報告書2『陰謀ミステリー』

21『幽霊少女1』

 自分の腕先が消えたのを見て、こう呟く少年が居た。


「……これどっちだ、セーフか?」


 駈壟かけるだ。


 放課後の屋上に吹き抜ける風にも負けず、癖が強い彼の黒髪は乱雑な形を保とうとしていた。学校指定のカッターシャツのそでの方がよほどよくなびいていた。

 少し人相が悪いのは、彼の持つ黄色い瞳の鋭さだけではなく、普段からずっと不機嫌そうな顔なのが原因なわけであるが、今はむしろ悩ましい表情をしている。


 どう見ても、自分の肘から先の腕が消えているのだ。


 右手を前に出しているだけだが、その腕先は空間の途中でシャツの袖ごとスパっと消えて、出血の無い切れ目に、拡散的で小さなけが僅かに確認出来ていた。


 腕を動かすと、消失する領域が空間に固定されているかのように虚無から腕が復活したり、また飲み込まれたりする。


 一方でその消えた方の腕を見る人物も居た。


「……ちょっとヤバい説もあるかも」


 歪んだ景色を映し出す、空間上の凹面から映えて来た肘から先の右手だけを見ながら、明湖あこはスマホにそう告げる。


 彼女の持つ『隠れる能力』の思わぬ副産物的なこの現象が、目下この場に於ける二人の悩みの種だった。


 この実験の発端は直前。


 鈴の音事件と呼ばれる連続傷害事件に関する推理や、それに関連している疑いのある雑居ビル壁破壊事件について、駈壟と明湖の二人が放課後に学校の屋上で話し合っていた後の事だった。


 そして大した進展も発見も無いままに気が済むまで推理と仮説を話し込んだ後に、二人は思い出したのだ。以前この屋上で話した時、ある生徒が屋上へ続く扉のすぐ傍で隠れていた事を。


 高校の屋上と言うものは基本的に、生徒が勝手に侵入出来ないよう扉が施錠されている。


 ただし駈壟に限っては『幽霊化する能力』によって、あらゆる物質をすり抜ける事で侵入可能。更にその対象は彼自身に留まらず、扉でも明湖の肉体でも能力によって幽霊化させる事が出来る。

 駈壟さえ居れば施錠は問題にならないのだ。


 だがこの能力にも制限はある。

 それは不可視にはなれない事。幽霊化した肉体は他者に観測されてしまう。


 以前この屋上から出た時は、屋上に向かう明湖を怪しみ潜んでいた生徒に、扉をすり抜ける所をまんまと目撃されたのだ。


 その上での現在、対策に明湖の隠れる能力が役に立つのではないかと意見が出た。しかし同時にある問題が二人を悩ませていた。


 駈壟は消えてない方の手に持ったスマホへ、泥のように濁った重たい声で話す。


「地面に触れてる靴底の部分に影が出来るなら、扉をすり抜ける途中の断面にも影が出来るかも……なんて単純な話じゃなくなったぞこれ」


 ようは隠れる能力を併用して幽霊化で扉を通り抜けた場合、何も変化をもたらさずにいられるのかという話だった。


 結果、駈壟の腕が隠れた。


 扉を抜けるという状況を的確に再現出来た実験では無かったが、これはこれで新事実が発覚した。

 明湖の能力で隠れている範囲に無理に物体を近付けると、隠れる領域内にめり込んだ部分は消える。駈壟としてはあくまでも『らしい』と付け足すが。


『つまり、私の能力を併用して扉を抜けると隠れた範囲は消える……? 扉だとまた変わる? ブルーシートの時ってどうだったんだっけ?』


 通話越しにそう疑問を口にする明湖に、呆れた声で駈壟は溜息を吐いて呟いた。


「自分で分かってない能力の原理が俺に分かるかよ」


 能力者は自分の能力の原理が分からないままでも能力が使える。細胞間での化学反応を知らなくても呼吸し、神経信号のパターンを考えずに動かそうと思った手足を動かせるように。

 それ故に、能力者自身すら認知していない現象が起こる場合が存在する。


 明湖の隠れる能力に起こる、地面の接地面に生じる影しかり。外と中で音がほとんど遮断される事もしかり。

 現在起きている消失しかり。


 しかしそれ以外にも今の明湖には不思議な事が見えていた。


(てか何……?)


