第十八話 「守って」

 目が見えないうえに、記憶をなくした自分をこんなにも見てくれた仲間。

 そんな青年が、屈強でありつつずるがしこい盗人により、女性の目の前であっけなく突き落とされたのだ。


 黒の柄を持つ盗人に対し、冷静でいられなくなった女性。

 胸の中がぐちゃぐちゃになったような気持ち悪い気分の彼女。

 高ぶった感情が汗として、閉じた目の隣を流れる。

 憎しみで満たされし彼女が握っている柄は三本。

 うち二本の赤の柄と白の柄は、両刃の剣のように右手に。

 そして青の柄は左手に。

 いつもうつむいているその表情は、眉間のしわと食いしばり始めた口の影を濃くさせていた。


 一方、青年を突き落とした張本人の男が持つ柄は、黒の柄一本のみ。

 柄の本数差に対して圧倒的に不利と感じていたからなのか。

 青年を突き落として彼女の心を折り、状況が打開できると考えたはずが、女性の憎しみが増したからなのか。

 男は自らの想像の力で彼女を洗脳しようにも、怖気づいて駄目だった。

 せいぜいできるのは、黒の柄で自らの銀色の剣を伸ばし、いつ来るかわからない女性の攻撃に備えることだけ。


 直後、女性が両手に持つ剣はまっすぐ上へ振り上げられ、男の肩から切ろうとする。


 対して男は、何とか自らの肩幅ほどに伸ばした細い剣を横にして、振り下ろされる青の刀身と白の刀身を受け止めるべく構えた。


 瞬間、虹色の火花が散り、耳にキンキン来る音が突き刺すように響いた。男への憎しみは最高潮に解放される。


 それを合図に女性を思い出した。

 過去にも、このような振り下ろし方で、負の感情をぶちまけていた、と。


 それも、神として。


 男の軟弱な刃を断ち切れなかったうえに勢い余てしまい、木片飛ばして床に刺さる青い剣と白い剣。


 ゆっくり、食いしばった歯を緩め、話し始める女性。


「おもいだした。わたしは…」


 軋ませつつ床から剣を引き抜くと、今度は左へ振りかぶり、男へ


「わたしは『神』だった!」


 ありったけの声と力任せな剣をぶつける。


 この男を、絶対に許さない。


 悪意ともいえる想像が、彼女が握る柄に籠っていた。


 右手の赤い刀身の剣先が、黒い刀身の根本を突いて甲高い音が鳴ったかと思うと、


 それによってできたヒビに白い刀身、青い刀身が流れるように切り込み、砕け散るための線をさらに伸ばしてゆく。


 彼女の剣が接触するたび、刀身に不穏な溝が走り、目に絶望を浮かべる男。


 対し、パキ、パキ、という音とともに確かな手ごたえを感じ、狂気じみた喜びで耳をびくびくさせる女性。


 刀身中がジグザグで不規則な形の網目で覆われたとき、


 彼の黒い刃は勢いよく爆砕。


 尖った石ころになって櫓からぽろぽろ落ちていった。


 ついにその場で男は崩れた。よだれをたらし、白目をひん剝きかけている。


 彼の死にかけた口呼吸に耳を傾けつつ、それを頼りに、白い刃をゆっくりと男の口元に近づけた女性。


「私の大切な、あの青年との日常を奪った憎い者として、最後に言い残すことは」


 そこにあったはずの憎しみと、先ほどの手ごたえによって起きた狂気により彼女の情緒は疲れ果て、冷たい軽蔑の念に変わっていた。


「神、か…」


 全身が震える男。そして、こう言葉を続けてしまった


「これは、悪い幻だ!そうだ!お前は、本当はここにいない!」


 もう正気を保っていられず、現実逃避したかった故、あろうことか彼女のこと自体を否定してしまった。


 男に抱いている怒りと、青年が亡くなったことへの悲しみを否定された女性。


 そう言われたら、やることは一つ。


 この愚かな男を消す。


 天高く青の剣と白の剣、赤の剣を振り上げたかと思うと、


 それらは星のように白くパッと輝き、憎しみと怒りに呼応するように禍々しくくねった形になる。


 そしてけたたましく、重々しく


 バッテン状に男を切りつけた。


 ついに意識も命も失った男。


 息を切らし、感情の高ぶりによって疲弊した女性。

 例えこの男を切っても青年は戻ってこないという事実が、喪失感をさらに際立たせる。

 その閉じた目は、悲しみで震えていた。

 震えにあわせて三本の剣の刀身は砂になり、床の上にササァ、と積もった。


 ただの柄だけをもって、立ち尽くす女性がそこにいた。


 バキ。


 櫓の下の方から、不穏な音がする。


 バキバキ。バキ。


 あまりにも憎しみに染まりすぎた女性の一撃は、自らが立つ櫓も倒壊させ始めたようだ。


