004 美玖の答えと人妻の味

 美玖は何も言わずに俯いている。

 体を小刻みに震わせて、何やら迷っているようだ。


「悩むことはないだろ? 一緒に気持ち良くなるだけだぜ?」


 俺のセクハラは続く。

 美玖のスカートに手を突っ込んで太ももを撫でた。

 人生で初めて触る黒ストの感触に興奮する。


「拓也さん……」


 美玖が呟いた。


「ようやく覚悟が決まっ――ブヘボッ!!!!」


 いきなり視界が変わる。

 顔がいつの間にやら真横に向いていた。

 遅れて左の頬に痛みが走る。

 それによってビンタされたのだと気づいた。


「あんたキショすぎ! 体を売るくらいなら死んだほうがマシだっての!」


 美玖は俺を突き飛ばし、そのまま逃げていった。


「エロ漫画やAVじゃヤレるパターンなのに……」


 現実は甘くない。

 ぶたれた頬を押さえながら股間に目を向ける。

 先ほどまでバキバキだった息子は完全に萎れていた。


 ◇


 トホホと嘆きながら、俺は優花さんの家へ。


 到着したのは20時過ぎのことだ。

 外は暗くて、周囲の家からは明かりが漏れていた。


「どうしたの? 悲しそうな顔をしているけど」


 優花さんは扉を開けるなり尋ねてきた。

 おそらく俺は悲しい子犬の目をしていたのだろう。


 だからといって本当のことは話せない。

 言えば優花さんの俺を見る目は変わるだろう。

 一般的な青年から性犯罪者へ。


 だから俺はこう答えた。


「大変だった」


 ウソではない。本当のことだ。

 おそらく俺の顔にも「大変だった」と書いてある。


「私のために頑張ってくれたんだね、ありがとう拓也くん」


 優花さんは何やら勘違いしていた。

 都合がよかったので「大丈夫だよ」と返しておく。


 家に上がってダイニングに向かう。

 ダイニングテーブルには様々な料理が並んでいた。

 俺が調達した食材で作ったものだ。


「ご飯の用意をしちゃったんだけど……失敗だったかな?」


「失敗? 普通に美味しそうだよ?」


「え? あ、そうじゃなくて……」


 優花さんは何かを言おうとしたものの「ううん」と首を振った。


「冷めちゃう前に食べよっか!」


 俺たちは並んで座った。

 というか、料理がそういう配置になっていた。

 

「「いただきます!」」


 二人で晩ご飯を食べる。

 見た目もさることながら味も良くてレベルが高い。


「拓也くんって、私と出会う前はどこで過ごしていたの?」


「八王子」


 俺が答えると、優花さんは「プッ」と吹きだした。


「そうじゃなくて、ドームが発生したあとのことよ」


(その答えが「八王子」なんだが……)


 と思いつつ、俺は別の回答を考えた。

 大阪市のどこかに住んでいた設定にしないと。


難波なんばの辺りだよ。東京の人間だから詳しい地名は分からないや」


 我ながら無難な説明だ。

 ところが、優花さんは「えっ」と驚いた。


「難波? ほんとに?」


「たぶん。土地勘ないから間違っているかも。何かおかしかった?」


「今の難波ってかなり危ないでしょ。前から夜のミナミは危険だったけど、ドームの発生以降は日中も危ないって聞いたよ。外国人が集まっていて警察もお手上げとか」


 ミナミとは難波の通称だ。

 関西人……なかでも大阪の人はそう呼ぶことが多い。


「あー、たしかにそうだね」


 適当に話を合わせておく。

 脳内のメモ帳に『難波は危険』と書いておいた。


 その後も、優花さんは色々な話題を振ってくれた。

 また、自分から旦那の愚痴やら何やらを話すことも多かった。

 俺は適当な相槌に終始しながら料理を食べる。


 残念ながら会話は盛り上がらなかった。

 しかし、決して優花さんの話がつまらないわけではない。

 むしろ話し上手且つ聞き上手なので楽しかった。

 大阪の人だからかオチをつけるのも素晴らしい。


 問題は俺だ。

 会話に全く集中できなかった。

 これには理由がある。


(あー、早くセックスしてぇ)


 そのことで頭がいっぱいだったのだ。

 優花さんの裸体が脳裏に浮かんで勃起が止まらない。

 エロティックなフェロモンの香りも性的な興奮を促進していた。


(ご飯を食べる前に言っていた「失敗」ってそういう意味だったんだな)


 今さらになって気づく。

 優花さんは食事の前にヤるか訊いていたのだと。


「私の料理、そんなに不味かった? それとも話がつまらなくて退屈?」


 優花さんが顔を覗き込んでくる。


「あ、いや、そんなんじゃなくて」


「ふふ、冗談。分かっているわよ、拓也くんの考えていること」


 優花さんは箸を置き、俺の太ももを撫でてきた。


「こっちを期待しているのよね?」


「ぐっ……」


 言葉を詰まらせる俺。


 そんな俺を見て、優花さんは優しく微笑んだ。

 手の甲で俺の頬を撫でてくる。


「オードブルはこのくらいにしてメインディッシュにする?」


 今度は言葉の真意を理解できた。


「する……! もうお腹ペコペコだから……!」


「素直ね」


 優花さんは立ち上がると、「来て」と俺の手を取った。

 導かれるまま俺は寝室に行く。


 そして、優花さんに童貞を奪ってもらった。


 ◇


「どうだった? 初めてのエッチ」


「最高に気持ち良かった……!」


 セックスが終わり、俺たちはベッドに寝ていた。

 二人で並んでも余裕のあるサイズだ。

 それに質もいい。

 豪邸に恥じない立派なベッドである。


(これがセックス……!)


