ごちそう

 カリラのかなり後方のピスケは、数メートルおきに氷の床を雪に変えながら追跡を続けていた。

幸い、カリラのカマイタチの指輪が常に青く光っているため、長い廊下であっても見失うことはなかった。


「ん……明かりか?」


 ピスケの視線の先に、白い光が何条も見えた。それらの光の筋は、それぞれ意思を持ったように動いている。


「機動部隊だ!」


 ピスケは、息を切らしながらもライトの光るT字路までたどり着いた。

 そこには、既に立ち止まっていたカリラだけでなく、梓、機動部隊、フィーコの姿もあった。

 呼吸の苦しさと疲労から、ピスケは膝に手をあてたまま床に視線を落とす。


「ハァ、ハァ……フィーコ、やっぱりお前も来ていたのか……二人とも頼むから、大人しく帰ろう」


 だが、ピスケの声に誰も答えない。


「……どうした?」


 ピスケが不審に思い、顔を上げる。皆が、同じ方向を見ている。ピスケも同じ方向を見る。

 

 そこにいたのは、壁に背を預け、糸の切れた人形のように座り込む未唯の姿だった。

 その首には、太い氷柱が刺さっていた。

 何度も見た、あの氷柱だった。その透明な氷柱に、血が滴っている。


「未唯!?」


 フィーコは髪を振り乱しながら未唯に駆け寄った。だが、梓がフィーコを後ろから抱きかかえて止める。


「いま触れてはだめです! 動脈や気道をさらに傷つけたら助かるものも助かりません!」

「助かる……助かるのですか!?」 

「瀬ノ川課長はまだ息をしています! 緊急治療室まで慎重に運ぶ必要があるんです! 我々で応急処置を行います!」

 

 梓が目配せすると、機動部隊員達が未唯に駆け寄る。

 その時、未唯はフィーコに気づいたのか、眼球だけをフィーコに向ける。そして、弱々しく口を開く。


「あんが……みつか……まっちゃ……」

「しゃ、喋ってはいけません!」


 ピスケも、未唯の変わり果てた姿を呆然と眺める。彼女に、梓が呼びかける。


「ピスケさん、担架を作れますか。簡易的なもので構いません。頭部を固定できるようにしてください」

「あ、ああ……」


 ピスケは、正気を取り戻したように目の焦点を梓にあわせる。


「分かった、今すぐやる。それが終わったら、お前たちが辿ってきた氷の床を歩けるようにする」


 カリラは未唯をずっと眺めていたが、唐突に隣の機動隊員から無言でライトをぶんどった。


「ねえ、何か、書いてある……」


 カリラが、未唯の背後の壁全体を明かりで映し出す。

 そこには、血文字が書かれていた。

 日本語だ。


『あなたじゃなくて残念。でもごちそうさまでしたわ』


 それを見た瞬間、フィーコはその場に膝から崩れ落ちる。


「どうしてあなたは、私から全部を奪おうとするのですか……それに飽き足らず、未唯の知識まで……」


 カリラはライトをかなぐり捨てた。カマイタチを、未唯に突き刺さっている氷柱と全く同じ大きさ、形状に変化させる。


「殺す。同じ目に遭わせる。殺してやる」


 カリラの瞳孔は開ききっている。カリラは、ワレーシャが逃亡したであろう通路に振り向こうとした。

 だが、足が動かない。


「……?」


 カリラが足元を見ると、そこには床から太いツタのようなものが伸びて、カリラの足元に絡みついている。その近くには、ドワーフがハンマーを構えていた。


「いい加減にしろ。誰の無謀のせいでこうなったと思ってる」


 ピスケが、非難めいた口調でカリラに言う。だが、カリラはますます瞳孔を見広げてピスケを見やる。


「おまえはどれだけアタシの邪魔すれば気が済むんだよ……なあ」


 カリラはカマイタチをチェーンソー状に変化させる。チェーンソーが高速で回り始める。カリラは石のツタを切断するべく、チェーンソーを足元に向ける。

 だが次の瞬間、その右腕をパシッと誰かが掴んだ。

 フィーコだった。


「あなたの気持ちはわかります、カリラ。私だって、ワレーシャを追いかけられるならそうしたい。でも、今は未唯の命が最優先です」

「……フィーコまでアタシの邪魔?」


 チェーンソーの音が、激しさを増す。

 だが、フィーコは怯まない。


「カリラ、聞いてください! あなたが護衛してくれなければ、どうやって未唯をパスまで安全に送り届けられるのですか! お願いです、未唯を助けてください! あなたにかかってるんです!」


 チェーンソーの轟音にも負けないフィーコの必死の訴えを聞いて、カリラは未唯に視線をやる。ピスケの作った簡易担架に、機動隊員たちが慎重に未唯の体を載せている。

 カリラは、ワレーシャが去ったであろう廊下を見る。そこはただの闇だ。

 カリラは、廊下と未唯を交互に見続ける。


「ちくしょう……」


 カリラの手から、チェーンソーが消える。


「ちくしょう……」


 カリラの目に、悔し涙が溢れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無能な皇女と日本政府 しらさわ @shirasawa_hakutaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