16『主人公の始め方1』
昼と夜の繋ぎを殺す雨雲によって、気付かぬ内に町は暗くなる。
肝心の調査に関しては、滞り無くとも有りとも言える微妙な短所が発見された。その総評を解散直前の駈壟はこうまとめた。
『俺達の能力って、雨の日はちょっと見にくいな』
体感者の明湖はそれだけで共感出来た。
厳密な理由は未解明だが、恐らくそれぞれの能力の特性が絶妙に環境と絡み合った結果と明湖も駈壟も予測していた。
幽霊化した者の視点では、僅かに視界が明るくなること。
隠れる能力は周囲の景色を歪曲させること。
雨粒がその歪曲した景色にそこそこ効果的に被って映ること。
建物の電気が点けられる頃に上空から見下ろす夜景はそれなりに綺麗に
結果として明湖の感想も、
『幽霊化のお陰か目は疲れてないけどね』
程度のものになっていた。
それでも荒らされたゴミ置き場くらいは少し見つけていた。成果自体は積み上がっている。地味に。地道に。一歩ずつ着実に。
着実に明湖は、駈壟の存在が自分から遠ざかっていくような気がしていた。
その後の食事中も、淡い雨の夜に再び出掛けて単独で追加調査していた間も、明湖の気分は変わらなかった。
(私の残業くらいで見つかるわけ無いか……)
上機嫌でも不機嫌でもない、ただただニュートラルで無気力な普通の状態だった。
再調査を切り上げてから帰宅しての入浴は夜十一半時を超えた。歯磨きを終えて明湖が自室に戻ると、ベッドで充電コードに繋がれていた彼女のスマホが通知音を発し光った。
『
そんなメッセージが表示されている。ただ明湖にとって意外な名前からではあった。
「
アカウント名に『Honoka』と書かれたアイスクリームのアイコンからのメッセージだった。
今来たメッセージより前の時間にも何件か通知が来ていた。雨の中を歩いていた時に震えていたのを見落としていたらしかった。
多少憂鬱なタイミングだが拒む理由も明湖には無く、適当に返事をするとすぐに禅条からの着信が画面へ表示された。素直に出て明湖はあまり暗くない声色を作ってから尋ねる。
「ごめん通知気付かなくて。禅条さんどうかした?」
電話の向こうからは気遣うような優し気な声が通る。
『あーいや、私がどうかしたっていうか、今日の帰りに下駄箱で活疚さんを見掛けてさ』
そう言われると確かに、彼女を昇降口のあたりで見掛けた事は何となく思い出す。附口が写真の件に関して軽く礼を言っていた様子も見た覚えがあった。
ただ明湖が駈壟と共に調査し始めるのは学校から出た後だった。
下駄箱の時点では能力は一切使っていない。まだ普通に帰宅していた生徒と変わらない筈だが、そこに出される話題について明湖は心当たりがなかった。
「もしかして声とか掛けてた? その時私ちょっと考え事してたかも」
考え事をしていたために禅条に気付けなかった、という可能性に至り明湖は先んじて謝るが禅条は否定する。
『いや無視されたとかじゃないよ、ほんとに見掛けただけ。ただ活疚さんの顔が凄く暗かったから何かあったのかなって』
理由を聞いた明湖は目を
「何かあったというか、何も無さ過ぎるっていうかね」
声と口元にはちゃんと笑みが作れていた。通話越しの禅条は疑問を抱いた部分を復唱する。
『無さ過ぎる?』
「そ。駈壟は凄くて、私は凄くないなーって。大体そんな感じ」
軽い調子でそう告げているが、冗談らしさは残っていない。明湖の
『それって前に言ってた主人公になりたいっていう?』
「うん、その話。それでまあ、駈壟みたいにはなれないなって」
禅条の疑問に明湖は端的に答える。詳細な経緯を説明するのも面倒で何もかもを省いた話だったが、それ故か禅条は即座に話題の本質へ言及した。
『それは……
あくまでも彼女は寄り添う姿勢を持った優しい声色を崩さない。
「……そうね」
そして明湖もその言葉で、分かっていた筈の事実を思い出し自分の行動を振り返れた。
塚掘に能力者である事を明かした時、そうする必要性はほぼ皆無だった筈だ。だが明湖は『駈壟がそうした』というだけの理由でそれを真似た。
本当はあの時に気付けていた。それは自分にも使えるやり方では無いのだと。だがそこに気付いたその先の道が見えなくて、その思考に蓋をしたのだ。