 いまだに余韻が凄まじい。

 かつて経験したことのない極上の快楽だった。

 オナニーでは絶対に味わえないものだ。


「うふふ、私、年甲斐もなく頑張り過ぎちゃった」


 優花さんが抱きついてくる。

 汗ばんだ巨乳が俺の腕を挟んで離さない。


(ドームに出入りできるってマジで最高だなぁ)


 楽に稼げてセックスまでできるなんてな。

 俺は神様に感謝した。


「拓也くん、まだ体力あるよね?」


「もちろん」


「やっぱり若いって最高ね」


 優花さんがイチャイチャしてくる。

 体や首筋を舐めてきたり、耳たぶを咥えてきたり。

 性に飢えているのが俺にも分かった。


「次は俺から積極的に動きたいな」


「いいわよ、リードしてみて」


 俺は体を起こし、優花さんを四つん這いにさせた。

 後ろから彼女の腰に両手を添える。


 主観モノのAVで何度も見た光景だ。

 それを今、現実に、自分が行おうとしている。

 何も考えられなくなるほどの興奮が俺を襲う。


「優花さん……!」


 いざ、第二ラウンド――と、その時だった。


 ピンポーン♪

 ピンポーン♪

 ピンポーン♪


 家のチャイムが連打されたのだ。


「こんないい時に……! 宅配便か?」


 舌打ちする俺。


「そんなわけないでしょ」


 優花さんがテンポよく返してきた。

 さすがは関西人。

 ただ、その顔は何だか不安そうだ。


「とりあえず相手を確認しようぜ」


「そうね」


 セックスを中断する。

 俺たちは服を着てリビングに向かった。

 インターホンのカメラ映像を確認すると――。


「うお!」


 映っていたのは大人数の警察官だった。

 見える範囲で10人いて、背後には数台のパトカーがある。


「でも、警察なら安心か」


「だね」


 少なくとも悪党ではない。

 二人して安堵した。


「どうかしましたか?」


 優花さんが落ち着いた口調で応答した。


「夜分遅くにすみません。家の中に南條拓也という青年がおられますよね? 我々は彼に用があって来ました」


「なんで俺がここにいることを知っているんだ!?」


 反射的に声が出る。

 マイクがオフになっていたため警察には聞こえなかった。


「知らないわよ。私、拓也くんのこと誰にも話していないから!」


 優花さんが必死な顔で言った。


「分かっているよ」


 もちろん俺は信じる。

 優花さんの立場上、俺の存在を他人に話すメリットがないからだ。


 というより、俺はチクッた相手に心当たりがあった。

 枢木美玖だ。他にいない。


(あの女、口止め料を受け取っておきながら……!)


 それよりも気になることがあった。

 どういうわけか警察が俺の居場所を知っていることだ。


 美玖には居場所など教えていない。

 面倒ごとを避けるためヒントすら与えなかった。


「どうしよう、拓也くん」


 優花さんが不安そうに俺を見る。


「松下さん、早く開けてください。開けないと強引に突入しますよ!」


 警察が門をガンガン叩いている。

 近隣の住民が何事かと集まってきていた。


「優花さんは食糧を隠すんだ。警察にバレたら奪われかねない」


「拓也くんはどうするの?」


「俺は素直に出ていくよ。逃げ場なんかないし」


「分かった……。ごめんね、拓也くん」


「謝る必要はないさ。ただ、もう二度と会えない可能性かもしれない。だから食糧は大事に使ってね」


「うん……」


 俺はインターホンのマイクをオンにした。


「お巡りさん、南條拓也です。俺に何か御用ですか?」


「南條くん、外に出てきてくれ。話はそれからだ」


「すみません、その前にシャワーを浴びてもいいですか? 今は汗だくで……」


 可能な限り話を引き延ばす。

 その間、優花さんは必死に食糧を隠していた。


 あと、本当にシャワーを浴びたかった。

 セックスの後だから体が汗でベトついている。


「ダメだ。今すぐに出てきなさい。さもなければ――」


「分かりました。すぐに出ていきますから。そう怒らないで」


 俺はマイクをオフにして優花さんの状況を確認。


「大丈夫、全て隠したわ」


「OK。じゃあ、またね」


「うん……」


 頷く優花さん。

 あまりにも儚げだったのでキスしてあげた。


「安心して。逮捕されるようなことはしていない」


 優花さんの頭を撫でると、俺は家を出た。

 両手を上げた状態で庭を通る。


 優花さんは玄関口から様子を窺っていた。


「門を開けますよ」


 きちんと言ってから門を開け、再び両手を上げる。

 なんだか犯罪者になったような気分だ。


「南條拓也だな?」


 警察官がスマホの画面と俺の顔を交互に確認する。


「はい。それで俺に何の用ですか?」


「………………」


 警察官は答えない。

 かと思いきや、「すまんな」と、俺の手首を掴んだ。

 さらには体をパトカーのボンネットに押しつけられる。

 そして――。


「南條拓也、君を逮捕する」


 俺は手錠を嵌められた。

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