第十五話 「あかはきっと、こんなかんじ」

 青海さんという女子の方の、しかも先輩の家の座敷に人生で初めて上がったが、さすがに女子の部屋に通されることはなかった。


 だが、勘違いを起こすものだ。座敷に上がって早々、二階に案内されたのだから。普通、二階は主に寝室の部屋などになっているはずだ。


 それが、二階はキッチンや居間などの生活空間になっており、寝室は一階にあるだなんて、何処を見れば想像できたことか。


 そんな妄想を抱いては心の中で崩れ落ちた僕は、青海さんによって二階の居間に通された。


 さて、この広々とした居間に正方形のこたつテーブルがあり、それを囲むように紺色の座布団が三つ配置されている。


 一体どこに座るべきなのだろうか。


 聞いてみようか。そう思った矢先


「じゃあお茶持ってくるから座ってて」


 キッチンに行ってしまった。


「聞きたいことがあるんだけど」と言わんばかりに青海さんへ右手を伸ばしたが、その時にはもう背を向けられ、彼女の視界に右手は入らず。ただ、一度居間から出る先輩の背中を見ることしかできなかった。


 先輩に質問できなかった今の僕はなんてどんくさいんだ。


 そう自分を恨みつつ後ろを振り返り、悩みの種である座布団と目を合わせる。

 手前にひとつ、右にひとつ、左にひとつ配置されている。


 この選択を誤れば、後々青海の家の人に軽蔑されそうな気がする。「なんて図々しくその場所に座っているのか」「そこは君の座るべき席じゃないだろう」などと思われそうだ。


 それは嫌だ。せっかく昨日の戦いを経て青海さんと共闘し、「想像は幸せを実感するため」という、彼女も感心した信念ともいえる夢を掲げたのに。その夢を掲げた人ががこうじゃ面目が立たない。


 ましてや今日はその父さんもいる。いずれ二階へ上がってくる。場違いな場所に座っていたとなれば「彼に赤の柄を託してよいものか」と心配や疑念を抱かせてしまいそうだ。


 ならば、僕はどこへ座るべきなのか。もし右や左に座っていれば「あなたのことを待ってましたよ」と言わんばかりの上から目線になってしまう。それに、もし僕が座った場所の向かいに青海さんが座るとなると、目がぴったり合ってしまい、お見合いのようで気まずくなる。まだ交際のような距離感や関係でもないのに。


 手前の座布団に座るのも気が引ける。そこに座り、居間の入り口に対して背を向けては、後々入ってきた青海さんやその父さんに対して、秘密結社の黒幕のような偉そうでミステリアスな印象を与えてしまいそうだ。


 一体どこに座れば正解なのか…?


「待たせて悪かったね、赤山君。 お、律儀だね。まだ座っていなかったのかい」


 正解は、「指示があるまでまだ座らない」。


 結局、青海さんの父さんに勧められて僕が座った場所は、右側。


 熱い緑茶を持ってきた青海さんが座った場所は、手前側。


 そして、青海さんの父さんは、左側。


 僕と父さんが面と向かい合う形になったのだ。


 茶碗から漂う白い湯けむりは、お互いをうっすら隠すおかげで、顔の見合いによる気まずさが緩み、緊張がほどけてゆく。


 また、お茶の少し渋い香りや温もりは、和やかな雰囲気を部屋中に醸し出した。

 

 おそらく柄のことについて話すと察した僕は、机に自分の「赤の柄」を出す。


「さて、君とつるぎが戦った昨日の男と、この柄についてどれくらい知っているんだい」


 赤の柄について僕の知識を優しく尋ねる父さん。


「昨日の男については、青海さんの先祖と因縁深い男だという事しか聞かされていないのですが……」


 僕は話を続ける。


「柄については、想像とともに色の名前を叫ぶことで、それに応じた技を繰り出せること、刀身の色や形は、イメージや色の名前によって変わること、あと青海さんから聞いたことですと、持ち主に対して柄が愛想を尽かしたり、悪いことに使ったりすると想像が暴走すること、土地神様にもたらされたものであること、というところです」


 昨日の戦闘をしっかり思い出しつつ、一字一字を送り出す。


「そうか。 じゃあ特に、柄がどのようにしてもたらされたのか、詳しい経緯というのは聞いていないのかい」


 そういいつつ、身を包む和服の懐に手を入れ、江戸時代にありそうな、糸で綴じられた本を取り出す父さん。服の色と同じく、本の表紙も紺色だった。


「はい。 その本は?」


 注目するものを、父さんの眼差しから取り出された本へ移す僕。


「これは我が家に伝わる、色の柄がもたらされた経緯を記した記録だ。 なにせ、私たちの先祖がそのもたらされる場に立ち会っていたもので」


 続けて、その本に書かれたことを現代語でかみ砕き、語り始める父さん。このように記されているそうだ。


 ◇


 この書は、先祖から口伝いで伝承された大昔の「色の柄」に関する出来事について、間違って伝承されるのを防ぐために記したものである。


 それゆえ、この書が書かれた時代は、この伝承のことがらが起きた時代の幾年も後である。


 今は昔。


 日本神話を書き記した「古事記」「日本書紀」などによれば、神が住む天上界「高天原たかまがはら」より、天皇の祖先とされる神のニニギノミコトが、我ら人が住む地上の世界「葦原中国あしはらのなかつくに」へ天孫降臨した時代。


