アフターアワーズ

トロッコ

第一話「電柱とロック」

プロローグ

 空っぽの砂漠に陽が落ちていく。あの大きな砂嵐の傍に落ちていく。空も陽も赤く溶け始め、防砂用ゴーグル越しにそれをぼうっと見ていると、ジミーは時間すら溶けて無くなったように感じた。四輪バギーが時折ぐらりと揺れて、ジミーを現実に引き戻すが、しばらくすれば再び溶けた時間の中でまどろんでしまうのだった。牽引している荷台とバギーの連結部がカラカラと軽く鳴る。ジミーは前方に遠く見える都市を見た。砂漠にポツンと浮かぶ青い未来都市も蜃気楼で溶けているように見えた。自分は砂漠の真ん中に取り残されている。前方には都市が、後ろには砂嵐が、永遠に消えることのないあの巨大な砂嵐が、そびえている。ジミーは少し目を落とし、バギーに備え付けのナビを見た。都市に着くまであと二時間といったところだ。それまでは延々と、砂と風が生んだ起伏が続いている。帰ればいつもの家が待っていて、いつもの生活が待っている。ジミーは深く考え込むような人間ではなかったが、なぜか今日だけは違った。バギーが砂に轍を刻むのを感じながら、頭は揺れた。陽炎が地平線の向こうに沈んでいく陽を取り囲む。陽を取り囲んで消えていく。自分の世界の陽もまた幻なのかもしれない。魔法文明の人々が陽だと信じていたものが幻だったように。ジミーは柄にもなく物思いにふけった。だからこそ、空で何かが光ったのにも気が付かなかったのかもしれない。

 次の瞬間、強い衝撃が走り、ジミーは吹き飛ばされた。

 しばらくしてジミーは目覚めた。周りは舞い上がった砂で赤く染まり、二メートル先も満足に見えない。腕を地面についてよろよろと起き上がり、周りを見渡す。バギーが荷台ごと横転している。それ以外には何も見えない。口元や髪にまとわりついた砂を払うと、バギーに手をついて、力いっぱい押した。何度か繰り返すうちに、やっとバギーが動き、タイヤが地面にぶつかって跳ねてから止まった。

 そうしている間に舞い上がった砂が地に落ち着き始め、視界が幾らか明瞭になって来た。そして、ジミーは目の前の光景に驚いた。砂漠に百メートルは超す大きなクレーターが出来ていた。

 しばらくは目の前の光景に呆然とするしかなかった。まず感じたのは、自分が生きていたことへの驚きと、衝撃の余韻だった。そして、これほどのクレーターを作るものが一体なんなのか、思いを巡らせた。ジミーは恐る恐る縁から下を覗き込む。クレーターの中心に何かが落ちている。勾配はそこまで険しくなさそうだ。一歩一歩しっかりと踏み出し、ゆっくりクレーターを中心まで下りて行った。

 クレーターの中心にいたのは少女だった。少女は目を閉じて横たわり、イヤホンを耳に突っ込んだまま、小さな寝息を立てていた。起き上がる気配はなかった。後ろで結ばれたピンク色の髪には不思議なことに砂粒一つ付いていない。その傍には大きな黒いケースが落ちている。ジミーは彼女の脇にしゃがむと、一言二言声をかけ、肩を叩いてみたり、幾らか揺さぶって見たりもした。しかし、少女はよっぽど深く眠っているのか、呼吸のリズムを全く乱さず、微かな反応すらしない。ジミーは傍に落ちている黒いケースに目を移した。近づいて、開いてみた。中には茶褐色のアコースティックギターが入っている。新品には見えないが、それでも大切に扱われているようで、夕陽に照らされて赤く光っていた。

 すると突然、破裂音が遠くから響き、何かがバギーの傍に突き刺さる音がした。ジミーは咄嗟にブレーキをかけて止まった。上から声がした。ジミーが見上げると、二つの人影がクレーターの上に見えた。赤い陽を背に受けて二人は完全な闇になり、顔も服装もまったく見えない。ただ、彼らが何を持ち、何をこちらに向けているのかは、影になっても鮮明に理解できた。二梃の銃がこちらを見下ろしている。ジミーは手を上げる。

