13『事務所擬きと探偵崩れ3』

 依頼をキャンセルしても塚掘に不利益の類は無い。


 駈壟は探偵に際し金を積極的に絡ませようと思ってはいないわけだが、それは裏を返せば『依頼に責任を持つつもりが無い』という意味であり、明確にそう自覚した上で駈壟は附口がお膳立ぜんだてしてきた探偵事務所に甘んじている。

 逆に依頼者側も駈壟達の労働に対価を払う義務は無く、探偵達三人の内の全員がそれをわきまえていた。あくまで禅条の件は依頼者本人が払う事にこだわっただけの例外でしかない。


 いわばあれは事務所もどきで、彼らは探偵崩れなのだ。


 しかし塚掘の言葉は三人にとって想定外だった。


「依頼は取り下げるから、もうあの鼠の調査はやめよう」


 夕焼けの染みた町の小さな路地の一角で、重ねるように塚掘はそう提案した。だが誰も頷かないどころか何も響いていない様子で駈壟から反論が飛んでくる。


「取り下げは好きにすればいいが調査は続ける。別に塚掘君が依頼しなくても元々調べる予定だったって言ったろ」


「なっ、どうして!?」


 駈壟は一度瞬き目を逸らす。会話に割り込むような形で明湖が怪訝に訊き返した。


「むしろどうして私達に調査をやめさせたいの?」


 その問いかけ自体が愚問という風に塚掘は訴える。


「危ないからだよ! それにもし能力が関わってるなら絶対に素人が手を出すべきじゃない」


 彼の主張の正しさはこの場の全員が理解していた。故に駈壟ですらも言い切りの悪い言葉を具合が悪そうに返すしかない。


「そこはまあ、こっちも分かった上というか」


「やるなら分かってないじゃんか!? そもそも見つけた所で俺達に何が出来るんだよ!」


 徐々に感情的になっていく塚掘の言動に明湖は目線だけを僅かに落とし、駈壟の中ではネガティブな想像力が膨らむ。


(これで邪魔されたり担任とかに報告されるのも面倒だよなあ……)


 未来予想図の天秤を駈壟は想像する。

 たとえ能力者であろうとも結局駈壟は未成年でしかない。大人とわざわざ対立する事が如何に無駄な労力かを思えば選択は決まる。


「塚掘君って口は堅い方か?」


 鋭い目で駈壟にそう訊かれ、少し気圧されながらも塚掘は含み無く答えた。


「自分では軽くはないと思ってるけど」


 駈壟から見ても怪しさは特に見受けられないが、念入りに他視点で確認を挟む。


「附口から見てどうだ、確か同じクラスなんだよな?」


「噂を広めるタイプの印象は無いね」


 敢えて幅を持たせた言い方だが、附口にしてははっきりと答えている方だろう。その意図を汲み取ると駈壟はうなじを掻いて、諦めたように脱力し口を開いた。


「ならもう言うか。周りには秘密にしてて欲しいんだが」


「……何?」


 不可解な会話の流れに塚掘が身構える。


「実は俺、能力者なんだよ」


 間は完全に出来上がっていたが、あくまで何でもないかのように駈壟はカミングアウトした。






 事務所の窓の外では、明るい街灯が空の夕陽を無視して一足先に夜の空気を作り始めている。室内の照明で外と明確な空気感の差が出来上がっていた。


 依頼者である塚掘は一足先に帰り、荷物整理を口実に三人は室内へ残った。

 部屋の奥にある補修された古ソファにドカッと背を投げ、明湖は演出的な声で駈壟に話す。


「あーあ言っちゃった。これでもし塚掘君が約束破ったら一気に学校の有名人。今後物が無くなる度に疑われるわよ」


「別にお前が能力者とは言わなかったんだからいいだろ」


 部屋中央に置かれた長机に駈壟は座らず寄りかかり、渾身の感情を込めて面倒臭そうに言った。だが明湖もまた動揺の感覚を抱えているのか似た声で更に返す。


「私だって禅条さんがいつまで黙っててくれるか分かんないのよ? 二人の情報が揃ったらどうなるか」


「祈れ」


 彼女の危惧へ短くアドバイスする駈壟に、机を挟んだ反対側の窓際でパイプ椅子に座っていた附口が、


「じゃあ僕も口が滑らないようにしないとなあ!」


 と眼鏡を光らせ陽気に口を挟むと、駈壟は陰気に睨んで告げた。


「じゃあ俺も手が滑らないようにしないとな」


「附口君はいつもスベってるじゃん」


「帰ってから効きそうな奴やめて?」


 ついでで明湖からも小言が続くと、笑顔の形だけ崩さないまま真声で附口は呟いた。その顛末や反応に興味が無いのか明湖はスマホを眺めて時間を見ると、次の話題を持ち掛ける。


