夏の終わりに魔女の一撃を喰らったおばさんは最後にSFの夢を見る

スーパーちょぼ:インフィニタス♾

叔母さんの手記

 歴史改変SFなるものをカケルが初めて認識したのはついこの間のことだった。


 なんでもスチームパンクのスチームは蒸気機関のことであるらしいとか、サイバーパンクのパンクには何か権力や構造に反発するような意味あいがあったりなかったりするらしいとか。

 どこかに歴史の分岐点がある以上はたとえifの世界であっても現実の地球に即した物理法則の延長にあるのだろうし、そうでなければ魔法やファンタジーの世界ということになるのだろうか。

 それにしたって何で19世紀のイギリス? あ、産業革命とか、そういうこと? しかしノスタルジックな感じと最先端科学の融合した感じといわれても――。


 カケルはおばさんの手記を開くや指で辿るように読み耽っていたが、不意に手を止めると俯いてしまった。こんなんでSF書けるんだろうか。


 SF好きとミステリ好きにはびっくりするくらい優しい人がしばしばいると思っていた読み専カケルであるので、元来自分にはSFを書き上げる器の広さも体力も持ち合わせていないだろうことは薄々気づいていた。


 大体彼らの思考は尋常じゃなく枠が広いのだ。

 社会だのコミュニティだの。たいていの人は自分のことで精一杯なのに、自分以外の人間の過去や未来にまで思いを馳せようというのだから、一体どういうわけだろう?

 根本的に優しい人が多いというか、苦労人が多いのだろうか。それにしたってSF、いったいサブジャンルいくつあるんだよ。


 やってられるか、とおばさんの手記を放り投げようとして、カケルは不意に思いとどまる。

 別に己の器の小ささに嫌気がさしたからでも良心の呵責を感じたからでもなかった。


 ただ手記を天高く掲げた拍子に、クシャクシャの紙切れがはらりと一枚、カケルの足元に落ちたからだった。




   ◇




8月某日


最近妙に気になっている映画がある。


実を言えばずっと前から存在自体は知っていた。


いつかアニメ映画を制作していた頃の現場の上司、

自他共に認める熟女好きのデスク、

Mr.ハマダさんから突然メールが来たことがあったから。


『今度マ・キハラさん、映画監督になるんだって』


とうの昔に夢ごと捨て去った世界なんだけれど。

都落ちしておいて何をいまさらとは思ったんだけれど。

昔お世話になったアニメーターさんが出世したという知らせは純粋に嬉しかった。


当時は新進気鋭の若手という立場だったけれど、技術も才能もあり、努力家で、何より仕事が早かった。


いつか私の力不足と時間の無さでろくな作画参考資料を用意出来なかった時でさえ、文句も言わずに足りないところは自分で補ってくれたうえ、翌日には想像を遥かに上回る原画が上がっていたときには驚いたものだ。


作画参考や設定資料が無いことを言い訳にあれこれ文句をつけたり期限を守らなかったりする人もいる中、こんなに誠実なアニメーターがいるのかと。


散々お世話になったのにろくに挨拶もせずに去ってしまったことは未だに後悔している。

しかし秘密を抱えて去った以上、

いまさら誰かと打ち解けて話すような真似も出来ないことはわかっている。


件のハマダさんは転職して台湾へ行くことになったと言っていたし、

私も私で、プロデューサーとスレンダー美女とサイコパスチックな幼馴染対策で携帯番号もメールアドレスも変えてしまって、それからは連絡していない。


なにしろ私の秘密は作り話としてこそ公の場に出せるが、

ノンフィクションとして発表したら最後。

見つかり次第、誰かの夢を壊す告発者として握りつぶされるか、あるいは裁判で名誉毀損で訴えられるか。そんなとこだろう。


確固たる証拠が無い以上、私にとっての真実の話は世間にとってはフィクションであるかもしれない。


そんな私がいまさらアニメ映画を観たところで一体何が言える?


長い間、そう思っていた。



それでも――


ふとあの映画のタイトルが頭を過ぎって我に返る。

ほんとうにこれでいいんだろうか?

他人事のように眺める自分がいた。


あれ以来、私の心の一部はずっと時が止まったままなのではないか?

そう思うたび、しきりにあの映画のタイトルが頭を過ぎる。そろそろ潮時なのではないか?


誰かに夢を見せたくて、

誰かを感動させたくて飛び込んだ世界。

数々の思い出。

いい加減、すべて手放すときが来たのではないか?

夢を見ることさえも――。


どうしてこんなに感傷的になるのだろうと自分でも思う。

愛猫二匹を立て続けに亡くして滅入っていたのかもしれないし、

ぎっくり腰で久々に臥せっていたからかもしれない。


元々は冒険大好きだったはずなのに、

ここ十年ちょっと、

やれ疲れただの腰が痛いだの、

私は一体、何をしていたのだろう?


あの子たちが虹の橋を渡ったことは理解しているが、どうにも心が追いつかない。

ずっと一緒にいることなど出来ないし、

命の長短に良いも悪いもない。

いずれ私にも訪れることだと。

そんなことは分かっている。

どれだけ込めたか――。

そういうものなんだと。


でも。


悲しみはどこへ?

怒りも抱かずにどこへ?

わからない。

わからない。

ああ、最近どうにも無感動になっている。


 

  ◇



 おばさんにしては珍しく、最後のほうなど少し支離滅裂な文章だなとカケルは思った。


 うっかり人の日記を呼んでしまった僅かな罪悪感を抱きつつ、やっぱり元に戻しておこうかな、なんて思いながらカケルが手記を開くと、終わりだとばかり思っていた日記の最後のページに何やら二行だけ走り書きがあった。


 判読不明なほど薄い線は微かに震えて、よく見れば何か零れた跡なのか、乾燥して細かいシワが寄っている。しかもそこらじゅうに。



――誰かがそこにいてくれてよかった。


――おかえり、フライデー。



 不意に何処かでおばさんの感極まった『ええやん』が聞こえた気がして、カケルはなんだか嬉しくなった。いつも意味がわからないのは相変わらずだな。


「原作とかあるのかな」


 カケルが次読む本の算段を立てていると、不意にいつかのおばさんの嬉しそうな笑顔が過った。


『多少命を削ってでもいいから、誰かを感動させたいって思ったんだよ』


 どうしてアニメーターになりたかったのかというカケルの素朴な疑問に答えるおばさんは、まるで長らく埋もれていたタイムカプセルを見つけ出したときのように、いつになく、晴れ晴れとした顔をしていた。



(了)

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