第9話 始まりの夢 6

 なんてことない、ただの考え事に対して大袈裟に心配するのだから、とそう思うのだがラングリッシュ家の屋敷に来てから忙しく想いに耽ることなんてなかったのだから心配されて当然かとういう結論に至った。


「ごめんなさい、シンシア。ただね、この生活がいつまでも続けばいいのにって」

「お嬢様・・・。そんなにも私の教育がお好きなのですね・・・」

「違うわよ!」


 ついついシンシアの冗談に乗って大声を出してしまったが、実際間違ってはいないのだ。確かに生活も手放し難いものではあるのだが、生きることに必死にその日を過ごすのではなく、自分磨きをするためにその日を過ごすのでは一つ精神的な不安の階層が上がったと考えるべきだろう。また下に戻るなんて、と考えてしまったのだ。


「この生活にも慣れてきて、手放したくないの」


 湯船に浸かった右手を上げ、指の間からシンシアを見た。


「そうでございますか」


 と一言。茶化すこともなく、そっと目を瞑った。

 そこからはいつもと変わらず、湯船から上がるとシンシアに全てを任せ、濡れた髪を身体をバスタオルで拭い、寝巻きに袖を通してから火照った身体を冷ますために部屋の窓を開ける。

 この瞬間が気持ちよくて好きなのだ。どんなに嫌なことがあっても身体を涼ませている時が悩みも一緒に消してくれるそんな気分になるのだ。

 そして、寝台に入ってから翌日の予定をシンシアから聞き、たわいのない話をしている内にそのまま寝てしまうのだ。




 そして、そんな娘の様子を見にラングリッシュ家当主アルファードが部屋に訪問してくる。

 「どうだ?」と短く一言。その一言に対してシンシアはいつも通り、答える。


「はい、本日は舞踏練習、算学と引き続き食事作法などの・・・、いえ、・・・特に変わらず夢を見ることはなさそうです」


 「そうか」と何とも興味のなさそうに返事をした。アルファードにとってカーナは王から押し付けられた厄介モノ。王命でなければ養子なんてせず、監視下に置いていない。

 王国が建国した後にラングリッシュと言う家名を賜った際に王から与えられた使命は二つ。一つは表の生業である商業区の管理。二つ目は王国に何かあった場合の貯蓄である。飢饉であったり、モノどもの数の管理、そして最も重要な王になり変わるモノを保護し、貯蓄すると言うことである。

 王と同じ力を手に入れるもしくは持つモノなど滅多に現れないこともあり、当代のラングリッシュ家当主にとって厄介なだけであった。

 そんな事情より興味持つ方がどうかしていると言う結論しか出すことができない。ただ現王に何かあった時のためにカーナを保存しているだけに過ぎないのだ。

 このことはシンシアも知っていて、現王の代わりになる存在なのだから杜撰に扱うことはないように、しかしその厳しさも含めて王となる者として教育を施している。


「お話にならないのですか?」

「そのうち、話す機会も出てくるだろう。少なくともこの娘が生きている間にはな」


 シンシアは特に言葉を返す訳でもなく沈黙した。カーナはそんなことも露知らずにすやすやと眠っているのだが、暴漢に襲われて以降、一度も夢を見ていない。起きた時に忘れているのではなく、水が凍って流動することができなくなるようにカーナの意識が止まり、身体が生きるために呼吸をするだけの状態になっている。側から見ればただ眠っているようにしか見えない、何とも不思議な状態である。


「私にもこの年頃の娘がいたのだろうか・・・」


 ポツリとアルファードが言葉を漏らす。しかし、誰も返事をしない。

 暫くカーナの寝息だけが聞こえる状況が続いた。

 この子供は夢を見ない、見ることができない。何とも残酷なことなのだろうか。

 しかし、カーナが夢を見ることでこの国が滅ぶ可能性もある。あの時、そう、商業区でカーナが暴漢に襲われた直後、その周辺で歪みが顕現したのだ。そして、シンシアと共に現場へ向かったアルファードが見たものは倒れている少女と彼女を中心として直径が少女の背の高さくらいだろうか、そんな円の中にこの王国内ではない、廃墟が現れていた。

 そこからは王の側近が現れたことで事態は収縮し、改めて王命によりこの少女を保護。そして、ラングリッシュ家の一員として、王の代替品となるよう教育している。

 アルファードは憐み、卑下するように溜息を吐いた。それ以降何も話さずにシンシアへ目も合わせずに退室した。残されたシンシアは言葉を発することなく、姿を見送る。そこからと言うもの、シンシアと交代でカーナに何かあった時のための使用人が訪れ、夜は更け、そしていつもの朝がやってくるのだった。


「おはようございます、お嬢様」

「ふぁ・・・、おはよう、シンシア」


 カーナが目覚める頃、既にシンシアが側に佇み、言葉を発することなく目覚めを待っている。この日常が当然の日常のように移り行く。


「シンシアは今日も早いのね」

「えぇ、私はお嬢様のお世話係ですから」


 そう言いながら、室内のカーテンを開け、そして、外の涼しげな空気を取り入れて室内の空気を新鮮な状態に。


 それからカーナを起こし、程よく温かいお湯に浸けて温めたタオルで顔を拭く。以前まで≪外モノ≫とは思えない程、肌はきめ細やかですべすべしていつまでも触っていたい。

 瞼を閉じ、外眼部を優しく優しく撫でるように拭く。気がつく。少し下瞼がほんの僅かに赤く腫れていることに。


「お嬢様?何か悲しい夢でも?」


 シンシアは確認をする。カーナに何か心労が溜まっているのではないかと。不満があるのであれば改善しなければ、と。

 そして、この屋敷でカーナが見るはずもない「夢を見たのか」と。

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少女の紡ぐ夢 @Hatoba_Novel

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