15『事務所擬きと探偵崩れ5』
駈壟達以外は無人の二年四組で窓側のカーテンを一部閉め、廊下に人影が無い事を確認した後に四人は彼女の能力を実験した。
結果、確かに附口の指摘は正しかった。
雨と放課後の空間で相対的に明るい教室の床に、室内用シューズらしき形の足跡影が出来ている。
『マジで影出てるな』
駈壟が観測した声を通話越しに聞きながら、隠れている側の明湖にもまた別の発見があった。
彼女が能力で隠れる時に特有の泡っぽい球形の景色の映りが、明らかに一ヵ所歪んで内側へ突出している。そのシルエットの予測も付いた。
(机の形に歪んでる……これも気付かなかった性質だ)
教室の机が彼女の能力で出来る隠密空間に食い込んでいるのか、映る景色が歪曲していた。今まで物の多い狭い空間で隠れる必要性の無かった彼女にとって、それは新発見だった。
『机とか触れるか?』
通話越しの駈壟も似た発想に至りそう訊いて来る。歪曲した景色に映る駈壟は未だ明湖の足元に注目が向いている気がするが、明湖はすぐ傍へ手を伸ばす。少し反発を感じるが何かに触れたような感触まですぐに到達出来た。
「触った」
そして外からは彼女が隠れている付近の机の上に、指の先のような楕円の影が現れ、辛うじて手形と分かるような形に変化した。
「どうやら触れてる部分には影が出来るらしいな」
駈壟がそう言うと目の前の空間で景色が歪み、
「そりゃ足の下は自分じゃ見れないけど……駈壟とか見てて気付かなったの?」
彼女の追求に対し駈壟は呆れるような声で反論する。
「俺がお前の能力を見たのって結局あの壁を調べた日だけだぞ」
「その時によ!」
とまで言われると駈壟も顎に手を置き真面目に考え、一つの仮説を導いた。
「まあお前が隠れてるとは思ってなかったのもあるが、時と場合も原因かもな」
「というと?」
説明の流れに塚掘が混じり、自然と駈壟は三人全員へ視線を広げて説明し始めた。
「日陰や夜だとそもそも暗いから目立たないし、地面が砂利なら綺麗に形が出ないとかが有り得る」
更に附口も自分の見解を付け加えるように話し出す。
「通行人もスマホ見てたら地面はそこまでちゃんと見ないしね。だからこそ隠れる能力として成立してるとも言えるけど」
案外シビアなバランスで成立していた可能性を純粋に興味深く聞いていた塚掘は、ふと腑に落ちていないような顔をすると誰にともなく尋ねた。
「能力者って他の能力者と戦って弱点見つけるとかしないの?」
その疑問には附口が乾いた笑みで回答を出す。
「普通に傷害罪だからね」
塚掘の中で能力者に関する何かのイメージが崩れるような小さなショックが起こり始める。
「ならお互い合意の上で模擬戦とかは?」
「それも決闘罪だね」
ぎこちない声で何とか塚掘が挙げた別案も附口は即叩き落とす。
「能力者ってそんな法律あるの?」
「いや決闘罪は能力より前から普通にあるよ。まずそもそも他の能力者と会わないから機会が無いよね」
夢も遊びも無い真実に塚掘が社会的大人の階段を上っているすぐ横で、別の意味で打ちのめされていた明湖がやっと再起動した。
「どうすればこれ消せると思う?」
かなり真剣に明湖は訊いたが、
「さあ?」
附口から返って来たのは、そんな気遣い成分ゼロの投げやりな返事だけだった。その上更に明湖が今抱く危機感とは別の、先送りになっていた問題点を駈壟は改めて突き付けて来た。
「つか鼠はこれ見てたんじゃないと思うぞ、視点の高さ的に。やっぱ課題は臭いだ」
「臭い?」
唯一話題の発端を知らない塚掘に、附口は最低限だけ端的に説明する。
「前に隠れた活疚さんに鼠が反応したんだよね」
明湖にとって初遭遇だった禅条の依頼中の一件に於いて、奇襲を狙い明湖が能力で姿を消した際に鼠は、見えない筈の移動先を確かに向いた。
もちろんそれがただ消えた人影を探していただけの偶然的挙動という可能性もあるが、真実を確かめる事が出来ない現状でそれを考慮しないのは、楽観的を超えて考え無しのレベルだろう。
だが仮に考慮したからどうなのか、と言うと、明湖の脳でピンと来る対策を閃くような事はない。
少なくとも今は、葛藤と焦りと反省とも言えない思考が無意味に空回るだけ。
(だって臭いとか人間の嗅覚じゃ……いや言い訳してる場合じゃない。ある手札で考えるしかない! 今の私に出来る事は――)
「活疚さん、やっぱり僕らは自分に出来る事をして、鼠を捕まえるのは逵紀君に任せよう」
