第14話

 潮の匂いが鼻をくすぐった瞬間。


「いい加減起きなさい」


 前髪を掴まれる感触に、尚里は呻いた。

 首の痛みに顔を顰めて瞼を上げる。

 パッと前髪を離された感触に顔をしかめながら、尚里は上半身を起き上がらせた。

 そこはびゅんびゅんと風が吹く、場所だった。

 足元も目の前の壁も石で出来ているようだ。

 大きな開けっぴろげられた扉から向こうには、海と空が見える。

 その視線の高さに、ここがそうとうな高所であることがわかった。


「景色がいいでしょう」


 聞き覚えのある声に振り向けば、予想通りの声の主がいた。

 ニニーカだ。

 今日はヒビリヤでもなく、黒いシャツに黒いスキニージーンズ姿だ。

 その横にいる人物に尚里は顔を顰めた。

 同じく黒ずくめの恰好をしたブラコスタだった。


「ここはどこだ」


 二人の後ろには、先ほど尚里達を襲ったのと同じ姿の男が五人控えている。

 アーリンは無事だろうかと背中に汗が一筋流れた。


「ここは廃墟のお城、危険区域に認定されているから誰も来ないわ」


 確かに所々ひび割れているし、相当に古そうな建物だ。


「指輪を寄こしなさい」


 予想通りの言葉に笑いが出そうだった。


「私が花嫁になるから、お前は帰ったことにしてあげる」


 得意げに語るニニーカ。

 けれどそれを遮るように、ブラコスタが一歩前に出た。


「それか私の言う事を聞くように、イシリスに進言するなら帰してやる」

「ちょっと!」


 ブラコスタの言葉にニニーカが眉を吊り上げた。

 どうやら一枚岩というわけではないらしい。


「うるさい!一番えらいのは私だ!王太子になって王になるのもだ!」


 ニニーカが詰め寄ると、ブラコスタが吠えた。

 王太子が決まってないとはそういえば聞いたなと頭の片隅で思い出す。

 地位と権力が目的なのだと確信した。


「指輪を私が持てば花嫁は私になるわ!そうすればイシリスに進言してあげる」

「……いいだろう」


 むっつりと了承したブラコスタに冗談じゃないと睨みつけたけれど、鼻を鳴らしていなされた。


「指輪を探せ」


 立ち上がって壁際に逃げようとしたけれど、男の一人に易々と捕まえられて両手を後ろで拘束された。


「離せ!」


 別の男がズボンのポケットをまさぐるのを身を捩じって抵抗する。

 男がポケットから取り出したのは、ルキアージュに渡すために作ったブレスレットだった。


「何よこれ」


 男からブレスレットを受け取ったニニーカがしげしげとそれを眺める。


「いらないわよ、こんなもの」


 言うなりニニーカがポイと窓の外へとブレスレットを放り投げた。

 あっけなく海へと落ちていくルキアージュへのプレゼントに、尚里は目を見張った。

 そしてハッと我に返る。

 首のネックレスに気付いた男が、それを奪い取ったのだ。


「返せ!」


 それはルキアージュが尚里を想って渡してくれたものだ。


「お前のものじゃないわ!」


 ニニーカがピシャリと言い放つ。

 そしてぞんざいに鎖を放り捨てると、指輪を自分の白い指へとくぐらせた。


「うふふ、美しい光」

「さて、じゃあ花嫁、いや違うか。お前の処分だな」


 ちらりと興味がなさそうにブラコスタが尚里を見た。


「やはり殺した方が面倒がなくていいか」


 ブラコスタの言い分に、やっぱりかと思う。

 古今東西、こういった輩が大人しく帰してくれるわけがない。

 尚里が拘束されたまま身構えた時だ。

 バンと古ぼけた部屋の扉がけたたましく開いた。


「な、なんだ!」


 ブラコスタが慌ててそちらを見ると、そこには。


「ルキ……」


 ルキアージュを先頭に、軍服を着た男達が十人ほど現れた。

 その中にはフルメルスタもいる。


「ブラコスタ、ニニーカ・ランデルン。花嫁誘拐の罪で拘束する」


 凛とした言葉が石壁に響く。

 ブラコスタがバッと腕を上げると、男達が一斉に炎の矢を打はなった。


「ルキ!」


 思わず叫ぶけれど、ルキアージュは手すら動かさずにそれらを無数の水の矢が叩き落とす。

それを合図に軍人達が男達へと攻撃を仕掛けた。

人数以上に、軍人達の方が圧倒的に攻撃が強くすぐに男達は次々拘束されていく。

尚里を拘束していた男も、フルメルスタによって昏倒させられた。

あとにはブラコスタとニニーカ以外で自由の身の人間はいなかった。


「どうしてここが……!」


 呻くようなブラコスタの声。


「尚里の気配なら、わかります」


コツコツと表情の抜け落ちた顔で二人の前進み出たルキアージュに、ニニーカはすがるような媚びるような笑みを浮かべた。


「花嫁は私です。この指輪は私にこそふさわしいのです!」

「よく見てみるんだな」


 指輪を嵌めている手を差し出していたニニーカが、ルキアージュの言葉にそれへ目を落とす。


「何よこれ!」


 そこには青い輝きはなく、黒ずみただのその辺の石とかわらない色になっている、トゥルクロイドであるはずのものがあった。


「偽物だったのっ?」


 キッと睨みつけられたけれど、尚里も驚きで言葉もなかった。

 間違いなくあれは本物のトゥルクロイドの指輪なはずだ。


「花嫁ではないというだけだ」


 ルキアージュの言葉にニニーカはキリリと眉を吊り上げた。


「こんなもの!」


 窓の外。

 大海原へとニニーカが指輪を投げつけた。


「あ!」


(ルキの大事な指輪!)


思った時には走り出し、窓から身を乗り出して指輪を掴んだ。

ホッとした瞬間、体がぐらりと傾いで窓の外へと体が落ちていく。

 せめて指輪を離すまいと、海面に叩きつけられる衝撃に備えて両手でトゥルクロイドを握りしめた。


「尚里!」


 ルキアージュの声が響いた。

 その瞬間、あわや海面に到達するというところでザバリと音を立てて海が割れた。

 まるでモーゼの十戒のようだ。

 さらに下から押し上げられるように風が吹き、体を持ち上げられる。


「スゴイ……」


 パチクリと目を丸くしたまま窓辺まで風に運ばれると、腕をぐいと強く引っ張られた。

 室内に引き込まれた瞬間、ルキアージュに痛いくらいに抱きしめられた。

 その大きな体は、尚里の気のせいでなければ微かに震えている。

 それを安心させるように、尚里は明るい声をかけた。


「大丈夫、指輪無事だよ!大事なものだろ」

「ッ大事なのは!大切なのはあなただ!」


 大きな声で言われて、尚里はキョトリとその剣幕に目を丸くした。


「結婚が嫌ならしなくていい。ただ、いなくならないで、傷つかないでください」

「ごめん……心配させたんだな」

「当たり前です」


抱きしめてくるルキアージュの背中を宥めるように左手でぽんぽんと叩くと、ようやく腕の力が緩まった。


「ありがとう」


 指輪も無事だと示すように指輪を握りしめていた右手を開く。


「あれ?」


 そこには青いマリンブルーの輝きを取り戻したトゥルクロイドがあった。


「あ、ああ……何で!」


 バヂンッ!