その心を禅条は知らないが、彼女の経験的理解で語り始めた。
『私も写真撮っててそういうの悩んだことある。あの人みたいなカメラマンになりたいなって。でも構図とかは真似出来ても深い部分でやっぱり違うの。何を切り取りたいかって思う部分がね』
「なら私には、結局なれないのかなあ」
自嘲気味かつ断定気味に明湖がそう呟くと、禅条は少しの間を空けて声に芯を通したように話す。
『逵紀君にはなれないけど、主人公にならきっとなれるよ』
明湖の瞳は淀んでいる。聞き飽きた言葉、分かり切った考え方、ただ忘れていただけの前提でしかないそれを告げられた所で、今更明湖の心は動かない。
「無理だよ。どれだけ頑張っても駈壟の居る場所には立てない。私には駈壟を
『……それはそうかもね』
薄暗い明湖の吐露を受け止め禅条もそれを否定しない。睨むように力の入った明湖の瞼は涙腺を堰き止めて、彼女の気持ちを一滴も逃がさないように震えていた。
その均衡を禅条の声が壊す。
『だけど、主人公が一人とは限らない』
意表を突かれ明湖の表情から
「え?」
意図を飲み込み切れていない彼女の相槌未満の返事に、禅条は少し明るめの声で続きを語った。
『逵紀君から主人公の座を奪えないなら、自分の椅子を増やせばいいんだよ。活疚さんは自分のやり方で主人公になればいい』
比喩は飲み込めた。方法論は理解出来た。自分のやり方というのものを取り違えていたことも明湖には気付けた。だが言葉と現実との間にはやはり大きな隔たりがある。
「そんなの、どうやって」
掠れるような声で明湖は尋ねた。禅条は迷わず答える。
『変わるの。今までと違う自分に』
「……どうやって?」
再び明湖は尋ねる。少し色を取り戻した縋るような声で。
禅条は迷わず答える。
『自分が出来る事を考えて、それ以外に挑むのよ』
無音が部屋に響いていた。
「それ以外……」
明湖は彼女の言った言葉を口の中で繰り返す。その言葉の意味を飲み込ませるための最後の一押しを禅条は語る。
『出来ない事でも無理にやるって意味じゃないよ。やらなかった事を見つけるの。今出来る事をしたって今まで通りになるだけよ』
さめざめと窓を叩いていた雨音はもう気付けば止んでいた。
「禅条さん」
ただ一言、これも小さく呟いただけだったが、明湖の声色は確かに変わっていた。
『どうかした?』
言葉とは裏腹に、彼女は全てを理解したかのような疑念の無い優し気な声でそう返す。それに気付くと明湖は嬉しそうに、少し不敵に微笑んで口を開いた。
「……ありがと」
その夜、月は出た。
新月に沈む少し手前の二十四夜の月だった。
翌日、午前九時過ぎには事務所に四人とも集まっていた。
雨上がりの匂いが仄かに残る空気の中、一際に活力を発している明湖の姿には、他の面子も流石に違和感を覚えた。
男子三人の記憶の中では彼女は昨日の放課後時点では、それこそ世界の終わりというくらいのエラい落ち込みだった筈だが、今はもうカラッとすっかり立ち直っているのだ。
「ほんじゃあ、この土日こそケリ付けるわよ!」
と明湖が高らかに宣言するテンションに誰も付いていけず、
「昨日調査中なんかあった?」
「いや知らんが。単に一晩寝たら復活しただけじゃないか?」
駈壟もまた彼女の気分に少し怪訝な表情を浮かべていたが、結局この議題は大して掘り返される事は無く早々に本題が始まった。
この日で依頼を受けてから四日目になる。初日は
いわゆる情報整理と調査方針の調整はここ数日で恒例化し、駈壟と附口を中心として小慣れた進行の流れが出来上がっていた。
「とりまこれが木、金と調査した結果だ」
そう言って駈壟は机に書き込みがされた地図を二枚置く。一つは六月三日、もう一つは四日と紙の左上にメモされていた。
地図にはゴミが荒れている箇所が赤ペンのバツマークで何十ヵ所もマークされており、一部は傍に時間も書き込まれていた。聞き込みによって鼠の目撃が確定している場所も、二枚合わせれば明湖と塚掘のを含めて五ヵ所ある。
そしてマークには明らかな集中の
ポツンと一点孤立しているものもあるが、五個六個と連続するように固まっているものもある。それを見て塚掘が感心したように口を開く。
「調べればちゃんと分布が出るもんなんだね」
