第2話

あの夜、私は妻に対してある秘密を打ち明けた。



妻以外に約10年間生活を共にしてきたパートナーがいることを。



関係を断つべきか。


それとも家族の一員として迎え入れるべきなのか?


約10年間思い悩んできたことを、あの夜、私は妻に告白したのだ。




すると、妻の口からはあっさりと、そしてどこか私を軽蔑するような口調で「さっさと別れれば」という言葉が発せられた。


妻のあっけない反応に対して肩透かしを食らった私は「はい」とだけ答えて足の裏にできた10年来のパートナーである魚の目にパッチをそっと貼った。







しかし、今考えるとあの時の妻の様子はどことなくおかしかった。


あっさりと答えてはいたがどこか心の奥底で動揺が見られたのだ。


それもそうだ。


旦那には約10年間の月日を共に過ごしたパートナーが存在したのだから。




これは妻に対する裏切りの行為だ。


そんな酷い仕打ちを受けた妻の思いは計り知れない。


私は自己嫌悪に陥った。



しかし、その一方で私の頭の中にはこんな考えも巡った。


10年間を共に過ごしてきたと言っても妻にとってはただの魚の目なのかもしれない…と。




しかしながら、私はあの告白を聞いた時の妻の態度から推察するに、今となっては明らかに前者であると考えている。


嫉妬心を押し殺して平静を装った結果「さっさと別れれば」という言葉が口を突いて出たのだ。


私はそう結論付けた。



妻とは約25年の付き合いだ。


魚の目とは約10年の付き合いだ。



今更別れるにもどちらも付き合いが長すぎた。


しかし、どっちつかずが妻にとっても魚の目にとっても失礼だ。



私はどちらかを選択するべきだ。


そう決心し山に登ることにした。





ということで妻にこの関係性を告白してから初めて3者で山登りをすることになった。



私には選択という重大なミッションが課せられている。


もちろん妻にも魚の目にもこのことは内緒だ。




今日登る山は茨城県に鎮座する竪割山だ。


竪割山は茨城百名山にも数えられ奇岩群が存在する山だ。


その中でも"太刀割石"という巨大な岩が真っ二つになっている奇岩が有名だ。


登山口まで向かうルートは複数あるが、県道60号から十王町黒坂を通るルートが一般的なようだ。


極々一般的であることを自負している私たち夫婦は、その一般的なルートで登山口まで向かった。


黒坂の集落を抜けると車道が一気に狭くなる。

対向車が来た場合は所々に設けられた待避所を利用するしかない。


しばらく進むと一の鳥居と言われている場所に到着する。


ここに車を停めて歩くことも可能だが、さらに500m程進んだ場所にトイレ付きの駐車場がある。


しかし、一の鳥居からトイレ付きの駐車場まではダート路を進む必要がある。


道幅は相変わらず車一台分だ。


待避所らしき場所はないため、対向車が来ないことを祈るばかりだ。



どうやら私の祈りが通じたようで対向車はなかった。

こんな優柔不断な男でもまだ神は見捨てていなかったようだ。


無事駐車場に辿り着くことができた。



管理されたトイレを利用させていただき、準備をして出発した。



しばらくは樹林帯を歩く。


所々に奇岩があり歩くことを飽きさせない。




登り坂はとても緩やかである。

しかし、妻にとっては約3ヶ月振りの登山のため、奇岩を眺めながらスローペースで登った。





暫く歩いた後に私は足の裏、即ち魚の目の驚くべき変化を実感した。



実は数日前に魚の目パッチの効果で魚の目の芯が取れたのだ。



人は世慣れると角が取れて穏やかな性格になると言われている。


どうやら魚の目は世慣れてくると角ではなく芯が取れるようだ


芯が取れて攻撃的な性格がなくなり、私に対して痛みを与えることがなくなったのだ。


まさしくツンデレだ。





3ヶ月振りに山に登った妻は登り坂がきついと泣き喚いている。


しかし、魚の目は私に痛みを与えることなくただ静かに私と山登りを楽しんでいる。





危ない。


今後の真のパートナーに妻ではなく魚の目を選びそうになってしまった。


まだどちらかを選ぶには時期尚早だ。



そんなことを考えながら歩いていると黒前神社に至る鳥居の前に辿り着いた。


このように車では来ることができない山の中に神社が建立されていると、人々の信仰の深さに改めて気付かされる。


もちろん建築材料を担いで登ってきているのは明らかだ。


毎度の如く畏敬の念を抱く。



私たちは黒前神社に参拝した。


ここから竪割山の頂上はすぐだ。


少し歩くと人工物の展望台が姿を現す。


絶景を見たい私は展望台を駆け上がった。


うっすら見えているのは富士山だろうか?

自信はなかったがとても良い景色だ。


私は展望台からの素晴らしい景色を共有するため妻にも展望台を登ってくるように声をかけた。


しかし、妻は俯きながら首を横に振っている。


頸椎を痛めそうなほどに激しく首を振り拒否しているのだ。


もう階段を登るという苦行をしたくないのだろう。


その一方で、魚の目は私に痛みを与えることなくただ静かに私とこの素晴らしい景色を共有している。





危ない。


今後の真のパートナーに妻ではなく魚の目を選びそうになってしまった。


この先何十年も人生を共に歩むパートナーをこんなに早く決めるべきではない。


もう少し考えるんだ。



考えを改めた私は山頂から帰路とは反対方向にある胎内石に向かった。


とても大きな岩だ。


中を覗いたが入ることが憚れたため眺めるだけにした。


その後はいよいよ本日の目的の一つである太刀割石に向かった。


しばらくは元来た道を戻り途中の分岐点を真っ直ぐに進んだ。


すると太刀割石は突然現れた。


とてもすごい迫力だ。



思っていた大きさの2倍はあった。

野沢雅子風に言うと"にべい"だ。



まさしく自然の神秘である。


切断面は鋭利な刃物でも使用したかのようにとても綺麗な平面を生み出している。


この自然の造形物には一見の価値がある。


私と妻は様々なポージングで思い思いに写真を撮り合い笑った。





この感情はなんだ。


とても楽しい。


私は妻とくだらないことで笑い合っている時間がとてもかけがえのないものに思えてきた。

楽しさも"にべい"だ。





私は決めた。


今後何十年も共に歩んでいく真のパートナーは妻だ。


理由は一つだ。






そう。



私の写真を魚の目には撮ることができないのだから。


私の写真を撮ることができる妻を選ぶべきだ。






心を決めた後はとても清々しかった。

胸のつかえが取れたのだ。


帰りの樹林帯で差し込む陽の光もとても暖かかった。


今日も無事に下山できた。






その夜のことだ。


私は妻に対して魚の目との関係はきっぱりと絶って今後の人生は妻と歩んでいきたいと伝えた。




妻は考えているようだ。


眉間には皺が寄っている。


すると妻はドスの効いた声でこう言った。



「だからさ。魚の目なんかとはさっさと別れれば」と。



私はデジャヴを見た。

おかめ山に登った後と全く同じだ。




私は「はい」とだけ答えて足裏の魚の目パッチを静かに貼り替えた。



どうやら妻の辞書にデレという言葉はないようだ。



ツンのあともツンだ。

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出来心の終着点 〜茨城の山々〜 早里 懐 @hayasato

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