 また、高天原のみならず人が住む葦原中国にもいろんな神様が存在し、それらは「国津神」として活躍した時代。


 早朝。


 木々に囲まれ、きれいな川が流れる川にて。


 寝ている間に喉が渇き、川の水を飲みに来た少年は、川の中心で横になって浮かぶ女性を見つけた。


 白装束に、結わず真っすぐな黒い髪。自分と同じくらいか、少し大きい体格。


 川の中に入って泳ぎ、女性をなんとか岸へ引っ張って助ける。


 女性を岸で横にし、その顔を見てみると、年は自分より少し年上の十七ぐらいだろうか。


 だが、起きたら色々聞こうなんて悠長なことは考えていられない。今は太陽が顔を出し始めた、肌寒い早朝。彼女が起きるのを待っていれば川に入った自分はもちろん、長い間流されていたであろう彼女も冷えてしまう。


 女性が寒くならないように、なんとか自分の住処に連れてゆく少年。


 一度は起床した親に驚かれるも、事の顛末を説明し、彼女を焚火で温めさせてもらう。


 そのうえ、少年の母は女性の濡れた服を自らが所有する乾いた服に着替えさせてくれた。


 そのあとはつきっきりで彼女を看る少年。


 朝日がのぼり、正午。


 遂に女性は上半身を起こし、ゆっくりと立った。


 しかし不思議なことに、彼女は目を開けず、うつむきながら辺りに聞き耳を立てていた。


 不思議に思った少年は尋ねた。


「なぜ目をお開けにならないんですか」


「うまれつき、めがみえないので、めをあけてもいみがない、と、かんがえたからです」


 そこで、今朝まで川に流されていた目が見えない女性のために焚いた米を作り、食べさせてあげる少年。


 そして少年が指で口に食べ物を運ぶたびに、ありがとう、と言ってくれる女性。


 お互いの思いやりに心は温かくなり、少年と女性は仲良くなった。


 少年はさらに、女性にいろいろ尋ねた。今着させている母の服は僕たちにとっては普通のはずなのに、彼女はあまり着たことがないこと。生まれてから目が見えなかった故に川などの水の音や焚火の音などに耳を傾けるのが好きなこと。そして何より、女性は記憶がないこと。これらのことが分かった。


 ここから少年は思いついた。もし彼女が好きだという川の音を聞かせれば、何か思い出すかもしれない。


 まだ未熟ながらにそう思うと、彼女の手を引き、女性を見つけた川まで連れてきた。


 女性はその音をたいそう美しいと感心し、喜んだが、思い出すことはなかった。


「そっかあ、思い出せないか。にしても、やっぱりこの川っていいなぁ。あの青い木々も、水面に反射した白い光も、木々の間の黒い闇も。ここの川は全部見せてくれる」


 ふと少年はその目に見える風景の色を言った。すると女性は、その青や白、黒とは何なのかを疑問に思い、少年に対して首を傾げた。


「その、あお、や、しろ、くろ、はなに?」


「知らない?色の名前だよ。あ、でも目が見えないから、どうやって説明するか…」


「どんな『いろ』なの?」


「…そうだなぁ。青は、植物とかが瑞々しくて、命って感じ。白は、神様みたいな、優しくてありがたい感じ。赤ちゃんの頃に飲んだ乳の色も白かったな。黒は、暗くてちょっぴり怖い。けど逆に、何だか気になる感じ」


 目を閉じながらも、まるで目を輝かせているかのように興味を持ち、聞いてくれる女性。そしてさらに少年に迫り、彼の近くで思わず大きな声で尋ねる。


「ほかにどんな『いろ』があるの!?」


「ほかは…あとは赤色かな。焚火の色。血の色って感じもする」


「ちって、転んでけがした時に、痛みとともに体から出る水のこと?」


「そう、血はちょっと怖いけど。赤は、ちゃんと生きてるって感じがする」


「いきてる?」


「うん。赤は生きてる色」


「そっかあ。みてみたいなぁ。こんなかんじなんだろうなぁ…」


 目を閉じ、腕を下す彼女と共に、川とその周りを見る少年。だんだん、何だか妙な感じがしてきた。


 少年は目を凝らしていると、ある事に気が付く。 川底が段差になっている部分の川のしぶきが、できては落ちるはずが、落ちなくなったのだ。


 白い泡ができては空中で止まり、小さく丸い粒に。


 そうして両手で一すくい分の量が集まると、それはぷかぷかと彼女の胸の前へ運ばれ、棒状の一つの塊になった。


「…そうそう。あかはきっと、こんなかんじ」


 心の声がすこし漏れる女性。



 透明で、手で握れそうな円柱形をしたぷよぷよの物が、彼女の前に浮いている。


 水の塊がだんだん石の色に濁り、だけどぴかぴかしてくる。


 まるで磨いた金属。そんな素材でできていそうな、短めの棒になった。


 さらに、側面部分に細い波線が彫られ、そこに鮮やかな赤で濁った水のようなものが流れ込む。


 仕上げに棒の一方の端から、勾玉と同じくらい小さな金色の板が先端を角ばらせ、それもするっと生えた。


 こうして、「赤の柄」ができた。

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