氷の花 その6
師匠に、怒られるのは嫌だ。あきれられるのはもっと嫌だ。でもそれよりなにより、悲しませるのは本当に、本当に嫌だった。
でも今わたしは師匠を悲しませてしまっている。しかもわたしには、師匠がなぜ
悲しんでいるのか、その理由がわからないのだ。
「師匠…」
どうすればいいんだろう。どうすれば。
「ねえリッカ」
「!?」
今まで黙っていた師匠がふいにわたしに声をかけた。
「なん、なんですか…」
「訊いてよ」
「…へ?」
「だから訊きなさいってば。わからないことがあるならさ」
わからないことがあったらきく
まるで小さな子に注意する時の言葉のようだ。
でも、森(ここ)に来たばかりの時、わたしはそれすらできなかった。
わからないことをわからないままでわかったふりをして、そして失敗して、
勝手に自己嫌悪に陥っていた。
なんでわたしがそんな風になってしまっていたのかは、わたしが育った環境にあるのだけれど…、それは今は置いといて。
そんなわたしに師匠は言ったのだった
「わからないことがあったら訊きなさい」と。
その言葉に従ってわたしは師匠にいろいろなことを訊いた。
水の汲み方、服の洗い方、かまどの使い方…わたしはなにも知らなかった。
「魔女」の修行を始める前に、そんなことを学ばなければならなかった。
その次に学びはだんだんと専門的なものになっていった。
初歩的な薬草の見分け方、それの乾燥の仕方、煎じ方、朝起きて空を見てその日の天気を予測すること、夜には月をみて、その日の月の形にはどんな意味があるかと
いうこと。…師匠が教えてくれることは、わたしの今までの人生で一度も経験したことがないことばかりで、すべてが新鮮で、とても、楽しかった。
そして月日が過ぎ、本当に少しずつだけど、わたしは薬草の扱い方なんかの色々なことがわかるようになってきて、初歩的なことならいくつかのことを、師匠に訊かなくても自分で考えて動けるようになっていった。そして、わたしはだんだんと自分に自信を持てるようになっていった。
…でもぜんぜんだめだった。そのことが今日の採集の件でよくわかった。
自分でできることが増えていって、まあそれは師匠の教え方が上手だったからだけど、だから、いい気になってたのかもしれない。
氷上花の採集についてたとえ師匠が半分寝ていようが、無理やり起こしてでもちゃんと訊いておくべきだったのだ。でも、大丈夫、わたしならできるって思いこんで…
そして、この通り失敗してしまった。
そして師匠を呆れさせて、その上悲しませて、しかもその理由がわからなくて、
だから…
わからないなら訊こう。
師匠はそれをさせてくれる。
「師匠」
「なにかな?」
「教えてください。わたしに。どうして…そんな顔を、悲しそうな顔をしているん
ですか?」
わたしがそう言うと、師匠はじっとわたしの顔を見てそれからふっと笑った。
そしてこう言ったのだった。
「訊かれたからには答えないとねえ。…理由はね、お前が相変わらず自分を大切にしていないからさ」
「自分を…?」
“自分を大切にしていない?”わたしが?
「それは…自分を大切にしていないってことは、つまり自分を雑に扱っているってことですか?わたしが、わたしを?」
「そういうことになるね」
「わたし、そんなふうに思ったことありません…」
わたしのその言葉を聞くと、師匠はため息をついた。
「自分で気が付いていないのかー…。たちが悪いなあ」
「そんな…」
だって、本当にそんなこと思ってもみなかったのだ。わたしは自分を雑に扱ってなんていない、多分…。食事は三食ちゃんと食べているし、夜はぐっすり寝ているし。
わたしがそう言うと、
「うん、それは良いことだけど!そういうことじゃなくて…なんというか、時々思い切りが良すぎるというか、無謀というか…、正直ね、見ててヒヤヒヤすることが多いんだよ」
(そうかなあ…)
師匠の言葉を聞きながらも納得できないわたしは、ついついその気持ちが顔に浮かんでしまう。
「納得してないね…。きみが森(ここ)に来てからたびたび、んん!?って思うことはあったんだけど!でも頑張っているが故のあれだと思ってたからさ、できるだけ言わないようにしてたんだよ。…それが今日のあれだよ!もう私びっくりしちゃったよ!