「そんで実際どうなの?」


「何が」


 内容を察さない駈壟に対し、明湖は身を揺らす慣性でソファから立ち上がって、スマホで駈壟の後ろにあるホワイトボードを差しながら尋ねた。


「どうやって見つけるのかって話。さっきも店で訊いてたけど目撃情報が聞ける頃には鼠はその場に居ないわよ?」


 ホワイトボードには塚掘と明湖から聞き取った鼠の目撃場所の情報が短くまとまっているが、今はそれ以上の情報はまだ無い。加えて附口も懸念事項を付け足す。


「というか駈壟が捕獲担当だから依頼を継続してくれたけど、現実的に分担しないと無理だし僕らが人食い鼠を捕まえる方法も考えないと」


 今の言葉に駈壟と明湖はそれぞれ小さく反応する。捕まえる方法という部分で明湖は無意識に視線だけをチラと逸らし、駈壟は人食い鼠の部分に引っ掛かりを覚えた。


「あれって人食ってるのか? 指があっただけだろ。動物は全然死骸残ってたし」


 駈壟と附口が発見した巣らしき場所には確かに人の指があった。今にして思えばそれが本物かすらも確かめてはいないが、仮に本物であったとしてもそれが指だけ食い千切られたのか、指以外が既に食われ切ったのかと言えば、普通に考えて前者のイメージが駈壟にはあった。

 だが疑問を覚えている駈壟を否定まではせずとも、附口は引かずに自分の見解を述べる。


「ナメてはかかれないよ。それこそ能力が絡んでるなら骨ごとって可能性もゼロにはならない」


 その思考は駈壟にも解せた。万が一のリスクが命となれば考慮しない方が愚かなのは明らかではある。


「まあそうか。この町の看護師に知り合いが居るから鼠に指かじられた人が居なかったか訊いておく」


 常識感と可能性の折衷案を駈壟が提示すると附口も「ああ」と頷き、その上で大前提の危険を明湖が注意した。


「そもそも首噛まれたら致命傷だしね。で、どう探すの?」


 改めてまたその議題に戻ると、駈壟は顎を引いて答える。


「追跡も下水道を通られると厳しいし、予測するしかないだろう」


「どうやって?」


 相槌のように附口が尋ね、脳内にあるロードマップの詳細を駈壟は語る。


「まず目撃情報を集める。鼠や荒らされたゴミがこの町の何処でいつ目撃されたか。それからその地域から縄張り範囲と活動時間、どういう移動をしてるかを割り出して出現する時間と場所に目星を付ける」