そしてその無駄な回転をピタリと止める言葉が、不意に塚掘から掛かってしまった。
「……は?」
思わずそんな声が出た。
彼女自身にも制御出来ていない驚愕が破裂した声だった。
「っ……えと、」
言葉に詰まり、背中に冷や汗が
別に彼女の表情は怒ってはいない。確かに塚掘を目を見開いて凝視してはいるが、迫力に反して無感動とさえ形容出来るほどただ純粋に驚いて、何を言われたか分かっていないような無色透明の顔色だ。
だがあの声を聴いた瞬間の『致命的に間違えた』という直観的後悔が錯覚とは思えず、塚掘は詳細不明の罪悪感に目を泳がされ口を
この無風の雰囲気に唯一流される事の無かった駈壟は、とても普通に会話の続きを広げ出す。
「別に出来るなら誰が捕まえてもいいが、今回に限ればその能力はアテにならんかもな」
少し間を置いて、渦を巻いていた感情をしまい込んだ明湖も普通に話し始めた。
「まあ、そうね。とりま道具はあるからそれで行くわ」
「あ、いやでも」
一度黙らされながらなおも止めようとする塚掘の言葉を、怠そうな声で明湖は塞ぎに掛かる。
「別に止めたいなら止めていいわよ。私の能力も塚掘君から逃れるのには役に立つから」
「まあ待て。一応解決策はある」
ただその直後に駈壟がそう口を挟むと、明湖の表情には一気に色が戻った。
「嘘!? 何、どうするの!?」
跳ね回る子犬のような期待を明湖は振り撒いていたが、それを正しく理解していない駈壟は平然と告げた。
「俺の能力と併用すればいい。浮けば影も出来ないし幽霊化すれば臭いも消せるかもしれん」
明湖の表情が停止し瞳から光が失われる。駈壟は自分の認識の範囲での実現可能な最適解を、一切の悪気無く言っただけだった。それは明湖にも一目瞭然で、この場ではただ彼女が一人で勝手に浮き沈みをしただけでしかなかった。
「……えぇぇ? あぁ、そっか」
明湖は絞り出すような声を零した。
その答えならば何も問題は無いだろう。無い筈だ。無い事が正常なのだ。そう涙腺に言い聞かせ、溜息以外を出すのを堪え切った。
だが彼女の精神は容赦無く思考を言語化する。
(結局
探偵としての活疚明湖の役割は所詮、主人公のアタッチメントに収束していくのかもしれない。
そう思うと明湖はもう体に力が入らなくなり、椅子に深く体重を預けて中身の無いスカスカの声を出した。
「あー、うん。じゃあもうそれでいーや」
傍から見ると彼女の様子は怒涛の流れで乱高下しやや情緒不安定だった。とは言えひとまず落ち込んだ状態で落ち着いたと判断すると駈壟も深くは追求しない。
「……まあいいか。取り敢えず今日は雨だし塚掘君は無理に付き合わなくていい」
そう言われた塚掘の方はまだ少し明湖を気にする気配が抜けていないが、自分の出る幕が今ではない事を一旦飲み込んだ。
「ごめん、せめてネットの調査はもう少ししておくよ」
「助かる。そんでまあ雨なら飛んでも目立ちにくいだろ」
深呼吸をするように駈壟はそう言って窓の外を見る。雨風の勢いはさほど強くない。傘を差して歩き回るのも多少我慢すれば別段問題があるほどではないだろう。とは言え嫌は嫌、と言いたげな見慣れた不機嫌を浮かべて教室の出口に歩きながら、駈壟は彼女に声を掛ける。
「明湖、能力頼むぞ」
だがすぐ反応は無く、駈壟が振り返るとまた少し驚いたような素の表情で彼女は駈壟を見ていた。
「どうした?」
何気なく駈壟が尋ねると他二人も彼女の変化に気付き、不思議な間を経て彼女は口を開いた。
「駈壟って、私の事『明湖』って呼ぶんだっけ?」
その程度の疑問に相応しい顔と声ではあった。そこまでおかしな表情でも仰々しい言い方でもない。ただふと疑問に感じただけという取るに足らない明湖の反応に釣られ、駈壟もいつも通りの変哲の無い返事をする。
「お前がそう呼んでくれって転校初日に言ったんだろ」
「あそっか。普段は全然名前で呼ばれないから違和感あってさ」
そう言って明湖は浅い笑みを浮かべた。
「悪い。ちょっと気を付ける」
いざ言語化されると駈壟も申し訳無く感じたのか、軽く頭を下げて謝った。
しかし問題はそこではない。
明湖の中で焦点が当たっている事実は、駈壟に礼儀が無いという事ではない。彼女が引っ掛かっていたのは、その事から導き出される別の事実だった。つまり、
(もしかして私、今まで駈壟に名前呼ばれたこと無かったの?)
