18『主人公の始め方3』

 明湖の認識では塚掘がここに居る筈が無かった。

 塚掘に頼んだのは、明湖達が本来調査するエリアの見回りと異常の報告だけだ。駈壟を追っていた自分の方へ来る指示などしていないし、それは鼠の拘束に失敗した事よりも想定外だった。


「ちょっ、なんでここに居るの!? 何してるの!?」


 鼠が逃げないよう目を配りながらも、抑え切れない驚愕に流されるまま明湖の口からは質問が飛び出した。


「助けに来たんだよ!」


 塚掘の回答に明湖はどう反応すれば良いか困り、半端な返事しか出てこない。


「助けって……」


 内心、活躍を奪い余計な事をと思うような気持ちもある反面、現実として今自分が大怪我を負う寸前だったのを考えればそんな事を言える口は無い。加えて危険は重なる。


(よく見たら前見た時よりデカい……!)


 一回りではある。誤差とする事も出来なくはない。しかし無視するにはあまりに明らかに、明湖の記憶よりも鼠の体長が大きい。


 塚掘の助けが無ければ決着していたかもしれない。その紛れも無い現実によって明湖の感情と理性は反発していた。

 その葛藤の天秤を傾け切る言葉が塚掘から続く。


「やっぱり素人が捕まえるなんて危な過ぎる! 一旦逃げて後は逵紀君か警察に任せよう!」


 頭に血が上るのが感覚的に分かるほど、明湖にとってその助言は最悪の一言だった。理性をぶっちぎって一瞬で体が強張った。

 だがそれと同時に、怒りよりも更に強い絶望感が押し寄せて彼女の表情を塗り潰す。


「何よそれ……」


 熟し過ぎて潰れた木の実のような、感情の凝縮された声で明湖は呟いた。


 塚掘の言う『助ける』とは明湖の身の安全の話だ。目的に対する助力ではない。ずっと塚掘はその姿勢を持っていた。

 だが駈壟の強烈な主人公性に注目するあまり、塚掘が自分の意志で指示に従わないほどの行動力を発揮する可能性が、明湖には考慮出来ていなかった。


 ここまで来て、目的を目の前にして、それでも自分を覆せないのかという耐え難い無力感。希望が崩れる喪失感が彼女の内側で暴れ始める。

 この状況も付け焼刃の浅知恵で足掻いただけで、結局のところ活疚かやま明湖あこは主人公にはなれない人間なのか。


 思えば今まで生きて来た人生に何度かこんな状況があった。自分が主人公になれると思い、期待し、裏切られる。成長する事でようやくその現実を受け止め学べていたのだと思い出した。


 今までずっと同じ感情を繰り返し、そして遂に諦める事が出来ていたのだ。






 だから挑む、に。






「……下がってて」


 そう言いながら明湖は塚掘の肩を押し退け、鬼気迫る表情で悪魔のようなその鼠を睨みつける。


 希望ではなく決意によって、絶望したまま立ち上がる。


「ちょっ、これ以上は本当にヤバいって!?」


 塚掘の静止を無視して、明湖は鞄から追加の粘着シートを新しく取り出した。


「ここで逃げるくらいなら、頸動脈けいどうみゃくを食い千切られる方がマシ」


 彼女がそう吐き捨てると塚掘も説得は諦め、呆れと苛立ちと恐怖心の混じった様子で口早に告げる。


「ならもう逵紀君達を呼ぶ」


 一瞬だけ明湖の目線は揺らぐが、すぐに考え直す。


(いや、首を二人とも噛まれないとは限らない。彼は助けを呼ぶ権利がある。私は駈壟が来る前に捕まえるしかない!)


