12『事務所擬きと探偵崩れ2』

「俺が見た変な鼠について、調べて欲しくて」


 塚掘の言葉を聞くと明湖と駈壟の顔色は激変する。

 変な鼠という単語が具体的にどんな鼠を表すか、明湖の脳裏にはその姿が鮮明に思い出されていた。

 だが二人が驚いて固まる様子が肯定的ではないと思ったのか、塚掘は俯いて口を開く。


「やっぱりこんな話――」


「何処で見た」


「え?」


 その言葉を遮って駈壟が問う。今までの惰性を詰めたような姿勢は既に無く、駈壟の黄色い瞳には彼の中で起き上がった滾るような意識が映っていた。


「信じてくれるのか?」


 鏡移しのように今度は塚掘が驚いていた。


というかだな」


 そう駈壟が言うと、塚掘は机へ強く手を付いてせきを切ったように疑問をぶつけ始めた。


「ならっ、あれは一体何なんだ!? なんであんなのが町に――」


「それは知らん」


 駈壟がピシャリと言うと塚掘は口を開けたまま停止する。


「えっ、あ、ああ……そうなんだ」


 緩やかに再起動しながらそう零すと、塚掘は手近なパイプ椅子に座り少し項垂うなだれ、ももの上で両手を組み握る。それをフォローするように附口が横から補足する。


「僕らもこれから調べる予定だったんだよね」


 感情の乱高下に流されるまま塚掘が陰った顔を上げると、駈壟は座る姿勢を正して訊いた。


「てことで、話を聞くターンだな。塚掘君はいつ何処でそいつを見かけた?」


 内容の聞き取りにそう時間は掛からなかった。

 附口を書記として駈壟が聞き取った内容が、明湖が持ってきた看板用とは別の、部屋主に搬入された借り受けの大型ホワイトボードにメモされていく。


 ・ツカボリ君

 一丁目の路地 ソバ屋の裏手で遭遇。

 五月三十日(日) 夜八時頃


 ・カヤマさん

 三丁目の路地 側溝奥の下水道に逃げる。

 五月二十九日(土) 昼十一時頃


 明湖が遭遇した際の状況の詳細は駈壟も附口も理解していたため省いているが、軽い概要は塚掘にも共有して想起するような追加情報が無いかは尋ねた。


「俺が見た時も、動物の死骸は無かったけどゴミを漁ってる感じだったかな」


 そう答えながらも恐怖心が未だに残る塚掘の表情は、男子高校生としては頼りない印象があった。だが発見した巣に人の指があった事を思えば、過剰な怯えとも言えないであろう事は駈壟も理解していた。


「他には何かしてたか?」


 一応で更に確認すると塚掘は不安気に顛末を答える。


「他は、一回俺に飛び掛かってその後はどっかに逃げて行ったよ」


「襲われたの!? どっか噛まれたりしなかった?」


 驚く明湖に塚掘は少し笑って言った。


「ギリ躱せたから怪我は無かったよ」


 実際に鼠を目撃した明湖からすれば、アレに睨まれれば背筋が逆立ち硬直するのは避けられないという感覚が強い。互いに動き始めてしまうと危機感で体も動くのかもしれないが、今の塚掘の雰囲気からするときちんと回避出来たのは意外性があった。

 だが感心する瞳は向けつつも明湖は別段それ以上のアクションはせず、駈壟は聞き取りを続ける。


「日曜に見て月曜には附口と話したんだよな、なんで今日まで来なかったんだ?」


 身を竦めて塚掘は、書記としてホワイトボードの前に立つ附口の方に目線を動かす。


「それは附口君が、ちょっと待ってて欲しいって」


「ほー」


 低く鈍い駈壟の相槌を受けて附口は反射で喋り出した。


「いや掃除して倉庫管理もって話付けた手前あんまり向こうを待たせるのもさ!」


「俺の都合はガン無視でゴリ押しだったけどな」


 針を刺すような駈壟の視線にも負けず附口は口を回す。


「いや何にせよ絶対拠点はあった方がいいって!」


 駈壟は会話のテンポをき止めて数舜黙る。言葉自体には大した反論が無く、駈壟自身も事務所がある事の利便性はなんとなく感じ取っている。だが素直に肯定するのも癪、という葛藤が煮込まれた結果、駈壟は恨み節寸前の声で忠告を残して話題を戻す事にした。


