第九話 「環印零止」

左にいたはずの青海さんが消えた。


しかし一体どこへ。


とにかく辺りを見回す。また想像の暴走に襲われたのか。




ガサッ、ジャバーン




地面の葉がこすれ、川がしぶきを上げる音が境内の左後ろから聞こえた。


まさか、青海さんはそこへ行ったのか?


ただ興味で音の出所に向かうと、神社の裏を流れる、夜の川の岸へ着いた。


すると妙な光景がそこにあった。

川の中心に、黒いコート、黒い帽子、黒い長髪の黒づくめの男が立ち、手には、細長い剣がある。レイピアという種類の剣だろうか。それを両手で持ち、川に向けている。


その流れの中で立つ足元には、顔を空に向けて横になっている人がいる。


水面に浮くブルーのスカーフ。白いセーラー服。七宝柄の甚平。流れる向きにたなびくストレートの長髪。


青海さんだ。青海さんが、今まさにあの剣で首を刺されそうだ。

まずい。青海さんが今度こそ、幸せを実感するための想像ができなくなってしまう。

せっかくさっきの戦いで命からがら、彼女自身の想像の暴走を止め、想像の暴走の源であった思い出に対して、言いたいことを言ってもらって、立ち直ってもらえたのに。

そうさせまいと川の中に入るも、水を含んで重くなったスラックスと、川の流れに足を取られる。


だが、川が流れる音で歩く音は紛れ、男には気づかれていない。ならば、一歩でも早く男を止めなければ。


彼女の首を突き刺そうとしているあの剣を止めなければ。なんとか輪のようなもので拘束できれば。


焦りつつも赤の柄を右手に、こう叫んでいた。




「環印零止(ワインレッド)!」




剣から振り下ろしたC字の斬撃は、男の左手首に命中し、そのまま輪っかに変化して、彼の手首ごと腰に巻きついた。


突然のことで、左手に気を取られる様子の男。


その隙を逃さず、ありったけの力で男に体当たりし、硬い砂利の川底へ倒した。


これで小さく安心しつつ、青海さんの手を取り、小石でできた向こう岸へ、緊迫しながら息を上げて連れて行く。


「青海さん、大丈夫か!」


「ええ、何とか。」


身体が冷たく、唇が青紫っぽくなっていた。体を小刻みに震わすが、さらに言葉を続ける。


「それにしても、あいつ、『黒の柄』を持っていて、影にひそめるみたい。あたしの影から現れたかと思ったら、ここに連れてこられたの。」


「影にひそめる?黒い柄?どういうこと?」


つまるところ、青海さんによればこういうことのようだ。

先程神社の境内で目を閉じて、赤の柄の持ち主を報告していた際、足首に生ぬるい鼻息が当たっている気がして後ろを見た。

すると不審な男が、青海さんの影からズブズブと、沼からゆっくり這い上がるように静かに現れた。

そしてその巨体で青海さんを赤子のように抱えると、忍者のように素早く音もなく川へ連れ去った。

らしい。


初めて青海さんに会った時、影が濃いと感じたのはその男が潜んでいたからだろう。決して気のせいなどではなかったようだ。

そしてこのように、影などの黒いところに潜む諸行ができるのは、青海さん曰く「黒の柄」だけらしい。

自分も、自らの想像と赤の柄の力で、先程火だるまになってロボと戦っていたため、ありえなくもない話だ。だが、いざ他人がそんな非現実的なことをしたと聞くと、なんだか実感がわかず、信じられない。


「もしかして、知らない男?」


「ええ。あともう一つ、分かったことがある。」


「黒の柄」を持つという男。一体何が分かったのか。


「それは?」


「それは、想像の暴走で生み出された者であること。」

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