 一方、櫓が立っている地面。

 二人の見張りの死体が重なって地面に伏せるその上に、さらに誰かが横になり、自らの息を整えていた。

 青年だ。

 男に突き落とされた際、二人の死体の上に落ち、それがクッションとなったため、青年は奇跡的に生きていたのだ。

 そして青年は地面より、櫓の上での女性の復讐を目撃していた。


 なんとか自分は生きているということを伝え、復讐だなんて怖いことはやめてほしかった。


 しかし、死体がクッションとなって緩和されたとはいえ、背中に負った衝撃で大きな声を出すことができず、動こうにもその痛みで動けなかった。


 そして今、女性が立つ櫓が今、木でできた柱をへし折り、木を組む縄を千切り、粉塵立てて倒壊し始めるのを見てしまった。


 彼女を助けに動きたいものの、うまく立てず、せいぜい這いずり回るくらいにしか動けない自分は倒壊に巻き込まれて下敷きになる危険もある。

 もし色の柄を持っていれば何かが変わったかもしれないが、自分が持ってきた三本はすべて女性に託してしまった。


 青年はその場で自分の命のため、指をくわえて倒壊する様子を見るしかなかった。


 地面の方へ、そして川の方にも、土埃や水柱を上げて崩れ落ちる櫓の木材。


 崩壊に巻き込まれ、木片と粉塵によって襲われるように姿を消される米を炊く人と、列になって米俵を運んでいた人たち。


 梯子が途中で折れ、そのまま地面に背中を打ってしまった茶碗を運ぶ人。


 身体の関節がすべてくたくたになり、首から地面に突っ込む男の死体。


 くるくる空中を回った末に川の中に落ち、流れてゆく赤の柄、白の柄、青の柄。


 いきなり足場が斜めになったかと思うと空中に投げ出され、黒光りする何かが腰に刺さって川に落ちる女性。


 倒壊が終わり、土埃が晴れたとき、青年は這うように動き出した。

 川に落ちてしまった彼女を、なんとか助けなければ。

 少しでも速くなければ、彼女が死んでしまう。

 腕を動かすたび、地面の小石がひじに擦れ、いやらしく刺さる。

 いまだに空中を漂う塵がまとわりついて鼻や口がむせ、息がしにくい。

 それでも、一刻も早く助けなければ。


 川に着いたとき、そこに女性はいた。

 しかし、川の浅瀬で木材の下敷きになってしまっていた。

 まずい。

 焦りにより意を決してそこへ入ってゆく青年。

 這っているために、雪のように冷たい水がお腹に入ってきてしまい、体が震える。


「けどこんな辛さ、今の彼女の状況からしたら、なんともないはずだ」


「彼女とまた明日、一緒に田んぼで代掻きをし、他愛のないことを話しながらご飯を食べるんだ」


 と。自らにこんな希望を言い聞かせ、背中の痛み、お腹の苦しみをグッと堪えて進む。


 数秒後、青年は未知なる現象と遭遇したことで、自分が抱いた希望は無駄で叶わないものだったと知り、思わず口を隠した。


 川の水に浸っているところから体が白い粉のようになり、女性が川の水に溶けて消え始めていたのだ。


 嫌だ。これが最期の瞬間だなんて。


 今まで蓄積された体中の苦痛なんて忘れ、水しぶき上げて必死に女性の傍に駆け寄った。


 彼女のその目は、開いていた。


 とても薄く、白色にも近い、灰色の瞳孔と虹彩。


 意味もないはずなのに、青年と目の視線をゆっくり通わせようとしていた。

 青年はわからなかった。

 なんて声をかけるべきなのかを。

 下手なことを言えば、後味悪いまま消えていくことになりそうだった。


 すると、女性から口を開いた。


「あいつが持っていた柄。あの感じは、黒の柄でしょ」


「ああ。そうだよ。あいつが盗んだみたい」


 女性は確認をすると、川に浸からず、天を向く自身のお腹に指を差す。


「どうやら腰に、あいつが持っていた黒の柄の武器が刺さったの」


 刺さったという言葉に、胸が絞られるような衝撃を感じる青年。

 いや嘘だと躍起になって自分をだまし、視線を移さないように首を力む。

 だが葛藤むなしく、目だけは真実を確認するべくゆっくり動かしてしまった。


 刺さっていた。


 刀身を折られる音がしたため、刃渡りは短くなり、深くは刺さっていないかもしれない。

 しかし、青年の頭から血の気を抜き、川の水が凍ったように感じるには十分すぎる光景だった。


「あいつが死に際に私へ『悪い幻』とか『お前はここにいない』って言ったから、黒の柄が反応しちゃって。私、本当にいなくなっちゃうみたい」


 一方、落ち着いて説明する彼女。まるでこのことを受け止めているかのように。


