第5話

「マナを使える人が多い国なんだよね」


 わかりやすく話題を変えると、ルキアージュがええと頷き話題にのってくれたからほっとしてしまった。


「フルメルスタは風、それと火のマナを使えます」

「うん、吃驚した」


 昨日見たばかりの炎のマナを思い出し、物騒だったなと一瞬遠い目をしてしまう。


「マナが使える子供は基本的には各地の神殿に引き取られて制御を学びます」

「みんな親と離れるの?」

「ええ、会いたいときに会えますし、十三歳になったら家に帰ります。といっても軍に入隊したり神殿で働く事を選ぶ者が多いですけれど」

「十三でっ?」


 思わず声を上げて驚くと、そのままテーブルの足を蹴ってしまい。


「あっつ!」

「尚里!」


 その衝撃でカップが倒れて、入っていた紅茶が尚里の右太ももに零れた。

 履いていた茶色いズボンが張り付いて、熱さが太ももに広がっていく。

 あまりの熱さに立ち上がろうとしたのと抱き上げられたのは同時だった。


「フルメルスタ!」


 尚里を抱き上げたルキアージュが声を上げると一瞬でフルメルスタが扉を開ける。

 その扉を、尚里を抱き上げたままルキアージュが飛び出した。


「薬をお持ちします!」


 尚里は目を白黒させているあいだに、ルキアージュがフルメルスタの言葉にひとつ頷いて浴室へと運んでいく。


「あ、あの!一人で平気だから」

「ダメです」


 言うが早いが、尚里が抵抗するまもなく、濡れたズボンをサッと脱がせられた。

 ついでに靴もズボンを脱がせるのに邪魔だったので最初に取られてしまった。

 濡れた熱い布が張り付かなくなったのは助かったけれど、あまりの出来事にうわーっと声を上げてしまう。

 けれどルキアージュはその場に跪くと、右手を赤くなった尚里の太ももにかざした。

 すると、ぷくぷくとその場に水の塊が現れて、太ももを包み込んだ。

 一気に太ももの熱が冷えて消えていく。


「これもマナ?」


 思わず尚里は自分の太ももを包んでいる水の塊をじっと見つめる。


「ええ、私は風、水、火、土のマナが使えます。痛みは?」

「ない、大丈夫」


 そんなに使えるのかと関心していると、ルキアージュは手をかざすのをやめた。

 水の塊がそれに合わせてぱしゃんと消える。

 あとにはうっすらと赤い部分のある濡れた太ももがあるだけだ。


「よかった」

「わああっ」


 心底安堵したというようにルキアージュは呟くと、するりと尚里の右足首を取り、唇を足の甲へと落とした。

 浴室内に尚里のまぬけな悲鳴がこだまする。


「なにして!汚い」

「汚くなんてありません。あなたの体ならどこにだって口づけて舌を這わせることができます」


 あまりにもあけすけな言葉にボンッと瞬間湯沸かし器のように、尚里は耳まで赤くなった。

 そのまま足の甲から唇を離したのでほっとした瞬間、カリと親指の爪に歯を立てられる。


「わああああ!」


 さらなる悲鳴を上げて、ルキアージュが解放した足を自分の方へと引き寄せる。

 なんだなんだ、なにが起きてるとパニックになっていると。


「イシリス、軟膏です」


 フルメルスタが脱衣所の方から扉を細く開けて、腕だけをにゅっと伸ばしてきた。

 そのゴツゴツとした手には白く丸いケースが乗せられている。


「ごくろう」


 ルキアージュが薬を手に取ると、フルメルスタはサッと腕を引っ込めて扉をぴっちりと閉めてしまった。


「普通に扉開ければいいのに」


 不自然な薬の渡し方に思わず呟けば、当たり前のような顔をルキアージュが浮かべていた。


「花嫁の肌をみだりに見ませんよ」

「男だけど」

「男でも、です」


 そういうものなのだろうかと不思議に思っていると、ルキアージュが軟膏の蓋を開けてとろりとした白いクリームを指にとった。


「じ、じぶんで出来る」


 まさか塗る気なのかと驚いていると。


「してさしあげます」


 とてもいい笑顔で言われてしまった。

 いやいやいや、と断ろうとする間もなく再び足を取られてしまった。

 ひやりとした冷たいクリームが尚里の太ももに乗せられて、ぴくりと一瞬体が震えた。

 乗せたクリームを指先で伸ばして赤くなっているところに刷り込んでいくルキアージュに、なんだか恥ずかしくてもじもじとしてしまう。

 丁寧に塗り込むルキアージュがようやく指を足から離したことに、尚里はほっとした。

 したのだけれど。


「ひゃあ!」


