20『主人公の始め方5』

 灰色の四角い部屋にパイプ椅子が一つ。

 椅子には男が一人、手錠を掛けられて座っている。


 男は大学生くらいの外見で、ポケットの無い灰色の長ズボンと簡素な白いシャツを着せられている。それから鬱屈とした社会不適合な目付きを淀ませて、すっかり覇気が抜け落ちた様子だった。


 天井に付けられている監視カメラと見つめ合い、彼は口を開くと半開きの蛇口から出る水のように弱い声を垂れ流す。


「あの日は警官を襲うつもりで交番の前で張ってたんだ。だが急に通報かなんかで雨ん中パトカー出したから、俺も追いかけた」


 室内に付けらえたスピーカー越しに、ややザラ付いた男性の声が尋ねる。


『何故追いかけた?』


「俺を救わなかった社会へ鉄槌を下し、孤独に啓蒙けいもうしていたあの人に会えるかもと思ったからだ」


 男は背凭れに寄り掛かり天井を見上げる。瞳に義憤らしき何かが宿っている気配もあるが、既にほとんど燃え尽きていた。


『続きを話せ』


「……ある路地に着いた。あの日の雨は強かった。だから深夜でも音が響かなかったんだろう。そこで俺は二つ見た」


 肺を膨らませて男は一度大きく息継ぎをする。それから目をつむまぶたの裏にその日の光景を思い起こしながら喋った。


「一つはビルの壁に空いたでっかい穴。もう一つは地面に埋まった銀色の小さい鈴」


 男は目をギッと開く。


「俺にはすぐに分かった、鈴の音事件に関りがあると。だが標的が警察じゃない時点であの人の意思じゃない」


『お前はソイツと面識があるのか』


 無意識に力み始めていた体を緩め、深い息と共に俯くと男は続きを話す。


「無い……だがあの人は、被害者を救う義務を放棄したお前ら警察を断罪するために事件を起こす。そっちも俺があのガキを襲ったから俺が犯人じゃないと分かったんだろ?」


 俯いた内側で男の顔には苛立ちが刻まれていた。






 その取り調べが行われたのは二日前だと記事には書かれている。

 そして二日後の今、放課後の屋上で駈壟は自分がスマホにまとめた情報を見ながら、その内容を隣で座る明湖に聞かせる。


八木山やぎやま玲矢れいや。コイツが俺を襲った奴だ。鈴の音事件の犯人を自称したが模倣犯だった。過去の事件にアリバイが成立してた回があったみたいだ」


 明湖と駈壟が初めて互いの能力を知り、壁破壊事件を協力して調査した日の事を二人は記憶から引っ張り出す。


 夜になった帰り道で駈壟はある男に襲われたわけだが、その犯人である反射行動の設定能力を持つとされた男は、駈壟と対峙したタイミングで能力のトリガーに鈴を使ったり、逮捕後本人がそう自供していたため鈴の音事件の犯人だと一度報道された。


 が、明湖が見つけた記事ではそれが訂正されていたのだ。

 という報告をしてみれば駈壟は更に詳細に調べていた。その差を悟った明湖は自分のスマホをしまって、主に駈壟のメモと推理をアテに話を考える事にした。


「なるほど。事件に感化されて、自分が社会不適合から出られない責任を押し付ける思想に芽生えたってわけね」


「で、真犯人を手伝おうと能力で調査する俺を口封じ。警官も二人だけは瞬間的に落とされたわけじゃなかったが、前の記事からは記載が省かれてたらしい。まあコイツはこれで終わりだ」


 明湖が話を聞いている限りでは、この辺りの真相は恐らくほとんど考える余地は無かった。ほぼ全て言葉通りだろう。だがそうなると話は振り出しに戻る。


「なら後はどうなるのかしら」


 彼のメモから目線を外し、景色を眺めながら明湖は現状の思考を整理していく。というのを察して、既に整理済みの駈壟は彼女をサポートするようにどんどん話を展開していった。


「問題はそこだ。過去の鈴の音事件はともかく、壁破壊事件と真犯人にも本当に関係あるとすれば更に話が変わる」


 ある雑居ビルの壁が大きく破壊された事件を、明湖と駈壟は一度現場まで行って調べた事がある。


 その壁は室内からの力で壊されたように破片を外へ散らし、室内の床もタイルが吹っ飛んで土っぽい基礎が少し見えていた。


 何より不可解だったのはその穴に面する袋小路になっている路地の、穴よりは入口側のアスファルトに埋まっていた鈴だ。

 駈壟はこの鈴から連想し、鈴の音事件と関係があるのでは無いかとは推理していた。


 情報が増えた今、その推理が何処まで進展しているのか。

 素直に明湖は訊いてみた。


「駈壟はどこまで分かってるの?」


 駈壟は手元の情報と明湖の反応を交互に目で見ながら話す。


「まず、事件名にもなった鈴の現物があったのは使うからだ」


「被害者が聴いた鈴の音って奴?」


「そうだ。正確な証言は『大音量の鈴の音がした』だった。実際聴力にもダメージがあるって記事には書かれてる。多分マジで鈴の音で気絶させてる。だが気絶するほどの音量を町中で何度も使って被害者以外に騒音の通報は無い」


