氷の花 その7

師匠はわたしの顔を見て静かに話し始めた。


「お前が森(ここ)に来てから、もう少しで半年になるのか。速いものだね。…お前を見ていて私はいつも思っていたよ。本当によく頑張る子だなあって。初めの頃は

あんまり喋らないから少し困ったけど、じきにそんなこともなくなった。お前はいつも熱心に学んでいた。私は感心していたよ」


 し、師匠。怒られるのはもちろんつらいですけど、そんなに褒められるのも…

なんか、いたたまれないというか…。


「この子はすごいなあ、どうしてこんなに頑張れるのかなあって思っていた。

…でも、しばらく見ていると、なんだか、これってあんまりよくない状態なんじゃないかって思い始めたんだよ」

「よく、ない?」

「頑張るのはすごく良い。でもちょっと頑張りすぎじゃないかって感じた。身を粉にしすぎじゃないかって」

「そ、そんなことは」

「良いから聴いてて。えーと例えばね、私がリッカに何かしらの仕事を言いつけるとするだろ?それが野外でする作業だとして」


 急に何を言い出すのだろう、この人は。質問したくなるけれど、師匠が真剣な顔で話しているので、口をはさむことはできなかった。


「リッカのことだからすごく頑張って作業をするだろうね。頑張るから仕事は良い

感じに進む。しかし突然天気が悪くなって、大雨が降ってくる。その時普通だったら、いったん作業をやめて家の中に入るよね。それで雨が止むまで待つ。お茶なんか飲みながらさ。普通はそうする」


 そりゃそうでしょう。同意の合図にうんうんと首をたてに振る。


「ところが…今まで私が見てきたリッカのイメージでこの状況を想像するとだね、大雨の中、全身びしょ濡れで作業を続けているリッカの姿が目に浮かぶんだよね

これが!」

「…え、ええ!?さ、さすがにそんなことしませんよわたしは!」

「え~本当~?」

「しません!」


 思わず大声で否定したわたしに対して師匠はさらに問い詰める。


「絶対にしないって断言できるかい?ちょっと想像してみなよ。ああ、その時

リッカ自身がどんな気持ちでいるか、って部分もね」


 しないって言ってるのに…。しかし師匠がそう言うのでしぶしぶその状況を想像してみるのだった。



 …師匠に仕事を頼まれて、多分わたしはすごく張り切ると思う。今日もそうだったし。そして作業して、その日は調子がよかったのか順調に進む。


 あと少しでキリがつく、って時に、すごい雨が降り出して、外での作業だから当然

わたしは家に戻って…もど…


 


 戻らないかもしれない。



わたしは愕然としてしまった。


「どうかな?」

「あの、わたし、もしかしたら戻らないかもしれないです…」

「…それはどうして?」


どうしてわたしは戻らない、と思ったのか。もう一度その状況の時の自分の感情を思い出しながら考えてみると、その理由らしきものがもやもやと頭の中で輪郭を取り始めた。


「多分…わたしは、師匠の期待を裏切ることを怖がっているんだと、思います」

「私の期待を?」


 そう。師匠に仕事を任された、という喜びが大きくて、わたしは一度舞い上がってしまう。その後、その仕事をちゃんと達成させなければという思いが湧いて、それは良いんだけど、なんというかそのことで頭が一杯になってしまうのだ、と思う。


「でもひどい天候なんだよ。それで仕事を中断したからって、わたしは文句を言ったりしないよ」

「そ、それはわかってます!だから、なんていうか完全にわたしの問題なんです!」


 師匠はこんなことでなにか言ったりしない。それは確実なことで、わたしはそのことはしっかりわかっている。わかっているはずなのに…なぜかそのことが頭から吹き飛んでしまう瞬間があるのだ。それはおそらく、きっと…


 

 ちゃんとできなくて、期待を裏切って、そしてから。


 実際はそんなことないのに、師匠はわたしを見捨てたりしないって、わかっているのに。でも何度そう思っても、どうやっても心に恐怖が湧いてくる。


 失敗する恐怖、期待をかけてくれた人を失望させる恐怖、そして、見捨てられる

恐怖。それでわたしの心はいっぱいになる。


 でもおかしなことに、その時のわたしは、自分の心を支配している感情が恐怖であることに今まで気づいていなかったみたいなのだ。あるいは気づかないふりをしていたのか。


わたしは、その感情は恐怖ではなく、「焦り」として感じていた、と思う。

仕事を、ちゃんとやりとげなきゃ、という焦り。その焦りに突き動かされて、わたしはきっと、さっき師匠が言っていたように、まわりの状況がどうなっていてもひたすら目の前しか見えず、仕事に没頭して……ん?



「あ」


これって、まさに今の状況では。


「どうした?リッカ」

「…師匠、わたし、師匠が言った通りの行動してます。今朝…」

「どうやらやっと気づいたようだね」

「…わたしが、自分を大事にしてないって師匠が言っていたのは、このことだったんですね」

「そうだね。私があんなに驚いて湖に飛び込んだ意味わかるだろ?」


 そうだ。わたしはさっき、せっかく採集した氷上花を散らしてしまい、それを取り返すために冷たい湖に胸まで浸かった。とにかく新しい花を集めることで頭が一杯になって…。


「わたし…とにかくきれいな花を採集しなきゃってそのことばっかり考えちゃっ

てて、自分の行動が見えていませんでした」

「いやほんと驚いた…そして心配した…」

「本当にごめんなさい、師匠」


わたしは師匠に頭を下げた。


「まあ顔を上げてよリッカ。よく考えたら私の説明不足な面もあった気がするよ。

さっきはとにかく眠くて…その件については私の方こそごめんね」

「そ、そんな…謝らないでください師匠!全部わたしのせいなんですから…」

「いやそれは違う」


 師匠に謝罪の言葉を言わせてしまった申し訳なさに、わたしが思わずそんなことを口に出すと、急に師匠の声の調子が変わった。













 

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森と魔女とリボンとわたし 城峰 @sorabotan

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