 駈壟が提示したのは正攻法を真正面から突き進む方針だった。もっともそれ以外に彼らが使える効果的な方策はほとんど無いが。


「地道ねえ」


 始める前から疲れたように明湖が呟いた。更に加えて駈壟は頭の中で没を下し済みの思い付きが、もう一つだけあった事を先んじて悔いる。


「巣を通報してなかったらトラップ仕掛けるとかもアリだったな。ミスった」


 その言葉を訊いて附口が認識を訂正する。


「あれが本当に鼠の巣かも確定はしてないけどね。ていうか今思えば鼠の巣ってあんな剥き出しじゃなくて普通巣穴だよね」


「あんなのソイツ以外に何が作るんだよ」


 消去法で駈壟はそう結論を決める。附口自身も別段深い反証があるわけでもなく、腑に落ちていないかのような微妙な表情を浮かべ駈壟を見つめつつ何も言わない。

 そして巣の話題から派生して、駈壟達から聞いた話を思い出した明湖も疑問を口にする。


「そういえば光物を集めるのも鼠の習性じゃなくない? それこそカラスとかのイメージだけど」


「確かに。もしやGPS仕込んだら拾うのか?」


 だが彼女の言葉から駈壟が連想したこのアイデアも、


「そんなの作れる知識も金も無いけどね」


 という附口の指摘によって没案の箱に振り分けられた。






 探偵事務所から徒歩二十分程度の距離にある住宅街の茶色い屋根の一軒家に、日が落ちた頃になって駈壟は帰って来た。


 家の敷地を区切るベージュレンガの塀の表札には『逵紀きど』と書かれている。庭と言うほどのものは無いがガレージに車の止まる立派な家で、玄関前で足場が小さめに二段だけ上がる。


 銀色で縦に長い取っ手の付いた玄関の鍵を開けると、駈壟は何というわけでもないほんの微かな間を経てから扉を開いた。

 玄関から室内へ続く短い廊下を真っ直ぐ進むと、リビングと部屋が繋がっているキッチンに立つ女性に駈壟は声を掛ける。


「帰りました」


「ああ、おかえり駈壟君」


 女性は振り返りそう返事した。目尻に少しだけ皺の乗った暗めの茶色い瞳が優し気な女性で、後ろに纏めた髪がうなじで短く尻尾を作っている。


「最近少し遅いけど大丈夫? 確か調べ物だっけ」


 情を感じつつ、しかし距離を縮めんとも離さんともする気遣った声で女性は話し掛けた。駈壟もまた普段の刺々しさを感じさせない社交的な雰囲気で話す。


「まあそうですね。佐由里さゆりさんにもちょっと訊きたい事があって」


「訊きたい事?」


 一瞬止めていた料理の手を再開しつつ佐由里と呼ばれた彼女は会話を続け、駈壟もそれ自体には構わず尋ねる。


「鼠に指を齧られた患者さんって最近来ました?」


 彼女は世間話のように浅く笑って言う。


「えー、流石に患者の情報は言えないわよ」


 駈壟も愛想笑いのような弱い社交性で条件を付け足す。


「あーいや誰とかはいいんで、居たかどうかだけ知りたくて。インフルとかも流行り始めたくらいは教えてもらえるじゃないすか」


 言い訳を並べて提案し駈壟が訊き直すと、若干困ったような表情をしながらも彼女は答えた。


「それは母数が多くて特定出来ないから言えるのよ? でも同僚の看護師がそんな話をしてたかもね」


 恐らく本当はこの答えも灰色のラインだと駈壟は理解し、鞄を背負い直すとかすかに改まって礼を告げた。


「ありがとうございます、参考になりました」


 それからすぐ駈壟は自室に戻って布団の上に鞄を投げ置くと、部屋の電気を点けて勉強机の硬い椅子に腰を下ろし溜息を吐いた。


(まあ流石にな。それこそ人が食われてたんなら絶対事件になってる、と思いついたからと一応記事を調べる俺も附口を馬鹿には出来ないが)


 頭の中では鼠自体がそこまでの存在では無いと既にほぼ結論が出ているものの、駈壟はスマホを取り出して地域名や連想するワードを検索し記事を見漁る。

 当然ながら該当する情報らしきものは見つかる筈もない。


 もし仮に鼠が食べた所為で死体が出ないというならば表向きは行方不明事件となるのかもしれないが、とは言え駈壟が指を警察に通報した以上行方不明者の指ならば、それはそれで記事になっている筈と考えていた。だがそれも見つかる事は無い。


 そして一旦は検索を切り上げようと考え始めていると、ある記事の見出しが目に入りスワイプの指が止まる。


「あ、鈴の音事件の続報が来てるな。これも調べとかないと……」


 色々な出来事の積み重なりと、何より調査の切り口が行き詰っていた事が理由でくだんの調査が完全に停止していた事を、忘れていたわけでも無いのだが駈壟は一度思い出す。


「……そういう感じか」


 内容に一通り目を通した駈壟はそう呟き、机の引き出しからノートを取り出して、記事の文言を内心読み上げながら情報を書きまとめた。


『被疑者は鈴の音事件の犯行を認めるも、一部アリバイが成立。鈴の音が大音量という被害者の証言や聴力低下も事実関係が不明』

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