異世界漁師〜魔物の出る海で魚を獲るのは大変よ〜

鰆の天竺

異世界漁師〜魔物の出る海で魚を獲るのは大変よ〜


空は青く、白い雲が風に乗って流されてゆく。青い海にはそれなりに大型の船が一艘浮かび、海流に流されて運行してゆく。その上では十人弱の男たちがあれやこれやと慌ただしく動いて漁をしていた。網を海から上げると大量の魚がかかっており、とれたて新鮮で活きが良いため中でピチピチとはねている。


「いやー大漁大漁、昨日の大時化のときはどうなるかと思ったが今回の漁も成功だな」 

「まだ帰りがあるだろ……陸に上がれるまではまだ十日以上あるんだから気ぃ抜くんじゃねぇぞ」

「分かってるって、ちょっとぐらいこの大漁に喜んでもいいじゃないか」

「そういうちょっとした瞬間にも――」


そうやって船員たちが会話しているとまた別の船員が「おい、あれ何だ?」と向こうの方の海を指さした。見れば海の中で黒い影が段々と船に近づいてきている。そうして船の直ぐ側までやってきて、その姿を見せた。形こそ人のようではあったが肌はイルカのようなゴム質で、指と指の間では水かきが発達しており、首にはエラを持っている。


「「「魚人だ!」」」


甲板に居た船員が皆一斉に叫んだ。船の上は狭く、海は相手のホーム。この世界の漁師の死因は大抵が魔族による襲撃だ。


『魔族接近!イルカ型の魚人!』


魚人が船へと乗り込み、船の中では警報が響く。漁師たちが船の居住区などに避難しようとしたその時だった。一本の銛が魚人のこめかみを貫く。船の上で暴れるまでもなく魚人は絶命した。


「全く、このレベルの魔族にいちいちビビる必要ねぇって。なんてったって俺がいるんだからなっ」


銛を投げ、魚人を斃した男が得意げにそう言うと、船員からは歓声が上がった。この男はグレッグ、船における魔族の撃退等から船を守ることを役割とする「防衛船員」である。


「お前ら無事かー?」

「「「「「無事だー!!」」」」」


コールアンドレスポンスによる簡単な安否確認を終えるとグレッグは意気揚々と魚人の頭に刺さった銛を鼻歌交じりに抜いてまた船の内側へと帰って行った。



 ――その日の夜。大量だったのもあって皆気分も上がり、今日の夕飯はいつもよりそれぞれの食器が慌ただしく動いてカチャカチャと音を立てていた。


「いやーあとは帰るだけだな」

「その帰るだけでも数日かかるがな!」

「そうなんだよなぁ……」

「もうちょっとこう……一日の移動距離伸ばせない?」

「んなこと出来てたら苦労してねぇよ」


この船は人間の魔力をエネルギー源とする魔導駆動機械マジック・ファンクションを動力としている関係上、一日の間に移動できる距離がそれほど長くない。魔力が大きな力を取り出せると言え、どこまでいっても一人の力なのだから。蒸気船などの内燃系を動力とする船も無いわけでもないが研究が進んでおらず燃費も悪く、そもそも燃料の値段も高い上に速度もそこまで出ないと来た。行き帰りにかかる時間が短くなるとはいえ彼らには手が出しにくい代物である。


「ま、俺等にはグレッグがいるからな、時間がかかろうとも陸には帰れるさ」

「そうだよな!」 

「いやーやっぱグレッグがいるのといないのとじゃ漁の安心感が大違いよ!」

「ワハハハハ!!そりゃそうだろう!おりゃあこの街で船を守ることに生まれてからこの方三十余年を費やしたんだからな!!」

「クゥ〜痺れるねぇ!心強えぇよ!どんな魔族もグレッグがいりゃ大丈夫だ!今までもそうだったもんな!」


その言葉を受けてグレッグの心は揺れた。古い記憶に居るあの目をした怪物が、脳裏に焼きつけられたままグレッグをただ見ている。


「いや、一匹だけ俺を打ち負かした化け物がいる……」


漁村に生まれ、幼少期から魔族を殺し船を守ることに人生を捧げてきたグレッグにとってその一度限りの敗北は記憶から消えることは無い。船よりもずっと厖大な巨躯をしたソイツの、直径一メートルぐらいあるようなその目を。海の中で瞼の隙間から俺をじっと見つめる翡翠色の美しい瞳を――


