ルキアージュの言葉に一瞬、頭が真っ白になった。


「それは……」

「男がいいのだろうと思ったのでしょう」


 ルキアージュは忌々しそうに眉根を寄せた。


「度し難い男だ。これ以上神経を逆なですれば、タダではおかない」

「俺を選んだからそんなことになったんだろ、ごめ」


 謝罪は最後まで口に出来なかった。

 長い人差し指が尚里の唇にやんわりと押し当てられて、喋ることを止められたからだ。


「男を選んだのではなく、あなたを選んだのです。コロコロと表情を変えて可愛らしいあなただから。それがわからない人間など捨ておいていい」

「でも」

「黙って」


 指を離されると、代わりに唇がしっとりと合わせられた。

 突然のそれに、尚里の頬がカッと熱を持つ。

 ゆるく下唇を吸われて、何度か啄まれる。


「んひゃっ」


 舌で唇をなぞられて思わず驚いた声を出したら、その隙間をくぐってルキアージュの薄い舌が侵入してきた。


「う、ん」


 ちゅく、と舌を絡めとられて舌先を吸われる。

 ばくばくと心臓が鳴りだし、尚里がルキアージュの軍服へ指先ですがると。


「んんっ」


 ルキアージュの指が首裏を引き寄せて、ますます口づけを深められた。

 それだけでもキャパオーバーだというのに、首裏に回っていた手が頸椎をなぞるように下へと降りていき、背中、腰と撫でて服の裾から指先が素肌に触れた。


「やめてくれ!」


 唇が離れた瞬間に悲鳴を上げると、ピタリとその不埒な手が止まった。


「すみません、性急すぎましたね」


 パッと体をルキアージュが離す。

 尚里は思わず濡れた唇を両手で覆った。


「心臓、破れそう」


 その言葉にルキアージュの瞳がたわむと、ひょいと抱き上げられた。


「ル、ルキ!」


 驚いて声を上げている間にソファーへとルキアージュが腰を降ろす。

 ルキアージュの膝に乗せられた尚里は、もじもじとどうすればいいのか視線を彷徨わせた。

 膝に乗せられたまま、落ち着かせるように抱きしめられ、ゆらゆらと体を小さく揺らされる。

 背中にまわされたルキアージュの手が、薄いシャツ越しに温かい。

 あやすようにゆらゆらと小さく体を揺らされると、だんだんと心地よくてドキドキしていた心臓も落ち着いてきた。


「人に抱きしめられるなんて、思ってなかった」


 家に居場所はなく、母親からの抱擁は幼過ぎて記憶にない。


(安心する)


 ゆらゆらとされていた体がぴたりと止まり、ルキアージュが顔を覗き込んできた。


「これから私がいくらでも抱きしめます」


 こめかみに唇を押し当てられて、またトクンと心臓が早鐘を打つ。

 そのまま頬を滑り唇に辿り着くのを阻止するように尚里はわずかに体を引いた。


「今日はもう駄目だ」

「聞きません。唇は拒むことは許さない」


 ちゅっと唇を吸われ、それでも譲歩してくれているのが、舌をさし込まれることはなかった。

 また心臓が早鐘を打ち出す。

 ルキアージュの唇に酔いながらも、尚里は彼に女や男を宛がわれているという事実が脳裏にこびりついていた。

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