第十一話 「磨禅侘」「祀暥」

冷えて暗い川から上がってこちらの砂利の川岸まで来た、全身黒にして黒の柄を使う不審な男。


びしょ濡れの艶やかな黒い皮コートや、真っ黒でぐっしょりなスラックスが見えたのに加え、ぴったりしっとり肌に張り付く黒ワイシャツ、水も滴ってキラッとした黒い長髪も露わになる。

彼が腰をギシィっと直すと、胸の前でその真っすぐ長い剣を夜空へ掲げた。そして、僕らのことを瞬きなく真剣に、だが口角をグイっと上げて見ている。


一方、青海さんはいつの間にか臨戦態勢に入っている。気の早さに不安を覚えつつ、慌てて僕も心を決める。


「こうなったら、戦うほかないわよ。」


「わかった。」


僕と青海さんは、互いに脇の下へ刀身を構え、腰を構えた。僕のはマゼンタに、青海さんのはシアンに。シンプルで神々しくも激しい、線香花火のような刀身が放たれる。まるで夏の線香花火のように地面の砂利を強く照らし、男の後ろにある夜の川にその光を届けている。

すると黒い男は、鼻を僕へ向けこう言った。


「そうだ、赤山。お前の様子を陰から見ていてわかったことがあるよ。たしか、想像とともに色の名前を言うんだよな。」


まずい、一番知られてはいけないものが既に知られていた。




「執刻(しっこく)」




さすがは2mある細身。たった一歩でずん、と僕らのもとへ近づくと、レイピアで横に一振り、僕らを切りつけようとした。しかし、それを何とか防ぐ僕と青海さん。




「磨禅侘(マゼンタ)ッ!」「祀暥(シアン)!」




命までは奪いたくないため、僕は彼のみぞおちを峰打ち。さらに、青海さんの大振りな神々しい波動で、なんと川を飛び越えて、彼を境内側の岸へ吹き飛ばすことができた。

しかし、彼の執刻も僕らに命中した。その斬撃は赤ネクタイやワイシャツ、ブルーのスカーフやセーラー服を切り裂き、お腹に岩を入れられたような重みと痛みを受けさせる。そうして、二人とも跪いてしまった。勢いよく膝を落としたため、お腹に抱える苦痛のみならず、砂利や丸石による衝撃までも膝でもろに受けてしまう。


「俺は、言ったぞ。執行の刻(とき)、つまりは執刻、と。」


彼は赤土の岸で臀部を打ったものの、ニッコリとまた立ち上がる。


一方でこちらは、お腹を蹴られたような苦しみを受けており、ニッコリなんてしていられない。

正直このお腹に受けた重い切り傷で、あと一回しか想像を繰り出せないと思う。地面に着いた右ひざの震えが、そうささやく。執行と言った通り、想像はおろか、命もなくなるだろう。

