17『主人公の始め方2』
昼食をファストフード店で過ごし、途中に喫茶店で休憩し、それでもこの土曜日をほぼ調査に費やした結果。日が傾いてから始まる調査報告と状況整理の時間には決定的な一手が出た。
「今日の調査のお陰で分かった事が三つある」
事務所の窓の外からオレンジの町に反射する光を受けながら、木金用に続き三枚目の地図を机に出して駈壟は告げる。
地図は平日の比ではない数と範囲にマークが付けられている。それは今まで薄っすらと表れていたマークの集中度合いの差もまた、今までよりも遥かにはっきりと明暗が分かれていた。
三人もその地図は自分達でまとめたため既に見ているが、改めて確かな成果が見えてくると、疲れた意味もあったような気がして少し目に気力が戻った。
駈壟は報告を続ける。
「まず鼠はほぼ間違いなく毎日出現してる。午前中に無事だったエリアが午後荒らされてたのを確認したし、目撃情報をまとめると三日連続で鼠が出た場所が一つあったのもデカい」
説明しながら駈壟は地図のある一ヵ所を指で示す。
ゴミが荒らされていた置き場がバッテンなのに対し、鼠の目撃情報があった場所は丸が付けられている。
日時が分かった場合はその横にメモがあるが、その中の一ヵ所に二つの日時がメモされており、更にそこは木曜日の地図にメモされていた箇所と一致していた。
「つまりもうここは縄張りってわけね」
得意気な笑みを浮かべて明湖が言うと、頷いた上に駈壟が更に話題として拾う。
「そうだ。そんでそこが二つ目、行動圏に繋がる。考えてみれば家庭ゴミは毎朝収集されるし、燃えるゴミは週二回。食料を探すなら毎日生ゴミが出る飲食店の辺りが自然と縄張りになる」
地図のマークが集中している地点の何ヵ所かは、元から地図に記載されていた飲食店の名の傍でもある。
「まあ自力でゴミ箱ごと倒せるならそうだよね」
両手を組み握って塚掘が深刻そうに呟いた。
いくつもの荒らされたゴミ置き場を見掛けていたわけだが、中には倒れないようにという工夫で付けられた止め紐すら食い千切られていたものもあった。まともに対策するにはかなりコストが掛かるであろう事は想像に難くない。
とは言え、あの赤黒い鼠の異常性も増すばかりではなかった。
その話題にも駈壟は等しく触れる。
「そんで三つ目。最初に明湖が見た時は犬の死骸を袋にしてたが、これはレアケースだった可能性が高い」
「目撃情報だとビニール袋を使ってたって話だったね」
良いタイミングで眼鏡を持ち上げる附口の補足説明を肯定し、駈壟も駈壟でそこから考察し情報を発展させる。
「ああ。巣の発見と被った所為で異常さが目立ったが、あれはあくまで野生動物との争いと食料確保に、光物へ興味を示す習性が噛み合っただけだったんだろう」
彼らの中ではたった一度の目撃による衝撃が焼き付いて、何処か印象が膨らんでいるのではないかという感覚もあった。
そもそも普通のドブ鼠ですら、実際にふと見掛けると体が驚いてしまうものだ。そんな中、この正体不明の鼠相手に捕獲を実行する精神力の足しにするためには、こうした小さな安心材料も軽視出来ない。それをこの場の全員が理解していた。
「休日丸ごと使った成果も出てるし、こんだけ絞り込めばあとは詰められそうね」
明湖にしては控えめな笑みで地図を手に取り彼女は言う。
「だな。想定外の
駈壟も表情にはほとんど出ていないが、彼には珍しく若干浮付いた声音で明湖の意見に同調していた。
その変化に明湖は勘付いていた。そして駈壟の方へ目線を向けると何かを企むように目を細める。そして更に横で、彼女の表情に漏れ出る内心をなんとか見極めながら塚掘も警戒は緩めなかった。
翌朝の組み分けでは流石に一度駈壟から指摘が入った。
「なんで今日も塚掘なんだよ、流石に今日は俺と組む方が絶対調査の効率いいだろ!?」
日曜朝の事務所に、近所迷惑一歩手前の可能性すらある声を張り上げて明湖は淀みなく反発する。
「それだと駈壟一人で解決しちゃうでしょ!? それとも捕獲は私に譲ってくれる? それもそれでなんか嫌だけど」
そんな風に確認されると駈壟も渋い顔をしながら肯定する。
「まあ確かに譲らんが。俺がやる方が速くて確実で安全で簡単で融通が利くし」
「でしょーが! てか
