14『事務所擬きと探偵崩れ4』

 探偵事務所は広さ約十畳のワンルームだ。

 玄関を入ってすぐ左に狭いトイレがあり、奥に向けて縦長の部屋となっている。床は土足可。元はコンクリートであったが現在は木材風の敷板が可能な範囲で詰められている。


 二連に並ぶ長机を部屋の中央に置き、入口から見て右手にホワイトボード、左手に大きな窓が存在する。両側からパイプ椅子に座ると狭いが、学生には十分な機能を持つ会議室になっていた。

 そして部屋の奥には古びた棚と、部屋の借主の搬入された荷物の詰み場があり、部屋に元々置かれていたギリギリ粗大ゴミ同然のごわごわするソファが、あちこち補修されながら鎮座する。


 文芸部の部室とでも考えれば、学校から徒歩十五分な事以外は好物件だった。


 依頼された翌日も自然とその部屋に集まるわけだが、設立して間もないのに何処かしっくりと来る感覚が三人にはある。

 しかしこの場にもう一人加わるのは少し意外で、明湖は思わずストレートに尋ねてしまった。


「塚掘君も一緒に調査するの?」


 放課後、何食わぬ顔で塚掘は事務所に来ていた。


「え、うん。お金も払わないのに投げっぱじゃなんだし」


 鞄を事務所の机に置き、明湖の質問に彼は当然のような顔で答えた。癖毛の頭を掻きながら駈壟は困ったような表情を浮かべて、それでも反対はしない。


「まあ邪魔よりは助かるが。無料って事は無責任って事だ、安全保障とか出来んぞ?」


 そう忠告されると塚掘は落ち込んだような、或いは嘲笑のような複雑で淡い表情を浮かべ頷く。


「そこは平気。俺ビビりだからそもそも危ない事しないし」


 頬は微笑めている。しかし彼の瞳は、今の言葉を疎ましく感じているのが抑え込めていなかった。その自己嫌悪らしき様子を逆に駈壟は信用し、深くは触れずに自分の話へ入った。


「ならまあ自己判断で頼む。はいこれ」


 駈壟は自分の鞄から折り畳んだ紙を取り出し周りに配る。各々開くとそれはB5程度のサイズの白黒印刷された地図だった。

 その場所が何処なのか、少し見にくいが地図の中央付近に被る形で書かれた地名を真っ先に附口が見つけた。


藁戸くさど町……この辺の地図か」


「痕跡の場所とかにメモ書き込むなら、紙のが便利かと思ってな」


 配った理由を駈壟はそう語る。昨晩の内に見やすい地図の画像を探しわざわざコンビニで印刷して用意していた、とまでは駈壟は話さないが。


「えっ、割と根性で探すんだ!?」


 遠慮無く塚掘は驚いた。それに共感するように、駈壟は溜息交じりの声で彼の認識を正す。


「残念ながらな。アニメやドラマじゃ『調査した結果』って一言で片づけたりも出来るが、現実だとそうはいかない」


 駈壟はあくまで塚掘に向けて説明しているが、この言葉に最も表情を動かされているのは明湖だった。とは言え、目を僅かに伏せてほんの少し眉間が険しくなる程度の些細な変化で、誰もそれに気付く事は無く三人とも駈壟の話の続きに意識を向けていた。


「何処をどうやって調査するかの、手段も過程も全部要る。楽な方法を知ってたら遠慮せず言ってくれ」


 窓の外はまだ午後の青空が町を明るめに照らしていた。






 調査の手段と過程は、とにかく荒らされているゴミを発見する事と目撃情報を聞き込む事に尽きた。

 町を歩き、人と話す。

 その途方もない労力を想像すると、まだ事務所を出たばかりなのに明湖がとぼとぼし始めるのは塚掘にも共感出来た。


「んでまた二人同士ですか」


 不機嫌だが棘を持つ元気も無い低い声で明湖は呟く。


「えっ、あ、ごめん。俺がペアで」


 反射的に塚掘がそう言うと、明湖も脱力しつつ訂正した。


「大丈夫。塚掘君が嫌とかじゃないから」


 明湖と塚掘は二人並んで町を歩く。


 地図の東側を明湖達は主に担当する。指標も無く無作為に動ける体力と時間は見積れなかったため、とりあえず丁度適当な距離にあるデパートを目指して、そこまでの道の異変を探していた。