こんなことならもっと早く一言言っておけばよかった!」
よほど腹に据えかねていたのか、師匠の口から流れる水のように説教があふれ出してくる。
「様子を見に来たら弟子が凍った水に半分沈んでたのを目の当たりにした私の気持ちわかる!?思わず私も飛び込んじゃったよ!今めちゃくちゃ寒いよ!おかげで目が覚めたけど!でもすごく寒っ寒いほんとなにしてr」
「あ、そうだ!そういえばなんで師匠ここにいるんです?寝たのでは?」
放っておくと永遠にしゃべっていそうな師匠をさえぎってわたしは尋ねた。
「ああ、それは…私も君を見送った後一息ついてから寝床に入ろうとおもっていたんだけど…」
どうしたのだろう。さっきまであんなに饒舌だったのに、師匠の口が急に重く
なる。
「う~ん、これ言っちゃったらあれだけど…つまり、リッカのことが心配になってね、採集に一人で行かせたことが、ね」
…
うん、やっぱりそうだよね。わたしは一人での採集を任せてもらえた!って盛り上がっていたけど、師匠は心配だったよね。こんな、頼りない弟子に貴重な氷上花の採集なんてまかせて、花を無駄にしたら、っていうか実際無駄にしたし。本当に、本当に
わたしはダメな、
「リッカ、リッカ!またなんかぐるぐる考えているね?私が心配していたっていうのは今君が考えていることとは同じようでだいぶ違うと思うよ」
「…違う?」
「今君が考えているのは、一人で採集に行かせたはよいが、未熟な弟子に任せて貴重な素材をダメにしてしまったらどうしよう、で私がここに来た…ってところだろ」
「あ、そのまんまです。師匠すごい」
「やっぱりねー!」
師匠が得意げに少し胸を張る。そしてそのあと、少しわたしのほうに顔を近づけて、師匠にしてはまじめな顔、まじめな声で言った。
「氷上花はね、確かに貴重な素材さ。最高級のものは一年に一度しか採集できないからね。でも…それでも所詮はただの素材のひとつに過ぎないんだよ」
師匠、そ、それはないのでは…。わたしはよく知らないけど、氷上花はすごい薬効があって、ということはこの花ひとつで病気の人が健康を取り戻したり、あるいは…
命が救われたりするんじゃないの?それを…ただの素材だなんて、わたしにはとてもそうは思えない。
「でも、師匠!氷上花はとても貴重なものなんでしょう!」
「そうだけど、でもここだけで取れるわけじゃないからね。この広ーい森には他にもたくさん湖があるのさ。他の魔女か、こっそり入り込んだ一般人が採集して、必要としている人たちは、ちゃんと…まあそれなりの額を払えば手に入れられるのさ。」
「あ、やっぱりお金それなりにうごくんですね」
「まあそれなりに」
「やっぱりただの素材なんかじゃないじゃないですか…」
もう何回目だ、と自分でも思いながらもまたまたどんより落ち込むわたしだった。
「ああ、もうきりないから一旦花のことは忘れよう!」
いや忘れられないです、と言いかけたところを師匠に軽くにらまれてわたしは黙った。
「…リッカ、まず言っておくけど私はお前を“出来の悪い弟子”なんて思っていない から。それどころかとても物覚えの良い優秀な弟子だと思っているよ」
え、え、どうしたんですか突然。なんでそんなこと言うんですか、恥ずかしいんですけど…あ、まずい頬っぺた熱くなってきた。
「あ、すごく照れてる。でそのすごく優秀な弟子のリッカだが、わたしから見るとひとつ大きな欠点…んーこの言い方あれかな…。えーっと、できることなら頑張って早急に直してほしいところがある!」
「なんか回りくどい話し方ですね」
「だって簡単に欠点なんて言ってしまうのもね」
なんだかよくわからないけれど師匠に気を遣わせてしまっているようだ。
「欠点なんて言うと、なんだかリッカ自身にも責任があるように聞こえるだろう?それは違うなと思ったんだよ。つまり君の…」
師匠はそこまで言うと一瞬言葉を詰まらせたように見えた。それから少し困った顔をして再び話し始めた。
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