003 口止めと交渉の果てに

「どうしたんだい? 美玖みくちゃん」


「そんなに大きな声を出すとお腹が減っちゃうよ」


 近くの民家からぞろぞろと老人が出てくる。

 勝手に無人と思い込んでいた俺は「いたのか」と驚いた。


 よくよく思えば住民がいて当たり前だ。

 東大阪市民は避難したが、ドーム内の大阪市民はそのままなのだから。

 閉じ込められているので避難のしようがなかった。

 故に彼らは“ドーム民”と呼ばれているのだ。


「私、見たの! この人、今、ドームの外から入ってきたよ!」


 美玖と呼ばれた青髪の女が俺を指す。


「面白い冗談を言うなぁ! 美玖ちゃん!」


 ヘラヘラしながら答えると。


「私のこと知らないのに気安く『美玖ちゃん』なんて呼ばないでよ!」


 怒られてしまった。


「おっと失礼」


 おどける。

 あくまで真面目には取り合わない。

 肯定せずに「この女おかしいですよ」という雰囲気を出す。

 そうすれば凌げるはずだ。


「美玖ちゃん、お家で休んだほうがいいよ」


「お腹が空きすぎて幻覚が見えたんじゃろうなぁ」


 案の定、老人たちは美玖の言うことを信じなかった。


 当然の反応だ。

 俺が同じ立場でも信じない。

 美玖の発言は現代で天動説を唱えているようなものだ。

 それでも、ホッと胸を撫で下ろした。


「本当だって! そこから自転車で入ってきたんだから!」


 美玖が涙目になって訴える。

 しかし、誰も聞く耳を持たず家に戻っていった。

 余分なエネルギーを消耗したくないのだろう。


「どうして……本当なのに……」


 その場に泣き崩れる美玖。


(ちょっと可哀想だな)


 今なら「ほな、また」と自転車に乗って逃げられるだろう。

 だが、俺は自転車を押しながら美玖に近づいた。


 余分に買っておいた食い物を分けてやる予定だ。

 ただし、ここで大っぴらにプレゼントすることはできない。

 周囲の民家から老人たちが襲ってくるに違いないからだ。

 まずは移動しなければ。


「少し話さないか」


 美玖は顔を上げ、恨めしげに睨んできた。


「別に嫌ならいいよ、無理にとは言わない」


「嫌じゃないもん……ドームのこと訊きたいし」


「なら、どこか人目に付かないところへ行こう」


「分かった」


 俺は手を差し伸べ、美玖を立たせた。


 ◇


 近くのコンビニにやってきた。

 店内には何も残っておらず商品棚はすっからかんだ。

 お行儀良く奪われたようで、派手に荒らされた形跡は見られない。


「話を始める前に呼び方を決めておこう。俺のことは『南條』でも『拓也』でも好きに呼んでくれていい。そっちは?」


 狭いスタッフルームで話す。

 俺は安物のデスクチェアに腰を下ろした。


「じゃあ拓也さんって呼ぶね。私のことも好きに呼んでいいよ。拓也さんのほうが二つ上なんだし呼び捨てで大丈夫だから。でも“美玖ちゃん”はやめて」


「なら美玖って呼ぶよ」


 美玖のフルネームは枢木くるるぎ美玖だ。

 俺と同じ4月18日生まれの19歳で、本来なら大学1年生である。

 神戸在住らしい。


「それで、これなんだが……」


 俺はリュックを開け、中からパックのご飯を取り出した。

 目の前の作業机に置く。


「ご飯!」


 美玖の目の色が変わる。

 ジュルリという音が聞こえてきそうな反応だ。


「あげるよ」


「いいの!?」


「いいよ。その代わ――」


「ありがとう! 拓也さん!」


 話している最中にご飯を奪われる。

 あまりにも速すぎて動きが目で追えなかった。


「あ、ごめん! 何を言おうとしていたの?」


 美玖はご飯を服の中に隠した。

 ドーム内における食糧の価値がよく分かる。


「そのご飯をあげる代わりに俺のことは誰にも言わないでくれ」


 咳払いしてから言い直す。


「言わないから、その代わりにドームから出る方法を教えて!」


「さっきあげた米が口止め料のはずだが」


「それじゃ足りないってこと!」


 俺は「ふっ」と笑った。


「なかなか欲張りだな」


「どうしても神戸に帰りたいからね」


「なるほど」


 俺はそこで言葉を句切り、「申し訳ないが」と続けた。


「ドームから出る方法は俺にも分からない」


「分からない? じゃあ拓也さんはどうやってドームに入ったの?」


「それは――」


 俺は本当のことを説明した。


「――ということで、何かしらの方法を用いたわけじゃない」


「そうなんだ……」


 美玖が辛そうに俯く。


「まぁそういうわけだから」


 俺は席を立った。

 口止め料を払って質問にも答えたので終了だ。

 優花さんの家に行って人生初のセックスにふけるとしよう。

 想像するだけで勃起してきた。


「待って」


 スタッフルームを出ようとした時、美玖が止めてきた。

 俺の腕を掴んで離さない。


「ん?」


「今後は私たちにもご飯を買ってきてほしい……」


 美玖が切実な顔で俺を見る。

 彼女の言う「私たち」とは、俺と遭遇した住宅街の人々を指す。

 今にも死にそうな老人たちばかりだった。


「悪いがそれはできない」


「お金なら払えるよ! 私は全然持っていないけど……」


「お金の問題じゃない」


「じゃあどうして!?」


「そんなことをすると口止めの意味がなくなるからだ」


 俺は美玖の手を振り払い、何歩か下がって続きを話す。


「ドームに出入りできることがバレたら、当然ながら皆が群がってくる。今の美玖みたいにな。俺一人でその声に応えるのは不可能だ。先に言っておくが、『私たち』ではなく『私』だとしても答えは変わらないよ」


 俺は車の免許を持っている。

 ……が、ペーパードライバーなので運転はできない。


「そこを何とかお願い。私たち本当に苦しいの」


 美玖が距離を詰めてきた。

 俺の服を両手で掴んで密着してくる。

 意図しているのかは不明だが胸が押しつけられていた。

 良い弾力だ。OK。


「気持ちは分かるが……」


「お願い。何でもするから。欲しいものを言ってくれたら渡すよ!」


 美玖の言葉に耳がピクピクと反応した。


「何でもする……?」


 それは男なら誰しもが妄想に駆られるであろう魔のセリフだった。


「うん! 何でもする! だから拓也さん、お願い!」


 またしても出た「何でもする」というワード。

 童貞且つ立場的に優位な俺は一瞬で妄想に駆られてしまった。


 そして、ひとたび妄想すると、体が自然と動く。

 優花さんに抜いてもらったことで躊躇しなくなっていた。


「そういうことなら――」


 俺は美玖に抱きついた。

 両手の位置を背中から下げていき、スカート越しに尻を鷲掴み。


「えっ?」


 驚く美玖。


「分かるだろ?」


 美玖の尻を揉みながら、俺は耳元で囁いた。


「ヤラせてよ」


 ここでがっつかなくても童貞からの卒業は確定している。

 とはいえ、どうせなら同年代の女とヤリたいという思いがあった。

 なにより俺はこのシチュエーションを夢見ていた。


 荒ぶる鼻息で迫る俺に対し、美玖は――。

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