同調するように頷きつつ駈壟は補足説明を足す。
「流石に山側はゴミ箱が無いから調べが甘い。あと場所によってはゴミ捨て場にネットとか付け始めてた」
「案外広範囲で動いてるわよね。今日明日じゃ無理かな……」
何処か歯痒い面持ちで明湖は唸るが、その言葉に駈壟は別の見解を持ち出した。
「チャンスはある。調べてみたが普通の鼠は消化とか代謝効率の関係で、常に何かを食ってないとすぐに餓死するらしい。巣に籠りっぱなしって事は多分無い筈だ」
「動物の死骸を保存食にしてなければね。或いは能力でそれが克服されてなければ」
横から附口が論理の穴を指摘するが、その程度は駈壟も既に考察済みだった。
「かもしれんが、目撃された日はバラけてる。最低でも二日に一回はゴミを荒し回ってると見ていいだろう」
明湖からすれば駈壟説であった方が有難い。附口説も確率は低くないが、何より駈壟説を補強する目撃情報という根拠がひとまず存在するのは希望だった。
「てことで今日の調査だが――」
流れのまま駈壟が方針を打ち出そうとすると、そのタイミングを狙い澄ましていたかのように明湖が勢い良く口を挟んだ。
「私今日は塚掘君と組むからっ!」
彼女に指を差された塚掘は一瞬肩を跳ねさせ、他二人と共に何が起こったのか分からない顔で「え?」と声を漏らすくらいしかリアクションが取れなかった。
どうしても明湖が駈壟の能力との協力を拒んだため、この日も結局今まで通りに二人一組の調査となった。
駈壟達と分かれた直後、事務所のビルから離れながら塚掘は尋ねてみた。
「ねえ活疚さん、なんで今日も僕と組んだの?」
明湖は
「なんでって? 前に言ったじゃん、私も活躍が欲しいの。駈壟の能力マジで有用だしね」
「てっきり俺、嫌われてるのかと。ほら、昨日さ……」
顔色を窺うように控えめな声で塚掘はそう言った。
塚掘としては明湖の行動は不可解極まりなかった。
彼の視点からすれば、前日明らかに自分の言葉は地雷を踏んでいたように思えていた。それほどの、
それが何故こうも一日で様変わりしたのか。あまりにも急変化過ぎて塚掘には少し不気味だった。
ただ、明湖は全く引き摺っている様子も無く平静に答えた。
「もう気にしてないから。別にあれは塚掘君は悪くないし間違ってないからね。成長のきっかけにもなったし」
「成長って?」
尋ねられると明湖はニヤリと歯を見せて笑み、快活に答える。
「そりゃもちろん、私が主人公になるための成長よ」
その言葉を聞いた塚掘はまた、呆れるような心配するような煮え切らない目で彼女を見つめて忠告し直そうとした。
「……まだそんな危ない事を」
「危険は承知。でもやる!」
だが食い気味の明湖の言葉に止められ、いよいよ彼の内心で彼女に対する認識が改まり始める。
(ここまで来るともう説得は無理かもな……いざとなったら……)
決意という程の意思はまだ彼の瞳には宿らないが、怯えるような猫背で視線を揺らしながらも彼女が肩に持つ鞄へ注意を向けた。
中に何があるかを塚掘は先日聞いている。明湖が明かした鼠捕獲作戦用の粘着シートが何枚か入っているのだ。これに関しては成功確率に賭ける価値があるのも分かる。止められない事を前提とした場合、塚掘に更に良い考えが出せない以上は納得もあった。
となると塚掘が指摘するならば別の部分になる。
「やるって言っても手段は? 活疚さんも今言ってたじゃん、逵紀君の能力は凄いって。危険を承知で鼠を捕まえるにしても、逵紀君の活躍を奪うって実際どうするの?」
だが明湖は後ろへ振り返って立ち止まると、自信に溢れた表情で塚掘に告げた。
「駈壟を出し抜く策はある。けど塚掘君にもちょっと協力して貰いたいの」
数歩先まで歩いた地点で釣られて塚掘も立ち止まる。明湖の言葉が意味する所を何となく察した彼は、驚き目を見開いた。
「もしかして逵紀君の能力に弱点が……?」
明湖はしばらく黙って口角をご機嫌に吊り上げ、腕を組む。
そして一台通った車の走行音が静まると口を開き、
「いやそれは無かった」
「なら溜めないで?」
スンと冷めた声で答え、遂に塚掘も淡々と言葉を刺した。
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