22『幽霊少女2』

「逵紀君は『幽霊少女』って聞いた事ある? それに会うのが今回の依頼なんだけど」


 塚掘の質問に駈壟は、内心どこかで聞いた事があるような気がしながらも即答する。


「いや無い」


「それ!」


 が、更に畳みかけるように明湖が反応した。


「明湖は知ってんのか?」


 何一つ含みの無い表情で駈壟が訊くと、明湖は呆れと怒りが九対一で混じった声で言い返す。


「いやこないだご飯の時に話したじゃん! ほら事務所の時!」


「あー、その時なら事務所のインパクトで全部流れたかも」


 などと言いつつ、一応なんとなく思い出せなくもない程度には駈壟の記憶にも残っていた。


 事務所の話題を突然持ち出される直前に上がった、明湖が同級生から聞いたという都市伝説の話題を、素気無すげな一蹴いっしゅうしていたような気はする。


 が、駈壟は欠片も覚えてないフリを貫いた。そしてそのフォローをするように附口が口を挟む。


「少し前から話題になり出したんだけど、駈壟はまだこっちに来て一ヶ月とかだし知らないかもね」


「引っ越してきたんですか?」


 唐突気味な流れで、先刻から駈壟を見つめていたツインテールの少女が興味深そうに尋ねた。何故か妙に注目されていると気付いた駈壟は、少し引き気味に答える。


「そうだ。五月に転校してきた。君はえっと……」


棗美なつみです!」


「ナツミ、ナツミ、ナツミ、多分覚えた。忘れたらすまん」


 駈壟は彼女の名前を繰り返して頭に刷り込む。その時も棗美は駈壟を輝く瞳で凝視し続けていて、その隣に居た美紀は彼女の顔色を更に興味深そうに眺めていた。

 駈壟としても明らかに気にはなっていたが、一旦この場では話題を元に戻す。


「そんで結局その幽霊少女ってのはなんだ?」


「この辺の都市伝説よ。それもトップクラスに具体的なね」


 明湖は率先して答えると、スマホに地図を表示し、ある箇所にピンを立てて説明を続ける。


「ここら辺にボロい一軒家があって、そこに少女の霊が出るって噂があるの。幽霊の少女だから幽霊少女。で幽霊少女が出るからその一軒家は幽霊屋敷って呼ばれてるわ」


「うーわー胡散臭え。ちなみに具体的にはどんな話だ?」


「あ~、えっとね……」


 既にやる気が海底まで沈む駈壟の質問を受けて、明湖が詳細な内容を思い起こそうとしていると、ソファに座っていた大人しそうな方の女子が挙手する。


「憶えてますよ私」


「お、じゃあ頼む」


 駈壟のリクエストに千夏が姿勢を正すと、彼女の癖のない長髪が少し揺れた。


「ある日の放課後、三人の中学生が古い一軒家を見つけました」


 千夏は語り始める。その静かな調子が怪談ばなしの語りの空気を一気に創造して、皆は自然と聴き入った。



「その家は藁戸くさど町の三丁目にある木造一階建ての家です。

 古くてボロボロの誰も住んでいないと思われていた家で、狭い庭先では雑草がぼうぼうになっていて、誰かが手入れをしている様子もありません。


 しかし三人の中学生のうちの一人の男の子が、急にこんな事を言い出しました。


「今、家の中に人が居なかったか?」


 そう言われて残りの二人はそのボロボロの家を眺めますが、人の姿はありません。

 ですがふと彼らは、近所で起きた事件の噂を思い出します。もし誰かが家の中で事件に巻き込まれていたとしたら……。

 そう思った三人は家の中を窺いました。


「すみませーん、誰か居ますか?」


 と一人が玄関から叫びますが、家の中はシンとしています。玄関の扉は横へスライドするタイプの扉で、鍵が掛けられておらず、ガラガラガラと音を立てて簡単に開きました。


 中に家具とか靴とかは一つも置かれていなくて、廃墟なんだと彼らは思いました。ただ、家の中に上がってみて、誰かが遊び半分で隠れていたりしないかだけは、少し調べる事にしました。


 彼らは靴を履いたまま室内へ上がります。板張りの床はギシギシと音を立てて、廃墟の筈なのに中では不思議と人気ひとけが消えません。


 蛇口から水が滴って、ステンレスのシンクをボツ……ボツ……と叩く音が響き、廊下は外光が差し込まなくてとても薄暗い中で、その奥に到着します。そして一人が木の扉に付いた金属のドアノブをゆっくりと捻り、部屋の中を遂に覗き込むと……」



 千夏は次の言葉を溜める。

 おっとりとした彼女の声は脳へ語り掛けるような、中学生の技術とは思えない迫力を秘めていた。


 美紀が兄の腕にしがみついて今にも目をつむらんとしている時、いよいよ千夏は続きを話す。



「そこには首吊りの縄を巻いた、上下逆さまの少女の後ろ姿があったのです。


 その子は小学生くらいの体格で、天井から下がる縄を背中側から首へ絡みつかせ、頭を下にして浮かんでいました。


 そんな現実離れした少女の長い髪も、怨念を振り撒くように四方八方と部屋に広がっていて、少女がゆっくりと、ゆっくりと振り向き、入って来た者を殺そうと自分の首の縄に手を掛けました。