転校初日に声を掛け、時折教科書を見せ、能力を目撃し、探偵として共に事件を調査し始め、事務所を手に入れるに至ったここまでの時間をどれほど振り返っても、彼女にはその記憶が無い。
彼女は今まで一度も、駈壟に名前を呼ばれた事が無かった。
(ならなんで今だけ……)
変化は事実を導き始める。
恐らく駈壟には何も深い理由は無かっただろう。偶然呼ばなくても事が運んだだけであり、名前を呼ぶことを避ける意図など無意識化にすら無かったに違いない。
だが無かった事を見つけた思考が現象を認識してしまう。
(ずっと呼ぶ必要すら無かった?)
考えることを止める事は出来なかった。思い付く限り、思い返せる限り、思い浮かべる事を拒もうと考えた時点で既に『何を思うべきではないか』の結晶化は完了していた。
(でもそっか、初めから私が付きまとってただけか。駈壟は私に何の用も無いし)
この一週間強で明湖は常に駈壟に接触し続け、その努力を欠かさなかった。
故に駈壟は、彼女の名を呼ぶ必要が無かった。
彼女の言葉に答えるだけで事足りる状況が、彼女によって維持されていたのだ。
ならば何故彼女はそうしたのか。
そうしなければ関わる事が出来ないからだ。
そして関わった結果は出た。
(私が無理やり協力者になったあの日以降、駈壟は私を必要として来なかった。けど私が一緒に居る事を拒絶もしなくなった)
関わり続けた日々で自分は彼に何の影響を与えたのか。
要るも要らないも無い、ただそこに居るだけの存在。
明湖とは、つまり何なのか。
(私って、居ても居なくても変わんなかったんだな)
何でもない。
それが彼女の見つけた答えだった。
そしてその根拠は何もかもが示している。
(禅条さんの時も何も出来なかった。鈴の音事件の時だって駈壟が一人でも生き残れたのは本当だし、附口君も前から駈壟に興味は示してた。私が居なくてもいずれ二人はこうなってた)
確かに明湖は存在した意味が無いわけではない。少なからず影響は出ている。
だが彼女にはそれらが全て代替可能で、結果的には変わらない事に思えていた。
何かが起きる場面に居ても、本質的に明湖は何も変えられていなかったような気がした。
片や彼はどうか。
(多分駈壟にも努力や思惑が上手く行かない事はあったろうけど、それでも事件に遭って、人が集まって、周りを変えてきた。色んな事が駈壟を中心にして動いてる)
あらゆる因果が彼に結び付いているように見えた。彼が転校していなければ多くの事が変わっていた筈だ。
それぞれの人間にそれぞれの思いがあり、誰もが彼のために動いているわけではないのに、それでも渦巻く台風の目に立っているのはその男だった。
かつて明湖は父から聴いた。
『誰でも一度は主人公になりたがるもんだ。だが現実にはそんなものは無いって皆いつか気付く。特別な奴なんか居ないんだ』
――だけどここには特別な奴が居る。
かつて明湖は母から聴いた。
『誰もが自分の人生の主人公なの。皆が特別な唯一無二で、自分の意志で生きてる限り誰でも物語を紡いでるの』
――だけどここには私の物語は無い。
しとしとと振り続ける雨は町を覆い、雲の向こうで落ちていく日は灰色を更に暗くする。
その日もこの町で暮らす人々は皆それぞれに生きる。
別々の服を着て、別々の事を考え、別々の生を歩む。
それが誰かを明湖は知らない。その誰もが明湖を知らない。
知っているかすら誰も知らない。
という思考も雨音が道の下まで流してしまう。
彼女は思い知った。
――きっと私じゃなくアイツが主人公だったんだ。
と。
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