 指輪を見てニニーカが叫んだ瞬間、炎が彼女の長い髪を焼き切った。

 手入れされていただろう長い赤毛が、潮風に乗って海へと落ちていく。

 指輪を投げ捨てたときに拘束されていた彼女は、そのままずるりとその場にへたりこんでしまった。


「貴様には追って沙汰を申す。楽な刑になると思うな」


 それを見ていたブラコスタは、まるでへりくだるようにルキアージュへ冷や汗をかきながら笑顔を見せた。

 彼もニニーカ同様に拘束されている。


「私はそそのかされただけなのです。私は王太子に、ゆくゆくは王になる男です。おわかりでしょう?」


 勝手な言い分だ。

 尚里が不愉快そうに顔を顰めたのとは反対にルキアージュは口元に笑みを浮かべた。

 その表情にブラコスタが安堵するように息を吐いた。


「第一王子ブラコスタからは継承権を剥奪する」

「なっ!」


 一気にブラコスタの顔から血の気が引いた。

「王太子は第二王子ピルケットとする。明日にも各方面へ通達を」

ルキの言葉にフルメルスタが短く返事をした。


「バカな!何故です!」


 驚愕に顔をゆがめるブラコスタを見やり、ルキアージュが冷たく言い放った。


「私の花嫁に手を出した。ブンブンと飛んでいるのには無視をしてやったが、それが間違いだった。お前にも沙汰は後で申し渡す。連れて行け」

「わ、わああああ!」


 ブラコスタは放心しているニニーカと共にフルメルスタ達に引きずって行かれた。

 そちらを呆然と見ていると。


「我々も行きましょう」


 背中を押され、ルキアージュと共にその場を後にした。

王城に戻ると、額にガーゼを当てたアーリンが出迎えてくれたことに尚里は安堵した。

リーヤには持ち場を離れたことを深く謝罪されたけれど、もとはと言えばそうしてほしいと頼んだのは尚里だ。

気にするなと言えば、双子は深々と頭を下げた。

同様に出迎えてくれたピルケットが、後始末は自分がすると申し出たのをルキアージュが頷いている。

それを見ていたら、ピルケットにパチリとウインクされて、それに気づいたルキアージュの背中に隠されたのには、思わず笑ってしまった。

とりあえず埃っぽくて仕方がなかったのでお風呂に入りましょうと言われ、そうすることにしたのだけれど。


「さ、尚里様。髪を洗ってお手入れしますよ。潮風で痛んでしまいますからね」

「怪我してるんだからゆっくりしてていいよ」


 アーリンがはりきって風呂の準備をするのに、尚里が慌てて止める。

けれど。


「尚里様のお世話は僕の仕事ですから!」


 キリッとした顔で言い切られてしまった。

 実際、傷は浅いらしいのでその言葉を信じることにして、大人しく髪の手入れをされた。


「あのさ、その」

「どうしました?尚里様」


 湯舟に浸かって、アーリンが浴室を出て行こうとして振り返る。


「……相談があるんだけど……」


 おずおずとその内容を言えば、アーリンは目を輝かせて協力してくれた。

 協力的すぎて尚里が引いてしまいそうになったのは秘密だ。

 入浴を終えてソファーに座っていると、ルキアージュが来たことをアーリンに告げられた。

 それにドキリとしながら待っていると、ルキアージュが室内へと現れる。

 アーリンはそれを確認すると頭を下げて部屋を出て行った。


「落ち着きましたか?」

「……うん」


 お互いに気まずげに口ごもってしまう。

 尚里は手の中に持っていた指輪を一度ぎゅっと握りしめると、ソファーから立ち上がった。


「これ……」


ルキアージュに差し出した指輪に、彼は傷ついたように眉を下げた。


「私を拒絶しますか?」

「ごめん」

「ッ」


