第27話 四大魔術
空中に立っていたのは、不気味な男だった。
人間とは違う薄紫色の肌に、白と緑のフェイスペインティングを入れて、頭に小さなハットを被っていた。
「私は道化の悪魔! グリムスティン! この迷宮の主にして、道化の悪魔!!」
「そんな……嘘だ……なんで……」
アイリスは、奇妙な道化が現れたことでパニックに陥っていた。
なんで。どうして。コイツがここに。
気がつけば、唇と手が震えていた。
なぜなら、この道化は……。
グリムスティンがアイリスへと向き直る。
「貴方はお久しぶりですねぇ? 貴方のお父上に「お話を聞いた」とき以来でしょうか。ああ、でもすぐにお父上に邪魔されて、一言二言しか話せなかったんですっけ?」
ケタケタと嗤うグリムスティンへ、アイリスはかすれた声で問いかける。
「なんで……なんでお前がこんなところに……」
「ンフフフ、本当に探し出すのは大変だったんですよ? もう一度お話を聞こうと思ったのに、国を跨いでこんな東の果ての国へとやって来ていたんですから」
グリムスティンが不気味な笑みを浮かべる。
「まさか、今までの不可解な出来事は……!」
「御名答! すべてワタシの作戦です! この国にはワタシでも分の悪い相手がいますから、迷宮を作ったり、アナタと分断したりと、それはもう大変でした。たった何人かを消耗させるためだけに、ワタシの手持ちをほとんど使い切ってしまいましたよ。ああ、でも人を操るのは楽しかったですねぇ」
「っ人を操る……まさか!」
「ええ、銀行強盗の件も、ワタシが彼を操っていたんです。いやはや、人間とは脆いですねぇ。毎日脳内で囁いただけなのに、すぐに心が壊れてしまったんですから」
「外道め……!」
「おお怖い! 怖いですよアイリス嬢!!」
自分を睨みつけるアイリスに、道化は愉快そうに肩を揺らした。
「………………お前、は」
「はん?」
グリムスティンが真横からの声に首を傾げて振り返ってみれば、そこには真澄が顔を上げていた。
立ち上がることはできないのか、地面に倒れ伏したまま、真澄は途切れ途切れに問いかける。
「何、者だ……」
グリムスティンはため息をつく。
「おやぁ? まだ気絶してなかったんですか? 予想よりも頑丈ですねぇ」
グリムスティンは目をすっと細めると、乱雑に手を振った。
「あぐっ……!?」
するとグリムスティンの手から魔力の光線が放たれ、倒れ伏している真澄に直撃した。
真澄は吹き飛ばされた後、動かなくなる。
アイリスは真っ青な顔で叫んだ。
「真澄!」
「ンフフフ、これで静かになりましたね。さぁ! これでワタシと二人っきりです、アイリス嬢?」
「……どうしてだ」
「ンン?」
「どうして私を狙う!! なぜ貴様は──父を殺した!!」
「そんなもの、アナタが一番よく理解しているでしょう」
グリムスティンは目を細めて嗤う。
「アナタの家であるロスウッド家が所有する、『四大魔術』を手に入れるためですよ」
「!」
アイリスの瞳が見開かれる。
「人間が生み出したその家系にしか使用することのできない『四大魔術』! その中でも無限の魔力を得ることの出来る『
グリムスティンが両手を高く掲げる。
「無限の魔力さえあれば、私はもうこんな迷宮なしでも現実に留まることができる!! ワタシを縛り付けるこの鎖から解放され、一つの存在としてこの世界に居ることが出来るようになるッ!! アナタ方がSランクモンスターと呼んでいる彼らと同じようにッッッ!!」
グリムスティンはたった今思い出したかのように指を上げて「あ、そうそう」と続けた。
「アナタのお父上は意思の『強い』人間でしたよ。なにせ、どれだけ痛めつけても、どんな苦痛を与えようとも、『聖杯』について一言も話したりしませんでしたから」
「貴様ぁッ!!」
「アナタの父上のときは失敗でした……。ろくに情報も引き出せずに時間切れとなってしまいましたから」
グリムスティンは悲しげに首を振る。
「しかし私は学びました。意思の強い人間にどれだけ強い苦痛を与えても無駄です。ならば! 意思の弱い人間を狙えば良いのです! ……ですから、私は時間をかけてお父上が遺したアナタたち姉妹をじっくりと観察しました」
