第5話 よせ。(俺の)無駄な血を見たくない



 「よせ。(俺の)無駄な血を見たくない」


 掌を向けて、冷静さを取り戻させようと努力する。

 落ち着け、ガキにぶっ飛ばされる程度の護衛くん。


 こんなところで、俺が血だらけになって倒れ伏す姿を見たいのか?

 止めとけ。


 どちらにもメリットはないぞ。


「ちっ! その上から目線がうっとうしいってんだよ!!」


 スラリと抜かれる小剣。

 ひぇぇぇ!


 なんだこいつ!?

 どういう思考回路をしていれば、領主であり貴族に剣を向けることができるのだろうか?


 もしかして、マルセルが何とかしてくれるとでも思っているのだろうか?

 いや、さすがに領主の弟でも、領主を傷つけたことの罪を消し去ることはできないぞ!?


 だいたい、俺が傷つけられて黙っているとでも思っているのか?

 めちゃくちゃ騒ぎ立ててやる。


 そして、処刑だ。


「あんたが領主をしているより、マルセル様の方がよっぽど楽しいぜ。俺たちは生きやすいしな」


 ヘラヘラと笑う。

 こいつ、マジで知能がゴブリンレベルか?


「それに、あんたのとこのメイドは随分と美人らしいじゃねえか。あんたを殺せば、俺たちのものになるってわけだ」


 好色混じりの目を、ナナシとアシュヴィンに向ける男たち。

 ならねえよ。


 別にそんなことしなくても、あげるぞ。

 ほら、ナナシ。


 新しいご主人様だよ。


『金のない奴に嘘でも仕えることはできません、マイスウィートご主人様』


 止めろ。


「さあ、行くぜ。構えなくていいのか!?」


 もうやる気満々である。

 あかん!


 ナナシ、肉盾の準備だ!


『そんな準備はございません』


 う、裏切られた!

 いざというときの盾が、手元にない。


 そして、俺は武器を持っていない。

 これはダメみたいですね……。


 ぐえええええええ!!

 迫りくる男たちに対して、俺は悲鳴を上げようとして……。


「――――――それ以上はダメですわ」


 冷たい声が響いた。










 ◆



 男の名は、ヨルダといった。

 マルセルの護衛として雇われたごろつきである。


 そして、自分自身でごろつきという自覚はあった。

 なにせ、いい育ちをしているわけでもなんでもない。


 今まで生きてきたことだって、誰かから何かを奪うという方法だ。

 だからこそ、荒事ということには慣れていた。


 恐怖を感じることにも鈍感だ。

 恐怖は身体を固くさせて思い通りに動かなくさせる。


 それを麻痺させることで、ヨルダは生きやすいように身体が勝手に反応させているのだろう。

 それゆえに、彼は領主であるバロールに刃を向けることができた。


 常人であれば、このようなことは絶対にしない。

 いくらバロールが他の領主たちよりも優しいとはいえ、貴族に剣を向ければ、当然待っているのは死である。


 自分だけではない。

 一族郎党皆殺しにされても、何ら不思議ではない。


 つまるところ、ヨルダはバロールを舐めていた。

 彼なら、たとえ刃を向けてもそれほどのことはしないと、高をくくっていた。


 いわば、甘えていたのである。

 これほどのことを仕出かしても、自分は絶対に殺されることはない。


 あの甘ちゃんのバロールなのだから、ありえない。

 なら、ちょっと偉い人を脅すくらい、いいじゃないか。


 そうすれば、自分はちょっとした有名人になる。

 荒くれものたちが集まるマルセルの集団の中でも、一目置かれるようになるだろう。


 そんな理由で、ヨルダはバロールに剣を向けた。


「ダメですわよ、そんなことを軽々しくしたら」


 そして、その判断を、ヨルダは心の底から後悔することになる。

 今まで、何をしても過去を振り返らず、後悔なんてしたことのない彼が、人生で初めて。


 その理由は、まさしく目の前に立って微笑むメイド――――アシュヴィンであった。

 長い銀色の髪に、青い瞳。


 そして、異民族を象徴する褐色の肌。

 異民族に対する嫌悪感や差別意識は、このアポフィス領でも存在するが、アシュヴィンはバロールに仕えるメイドだから、特別に悪い目を向けられていないというのは余談である。


 ヨルダも差別意識がないわけではないが、エプロンドレスの上からでも分かる豊満な肢体があれば、異民族などは関係が一切なくなる男だった。

 彼女と、一切関与しようとしないナナシがいるからこそ、格好つけて領主にたてついたということもある。


「この方をどなたと心得ておりますの? バロール・アポフィス。この世界に二人といない、至高の御方なんですわよ?」


 だが、この女はなんだ?

 メイドで、女だ。


 自分よりも力がないのは当然であり、自分の欲望のはけ口でしかないはずだ。

 それなのに、こちらを見る彼女の目は、無機質。


 自分を映しているようで、一切眼中にない。

 人間と……対等の存在として見ていない。


【物】だ。

 人ではなく、ただ不快な物としか認識されていない。


 それが、どれほど恐ろしいことか。

 他人から、人間ではなく、何か別の物体だとしか認識されないことは、ヨルダだけでなく人間という生物が我慢できないことである。


「あなたみたいなそこら中にいる有象無象とは、格が違いますの。だから……」


 アシュヴィンはそっとヨルダに近づき、耳元で冷たくささやいた。


 ――――――そんなもの、早く捨ててくださいまし。


「あ、ひ……っ!?」


 脅されたわけではない。

 言葉だけを見ると、それは懇願ともとれる。


 つまり、アシュヴィンよりもヨルダが上位の立ち位置にいることは明白である。

 実際、アシュヴィンの言葉をうまく聞き取れなかった野次馬たちは、なおヨルダの優勢を信じて疑わない。


 心配そうに様子を窺っている。

 だが、違う。


 今、恐怖しているのは、冷たく微笑むアシュヴィンではない。

 ヨルダの方だった。


「ひいいいいいいいいいっ!!」


 恥も外聞もなく、ヨルダは背を向けて走った。

 周りを囲んでいた野次馬たちを突き飛ばし、ただアシュヴィンから離れたいがために走り続けた。


「おぉっ! さすがバロール様のメイドだ!」

「あいつらを追い返すなんて!」

「ありがとうございます!」


 野次馬たちが一斉に歓声を上げる。

 アシュヴィンとヨルダの会話を聞き取っていなければ、ただ武力を用いずに解決してみせたように見えるだろう。


 そして、同じくまったく聞いていなかったバロールも、目を白黒とさせているが……。


「さすが、バロール様ですわ。御威光に恐れおののき、荒くれものたちを追い払い、領民たちを救うとは。まさしく、貴族の鑑ですわ」

「よしてくれ。俺は何もしていないよ(ふふん、まあね? 俺くらいになると、威圧感が出ちゃうんだよなあ)」


 アシュヴィンに持ち上げられて、一瞬で気を良くするバロール。

 これほど扱いやすい領主もいない。


 まあ、彼ほど扱いづらい領主も存在しないのだが。

 面倒くさいのである。


「…………」

「……ふふっ」


 ただ、ナナシは別だった。

 じっと自分を見つめてくる彼女に、アシュヴィンは艶っぽく微笑むのであった。



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