 自分に残された時間の少なさを予感した明湖は、すぐさま鼠に飛び掛かり再度の捕獲を狙う。


 鼠はもうギミックを理解している。シートの粘着力も拘束の決定打にはならない。だが流石に高校生の本気が負けるほどの筋力ではない。

 問題があるとすれば瞬発力だ。


「くッ……!」


 シートの面で叩こうとする以上空気抵抗で速度は崩れ、真正面からの攻撃はどうしても躱される。鼠は一回横に跳ねるだけで一メートルは移動した。

 加え彼女が鼠に挑むと、塚掘はそれを止めに掛かる。


「ちょっ、離れてっ!?」


 彼は明湖の腕を掴み対峙する鼠から遠ざけようと力を入れ、明湖が声を荒げても譲らない。


「そっちこそこの場を離れ――っ!」


 それを隙だと捉えた鼠は、武器持ちの明湖に向かって跳び付く。辛うじて塚掘の手ごと引っ張り彼女は盾を構えた。


 鼠の歯が板を貫通する。一瞬だけ粘着しながら鼠は板を強烈な力で蹴り、その蹴りの力に重心を崩され二人は仰け反って再び鼠との距離が生まれた。


「邪魔ッ!!」


 乱暴に塚掘の手を突き飛ばし、明湖はシートがまだ大きく破損していない事をチラ見で確認する。そして今度は粘着シートを奪い取ろうと手を伸ばした塚掘を、視界の端で捉え反射で器用に躱した。

 それでも塚掘は食い下がる。


「邪魔してるんだよ!」


 動機が理解出来る所為で、本気で苛立ちを覚えながらも明湖は必要以上に拒絶し切れず、


「危ないなら一人で逃げてよ!?」


 明湖がヤケクソにそう叫んでもその程度では塚掘は引かない。


 二人とも目の前の状況に当てられて、意見を曲げる選択肢を思考から切り捨てていた。


 抑制を振り切って塚掘は、最も彼女の心を揺り動かせるであろう言葉を切り出す。


「もういいだろ、活疚さんは主人公じゃない! そんなの現実には無いんだよ!!」


 だが既にその段階は越えている。


「分かってるよッ!」


 表情を影に沈めて針山のような危険性を直観させる表情で、苦しそうに明湖は叫んだ。


「なら、」


「だから今から始めるの」


 彼の言葉を肯定した上で、それを自分で痛感し心が折れて既に諦めるに足る感情に沈んでいった上で、なお塚掘の言葉を遮ってでも彼女は自我を貫く。


「主人公になれないんなら、なれる私になればいい」


 笑みはしない。彼女は油断無く鼠を睨み、塚掘の乱入を警戒し、いつでも動けるように構える。心を削って作った燃料で挑む明湖を見ていると、自然と塚掘は目を見開いて疑問を零した。


「認めた上で諦めないの?」


「もち」


 彼女は即答する。


「なんで……?」


 彼が重ねて問うと明湖は瞳を鋭く尖らせて、張り詰めた糸のように真っ直ぐ答えた。


「今までと違うことだけが、今を変える可能性だから」


 明湖は肩から鞄を外して鼠に投げ付けた。


 赤黒い鼠は後ろに強烈にステップし投擲を躱す。そのまま道に壁を作る民家の塀を着地点にして連続で蹴り跳ねると、一気に明湖の頭へ齧歯げっしを突き出した。


 動物の反応速度から繰り出される反撃は素早い。連携も無い状態で始まったこの一連に塚掘が手を伸ばしても、最初のように助けが間に合う事は無い。行く末は明湖と鼠で決着する。


 明湖は構えていたシートを鼠の跳躍軌道に滑り込ませる。鼠の前歯がバスッと音を立てて貫通しシートにまた穴が空いた。着地を支えた四つ足に何度目かの拘束力が働くが、歯を抜くと再び鼠はそこから逃れるべく力を込める。


 その瞬間に空間が歪んだ。


(逃がすかッ……!!)


 明湖が能力を発動し、外から見える姿がける。

 中から見える世界を暈かす。


 平衡感覚を殺されるように景色が歪み、まだらに混ざるように拡散して、鼠は『より異常な現象から逃れる本能』を働かせる。

 正体不明の空間を警戒し動きが止まる。

 それが明湖の狙う最後の隙だった。


「っじゃラァッ!!」


 シートを折って地面に鼠を叩き付け、明湖は勢いのままに意味不明な叫び声を出した。


 段ボールに出来た膨らみの出口を塞ぐように、折れ曲がるシートの開く側を足で踏みつけると、明湖は能力を解除して傍に落ちている鞄を乱暴に掴み取って、


「塚掘君、シート出して!」


 と叫ぶ。助けに入ろうとしていた塚掘は流れですぐ体を動かし、明湖の鞄にある粘着シートを取り出して開いた。

 更に鼠が抵抗する。


「っ……活疚さん!?」


 それにすぐ反応した塚掘が叫んだ。

 鼠は明湖の靴の下から、シートごと引き摺り出てしまうのではないかと言う強さで暴れ、


「暴れんな!」


 明湖は鼠をサンドイッチした粘着シートを手に取る。シートの段ボール越しにしっかり鼠の胴体を掴むと、塚掘が開いたシートの粘着面へ叩き付けて、全方向の隙間をトリモチで閉じた。