二段重ねの反応で明湖の口調にエンジンが掛かるのに釣られて、駈壟も少し語気が太くなり始めていた。
「つか利用し合うって最初に提案したのそっちだろ」
その言葉に明湖は一瞬ぐっと喉が閉まる。
確かに彼の言う通り、最初に二人で探偵になろうという話を明湖が持ち掛けた際、交換条件として自分の能力を活用しても良いと発言したのは明湖からだった。その代わりに駈壟の探偵業へ同行する事が許されるのだと。
とは言え明湖はなんとか理屈を持ち直して反論する。
「今アンタと組んだら私の目的は死ぬの! でも駈壟は私と組まなくても別に事件は調べられるでしょ!?」
明湖が自分の目的に触れると、駈壟の目付きが一瞬変わる。表情変化を抑え切ろうとして瞬き一つになんとか留めたが、しかし瞳孔が収縮して黄色い瞳の比率が増していた。とは言え本当に一瞬だけで、明湖が言い終わる頃には既にいつもの自然な不機嫌面を取り戻して、そのまま勢い任せの文句を付けた。
「歩くの疲れたんだよ!」
「依頼者が歩くんだからアンタも歩け!」
その勢いを受け継いで明湖もそのままそう告げた。
それから数分後。
静けさに気配が立ち上る町の中で彼らは動き出す。
説得に失敗した駈壟は自分の足で調査に向かい、事務所のビルのすぐ前の道で反対方向へ分かれた明湖は、道を曲がった駈壟の姿が死角に入ったのを見ると、
「じゃあ塚掘君、今日もよろしく」
と言って肩に持つ鞄のベルトを手で抑えながら、駈壟の後を追いかけ始めた。そして明湖の背中を見送りながら一人この場に残された塚掘も、それに驚いてはいない。昨日の時点で彼女は既に合流時以外はこうしていたのだ。
それに関する説明を受けたのも丁度昨日の調査開始時点、事務所を出た直後のこの場所だった。
そこで明湖は事件の種明かしをする探偵のように語っていた。
『駈壟を出し抜く策ってのは能力の弱点じゃないわ。仮に私と駈壟が能力で戦っても何も出来ず完封される』
『そうなの?』
この時の塚掘は素直に疑問を抱いた。明湖は駈壟達が向かった曲がり角の方向へ歩き、一応声のトーンを落としながら説明した。
『駈壟は無敵と一撃必殺と飛行持ち。仮に同時に鼠に辿り着いても勝てやしない。けど私が先に鼠を見つけるのも希望論。今までとは違うやり方が要るわ』
言葉尻はやや自嘲気味で、前日に爆発していたネガティブさが抜け切っていないような印象も受けるが、事実だと塚掘も思った。
『ならどうすんの?』
故に彼女の自信が不思議で仕方なかった。この一点に於いては塚掘も心配より好奇心が勝っていたかもしれない。
明湖の答えはシンプルなものだった。
『対決になる前に決着を付ける』
この辺りから塚掘は彼女の方針が何となく判り始めた。
一晩掛けて考えた禅条から受け取った助言への応えにして、彼女の『やらなかった事を見つける』という言葉が示す、活疚明湖がやらなかった事の正体。
塚掘の予感を確信へと変えるように明湖はその内容を告げた。
『鼠を追うんじゃなく駈壟を追うの。駈壟こそが主人公なら、活躍の機会は駈壟に作らせる。そして駈壟を鼠から引き離して、能力を使おうと思うより先に私が解決する』
明湖は立ち回りの発想を、情報戦から
つまり如何に戦わせないかという戦い。
駈壟が素早くゴールに辿り着くならば、途中の道を遠回りへと作り変えるのが明湖の戦術だった。
土曜日と同じように、この日も明湖はそれを一人実践する。
端的に言えば明湖の作戦は尾行だ。
能力によって隠れながら、自分の調査を進めている
(足跡が目立たないように影を歩く……)
隠れる能力を使った際にどうしても消せない、明湖の足の影に対する対策はまず欠かせない。
通行人や駈壟に察知されないためのこうした工夫は、恐らく先日の附口による指摘が無ければ考えなかっただろう。
追跡中も駈壟の隣で頻繁にスマホを取り出したりして、自分が能力で潜んでいる事に気付いてなさそうにしている点も含め、明湖は彼に少し感謝していた。
途中で横断歩道を渡るなど、影の無い場所を越える必要性も生じる場合もあるが、
(駈壟達の視界に入らない事が優先、基本後ろに居る……)
本来の尾行より難易度は低かった。横断歩道も少し車道側に出て白い部分を避けるだけで、足の影はかなり目立ちにくくなる。
(そして怪しい場所に来たら先を見て来る……)