 そして二人組で分かれて探索するとなると、明湖は相変わらず悩んだのだ。


(前回はどっちにもイベントあったし、調査に出る度に分担行動だと毎回ペアで悩んではらんないなー)


 禅条ぜんじょうとの調査の一件では、何か事件が起きそうな方を明湖なりに考えて選んだ結果、別にどちらも正解だった。その過程自体に彼女は徒労感を覚えてしまっていた。


 午後の黄色さを馴染ませる町を吹く風が、ほんの少しだけ赤味の混じる彼女の髪をサラサラと揺らし、毛先が肩をくすぐっていた。

 しばらく歩いた中で、明湖達は数ヵ所動物荒らし対策のネットが掛かったゴミ捨て場を見掛けていた。その位置も取り敢えず地図に書き込み写真を撮り、周囲に人影があれば少し話を聞いた。


 やがて片道を半分ほど歩きコンビニを通った。そこで二人は飲み物を買って少し休憩する事にした。

 腰を下ろせる場所は無いため、店先に立って壁に寄り掛かり塚掘はスマホを眺め、明湖は持ち歩いていた鞄を置いて周囲を眺めていた。


「ネットは全然情報無いね」


 塚掘がそう言うと、大した反応を見せず明湖は考察する。


「そりゃこの町だけの事だろうしゴミ荒らしだけじゃね。やってるSNSも熱心さも人によって違うし」


「動物の死骸の方はどうなんだろ。ペットが襲われたとか……あー」


 検索条件を変えて塚掘が再度調べるが、数秒で口元が諦め気味に緩く笑った。


「あった?」


「検索ワードからズレるね。カメラに寄って来るのを襲われたって表現するもふもふ系がいっぱい」


 そう言って彼は明湖にスマホの画面を見せた。

 明湖もまた失望したような視線で平和なタイムラインを一瞥いちべつすると、言葉を諦めたように強く息を吐いて、店内のゴミ箱へ空になったお茶のペットボトルを放り込んだ。






 駈壟と附口は地図西側の調査を主に担当している。当然この日の放課後だけで全域を隈なく探すほどの働きを出来るわけはないし、東西どちらのペアも相手にそれは要求しない。

 だが便利な手段があれば効率は違う筈で。


「駈壟、やっぱり幽霊化して飛びながら探さない?」


 と附口が提案するのは至極当然の流れだった。


「目立つから嫌だ」


 そしてこんな風に最低限の労力で駈壟が断ってくるのも、附口には簡単に予想出来ていた。


「頑固だねえ、二人とも」


 妙に悟ったような生暖かい言い方で附口がそう言うと、駈壟は一層の不機嫌をあらわにする。


「つかそれで目を付けられて襲われたんだぞ俺」


 壁破壊事件を調査していた日。

 明湖と合流し不可視化する前の午前中の調査では、駈壟の能力だと人目を避けつつブルーシートを越えるには、ビルの屋上まで飛んでからどうにか角度を見つけて、覗き込んだりするしか無かった。

 今にして思えば愚かな調査方法かもしれない。それでも駈壟は同じ前提条件なら、特に代替手段は思い付かなかった。


 そのどうしようも無さが駈壟の中でいきどおりに変換され、唸っては自分をなだめる。

 その一連を短く繰り返すのがはたからは少し面白く、附口は堪え切れない笑いの分だけ少し体が震えていた。顔と声には出さなかったが。


「あぁ最初に言ってた奴ね。塚掘君が手伝いに来なければ活疚さんの能力を話題に出せたのにね」


 震えで少しズレた眼鏡の位置を直しながら附口がそう言うと、駈壟は存外落ち着いて、


「流石にまだいいだろ。どうせ今日すぐは見つからん」


 と答えると大きな欠伸あくびを一つした。






「流石に今日すぐ見つかったりはしないかー」


 鞄を一旦地面に置いて、全霊で伸びをしながら明湖は大気にそう声を張る。


 太陽の赤味が増してくる頃に、明湖達は問題無く目的地のデパートまで到着した。平日ど真ん中でありながらも大型ショッピングモール特有のやけに広い駐車場には、一階のスーパー目当てらしき車が意外と止まっていた。