 景色と手の位置にズレがあった。


 明湖の能力が外からの観測をさえぎる副作用なのか、内側からも外の光景は普段の視界そのままに見えるわけではない。彼女を中心とする球形の膜のような範囲に、彼女の身長よりも高い視点での景色が映し出される。


 その内側に居る今の明湖には、景色を映し出す領域の境界面から飛び出た駈壟の右手が見えていた。

 なのにそれは、景色に映る駈壟の手と連続していない。


 明湖の膝元あたりに映っている駈壟の右手は肘先の辺りで消え、断面は真っ黒な陰に潰れている。その数十センチ上の部分から、連続性を持たずに手の続きが生えていた。


 これがどういう事なのかと明湖が考えていると、先にスマホから駈壟の声が掛かった。


『取り敢えずどうすんだ』


 明湖が能力を解除すると、歪んだ世界は歪んでまばらに正常化されていく。


 通行止めされていた風が彼女の黒のミディアムヘアをサラサラと揺らし始め、生えていた腕先の根っこが明かされるかのように、正常な景色で目の前に立っている駈壟が見えた。


 明湖と駈壟は同時に通話を切断しスマホをしまう。


「どうったって、また扉の前に誰か居たら見られるし、外を回って昇降口に行くしかないんじゃ」


 ベストアンサーではないと表情で語りながらも、明湖としてはそう提案するのが関の山であり、駈壟もそれを分かっていながらどうにも素直に頷けない。


「つっても能力の解除場所どうすんだ。生徒も居るし」


「昇降口から良い場所探してずーっと回り道よね」


 極論彼女が挙げたこの案で解決は出来ると駈壟も理解はしたが、顔には面倒臭いと書いてあった。


「……次から屋上は辞めるか」


 少し間を空けてから、諦めたように駈壟は呟く。


 ちなみにこの時、屋上へ続く扉の前の踊り場は無人だった。






 三丁目の東側にある、三階建ての灰色ビルの二階。

 錆びた鉄扉の右に、三十センチ四方の小さなホワイトボードの看板があった。

 そこには少し歪んだ明朝体のような文字が書かれている。


 都市伝説探偵事務所。

 一応ここが逵紀きど駈壟かけるを中心とした、ほぼ同好会同然の探偵事務所という事になっている。当然全く正規の探偵業を営むレベルではない。


 しかし今日、六月八日。

 今後は会合に屋上を使うまいと駈壟が決めたその翌日の放課後、事務所はかつてないほどの満員御礼、と言いたくなるほど狭かった。


 便宜上はこの事務所の探偵である附口つきぐち鷹行たかゆき活疚かやま明湖あこの姿があるのは当然として、まずは見覚えのある男子が一人。塚掘つかぼりという名前を駈壟はスッと思い出せた。


 もっとも塚掘は前回依頼者にして鼠の調査などで最も長く関わった依頼者。二日前の日曜日に丁度依頼を終えた所であり、思い出せない方が少々問題ではあるが。


 だが、それ以外に四人居る。正体不明の少女達が。


「たった十分来るのが遅かっただけでどうしてこうなるんだ」


 玄関を開けてすぐ面食らっていた駈壟がそう呟くと、室内七人分の視線が集まった。


 中でも塚掘の左に座る茶髪を細いツインテールにした少女が、駈壟を見ると一際目を見開いているが、駈壟はそこまで細かい事には気付かなかった。何より全員から視線は刺さっているのだ。不機嫌を加重させるだけでリアクションは手一杯だった。


 こういう事態を引き起こす原因に駈壟は一人心当たりがある。探偵事務所のイベントメーカーと言えば、と推理を介さず犯人を決め付け、駈壟はそいつの方を睨んだ。

 駈壟の重たい声と睨みにこの場で唯一、眼鏡を掛けた胡散臭げな男子だけは普通の反応をする。


「遅かったね駈壟」


「附口お前、そんなに自分の耳を漬物にしたかったのか」


 槍の先端にも劣らない鋭さで言われた附口は、余裕の笑顔を浮かべて手を振り即否定する。


「いや、今回は僕じゃないよ」


「お前意外に誰がこんな量の依頼者連れて来るんだよ」


「塚掘君がね?」


「その流れで俺!?」


 鬼面が塚掘にズレると慌てて彼は目線を右往左往させたが、しかし弁明は何も出てこなかった。






 事務所の中は天井に空調用の銀色のパイプが通っている。フローリング風の床が敷かれているが土足可。中央には長机が二連で置かれており、入口を入って左側は窓、右はホワイトボード、奥には土足禁止の絨毯じゅうたんに古びたソファが置かれていた。