この時ばかりは駈壟達から見えないかと明湖は緊張するものの、大抵は散らばったゴミへ二人は注目していた。隠れる能力が明湖の走る音も遮断しているからこそ、この原始的で極論的な手動の先手の取り方も事実上として成立していた。
そうして明湖が二人を
(塚掘君からも連絡は無い。私達側の調査区域もまだ進展無しか)
明湖の中の本命はあくまで駈壟の主人公補正だが、見落としを防ぐために何も無くても時々は通知をチェックする。
この分担により明湖は、理論的にはほぼ隔日に駈壟より先に鼠を捕まえる機会を得ていた。
『それを俺が
この作戦を訊いた時に塚掘はその場でそう尋ねた。だが明湖は顔色一つ変えずに答えてみせた。
『私が尾行しても実は駈壟は困らないの。アイツは自分で捕まえるのが優先じゃないからね。塚掘君が全部話してもほぼ意味は無い。まあ多少やりにくいから黙ってて欲しいけどね』
そう言われると塚掘は少し不服そうにではあるが、考えを飲み込んだのか自分の役割を確認した。
『……じゃあ俺は普通に調査して、鼠を見つけたら活疚さんに連絡を飛ばせばいいんだね』
『その通り。あとは途中で休憩する時の合流くらいかな』
そして明湖の指示通り、結局休日調査二日目のこの日も、昼の休憩で全員集合する前に集合場所付近で落ち合って、後は何食わぬ顔で駈壟達と合流する。サボっていたわけでもないため疲労と汗も辻褄は合い、尾行に気付かれる事は無かった。
ファストフード店での経過報告を経ての午後の調査でも、明湖は頑なに塚掘とのペアを譲らなかった。それに対し多少の説得を試みはしたものの、結局駈壟はまた附口と地道に町を歩く事になった。
店を出て少しの間は二人とも無言で歩いていたが、信号待ちになると附口がふと言った。
「駈壟ってさ、意外と押しに弱いよね」
チラと駈壟が横を見ると、
「幽霊化しても能力は明湖の意思でしか発動しない以上、説得出来ないなら組んでも仕方ないだろ」
そして話しながら収まりが悪くなったのか、駈壟はすぐポケットから手を出して、今度は五分袖のシャツの胸元を掴んでパタパタと風を作り始める。附口は何かを察したような目付きになるも、
「そうかい」
とだけ言ってあくまで我関せずという顔でスマホを取り出し、会話を続けなかった。
それから約三時間後。午後四時前。
自販機の前や公園のベンチで数度の小休憩を挟みながらも根気良く調査を進め、そろそろ再合流するのに丁度よいかという時刻に事態は変化の兆しを見せる。或いは駈壟が異変を見つけるというのが正確かもしれない。
それは一車線分の道が入り組む大通り外れで、民家の中に八百屋や個人経営の飲食店が混じる狭い地域での発見だった。話題に出ていたホットスポットで荒されたゴミが示す事実は、駈壟達にとって他とは一味違う意味を持つ。
流石の駈壟も仄かに興奮が漏れ出た様子で口を開いた。
「これで四日連続だ。しかも一時間前に通った時は絶対にまだ無事だった。間違いなくその間に鼠がここに来てる」
「直近だといいね」
てきとうな空気のある附口の相槌に構わず、駈壟は青いドラム型が倒された所から散っているゴミに近付き、しゃがんで観察し始める。
一見して荒らされたそれらに大した法則性は無い。破られた袋の中身は飲食店の廃棄だからか野菜の皮等の生ごみが目立ち、箱の倒れたままに、敗れた袋から零れたままに散乱している。
だが袋から漏れ出た成分の曖昧な汚い液体が、引き摺られた跡のように若干ベクトルを持っていた。そしてそのベクトルの先に頭の中で延長線を想像して追うと、少しの距離に小さな糞が落ちているのが発見出来た。
「多分こっちに去ってるな。問題は何分前だったかだが……」
そう言いながら駈壟は推測の方向に顔を向け一旦立ち上がる。
通知が来たのはその時だった。
小気味良い木琴の通知音に駈壟がスマホを取り出すと、かやまのあこ太郎からメッセージが来ていた。
『ごめん逃がした。やっぱ来て』
そんな短い文章と共に、スマホの地図アプリで明湖の現在地を表示したスクリーンショット画像が送られている。
「もうそっちに行ってたか。つか明湖アイツ結局……」
事態が進展した高揚と内容の不機嫌が混ざり、一周回って心配しているかのような表情になった駈壟がそう零すと、それを覗き込んでから附口もスマホを取り出して操作し始める。