 十年程前の秋の漁だった。その時も大時化を乗り越えた先の大漁で、帰りの七日目だっただろうか。また大時化にかち合った。空はくろぐろとした雲に覆われて、波の高さに立っているだけでも精一杯なほどだった。その時俺はふと船の外を見た。見てしまった。海の中でぼんやりとこちらへ光を返すその目を。翡翠色の虹彩に囲まれた真っ黒な瞳孔に吸い込まれるような思いをした。そして俺は直感するんだ、『この大時化はこいつが悪いんだ』って。そう思ったから俺は真っ暗な海に飛び込んだ。暗くて姿は見えなかったが、それでもその厖大さは肌で感じられた。恐れた、慄いた。でも、逃げられなかった。俺は持ってる中で一番長い銛を取り出してとびきり鋭くなるように付与魔術エンチャントをした。眼の前で俺が殺す準備をしているというのにそれはただ悠々とそこに居た。俺をじっと見てそこで漂っていた。腹が立った。だから、その怒りをぶつけるように魔法で腕力と肩力を強化してソイツに向かって、翡翠色の瞳に向かって銛を思い切りぶん投げた。目から透明の体液を漏らしたソレは、突如動き始め、その余波でただでさえ高い波が荒ぶって船がひっくり返った。俺の負けだった。幸運なことにソレはどこかへと消えていった、俺は船員を水中で全員捕まえて海面まで引き上げてどうにか誰一人殺すことなく陸に上げることが出来たが、それ以来あの目が俺の中で俺をじっと見つめ続けている。


――――――気づけば皆食事を終えているほどに話し込んでしまっていた。


「グレッグにそんな過去が……」

「海にはとんでもねぇバケモンが居るんだな……クジラと同じぐらいのサイズの魔族なんて考えたくもない」

「それも居るだけで大時化、動けばほぼ津波と来た」


そんな話をしていると船がぐらりと大きく揺れる。大時化だ。


「おいおいまたかよ、ちょっと多くねぇか?」

「頻繁な大時化……まさか!」


その直感を理解する前に、気づけば駆け出した。万一船がひっくり返っても生き延びる確率を上げるために甲板に出る船員たちを抜き去って、真っ先に甲板に出ていた。船から身を乗り出していた。


「はは!やっぱり居たか!」


真っ暗な海に浮かぶ翡翠色の目。暗い海よりもずっと深い瞳孔。そしてまたすぐに直感した。お前だと。隻眼のくせして良くも今まで生き残っていたものだ。ハハハハハ!今日こそ殺してやるよ!


 グレッグはまた飛び込んだ。あの日のように、あの日に追われるように。


海の中はあの日と同じようにやっぱり暗かった。陽の光の無い、まるで深海のような暗さだ。お前はやっぱり今日も厖大で、やっぱり今日も蒙昧だ。片目を奪った俺を前にいまだ悠々と生きているのだから。今日は目だけで済むと思うなよ。お前の心臓を潰して、俺の中に浮かぶお前の目もぶっ潰してやるからな!!


 グレッグは銛を取り出した。因縁の君の目を潰したその日からあらゆる魔族の頭蓋を貫いて、貫いて、貫いて、貫いたその銛を。幾つもの魔族の脳漿を浴びたその銛を。


暗くても、俺とこいつは一心同体だもんでよく分かるんだ。お前の死に目にまみえたいのは俺もこいつも同じだからな。俺がお前に会いたかったと言えば真っ赤な嘘になる。だがこいつはお前にまみえる日を待っていた。心のなかで俺がそう在れと叫んだから!


 グレッグは銛を指でなぞり、付与エンチャントする。鋭く、鋭く、鋭く、気の遠くなるほど鋭く。あの日よりもずっと鋭く。


悲しいかな、俺も老いた。肉体的な能力はあの日よりも落ちて久しい。それでも、お前を穿つための銛はずっとずっとずっと研いできたのだよ。分子だか元素だか原子だか知らねぇけどよ。そんなものよりもずっと小さい一点を、そんなものを全部、一切の引っかかりなくかき分けてお前を穿つための銛を!