 まるですがるように、指輪を持っている手首を掴まれた。

 少し痛いそれが、ルキアージュの尚里に対する想いを体現しているようだと思ってしまう。


「あの……俺、自信がなくて、花嫁って言われてもピンとこなくて、それなのにこれを受け取ったの、後悔してる」

「強引、でしたからね」


 自重めいた笑みがルキアージュの綺麗な顔に浮かぶ。


「尚里、私は」

「俺!これを返すよ」


 ぎゅっと握られている手首が痛んだ。

 彼からの執着。

 尚里は柔らかく微笑んだ。


「それでもう一回渡してほしい。ちゃんと今度は受け取るから、花嫁として」

「尚里……」


 ルキアージュが驚いたように目を見開いた。

 じわじわと尚里の言葉が沁み込んだように、笑みを浮かべそれが深くなっていく。

 尚里の促すままに手首を離して指輪をそっと取ると、ルキアージュは尚里の左手を優しく持ち上げた。

 片膝をついてするりと薬指に指輪が吸い付くように嵌められる。


「結婚してください、私の花嫁」


 柔らかい唇がその手の甲に押し当てられる。


「喜んで」


 尚里が満干の想いで答えると、ルキアージュはその左手の甲に額を押し当てた。


「本当は俺も渡したいものあったんだけど」

「渡したいもの?」


 立ち上がり、ことりとルキアージュが首を傾げる。


「誕生日プレゼントにブレスレットを作ってたんだけど、海に捨てられたんだ」


 途端にルキアージュの唇がへの字に曲がった。


「残念です。とても欲しかった」

「うん、いや、だから、えっと……」


しどろもどろに尚里が視線を彷徨わせ始めると、ルキアージュが不思議そうに名前を呼んでくる。


(ええい、男は度胸!)


 ズボンのポケットからごそりと黒いリボンを取り出した。

 不思議そうにしているルキアージュから目線を逸らしつつ、左手首にそれを結ぶ。


「リボンかけるから……受け取ってくれるか?」

「尚里……ッ!」


 瞬間、抱きしめられた。

 顔が近づくと、何度も唇を啄まれる。


「何よりも嬉しいプレゼントです」


 ルキアージュの感極まった言葉に、尚里は頬が赤くなるのを感じた。

 新しいプレゼントを考えた時に、自分でもどうかと思ったけれど心だけでなく体も彼に差し出そうと自然に思ったのだ。

 自分から誘うなんてと思ったけれど、そこは腹をくくって内心恥ずかしさで憤死しながら頑張った。


「ん……」


 何度も角度を変えて口づけられる。

 唇が離された時に、尚里は以前噛んでしまった場所にそっと舌を這わせた。


「もう、痛くない?」

「平気ですよ」


 くすりと笑うルキアージュがまるでお返しとばかりに唇に舌を這わせる。

 その感触に尚里の唇がほころぶと、ぬるりと舌が入り込んだ。


「う、ふ」


 鼻から抜ける声に、自分のものなのに恥ずかしさでどうにかなりそうだ。

 ルキアージュの手が風呂上りの温かな肌を求めるように服の下から入り込んできた。


「あ、やっ」


 脇腹を撫で上げられ、そのまま胸に辿り着いた褐色の指が服の下で蠢く。


「ベッド、いきたい」


 ここでなんて恥ずかしすぎるし、正直もう立っていられない。

 口づけの合間になんとか伝えると、ひょいと抱き上げられた。


「仰せの通りに」


 抱き上げられるのは初めてではないけれど、今からのことを思うと顔を見るのが恥ずかしい。

ルキアージュの首に腕を回して肩口に顔を埋めると、彼が吐息で笑ったのがわかった。



※15話は性描写のあるシーンになりますので非公開となります。

続きは16話からどうぞ。

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