 ちゅっとそのまま膝頭へ唇を落とされた。

 ぱくぱくと口を真っ赤な顔で動かしているあいだにルキアージュは立ち上がり。


「着替えを置いておきます」


 にこりと笑って尚里の濡れたズボンを片手に浴室を出ていってしまった。


「文句言い損ねた……」


 あーもう、と右頬に手の甲を当てると紅潮しているせいで熱くなっている。

とりあえず自分が下半身は下着一枚というまぬけな姿なのだったと気づいて、尚里ははあとひとつ嘆息して浴室から脱衣所へと出た。

焦げ茶色の籠が置いてあり、その中に入っているタオル地の白い布を取り出すと、それはホテル備え付けだろうバスローブだった。

火傷したばかりで肌と布が擦れるのはよくないという配慮だろうか。

それを着ようとして上に着ているトップスは脱ぐかどうか悩んで脱いだ。

バスローブの下に着ているのはおかしいだろう。

ここに置かせてもらおうと畳んで籠の中に入れると、尚里はそっとドアを開けて元の部屋に戻った。

テーブルセットの上にあった食器などは片付けられている。

ルキアージュが座っているソファーの方へと手招いた。


「痛みはありませんか?」

「平気」


 立ちっぱなしでいるわけにもいかないので、それにうながされるままにソファーに近づく。


「わっ」


 ソファーに腰かけながら、ルキアージュが尚里の腕を引いた。

 ぐらりとバランスを崩して、ソファーに座ったルキアージュの膝に尻を乗せてしまう。

 慌てて立ち上がろうとしたけれど、ガッチリと腰に手をまわされてしまった。

 ルキアージュの膝に横向きに座った尚里のバスローブがはだけて、先ほど軟膏をぬった場所がチラリと見える。


「痕にならなくてよかったです」

「いや男だし」


 それよりもこの体勢の方が問題だ。


「綺麗な象牙色の肌が勿体ない」


 そんなことを言われてしまえば、慌てて足をピッタリ閉じてはだけていたバスローブの裾を直した。

 少し目線の近くなったルキアージュが喉の奥でクツクツと笑う。

 降りようとしたが、腰に回った腕は離してくれる気もなさそうだ。

 本日何度目かの溜息が出そうになって、目の前の銀髪をしげしげと眺めた。


「アルバナハルはみんな赤毛だって言ったよな」

「ええ、私以外は。外国人と婚姻しても大体赤毛になります」

「わー……強い遺伝子。肌もそんな色?」


 滑らかな褐色肌をしげしげと至近距離で眺めると青い瞳が優しくたわむ。


「そうですね」

「へえ、そういう肌ってチョコレートスキンとも言うらしいよ。美味しそうだよな」


 素直な感想を口にすると。


「舐めてみます?」


 とんでもなく蠱惑的な流し目を送られた。


「しない!」

「ふふ、残念」


 肌や髪のことを聞いて、そういえば自分はアルバナハルのことは黒崎の言葉と少しの写真でしか知らないなと、改めて尚里は思った。


「アルバナハル、綺麗な所なんだよな」

「ええ、美しいところですよ。来てほしい、そして」


 ついと長い指が頬を撫ぜた。


「結婚してほしい」


 ぎくりと尚里は背中をこわばらせた。

 この少しのあいだでルキアージュが悪い人間ではないというのは理解しているが、それとこれとでは話が違う。


「けっ……こんとか、言われても」

「急ぎ過ぎましたね」


 ぎこちなく口を開くと、苦笑を浮かべてルキアージュがが指を離れさせた。

 それに小さくほっとする。


「でも旅行には来てくれませんか?店主に聞きました、店を畳むと」

「う……でも」


 魅惑的な誘いではあった。

 黒崎の熱狂によりアルバナハル語が堪能なのだ。

 興味がないわけではない。

 黒崎同様に写真を見て行ってみたいとは密かに思っていた尚里だ。


「お金が……」

「必要ありません。身ひとつでどうぞ」

「それはどうになんだ」


 あまりの破格な待遇に思わず半眼になってしまう。

 ルキアージュは唇に微笑みを浮かべて、瞳をしんなりとさせた。


「来てくれるだけで昇天してしまうほど嬉しいですよ」


 思わず小さく噴き出してしまった。


「大げさだな」


 くすくすと、お互いに二人は笑いあっていた。

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【BL】突然の花嫁宣告を受け溺愛されました やらぎはら響 @yaragi

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