「いや逵紀君居ない時に見つかっても困るし」


 苦笑しながら塚掘は今日の成果をフォローするが、落ち着いた空気を跳ね除けるように明湖は言い返した。


「私は見つけたいの!」


 意地の張り方が幼い彼女に塚掘は引っ掛かりを覚える。


「ならなんで逵紀君と組まなかったの? 能力で飛べてもっと広く探せたのに」


「駈壟なら一人で鼠捕らえられるし一緒に居ても私活躍の場が無いじゃん」


 さも当然のように明湖は説明するが、塚掘は彼女の言葉が意味する所を理解すると怪訝な顔になる。


「いや、鼠は逵紀君が捕まえるって話じゃなかったの?」


「私は別にそれ納得してないし」


「え?」


 明湖は真顔で即答した。


「私としては自分で捕まえたいの。けど駈壟ってほら、主人公補正の塊だから」


 自分が流れの認識を取り零したのかと塚掘の方が錯覚するほど彼女は平然としていて、追加の説明にも後ろめたさのようなものは全く感じない。

 何とか彼女の意見に付いて行こうとして、塚掘は数十分前の出来事を思い出す。


「そういえば事務所でもそう言ってペア拒否ってたけど、どういう事?」


 探索の二人組を決める際に明湖は駈壟とペアを組む案を断っていた。その際に説得側は明湖の能力を話題に出すのは自重し、結果として駈壟の主人公補正を理由とした明湖の意見が通る形になった。

 が、そもそも塚掘は明湖の内面に関する話をほぼ知らない。故にその場では話が正確に飲み込めていなかった。


「ほら、駈壟って転校生で探偵で能力者で、漫画の主人公みたいな感じでしょ?」


 明湖はそれで説明が十分だと思っているが、塚掘の中では言動と動機がまだ結びつかない。


「えっ、いや、百歩譲ってそう捉えたとして、なんで活疚さんが捕まえようとするの?」


 どうにか話を整理し塚掘は疑問の要点を捉えた。それが功を奏し明湖の答えもシンプルになる。


「私が主人公でありたいから」


 むごいほど落ち着いた声だった。それが彼女の現状を静かに、そして雄弁に示していた。


「主人公……」


 塚掘は彼女の言葉を繰り返す。それに同調するように明湖は理由の続きを語った。


「そう。となれば自分で解決するしかないでしょ?」


 単純明快な理屈だ。無論全てが納得の行く説明かと言われると縦には頷けないが、塚掘は取り敢えず言葉の上で彼女の動機を理解することが出来た。少なくとも塚掘は出来たと感じた。