 彼らは自分の首に縄が掛かった感覚を錯覚し、我先にその場を離れました。


 中学生達はなんとか逃げ出す事が出来ましたが、その日以降あの屋敷でそんな少女の霊を目撃したという話が、時々出るようになりました。


 彼らがあの時思い出して屋敷に入ろうと思った切っ掛け。それは以前近くの地域で起きた、小学生の女の子が殺された事件でした。その子の幽霊こそが少女の正体という噂もありますが、本当かは分かりません。


 しかし幽霊の少女が出るその屋敷はいつしか幽霊屋敷と呼ばれ、誰も近寄らなくなったのです……」



 千夏の語りが終わると、明湖と附口と、彼女の隣に座っていた絵里奈が小さく拍手をし、千夏は小さく照れた。駈壟も怖がるまでは行かず、何も無い右下の方へ目を逸らして物憂げに黙っていた。


 ただ語りの上手さも含めて塚掘にはやや刺激が強かったらしく、話している最中からずっと怖がっていた妹の手を握って青ざめている塚掘少年と、逆に結末を終えた所で震えが収まって落ち着きを取り戻し、それどころか何かの爽快感さえ感じている美紀の姿があった。


「あれれれれれ? 反応逆じゃね?」


 ふとそれに気付いた駈壟の指摘で塚掘の肩が跳ねる。美紀はそれにも驚かず、さっきまでの様子が嘘のように、今は兄が妹にしがみついているような状態だった。


「俺はホラ、終わった後が一番怖いタイプというか」


 塚掘は裏返った声でそう言った。逆に美紀はすっかり笑顔になっていて饒舌に補足する。


「私は怖いのがピークになってウワー! ってなるのが好きなタイプなんです! 映画とかも途中はお兄ちゃ……兄と一緒に見て貰って、終わった後は私が一緒に居てあげる感じで」


 一回何かでピークが過ぎれば全ての精神状態がリセットされるのか、美紀が明らかに抱いていた駈壟に対する緊張すらももはや吹き飛んでいた。


「なるほど。怖がりなのに調べたいのはそういう辻褄つじつまか」


「駈壟そこ納得してなかったんだね」


 そして若干すっきりした表情の駈壟を横目に、附口が固まった微笑みのままそう呟いた。


 その微妙な隙間時間でふと絵里奈がソファから立ち上がり、先ほどからずっと駈壟を見つめていた棗美の耳元で何かを囁いた。


 すると棗美は何かに気付いたような表情になり、無言で席を立つと向かいの席に座っていた駈壟の隣に来て腕にしがみついた。


「え、何」


 動揺し過ぎて駈壟の声から逆に棘が薄れる。


「怖いので!」


「いや絶対違うよね」


 棗美の表情は恐怖とは全く無縁の、何かの期待に満ちたような顔をしていた。


「なんか好かれてるね?」


 附口がにやりと笑うと、棗美も間髪入れずに肯定した。


「そうです!」


 駈壟は少女の目の前に人差し指を立ててみせ、そこから指で一つずつ丁寧に数えながら確認していく。


「俺達初対面だよね?」


「初対面です!」


「実は生き別れた行方不明の妹とかじゃないよね?」


「じゃないです!」


「ここには如何なる因縁も無いですね?」


「ありません!」


「俺の腕にしがみつかないといけない事情がある?」


「無いです!」


「俺から離れられない理由は存在しないね?」


「しません!」


「ではこの腕を離してください?」


「分かりました!」


 棗美はそう答えてゼロ秒で駈壟の腕を離すと、一秒でまたしがみ付いた。






 空にはまだ青が染みていて、午後の明るさが黄色いままだ。


 女子中学生四人と高校生四人が、車通りの全く無い一方通行の車道に広がって歩いているのも中々の珍事だが、それ以上に特筆すべきは駈壟の腕を棗美が未だに、満面の笑みで掴んでいる事だった。


「ちょっとお三方」


 駈壟は前を歩く女子中学生三人へ呼び掛け、彼女らがそれに反応すると自分の左腕のひっつき虫を指差して尋ねる。


「こいつはいつもこんな感じなのか?」


 その質問には絵里奈が答える。


「いつもじゃないよ。でも美紀のお兄さんと初めて会った時はそうだったかな」


 絵里奈はいつの間にか、附口から強奪していた黒縁眼鏡を掛けている。黄色いシュシュで作った黒髪のサイドアップとの妙なマッチ感が、彼女の清楚なギャルっぽい雰囲気をいつも以上に醸し出していた。