隣を見ると青海さんも僕と同じく、険しくお腹を押さえ、堪えている。

臨戦態勢の彼女に抱いた不安は的中していた。


一方で川とその向こうの岸に視線を向けると、彼は今、僕たちの攻撃によるダメージなんて堪えている様子もなく川の中へ入り、こちらへ歩く。

彼は痛みを感じていないのか。それとも彼にとって僕らの磨禅侘と祀暥は何でもない衝撃だったのか。

とにかく戦ってはだめだ。何とか説得することができれば。


そういえば彼は、陰口で馬鹿にされ、いざ自分の前では態度を変えられるのが嫌だったようだ。

想像とは、幸せを実感するためにあるはずだ。

なのに彼は、自分の陰口や自分に向けられた本心を想像することで、苦しんでいないだろうか。

つまり、想像によって苦しめられていないだろうか。

かといって、「前向いて生きろ」と言っても素直に聞くわけがないだろう。二度とまっすぐになれないくらいに陰口を知り、苦しみ、そしてさらに想像してしまったのだから。


今僕にできることは、彼の話を聞くだけだ。こんなに危ない状況だが、僕に、辛かったこと全部言ってもらえるように。僕は裏表ない人物だと、彼に信じてもらえるように。

そのためには、今思っていることをすべて言う他ない。それも裏表感じさせないようなことを。僕は彼に対して、口を動かした。


「本当に怖い。その『執刻』っていう技も、僕が死んでしまうかもしれない痛みも。」


隣で堪える青海さんには、本当に申し訳ない。僕が言ったことに対して、目を見開いて、青海さんはこう言い返した。


「なにバカなこと言ってんの!それじゃあ彼の思うつぼ!あたしたちは、ちゃんと生きて、生き延びるんだんだから!」


「でも今必要なのは、表裏なく本心を伝えることだ!彼は今まで、想像で苦しめられてきたんだ。人は、どんな本心を持っているのかを、そう易々と見せてくれない。だから人の本心は想像するしかないんだ。特に彼は、自分が立つ前に限って人に態度を変えられてきたから、それも疑心暗鬼に想像するしかなかった。それが、苦しかったんだよね。」


果たして、彼が求めたのは人々の本心なのだろうか。


流れを揺らし、川を狂わせながら、僕らのもとへ近づいてくる彼。それも、高らかな笑顔で。僕らの目の前に迫ったとき、彼は、


「ヌ、ヌ、、」


川のしぶきを立てつつ、顔を前へ向けたかと思うと


「ヌハハハァッ!そうだ、見せろ!その恐怖に慄く本心!俺を怯怖すること!さあ、怖いなりに、もっと本心をぶつけろッ!」


その通りだったのだ。彼は、人の本心が欲しかったのだ。


「ほら、青海さんも。ちゃんと言って。」


青海さんは、舌打ちをついた。


「あたしが何言っても知らないわよ。」


「うん。」


頼む青海さん、彼を刺激するような変なことだけは絶対に…


「あんたに命取られそうで本当に怖いわ!あんたの技を受けてから、あたしのお腹にも黒い傷ができたみたいだし。」


え、黒い傷。手を震わせてワイシャツの切られた部分を広げて中を見ると、確かに墨汁のようにどす黒い傷ができ、手をかざすだけでもひりひりする。いよいよ命がとられることに現実味を感じ、ヒヤッとする。


「けど、あんたにいつまでも監視されるのも嫌!今ここで、あんたの黒の柄を取り戻す!」


だがこんな傷を受けてなお、今の青海さんにとってこれが本心なのか。受け身な僕と違って、すごく強い人だ。

でも僕だって強いはずだ。それを証明したいがために、こんなに重く、不気味な傷になお耐えて何とか立ち上がり、川へ向かった。


「そうだ!僕も、君に命を取られるんじゃないかと思うと怖い!けど!僕たちは、君から黒の柄を取り戻して、勝つ!」


えっ、と言いそうな口になってしまった青海さん。この僕の言葉に、彼女は驚いてしまったが、僕に続こうと、彼女も両目つぶって堪え、川へ入った。


「勝つ、良い言葉ね!そうよ!あたしたちは、あんたの恐怖に勝つ!」


それに対し、黒の柄の彼は、笑顔の中にも、目の輝きを取り戻していた。


「そうだ、そうだ!それが欲しかった!俺としっかり対峙して欲しかったんだ!」


いざ、自分の話題をしている人の前に立つと、どんなに大人数であっても黙り込まれてしまう。どんなにトランプのカードゲーム中でも、人狼で盛り上がっていても、楽しいことをして既に皆の気分が調子にのっていても、「俺も入れて」というだけで、温まった空気が鳩のように飛び去る。そして白ける。そこに残るのは苦しみ。そんなことを、彼は今まで感じていたはずだ。

なんていうか、中学の僕を見ているようで辛い。だから、しっかり自分から逃げず、相手してもらえる嬉しさも十分わかる。


だが、想像の暴走とはいえ、彼を倒してよいのか。


幸せを実感するために想像を、使ってもらえないものなのか。

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