「ラーメン屋の辺りか、距離あるね」
眼鏡の位置を直して附口はそう言うが、駈壟は送られた画像の地図を見ながら、
「急げばすぐ着く。走るぞ」
と告げると容赦無く駆け出した。附口も若干遅れてその後を追いかける。
二人が向かった方向は、鼠が残した痕跡とは逆の方向だった。
そして歪んだ景色越しに二人が走り去る背中を見送ると、明湖は鞄から折り畳まれた段ボールの板を取り出し、その封を切る。
虫取りグッズに近い化学的なツンとした臭いが漂い、強烈な張力で引き伸びるトリモチが千切れるよう強引に開くと、透明な膜を持つ一見チープなシートになった。
明湖は数メートル傍にあった少し暗い路地に入り、歪曲した景色の先でゴミの山の中に
「そんじゃあ駈壟が戻ってくる前に、短期決戦で行くわよ」
鼠はここに居た。
彼女の能力が生み出すくぐもりに阻まれて届いていないのか、それとも聞こえた上で雑音として気にしていないのか、明湖の声には一切反応していなかった。
目の前に居た人間が消えたならともかく、初めから発見していない人間が見えないという話なら何ら異常性は無い。
そう考えれば明湖はこのたった一度の初撃だけは、能力の真価を発揮した不意打ちが可能なのかもしれない。
明湖は鞄を斜め掛けにして背中に重心を持ち上げ、シートを両手で構えると慎重に距離を詰める。緊張は高まり、彼女は無意識に
歪んだ景色を踏まえてあと一、二歩が限界かという辺りまで迫ると、鼠は周囲に鼻を向け見回すような行動を始めた。
(来た、シートの臭いに反応してる!)
ピタッと明湖は足を止める。
動物の嗅覚であれば人間の臭いも嗅ぎ分けているだろう。ひょっとすると足音を消せても、地面の振動からは探知出来ているのかもしれない。
だがこの鼠はすぐには逃げない。
禅条が使ったカメラのフラッシュのような、野生動物にとって強烈な威嚇性の現象が起こらなければ、塚掘が襲われたように明湖も襲われる可能性が高い。その凶暴性こそ明湖の賭け処だった。
(あと一歩……)
そう思いながらも足を動かせず体だけが前のめりになる。
だがその距離分の変化のお陰か、逆に鼠の方から明湖へ少しだけ近付いた。
頬を汗が伝った。その雫が顎から落ちた瞬間、明湖は能力を解いて鼠の正確な位置に倒れ込むようにシートを突き出した。
空間から突如現れた人間に鼠の反応は一瞬遅れる。その衝撃に反射神経が統率の無い信号をばら撒き、体は多方向へ動こうとして地面を蹴り切れなかった。転んだ事にすらならないほどの小さな、しかし確かな初動ミスが生じたのだ。
明湖はシートを地面に叩き付けた。
「っしゃ来たァッ!!」
その一部に膨らみが生まれ、確かに不意打ちが成功していた。彼女は思わず叫んでいた。
だが。
「うわっ!?」
そのシートが暴れ明湖の手から弾けるように逃げ出すと、明湖の膝で突っ掛かると更に赤黒い影が足の間を抜けた。
明湖が用意した粘着シートでは鼠を拘束出来なかったのだ。
「嘘でしょ!?」
振り向くと路地の外に鼠は走り去り、角を曲がってしまうのが見えた。明湖もまた反転しすぐに後を追って地面を蹴る。
そして道に出る瞬間、鼠が曲がった右方向へ注意を向けていた明湖は、自分が相手を舐めていた事を理解した。
鼠は追って来る明湖を逆に仕留めるように、道へ飛び出す明湖の首元を狙って跳躍していた。
本来鼠にはあり得ない身体能力だ。だが故に、粘着シートのトリモチを強引に引き千切って脱出出来た事にも納得が行く。そもそもゴミが満タンのゴミ箱を倒せる時点で、それほどの力を発揮出来たのは分かっていたのだ。
(しくった……!)
刹那の思考にそう過ぎった時、道の左に居た少年に明湖の服が掴まれ、更に勢い良く路地を飛び出るように引っ張られた。
「でぁっ!?」
明湖から間抜けな声が飛び出る。鼠の噛み付きは空振って一瞬前に明湖の首があった空間を通り過ぎ、着地すると更に明湖達の方へと向き直って警戒し始めた。
明湖も自分を引っ張った相手を確認する。
「ほら、やっぱり危険だった!」
息切れを起こしながら、塚掘は焦った声でそう告げた。
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