「言うことを聞け」

ジミーは黙ったまま、人影を見上げている。頬を汗が一筋伝って砂に落ちる。

「その女をこっちに運べ」

ジミーは二人の後ろ、クレーターの上に止まっているバギーを見た。そして自分が付けてきた足跡がバギーから斜面を伝い、自分の足元へ続いているのを見た。振り返り、少女を見た。そして跪き、両腕を彼女の体の下に通してゆっくりと持ち上げた。再び振り返ると、人影の方へ斜面を登り始めた。力には自信があったが、人を一人抱えて坂を上るのはかなり堪えた。半ば程行ったところで、一度降ろして斜面に寝かせると、今度は彼女の腕を肩にかけ、おぶって斜面を登った。

 バギーに着くと、二人の男がそこにいた。しかし、顔は相変わらず影になっていて見えない。二人は時代遅れな山高帽を被っていて、灰色のチェスターコートのようなものを着ている。影は銃をバギーに向かって振る。

「乗せろ」

彼女を負ぶったまま荷台に近づく。が、疲労のせいか、降ろす際に力が抜け、思った以上に勢いがついてしまった。少女は激しく頭を打ち、その音が荷台の底に鈍く響いた。ジミーは一瞬焦ったが、男二人は何の反応も示さない。

「そいつ、何か持ってるか」男の一人が聞く。

「イヤホンを付けてる」ジミーの口から無意識に言葉が零れる。

「そんなこと分かってる」もう一人の男が言う。「問題は何を聞いてるかだ。そいつのポケットを見てみろ」

ジミーは言われた通りに少女の上着のポケットを探ってみる。すると、中から画面の光る手のひら大の端末が出て来た。イヤホンと端末は繋がっていて、端末に書かれた文字は読めない。少女の耳からイヤホンを片方取り、画面を適当にタップしてみる。流れて来たのは音楽だった。ゆったりとしたアコースティックギターの音だった。音楽には次第に語りのような歌声が混ざり始める。優しいが、どこかでプツリと切れてしまいそうな曲だった。似た曲なら、都市で幾らでも見つかりそうだ。ただ一つ違うのは、歌われているのが全く未知の言語ということだった。ジミーはもう一度適当に画面をタップしてみる。曲が目まぐるしく変わって行く。ポップ、ヒップホップ、ジャズ、レゲエ……ありとあらゆる曲が現れては乾いた空気の中へ消えてゆく。そして激しいロックが流れてくると、ジミーはイヤホンを外した。

「音楽だった」

「それだけだったか?」

「ウソじゃない」

「そうか、じゃあ……」

 そのときだった。言い終わる間もなく、男の片方が数メートル後方へ吹き飛んだ。ジミーの目の前にはいつの間にか少女が立っていた。ギターのネックを掴んで立っていた。

「クソっ」

もう一人の男が銃を構える。しかし、少女はそれよりも早くギターを振り上げて銃を男の手から払った。銃が地面に突き刺さると同時に、男の頭にギターが振り下ろされた。男は地面に突っ伏したまま動かなくなった。少女はジミーの方を振り返った。その瞳は虹色だった。あまりにも不自然で不気味な虹色だった。少女はピタリと止まっていた。ギターが手からするりと抜けて砂に落ちた。少女の瞳は濁り始め、徐々に灰色に変わっていった。体から力が抜けてゆき、少女はバタリと地面に倒れた。

 倒れると同時に、ロックが彼女の腹の辺りから聞こえて来た。端末からイヤホンが外れたらしかった。ジミーは体をこわばらせたまま、辺りを見回した。男二人は倒れたまま動かない。ふと、クレーターの中心を見る。ギターケースは無くなっている。自分の側に、いつの間にかギターケースが開かれた状態で置かれている。ジミーは少女の顔を見つめ、少し考える。そして、再び少女を抱え上げると、荷台に乗せ、荷物を覆うための毛布を掛けた。ギターに付いた砂を払い、ケースにしまって彼女の隣に寝かせた。

 バギーに跨ると、遠くで明かりのつき始めた都市のビル群を見た。カードキーをかざしてモーターをオンにする。右のハンドルバーを下に捻るとバギーは砂の上に仄かな轍を付け、砂埃を上げて走り始めた。ジミーは後ろで荷物用の毛布を掛けられている少女を見た。彼女の安らかな寝顔が影になり始めていた。少女の端末から再びロックが流れ始める。ギターが前のめりに疾走を始め、このバギーを追い越して冷たくなりつつある砂漠へ消えていくように思えた。ジミーは何となく空を見上げた。空には星が混ざり始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アフターアワーズ トロッコ @coin_toss2007

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る