 が、机に置かれているパイプ椅子は一辺に三つの合計六席。今この場に居るのが八名なわけであるから、必然二人はソファ席に座る事になった。


 その二人分の特等席を勝ち取ったのは依頼者の内、駈壟が初見の少女二人。

 ホワイトボード側には駈壟、附口、明湖が奥から順に座り、その向かいに残りの少女二人と塚掘が席へ付く。


 先に少し話を聞いていたのか、附口が一応の進行役として話の最初を切り出した。


「今回の依頼者の塚掘つかぼり美紀みきちゃん。塚掘君の妹さんで藁戸くさど中学の二年生」


 向かいの三席の真ん中に座る少女へ附口は手を向けた。


 その子は気の弱そうな少女で、少し肩に力が入っている。ウェーブの掛かった長い黒髪も緊張を持つかのように形を保っている。

 どうやら駈壟の不機嫌さも彼女を怖がらせる大きな要素らしく、駈壟が彼女を見ると目を伏せて、顔色を窺うような視線になった。


 それに気を遣ったのかマイペースなのかは不明だが、附口は部屋の奥側三人の方に手を向けて続ける。


「他の三人は美紀ちゃんの同級生。えっと、名前は」


江澤えざわ棗美なつみです」


 まず美紀の隣の席に座っていた少女から自己紹介が始まる。棗美と名乗った彼女は、胸辺りまで伸ばした長い茶髪のツインテールを持ち、宝石のように輝く赤い瞳が今も駈壟を見つめていた。


 視線に少し居心地の悪さを覚えた駈壟は、逃げるようにソファに座っている残り二人の方へ顔を逃がし、彼女らはその場で一人ずつ立ち上がって流れで続ける。


寺百合てらゆり千夏ちなつです」


 礼儀正しくお辞儀をした長髪の少女が千夏と名乗る。

 黒い長髪に青色のカチューシャを付けているが、髪をまとめる役は実質担っていない。高校生を相手に全く動揺していないようで、落ち着いた表情で彼女は、隣に座る少女の肩をポンと叩く。


「そして私が小嵩こだか絵里奈えりなで~す!」


 最後の一人の少女が椅子から飛び上がり、声も跳ねるように揚々ようようと名乗った。

 絵里奈は頭に黄色の大きなシュシュを一つ付け、そこから片側だけ髪をサイドへ降ろしている。髪色の黒さと制服の着こなしの几帳面さが、むしろ言動の溌剌はつらつさに似合わない少女だった。


 全員が同じ学校に通う女子中学生である事が、共通の制服から窺える。故に印象の類似が拭えず、駈壟は頬杖を付きながら先に釘を刺す。


「俺は逵紀きど駈壟かけるだ。悪いが四人の名前を一気に憶えるのは無理だから、何度か名前を訊くと思う」


 忠告に対し絵里奈が「は~い!」と元気よく返してソファに座り直すと、駈壟は依頼者側唯一の男子である塚掘に向き直って本題に入った。


「で多分、塚掘君が話を通す感じなんだよな?」


「そうなるかな、ハハハ」


 塚掘はぎこちなく笑う。

 依頼者と紹介されたのはあくまで彼の妹だが、今こうして話す間に駈壟がチラと目を向けただけで、彼の隣に座る美紀は兄の腕にしがみつく。仲介の必要性をなんとなく察する動きだ。

 それを見た明湖は駈壟の仏頂面を眺めて横から呟く。


「確かに中学の時は高校生って得体が知れなかったわよねえ。駈壟ももっと愛想良くしてあげなさいよ」


 そして駈壟は眉一つ動かさずに断り話を強制で打ち切って進め始めた。


「無理だ。明湖か附口が担当しろ。てことで塚掘君にまず三つ訊きたい。依頼の内容、依頼する理由、この託児所状態の経緯だ」


 気怠さがまぶたを降ろして駈壟の視線の鋭さを上げる。それに当てられたのか、塚掘は無意識に轆轤ろくろを回しながら取り留めなく答え始めた。


「えっと、僕が土日に家を開けてた事から、美紀とここの話になって、それで昨日美紀の友達に話が伝わった時になんか盛り上がったみたいで、丁度美紀も都市伝説で調べたい事があって、でも美紀は怖がりだし誰か一緒にの流れから、でも女子中学生で高校生の溜まり場に行くのもあれだから、僕が一緒に来たというか」


 駈壟は少し眉間を抑えて沈黙し、頭を整理してから口を開く。


「つまりその仲良し四人組の、怖いけど調べたい事への協力が今回の依頼、事務所の紹介は塚掘君からってことか?」


「そうそう!」


 前のめりに肯定する塚掘に、駈壟は後ろのめりで尋ねる。


「して、その内容は?」


 詳しい内容は依頼者本人からの話になるかと思い、駈壟は塚掘の隣で縮こまる美紀の方を向く。

 同じ思考で塚掘も妹の方を見るが、駈壟の視線に気圧されているのか、少し口が開いているだけで声は出ず、兄の腕をより強く握っている。


 すると塚掘は美紀のウェーブ掛かった髪の後ろの方を優しく撫で、彼女の代わりに駈壟へ向き直ると話を続けた。


「逵紀君は『幽霊ゆうれい少女しょうじょ』って聞いた事ある? それに会うのが今回の依頼なんだけど」

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