 グレッグは構える。やり投げと同じように、肩と腕と、持ちうるすべての筋力を持ってして最速を出すために。本来持たないはずの質量を与えられた魔力は複雑な形態の構築を経て人間を超えた力を出せるように筋肉を増強する。そうして銛を投げつけようとしたその時、突如として莫大な光量が海の上から降り注いでグレッグとソイツの姿を露わにした。


――海の上で、船員たちが漁に使う照明を点けたのだ。


「グレーーッグ!!!俺達の事は気にせずにそいつをぶっ殺せ!!!この船は意地でもひっくり返さないから!!――それと、間違っても俺等の下から消えるんじゃねぇぞ!!お前が居ないと俺等はきっと儚く散っちまうだけだから!!」


船員の一人がそう叫ぶ。当然言葉は海の中のグレッグには聞こえちゃいない。それでもグレッグはおおよそその意図を汲み、後ろの船員を忘れることにした。


 光で露わになったその姿を拝む。やはり人のような姿をしていた。四肢があり、頭があり、目鼻口が付いていた。しかし、頭頂部にはひだのように動くカサを持ち、まるで髪の毛のように細い触手をゆらゆらと流している。よく見れば手首足首の先からは指ではなくおびただしい数の幾つもの細い触手が伸びていた。クラゲ型の魚人だ。


その魚人はグレッグを見た。そして、思考を持たぬはずのクラゲが、その銛を見て以前自身の目を奪ったものであることが何故か分かった。クラゲは揺らめく髪のような触手を背中側に集め、束ね、絡ませ、編んだ。そうすると、虚無を伺うばかりだったクラゲの顔には表情が生まれた。


「ああ、ようやく俺を想ってくれるのか。ようやく俺を認識してくれるのか――魔族っていうのはどうにも美形が多いな。俺はきっとお前を憎んだわけでも、恨んだわけでもなく、きっとお前に恋したんだろうな。ずっと深い瞳孔と、ずっと美しい翡翠色に。それでもお前は魔族だから、俺は防衛船員だから、その役割を失わない恋の成就として――お前をぶち殺す!」


 グレッグが銛を投げる。量子の世界の鋭さをしたその銛は幾つもの水分子の影響も受けず、まるで真空中かのように高速で彼女の、人間で言う大脳のある辺りへと飛び込んで、そして進行方向の上にある彼女の構成要素すべてを貫いた。彼女の表情は歪み、痛みに悶える。それでも彼女は外付けの脳でものを知る蒙昧なクラゲだから、絶命には及ばなかった。


ははは!!そうじゃなきゃな!!俺の恋した女なら、そんなやわじゃあ困るんだ!!


 グレッグは泳ぎだした、魔力は肺中の二酸化炭素を無理やり酸素と炭素へと叩き割り、魔法で強化された肉体は超人的なスピードで銛を追う、計算された付与魔術は彼女を貫いてすぐに効力を失い、銛は海の中でふわり漂っていた。グレッグは銛を手に取って、もう一度付与をするも、今度はまるで剣を持つかのように構えた。


最後まで俺を想ってくれるように触手はいつまでも残すさ。


 神妙な面持ちでそう口を動かしたグレッグは彼女の方に接近して銛を振る。何よりも鋭い銛は彼女の右肩を切り落とした。だが、彼女もやられてばかりじゃない。帯状の魔法陣が現れ、端と端で繋がり筒状になる。そうして突然グレッグの右耳が消し飛ぶ。水を無限に圧縮したことによる水中での水鉄砲だ。まるで不可視であるが、魔法陣の向きから弾道予測は容易である。グレッグは避けて避けて、左足を切り落とす。透明な体液のゆらめきがグレッグの周りを覆う、それに触れたグレッグは血反吐を吐いた。彼女はクラゲだから、毒を持っていて当然だった。それでもグレッグは体にムチを打ち残りの手足も切り落として、彼女の心臓のある当たりに向かった。


「最後に、一つ言う」

「俺の前に現れてくれて、ありがとう」


そう口を動かして、グレッグは銛を彼女の心臓に突き立てる。栄養の交換を失い、組織化されてた触手も情報の交換を終えて脳としては死んだ。彼女の最期はどうしてだか、笑っているように見えてしまった――――――





――――――どこかの漁村に、船が帰ってきた。多くの魚と、巨大なクラゲの魚人の死体を牽いて帰ってきた。その夜に、その船の防衛戦員は陸からうんときれいな白い花を採って、海へと供える。彼の目から一滴の潮が、海へと還っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界漁師〜魔物の出る海で魚を獲るのは大変よ〜 鰆の天竺 @sawara_tenjiku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画