 彼女の隣を歩く附口がどんな顔かも少し気になるが、駈壟はひとまずすぐ傍の疑問から片付ける。


「じゃあなんで塚掘君にひっつかないんだ」


「ああ~、それは……」


 ばつが悪そうに塚掘が答えを迷っている間に、駈壟の左腕に巻き付く棗美が批判的に続きを言った。


「だって陽人ようと君が先に彼女作ったんだもん」


「ヨウトって?」


 そう引っ掛かる駈壟に、


「俺の下の名前……」


 と塚掘は苦笑しながら補足し、駈壟は「ああ」と一人納得した。

 そう話す間にも左腕に寄生していない方の女子中学生三人が、棗美の様子を興味深そうな笑顔で見つめていて、その視線を眺めると駈壟はようやく気付く。


「え、それコイツが俺の彼女になろうとしてるって事?」


 意味不明な状態に困惑する駈壟に、幽霊少女の話をおどろおどろしく語り聞かせた時とはまた違う、穏やかな表情で千夏が頷く。


「そうですよ」


 そしてそれに乗っかるように、棗美がまた調子良く口を開いた。


「こうやってぺたぺたすれば男子は簡単に勘違いして落ちるんでしょ?」


「と、説明したからには京が一俺が君に惚れた場合、それは勘違いだからもてあそばれないよう縁を切る方がいいわけだな?」


「それは勘違いですー!」


 揚げ足を取った駈壟の腕を、棗美は一層強く抱いた。


 だがこんな時間のために彼らは歩いたわけでは無い。当然に目的がある。奇しくもこの会話を丁度着地点として、その場所に到着するタイミングだった。


「あ、見えた!」


 活き活きと叫びながら美紀は兄の腕を引っ張って、徐々に曲がる一本道を先に進む。

 そこには噂に違わぬボロボロの木造一軒家が、道をY字に分けるように孤立していた。


 胡乱うろんな都市伝説の発祥元としてのポテンシャルはあるものの、遠目にはびた鉄か木材かの判別が付かないような、外壁の木板がささくれ立っていて中の様子を隠しているだけの、みずぼらしい廃屋はいおくでしかなかった。


「……ただの古い民家だな」


 玄関の方へ回りながら駈壟がそう呟くと、絵里奈から眼鏡を取り返した附口も同じように建物を観察する。


「表札無し。生活感も無いし、まあ空き家なのかな」


「中には入るの? 見つかったら不法侵入だけど」


 悪びれる事無く明湖がそう発言し、駈壟は反射的に切り返した。


「見つからんでもだろ」


 が、明湖は意に介さないような調子で呟く。


「まあ事件現場も屋上も入ったし今更か」


「いやそれとこれとは話が違……わないけど、流石に民家はアウトだろ」


 言い訳する駈壟の手が空間を撫でて、どうにか正当化出来そうな角度の言葉を探りぐが、明湖も詭弁きべんの接点を見つけては隙間を突いていく。


「じゃあ今までのはセーフ?」


「改心したんだ」


「で罰金は受けたの?」


「それはお前もだろ。よしんば俺がアウトだとして、今ここで住居侵入罪を良しとするのは話が違う」


 屁理屈がいつにも増して好調な駈壟は、意見を中々譲らない。

 度々不法行為を行ってきた彼の中のラインを明湖もまだ計りかねていた。


 その間に絵里奈は一人密かに敷地内に入り、雑草に囲まれた飛び石を踏んで玄関の前でインターホンのボタンを押した。


「ぴんぽーん!」


「あっ、おい」


 駈壟が静止しようと声を掛けた直後、その家の玄関である古めかしいスライド扉が横に勢いよく開いた。


 無人なのに。


 焦げ茶色のアルミフレームで固定された粗いりガラスの向こう側にも、地面と摩擦しガラガラと音を立てて開き切った扉の奥にも、一切、誰の影も無い。


 場の空気は一気に凍り付き、その場に居た全員の心臓が鼓動を加速させる。

 最も玄関に近かった絵里奈は先ほどまでの無邪気な笑顔を完全に消失させて、引き攣った口元を震わせていた。


「今誰か、何か見た?」


 誰も塚掘の言葉には答えない。この異常事態に塚掘の恐怖心はむしろ頭を働かせた。彼は臆病に突き動かされるように、玄関の扉の奥や、敷地にある狭い庭らしき部分、自分達の後ろを確認する。


 しかし斜陽はただ日常通りの町を照らすばかりで、この屋敷の玄関以外の異常は何処にも無い。この八人だけが異常を目の当たりにし、他の通行人は誰もこの異変には気付いていなかった。


 一歩一歩に力を込めるように駈壟は玄関の傍まで歩いて、絵里奈を驚かせないよう彼女の視界に自分が入った所で肩を叩く。


「一旦他の奴の近くに居ろ」


 青ざめた顔で絵里奈はがくがくと頷き、必死に戻って千夏へ抱きつく。その千夏も玄関を見たままの体勢で、恐怖に押し固められたように立ち尽くしていた。


 駈壟の観察する限り、玄関のスライドドアに不審な点は無い。紐やモーターなどで遠隔に動かせる仕組みは無いし、先ほど独りでに動いたのは風等による通常の物理現象とも思えない。


(もし幽霊少女に元ネタがあるなら……)


 考察に区切りを付けた駈壟は、皆の方へ向き直るとこう告げた。


「扉が開いたという事は、立ち入りを許可されたと解釈出来る。今から中に入るが誰か来るか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る