「っ……」
アイリスは自分が観察されていたという事実に後ずさる。
「そして理解しました。アナタの妹君は意思が『強い』人間だと。お父上と同様に、どんな苦痛を与えても揺らぐことはなく、潔く死を選ぶような人間でしょう。しかし、アナタは違う」
グリムスティンはアイリスを指さした。
「アナタは、『弱い』人間だ」
「…………」
「アナタはお父上や妹君のように意思が『強い』人間ではない。他の人間のように脆弱で、少しのことで揺らいでしまう人間だ」
ニタリと嗤うグリムスティンに、アイリスは言い返すことができなかった。
「だから、私は『弱い』アナタに尋ねることにしました」
グリムスティンが人差し指を立てた。
「そして、もう一つ。私は前回の反省を活かして──大切な人を人質に取ることにしました」
「っまさか……!」
アイリスはグリムスティンの示唆することを理解する。
道化は更に笑みを深めた。
「そうです! 彼が人質です!! アナタは随分彼に入れ込んでいる様子ですから、人質になってもらうことにしました! 人間は、人質には弱いのでしょう?」
ンフフフ、と笑い声が響く。
「嗚呼! 人質とはなんて素晴らしいものなのでしょうか! どんな人間でも、どれだけ強く見える人間でも、少し大切なものが傷つけられそうになっただけで、いとも容易く言うことを聞くようになる! それこそ、人間の社会の中でタブー視されている犯罪ですら犯してしうほどに!!」
道化は心底楽しそうに嗤う。
「このクズが……!!」
「おお、怖い怖い!! ──恐怖で手が滑って、彼に手が出てしまいそうだ」
グリムスティンが人差し指に魔力の塊を作り、真澄へと向ける。
「っやめろ!! 真澄には……手を出すな……っ!!」
アイリスは悔しげな表情で拳を握る。
その光景を見て、更に楽しそうに道化は嗤った。
「ンフフフ!! ええ、そうでしょう、そうでしょうとも! 彼に手を出されたくないでしょう!? これ以上、痛めつけられたくないでしょう!? だって、これ以上は死んでしまうかもしれませんからねぇ!? ンフフフフフッ!!!」
ひとしきり嗤った後、グリムスティンは無表情になり、アイリスへと告げた。
「『聖杯』について話さなければ、今から少しずつ彼の身体を削っていきます」
「っ……」
アイリスが一気に青ざめる。
グリムスティンが静かに嗤った。
「では、分かりますね? これ以上彼を痛めつけられたくなければ、私に『聖杯』を渡しなさい。ンフ、ンフフフフフ……」
グリムスティンは堪えきれなかったように笑う。
「ンフフフフフっ」
笑い声が、少しずつ大きくなっていく。
このときのグリムスティンの頭の中にはようやく悲願を達成できるという喜びと、目の前でただ何もできないアイリスに対する愉悦しかなかった。
──だからこそ、気が付かなかった。
「ンフフフフフフフフフフッッッ!!!! さあ! ワタシに聖杯を渡すのですッ!!!!!」
──倒れ伏している少年の身体が小さな音を立てて帯電したことに。
グリムスティンは両手を広げて、少女の心が折れる音を待ちわびる。
「さぁ、さぁ、さぁさぁさぁッッッ!!!! ──へぶッ!?」
グリムスティンの横顔に、拳が突き刺さった。
予想だにしない攻撃を受けたグリムスティンは跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられる。
そして二回地面をバウンドして、顔から地面へと着地した。
「な、なにが……ッ!!」
苦痛に顔を歪めながら頬を押さえて立ち上がったグリムスティンは、目撃した。
立ち上がっているはずのない少年を。
自分が不意打ちで空けた三つの穴からは血が流れ、左腕はあり得ない方向に曲がっていた。
満身創痍という言葉がこれ以上ないほど当てはまるその死に体の身体で、しかし煌々と輝く瞳が自分を睨みつけていた。
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