 明湖はシートの端を踏んで抑える。鼠の体そのものを踏むのは抵抗があったが、これでも油断は出来ないと考えかなりギリギリまで深く踏んでいた。


「はあっ……はあっ……」


 遅れて息が切れ始めた。全身に汗がじっとりと滲んでいるのが今なんとなく分かり始め、明湖はこの結果をようやく理解し出す。


「捕まえたんじゃないこれ……?」


 隣で尻餅を付いて、今更呆気に取られている塚掘に彼女は笑って話し掛けた。ただ塚掘は瀬無せなさの浮き出る暗い顔でうつむくと、


「……そうだね」


 と溜息交じりで呟いた。


 それとほぼ同時に、幽霊化して家々の上を飛んできた駈壟と附口がこの場へ到着する。


「二人とも大丈夫かい!?」


 真っ先に附口がそう声を掛ける。明湖も塚掘も疲労は深いが怪我は一見して無く、地面に降りて幽霊化を解除すると附口は安堵し、逆に駈壟は安堵を掻き消して不機嫌そうに言った。


「無事なら能力で飛ぶんじゃなかった」


 すると明湖は何処か懐かしさを覚え始めるようなニヤつきで、少し大仰おおぎょうに言い返した。


「残念、もう遅いわよ」






 事務所の天井の蛍光灯が二、三度点滅して室内を照らし、外の暗さと比較する事で三人はようやく時間を感じる。窓には明るい室内の様子が夜の影にくっきり反射し、日没で赤が消えかかる空が見えなくなるのももうすぐだった。


 窓際で部屋の奥側のパイプ椅子に座り、塚掘は何処か不安そうに両手を握り合わせて尋ねる。


「鼠の後処理さ、附口君に全部丸投げして良かったの?」


 この場に今附口は居ない。隣で机に頬杖を付いていた駈壟は、少し体勢を動かして背中を伸ばした時に特有の力んだ声で答えた。


「買って出たのは本人だし文句は言わんだろ。大体俺達で持ってたってな」


「なら結局正体は分からないまま?」


 その向かい、ホワイトボード側に座っている明湖が気の抜けた声で訊くと、駈壟も緩和したままで話す。


「引き渡した先での調査次第だよな、警察か業者か知らんが」


「もし本当に動物の能力者ならニュースになるんじゃないかな」


 二人の会話に苦笑を浮かべて塚掘が言うと、明湖も鼻からふんと息を吐いて納得したのか、腕を組み座り直して背凭れをギシと鳴らした。


「つか俺はいつになったら帰れるんだよ」


 一度会話が途切れた隙を、駈壟が鈍い声で刺す。それに反応して弾ける爆竹のように、明湖は立ち上がって声を張り上げた。


「アンタが看板変えるって言ったんでしょ!? こっちは別に活疚探偵事務所のままでもいいんですけど!」


 この事務所の看板問題に関する議題が残っているのだ。

 最終的には実害もほぼ無かった気もするが、塚掘の依頼についての調査方針で一度この名前を理由に、渋々駈壟は方針の却下を飲み込んだのだ。対策しないわけには行かない。


「だからさっき案出しただろ」


 駈壟は平然と反論する。代わりの名前は明湖の猛烈な反対を主な原因として中々決まっていない。

 が、ホワイトボードに書かれたその原因を明湖は指差して言う。


「『探偵じゃないです事務所』は没でしょ!?」


「いや『余計な依頼が来ませんように』という願いを込めてだな」


「込めんなそんな願い!」


 二人の言い合いにある絶妙な温度感は、二人の仲が悪いとかどちらの責任がとか、そんな雰囲気で無いのは塚掘にも伝わっていた。


 彼らの漫才もほどほどに、塚掘はずっと気になっていた事を訊いてみた。


「そもそもここってどういう目的で探偵してるの? 附口君からはちょっと変わってるとは聞いてたけど」


 いざ改めて訊かれると、明湖の認識ではこう言語化される。


「駈壟が興味ある事を調べるって感じかな」


 特に駈壟からも異論は挟まれず、強いて言えばという程度の自分なりの補足を付ける。


「町で異変が起きたとかなら依頼歓迎だ」


「町の異変……都市伝説的な?」


 塚掘がそう言うと明湖が突然手を叩き、


「それ!」


「え何」


 急にテンションが置き去りになった駈壟の疑問符を無視して、明湖はホワイトボードに何かを書くと、渾身の一手に自信を込めて駈壟に振り返った。


「どう?」


 都市伝説探偵事務所。


 という少し目の滑る文字列が殴り書きで書かれていた。駈壟は少し興味深そうにしていたが、ジトっとした視線でぼそっと評価した。


「思春期中二病か?」


「じゃなんならいいのよ」


 椅子にドカッと腰を落とし明湖は呆れた物言いで不満を零す。だが駈壟は無言で立ち上がるとホワイトボードの前まで移動し、明湖の手からペンを取って左上に『決定』と書き加えた。