 となれば問題は帰結する。


「……出来るの?」


 恐る恐ると塚掘に訊かれると明湖は得意げな顔で答えた。


「策はあるわ」


「策?」


 明湖は鞄を開けると、中から少し厚みのある板っぽいものを取り出して見せた。


「ジャン! 鼠用粘着シート!」


 開封前の畳まれている状態ではスペース的にノートや教科書とほぼ変わらないそれを、彼女は何枚か鞄に入れて持ち運んでいた。


「罠を仕掛けるって事?」


 意外とそれらしい準備が来て塚掘は素直に驚いた。明湖は両手で畳まれた粘着シートを構え説明する。


「というより装備する感じ。噛みついて来るのを防いでヨシ、直接持って叩いてヨシ。攻守一体スタイル!」


「素材が段ボールだけど」


 基礎部分を見て塚掘が耐久力を指摘すると、明湖は軽くシートの横を小突いてコンと音を鳴らした。


「一個家で開いたけどトリモチは結構ガチだったから多分平気。檻とかより安いし、手作りよりよっぽど強力よ」


 見た目のチープさに反し彼女なりに色々な検討が重ねられた結果の結論らしく、確かに印象よりは悪い作戦ではないのかもしれないと塚掘も思った。

 しかしその上でも不安は拭えないのか、彼は歯切れの悪い言葉を重ねる。


「そんなに上手く行くのかな」


 少し高まった明湖のテンションがスッと消えた。彼女はそのいだ雰囲気のまま、再びしゃがんでシートを鞄に戻し呟く。


「……そりゃ百パーは無いでしょ」


 共感を突き放すような言い草の言葉に、塚掘は少し心苦しさを憶えた。

 だが彼も考え無しに口にした言葉ではない。理由ある主張をこの程度の事では退けず、むしろ重ねて説得に掛かった。


「ならやっぱ一番確実な逵紀君の能力に任せるべきだよ」


「なんで」


 明湖の返事の声は少しずつ鋭さの増す。反面、塚掘の声は全く防御力を持たず、かすかに震えを帯び始めた。


「だって失敗したら活疚さん、大怪我するかもしれないんだよ?」


 そう言われると明湖の雰囲気は和らぐ。


 表面上、感情的なのは塚掘で、理性的なのは明湖だ。

 だが事実上、明湖の主張は理想論で、塚掘の懸念が現実的なのは互いに認める所でもある。だから明湖も彼の意見は否定しない。


 それでも、放っておいて欲しいと訴えるような、溜息交じりの言葉で彼女は言い返す。


「別に心配される仲じゃないけど」


 その上で、塚掘もそれを否定しない。


「怖いんだよ、『防げた筈だった』って後悔するのが」


 明湖を心配する気持ちももちろんある。しかし根本で塚掘が抱いているのは、自分の感情を案じる身勝手な想像だ。

 だからこそ、明湖が身勝手を通すならば、塚掘にもその程度の権利があった。自分がそこに反論出来ないのは明湖も理解していた。


 だが反論はある。

 塚掘はただの普通の女子高生だと思っている筈だが、自分にはまだ奥の手が存在するのだと、明湖の中で言葉が渦巻く。


「……失敗しなけりゃいいのよ」


 何かを決断したように明湖はそう呟いた。言葉の上では暴論でしかないその言葉に、塚掘は論理性を引っ掛けようとした。


「でもその策だけじゃ――」


「安心して」


 彼の言葉を上書きするように明湖は言う。


 ただこの時、引っ掛かっているような気はしていた。明湖の中で決めた筈のその決断を、それでも何かが邪魔していた。


 何か、違和感があったのだ。


『私には私のやり方が――』

         「それだけじゃないよ」


 気付きを掻き消すように、明湖は勢いで口を開いた。

 本当に浮かんでいた筈の思考を、意識と無意識の境界で沈め殺した。


「まだ何かあるの?」


 塚掘は訊いた。明湖は立ち上がらずに彼の顔を見上げて告げた。


「実は私、能力者なの」


 彼女の表情は自信ありと訴えていたが、その瞳だけはまるで縋り付く乞食のようだった。






 翌日は雨が降った。

 外が薄暗い灰色の中、教室の電気が明るく生徒達を照らす。


 五月蠅いほどではないが雨の中を事務所に集合するよりは、放課後の教室で事足りる話なら動く前にしてしまう方が良いと駈壟が提案して、二年三組の教室へ附口と塚掘がまず訪れた。

 彼ら以外にもしばらく教室に残って雨宿りに雑談する生徒が三、四人は居たが、生徒数の都合で空き教室になっている二年四組に移動して、誰も話を聞かない空間を手に入れることに一応成功した。


 窓際最後列付近の席で四人は机を囲む。いくつかメモが書き込まれた地図を見ながら次の調査手順を決め終えると、駈壟が広げていた地図を折り畳む。話題が出たのはその後だった。


「昨日もう能力の事を話したなら今言っちゃおうか」


 そう言って附口は一枚の写真を鞄から取り出した。


「何の写真?」


 彼の手元を見て塚掘が尋ねると、机に写真を置いて全員に見せながら附口は答える。


「禅条さんが鼠を追い払った時の奴。あの日の写真も手掛かりだと思って昨日頼んだんだ。他のデータも全部貰ってる」


 説明されると明湖はなんとなく思い出して納得する。


「そっか、フラッシュしたって事は撮ったって事か」


 確かに禅条と共に鼠と遭遇した場所だった。彼女がフラッシュで鼠を追い払った際に副産物として撮影された写真は、碌に設定されていなかったのかフラッシュの影響が大きいのか、過剰に明るく撮られていた。


 附口はその写真のある部分を指差して言う。


「そんで問題は地面のここなんだけど」


 フラッシュで照らされたアスファルトの部分に黒いゴミのようなものが映っている。確かに鼠が荒らしていたゴミも酷い散乱具合ではあるのだが、それとは少し距離があった。


「何これ」


 鳴き声みたいな明湖の疑問符に附口は勿体ぶらず答える。


「多分影だと思うんだよ。隠れてた活疚さんの」


「えっ?」


 この瞬間はまだ、そんな反応が出るだけだった。だが明湖は徐々に、すぐに、頭の裏が締め付けられる感覚に襲われ始める。


「確かに靴底の形にも見えるな」


 駈壟は写真を手に取って観察し簡単にそう言ってしまう。そして明湖のキョトンとした表情だけが取り残され、


「じゃあ……」


 と彼女の口から漏れ出た声の続きを附口は無慈悲に告げた。


「恐らく活疚さんの能力は完全には隠れられない」


 明湖の策には大きな欠陥があったのだ。

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