 単純に目の前の情報から明湖は一番シンプルな結論を出す。


「つまりそれが能力、音を操るって事?」


 駈壟は浅く頷いた。


「多分な。捜査攪乱のブラフじゃなければ」


「鈴の必要ある?」


 少し引っ掛かりを覚えた明湖のその質問は、駈壟もほとんど否定材料が無いのか自信無さげに仮説を並べる。


「正直分からん。代替品が無いか、能力の条件か、本人の思想か……」


 明湖はやや不満そうだが、追求に成果が期待出来ないと判断し話題を次に進めた。


「ならあのビルの壁の破壊はどういう話になるの?」


 駈壟は勿体ぶる事無く二本指を順に立てて話す。


「要点は二つだ。何故壊された被害しか無いか。何故鈴を埋めたか」


「破壊が目的?」


 ひとまず安直に思い付いた順に明湖は言ってみた。駈壟も馬鹿にするような素振りは無く、一つのアイデアとして考慮した上で論理を構築し、あくまで説だけを否定する。


「あそこまでして壊す価値がある物は無い、記事通りならな。それに機密機材や書類狙いでももっと楽な手はある」


 顎に手を置き明湖は次を考える。徐々に以前話した時の情報を思い出し始め、思考の回転速度が上がり始めた。


「ふむ。現場に被害者は居なかったのよね。けど盗みでも壁まで壊さないわよね。なら……戦った?」


 彼女は自分で言って自分で少し驚いていた。明湖もまさかというつもりで口にしたに等しいのだが、確かめるように駈壟の目を見ると彼はここで頷いた。


「同意だ。それこそがやっぱ最初からおかしかったんだ。過去の事件では証拠が無かったのに、何故今回は残した?」


「メッセージ、としてもアスファルトに埋める理由は無いわよね。ただ鈴を落とせば済む。つまりわざとじゃない」


 調子良く推理を伸ばしていく明湖に、駈壟は少し感心する。


「意外とスラスラ付いてくるなお前……」


「名探偵アコと呼んでくれてもいいわよ?」


 このドヤ顔で一瞬流れは止まった。

 以前にも同じような事をのたまっていた事を駈壟は思い出し、今回は溜息一つ分だけは反応した上で、面倒臭いという感情を口にだけ出さずに会話を続けた。


「……でだ。そもそも鈴の音事件は警官の完璧な気絶が能力無しでは無理だ。本物の鈴を使ってる事件かは知らんが、真犯人もまず能力者だろう」


「そうね」


 先の発言をスルーされた事に対する不服が明らかに含まれている声で明湖は相槌を打つが、もう駈壟は完全に推理モードに戻っていた。


「で現場の鈴が真犯人の物で、落とす気は無かったと仮定するとして、何故回収しない?」


 明湖はテンションを切り替えて真面目に考える。


「気付かなかった……いや地面に埋まるほどの事があって気付かない事ある?」


「考えにくいだろうな。だが警察は証拠として回収したから鈴が外れなかった可能性も低い」


「つまり人の方が拾える状態じゃなかった。あれ!? 能力者なのに負けてんじゃん!? てかこれ……」


 駈壟の誘導あっての結論ではあったが、それぞれに一定の理がある推理に導かれて出た答えに気付いた瞬間、明湖は動揺で瞳が泳ぎ出した。

 そして駈壟の一言が、明湖の突拍子も無い発想を彼も導いたのだと確定させる。


「別の能力者に襲われ拉致された。あの事件の被害者は鈴の音事件の真犯人だ」


 能力者と一般人が喧嘩をした場合、一般人が勝つ事は非常に難易度が高い。


 例えば明湖の隠れる能力ならば、足の影から位置を割り出して不意打ちに対処したりという戦略はある。

 だが駈壟の幽霊化の能力の場合、戦闘という状況が成立した時点でどう足掻いてもまず勝ち目は無い。


 能力者を戦闘でどうにか出来るとすれば、能力者が相手だったという結論になるのは自然な理屈だった。


 しかしそれは話の一つ一つを見た場合であり、事件全体の真相と考えると明湖はどうにも飛躍した結論に思えていた。


「いやそこまではこじ付けでしょ~、大体別の能力者って何よ」


 少し引き攣った笑い方で冗談めかして明湖が指摘すると、駈壟は目を逸らしてかすかに上擦った声で言った。


「……分からん」


「はいテキトー! 陰暴論~!」


 指を差して明湖がそう決め付けると、駈壟は自分に向けられたその手を払って不機嫌そうに言い返す。


「んな都合良く手掛かりが現場に揃ってるわけねえだろ、推理小説じゃねえんだぞ」


 すると今度は親指と人差し指を伸ばした鉄砲指で顎を支えて、駈壟とは対極に上機嫌な声色で明湖は喋る。


「次の事件が起きないと真相に辿り着けないとか、探偵が聞いて呆れますなあ」


「うっせ」


 自分の膝を使って頬杖を付き駈壟が顔を正面に背けると、満足したのか明湖はその場に立ち上がり、少しの嫉妬心を忍ばせた穏やかな声で告げた。


「けど私としては事件も歓迎かな。アンタの主人公補正に期待してるわよ」


 西日に少しずつ黄色く変えられ始めた空を明湖は眺める。


 その隣に座りっぱなしの駈壟は、一拍分の風音が通り過ぎるくらいの間を置いてから、吐き捨てるように言った。


「んなもん無えよ。けどまあ警戒はしてろ」


「え?」


 意外な忠告に明湖は思わず振り向いた。

 駈壟は彼女と目を合わせず、正面の空間を見つめながら呟く。


「あの壁と鈴は、隠し切れなかった違和感みたいなものだと思う」


 二人の居る屋上は少しずつ彩やかな光を失い、陰影が灰色に均されていた。


 明湖はキョトンとした顔で彼を見下ろしていたが、駈壟は深刻にも見える顔で、鉛のような声で語った。


「きっとこの町の裏では何かが起きてる。それこそ想像も付かない何かが」


 流れる雲が太陽を隠し始めていた。

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