「ごめん。僕が櫓から落とされてさえいなければ、君を助けられて、そうはならなかったのに」


 己の無力さに悔しさを感じ、自らを呪う彼。

 浅瀬のでこぼこの砂利で一回だけ、精一杯に拳を痛めつける。

 飛び散る水は、悲痛なる叫びを体現していた。


「いや、私のせい。祈りのためだったはずの柄を殺しになんて使っちゃって、悪い想像をしたから。これは、その罰」


 彼女がなお、優しく言い聞かす。

 その顔からは、大粒の涙がぽろぽろ流れ出ていた。

 川へ滴り落ちる涙の音に気付いた彼は、もう一回、彼女の灰色の目を見つめた。


 女性の体はほとんど消え失せ、最後まで残った上半身と頭が、無情にも水に溶けてゆく。

 自らが抱く悲しみで途切れ途切れになりつつ、彼女は最後の言葉を紡ぎ出した。


「…一緒に居られなくて、本当に、ごめん」


「君と一緒に居て楽しかったこの地を、」


「守って」


 これは悪い幻だと、信じたかった。

 女性がいなくなるだなんてことは。

 しかし、川へ消えていってしまった。


 こんな悪夢から覚めるべく、青年はべったり腹這いだった体をゆっくり横に転がす。

 左を上にして横向きになると、浅瀬のなかでも少し深いところへ動き、そこの水で顔を洗い始めた。


 青年は何回も、何回も、顔を洗った。


 水を顔全体に大きく、強く打ち付けるくらいに。


 その夜、覚めることはなかった。


 朝になってなお洗い続けるも、やっぱり覚めなかった。


 遂に諦め、もう村に戻るべく、青年は立ち上がった。


 いや、立ち上がることができた。


 昨日まで立とうとすれば、尾てい骨や腰が痛んだはずなのに。


 立てなかったはずなのに。


 立てた。


 青年には心当たりがあった。


 消えてしまった彼女のおかげなのかもしれない。


 昨日彼女は記憶を思い出し、大きな声で自分は神だと宣言していた。


 もし、あの柄によって粉になって消えてしまっても、この川に宿っているのなら。


 川で顔を洗い続けるうちに水をいつの間にか取り込み、背中が治ったのも、妙に合点がいく。


 青年は心の中でこう言った。


 ありがとう。この地を守るよ、と。


 ◇


「その後村に帰った青年は、洗脳を解いた者として村の者達から英雄扱いされ、村の偉い地位を得た一方で、何があったのか問われた。青年は事の顛末をすべて話すと、村の者達は気の毒に思い、青年とともに女性のための古墳を川の近くに作った。この古墳こそ、今ある色生神社の起源で、土地神様の正体は女性ということでもある。そして女性が憎しみのために柄を使った結果その身を滅ぼしたのをきっかけに、色の柄を悪いことに使うと戒めとして、土地神様である彼女の力で『想像の暴走』が起きるようになったのだ」


 こうして、青海さんのお父さんは長い話を終えた。

 僕にはあまりにも残酷で、辛すぎる話だと感じた。

 一方で青海さんは、腑に落ちないような顔をしている。

 彼女はお父さんにこう質問していた。


「そういえば、黄の柄とか緑の柄も出てこなかったっけ?」


「ああ、それはもう少し後の江戸時代に生み出されたんだ」


 黄の柄に緑の柄?

 お父さんの話には出ていなかった柄だ。

 思わず青海さんに続けて、その柄について口に出して聞いた。


「黄の柄とかって、それって何ですか?」


「つるぎが言った黄の柄や緑の柄は、色の柄の一種だ。だけどこの二つは誕生経緯が複雑だから、赤山君に話すのはまだ早いかなと」


 そうなのか。

 この話のことといい、後に聞くであろう黄の柄や緑の柄の話は複雑であることといい、

「この地を守る」という使命と、責任の強さを感じる。

 なのに今、自分独りの夢のために、「僕は変わりたい」と思って勝手に使うのは何か間違っている気がする。

 例え「想像は幸せを実感するため」という想像の使い方が合っていたとしても。


 僕とお父さん、青海さんが対面するこたつテーブルの真ん中には、赤の柄が置いてある。

 柄を走る線の赤さを見るほどに思う。これがなければ、僕は変わることができなくなる、と。

 しかし、銀色にくすんだ柄の持ち手を見るほどに思い知らされる。「この地を守る」という重圧に比べれば、「僕は変わりたい」だなんてちんけでちっぽけである、と。


 僕は、この柄は使うべきなのだろうか。


 そこで、お父さんにこう伝えることにした。


「あの、赤の柄、お返します」

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