第12話 生きて

数年前、Nさんは付き合っていた彼女を病気で失った。


とても大切に想っていた人がいなくなった喪失感は大きく…


心を病んでしまっていた。


彼女と付き合い始めた頃の甘い思い出。


闘病する彼女と共に過ごした哀しくて愛おしい思い出。


何をしていても彼女のことが頭をよぎって涙が出てしまう。


お酒を飲む量も増えてしまっていた。



ある夜、Nさんはお酒をしこたま飲んで酔っ払っていた。


彼女と撮った写真をスマホで見て思い出に浸っていた。


(逢いたいなぁ…)という気持ちが強まってくる。


ふと良くない考えが頭の中をよぎった。


(俺が死んだら、また彼女に逢えるのかな…)


最初はそんな気はなかったのが、思考を反芻する内にどんどん考えが悪い方向に行ってしまった。


ネクタイをドアノブに引っ掛けて首を吊ろうと思いついた。



くくり付けたネクタイの輪っかの部分に首を入れてみた。


身長より低い位置での首吊りなので、足をつけたまま徐々に首に圧力がかかる感覚。


(このまま意識が落ちれば、本当に死んでしまいそうだな…)と思った。


しかしその時、部屋の中…ベランダの窓のカーテン前に誰かがいる気配がした。


急に意識がハッキリして、Nさんはなんとか立ち上がりネクタイを首から外した。


カーテンの前に立つ後ろ姿は、他でもない彼女のものだった。



Nさんが名前を呼びながら彼女に歩み寄ろうとするとスッと彼女の姿は消えた。


カーテンの近くに行くと、ひどく懐かしい感じがした。


彼女がまだ元気な頃につけていた香水の匂いが辺りに漂っていたのだ。


何かを感じたNさんはカーテンを開けた。


すると水滴で曇った窓ガラスに『生きて』と書かれていた。


Nさんはその場にへたり込んで彼女を想いながら「ごめん」と手を合わせた。



生前、頼み事やお願いをする事があまりない彼女だった。


その彼女がNさんの事を想い「生きて」というメッセージを残した。


そんなお願い事を、無下にできるはずがなかった。


もう二度と死のうなどと馬鹿なことは考えまいと、そうNさんは胸に誓った。

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しみじみ怪談 ポテにゃん @potenyan12

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