 明湖に再び何かのエネルギーがみなぎり勢い良く立ち上がると、


「よしっ、看板書いてくる! 明朝体みんちょうたいでカッチョ良く書いてくるわ!」


 と叫んで、駈壟からペンを取り返し外へ出た。同時に玄関先で丁度会ったのか、


「あっ、附口君お疲れ」


「ありがと」


 という会話が聞こえ、入れ替わるように附口が入って来た。


「どうだった?」


 駈壟が真っ先に尋ねると、相変わらず貼り付けたような笑顔でややわざとらしく附口は話す。


つつがなく。でも調査結果を教えてもらえる保証は無いって」


「……まあ研究調査となると大人の事情もあるか」


 駈壟はそう呟いて少し目を伏せるが、納得はしたのか感情は特に表さなかった。


「ともあれこれで依頼は完了かな」


 パンと手を合わせて附口は敢えて明るく喋り、それに合わせて塚掘も微笑み、頬を指で掻きながら話した。


「うん、ありがとう。特に附口君には礼を言うよ。俺の我儘に協力してもらって」


「いいさ。僕も止めるまでは行かずとも危ない事は反対派だったしね」


 二人の間で通っている意味を読み取り損ねたのか、駈壟が引っ掛かりを口にする。


「協力?」


 すると附口はスマホを取り出して見せながら説明した。


「あーほら、活疚さんが僕らを出し抜こうとしてた奴。僕あれ先に塚掘君から聞いててさ、活疚さんから場所が来た時に僕らが居た位置を教えたんだよ」


 話題にされると駈壟は思い出した。


 明湖のメッセージに釣られて送られた地図の場所まで走っている途中に、附口が突然元の場所へ戻るように言って来たのだ。しかも塚掘から附口に送られたメッセージが『たすけてやばい』だけとなると、人目に付くのも甘受かんじゅして流石に能力を使わざるを得なかった。


 が、過ぎた事は仕方がないとは割り切れている。

 駈壟の中での新事実は別にあった。


「え、塚掘と明湖って協力してなかったのか?」


「うん、実は」


 思わず確認すると塚掘はばつが悪そうに肯定した。更に追加情報を附口は解説する。


「僕がちょくちょく塚掘君に場所送って、僕らを追う活疚さんを塚掘君が追うっていう二重尾行状態だったんだよ」


 そういう話になると駈壟はますますスルー出来なくなる。


「じゃあそっち調査してなかったのかよ!?」


「ごめん……」


 再び思わず責めそうになるが、謝る塚掘を見ると駈壟は手の平を向けつつ反対の手で眉間を抓み言った。


「いや、塚掘君はいい。依頼者だからな。情報整理を手伝ってくれた時点で釣りが出る」


 彼はいいなら誰は良くないのか、という思考が塚掘にも附口にも自然と浮かんでいたが敢えて口には出さなかった。


「あはは……」


 控えめに塚掘は笑うが、その表情がすぐに消えて俯くと彼の顔に影が出来た。その様子に気付いた附口が声を掛ける。


「塚掘君どうかした?」


 気付かれると思っていなかったのか彼は少し慌てて、


「いや、その……」


 と口籠る。机の下で両手を組み握り親指同士を回して、塚掘は何処か余所余所しいような、弱弱しいような雰囲気が漂っていた。


 頭の後ろを掻いて癖毛を浅く乱しながら、駈壟は出来るだけ棘の無い声で話す。


「まあ結局アレの正体は不明だしな。依頼達成とは言い難いか」


「あっ、いやそれは大丈夫。ちゃんと依頼は……」


 誤解を生んだ事に焦り塚掘は訂正するが、その途中で言葉が止まると深呼吸を一つしてから、塚掘は静かに語り始めた。


「多分俺はこの依頼で、安心したかったんだろうな」

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