迎えに行くから

惣山沙樹

迎えに行くから

「終電逃した」


 弟のさとるからの連絡である。父でもなく母でもなく、俺に迎えを頼むのは、まあやましいことがあるからだろうというのは想像がついた。

 時刻はもうすぐで夜十二時になろうとしていた。俺は部屋着のTシャツとジャージのまま、リビングの壁にかけてある車の鍵を取って運転席に乗り込んだ。

 大学生になった悟は、サークル活動に熱心らしい。帰る時間は回を経るごとに遅くなり、とうとう終電に間に合わなかったというわけだ。

 悟がいる駅までは車で三十分。俺は自分のウォークマンを繋いで洋楽をかけはじめた。学生時代にハマったもので、社会人になった今でも通勤の時に聴いていた。


「兄貴、悪い悪い」


 伸びてプリン状態になった金髪。幾何学模様のシャツ。そんな派手な格好の悟。助手席に乗り込んでくると、むっとする臭いがした。


「悟、お前……酒飲んだな? あとタバコ」

「ははっ、やっぱりバレるよなぁ」

「だから俺に頼んできたのか……」

「父さんと母さんには内緒で頼むよ」


 小さい頃は可愛かったのに。五歳差の兄弟。両親によると、俺はそれはそれはお兄ちゃんぶって悟を構っていたらしい。それがいつの間にか背も越されて、余計なことを覚えてくるようになって。

 悟は俺のウォークマンを勝手にいじると文句を言ってきた。


「わかんない曲ばっかり。何これ?」

「俺が運転してるんだから俺に選曲の権利がある」

「はいはいっと」


 悟の顔はよく見ると真っ赤だ。このまま両親に鉢合わせるとバレバレだろうし、と思い俺は提案した。


「コンビニ寄ろう。水でも買ってやる」

「おやつは?」

「遠足じゃないんだからナシ」


 俺は広いコンビニを目指した。免許を取って何年も経つが、普段はそんなに運転しないので、駐車にあまり自信がないのである。


「悟……ほどほどにしろよ。前期の単位いくつか落としただろ。成績表、紙でうちに届くんだからな」

「ん……わかってるよぉ……」


 悟は助手席に深くもたれかかり、うつらうつらとしているようだった。さすがにこの時間、車の数は少ない。スムーズにコンビニまでたどり着くことができた。左右が空いていたから駐車もバッチリだ。


「着いたぞ」

「うう……ん……」

「はぁ……水買ってくるから待ってろ」


 エンジンをかけたまま水を買って戻ってくると、悟はシートベルトを外してだらりと手足を投げ出していた。俺は運転席に座り、ペットボトルを差し出した。


「おい、水」

「んん……」


 ダメだ。泥酔してやがる。酔いが多少醒めるまで、ここで時間を潰したほうがいいと判断、俺は悟のために買った水を一口飲んだ。


「兄貴ぃ……飲ませて」

「はい。んっ」


 俺はフタを開けたペットボトルを悟の口元に持って行った。


「じゃなくて、口移しがいい」

「はっ?」


 にゅっ、と悟が腕を伸ばしてきて、俺の身体を引き寄せてきた。酔っ払いのくせに物凄く強い力で。


「ちょっ、悟……」


 そして、唇を奪われた。俺はすぐに引き剥がそうとしたが、片手にフタの開いたペットボトルを持っているので、こぼさないようにしようとすると上手くいかない。唇をこじ開けられ、舌が入ってきた。


「こらっ……!」


 助手席に突き飛ばすと、悟はガキの頃に何度も見たしょぼくれた顔をした。


「別にいいじゃんかぁ……」

「いくら酔ってるっていってもなぁ、お前」


 悟はすがるような目で俺を見てきた。


「一回だけ……一回だけだから。酔ってるし多分忘れる」

「ああ……もう……」


 俺は水を一口含み、悟の口内に流し込んだ。ごくり、と悟は飲み込み、それでは止まらず舌を絡めてきた。もはや好きにさせよう、と俺は諦め、悟が満足するまで待った。


「んっ……あ」


 悟がようやく唇を離してくれた。

 

「もうおしまいでいいな……? ほら、シートベルトつけろ」


 今の自分がどんな顔をしているのか確かめたくない。酔った勢いとはいえ、弟とキスをしてしまった。もうガキではなくなった弟と。

 それからは二人とも無言。かけていた洋楽の重低音だけが車内に響いていた。帰宅しても、両親は寝室から出てこなかったのでホッとした。車の鍵を元の場所に戻し、俺は悟に言った。


「ほら、とっとと風呂入れ。明日もちゃんと大学行けよ」

「……うん」


 それからは、悟はあれを本当に忘れたのかどうなのか、普段の生活で口に出すことはなかった。

 しかし、こっちはシラフだったのだ。あの時のことは何度も思い出したし、ペットボトルを見るだけで妙な気分にさせられた。

 そして、一週間が経った頃だ。また、夜に悟から連絡が来た。


 ――何、期待してんだよ、俺。


 唇の柔らかさも、ねっとりとした舌の感触も、全て覚えていて。

 とにかく俺は返信した。


「迎えに行くから」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

迎えに行くから 惣山沙樹 @saki-souyama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