「だとしても次は無えぞ。んで一丁目ってどの辺だ」


 訊かれてからスマホで地図を開き明湖は言った。


「何丁目とか言われても場所出てこないわよね。てか一旦現場に行かない?」


 だが駈壟は提案に否定的な反応を示す。


「行って何が分かる? 俺達に鑑識能力は無い」


 すると十秒前まで詰められていたとは思えないほどの立ち直りで附口は問い質した。


「駈壟に活疚さんの調査方針を変えさせる権利があるのかい?」


「あるだろ」


 駈壟は即答したが、附口は事務所の玄関の方を親指で差しながら告げた。


「いやだって、看板には『活疚かやま探偵事務所』って書いてたじゃないか」


 そう言われて初めて駈壟はその話題をなあなあに済ませた事を思い出した。






 藁戸くさど町三丁目の探偵事務所から一丁目へ移動するのには二十分程度掛かっていた。町は何処となく懐かしさを感じさせる夕暮れで、逆に言えば通った事のない道も大した新鮮味は無い。

 田舎の入り組んだ一車線ばかりの道で鞄も持って学校帰り状態の中、ポケットに手を突っ込み駈壟は渋々四人の最後尾を歩く。


(別に屁理屈だし無視も出来たけど、今後二人を言いくるめる時自分の首を絞めるよなあ)


 という思考が駈壟に外出を自己強制させていた。

 だがそれはそれとして駈壟は宣言しておく。


「この件が終わったら看板は即撤去するぞ」


「そしたら僕らで新しいのを作っておくね」


 ノータイムでそう返す附口に駈壟は更なる手を告げる。


「じゃ名前を変える」


「何に?」


 が、明湖がそう尋ねただけで駈壟の反論はストップし、開いた口からは「あ~」だとか「え~」だとかの間延びした言葉以下の声しか出て来なかった。


「えっと、そろそろ着くけど」


 絶妙に中身の薄い会話が着地点を見失ったすぐ後に、塚掘が苦笑しながら話し掛け、言葉通りその後すぐに問題の現場に四人は到着した。


 二車線道の大通りの脇にしっかりと歩道が確保された道が付近にあり、基本的には民家ばかりながら駐車場が広めのコンビニと蕎麦屋が向かい合う形で建っている。その蕎麦屋の裏手にはバイクまでしか通れなさそうな細い道が建物の隙間を突き抜けていた。


 塚掘はその道に入ると、民家の敷地を囲うコンクリートブロックの塀の一角を指差す。


「ここにほら」


 そこには確かに数センチ程度の楕円のえぐれが出来ていた。


「スプーンで掬ったみたい」


 そう言いながら明湖は傷を指でなぞる。断面はごつごつとしていてパンを割ったように細かい構造が浮き出ていた。


「というよりえぐったんだろうな、鼠の前歯が。避けれなかったら塚掘君の体がこうなってたわけだ」


 そう考察しながら駈壟は何処からか拾っていた木の枝で、道路と敷地の境界に溜まった土を掘り返す。細い木の枝が、それより遥かに広い範囲の固まった土をまるごと掘り返し、それを眺めて塚掘は身震いした。

 一方で附口は傷跡ではなく周辺に目を向けていた。


「それで、鼠はこの奥の方へ逃げて行ったんだね?」


「うん」


 確認に塚掘は頷き、路地の大通りとは反対方向を見つめる。だが塚掘に目撃されたのが日曜で今日が水曜である。荒らされていたであろうゴミなど残っている筈もない。


「特に手掛かりらしい手掛かりは無いね」


 附口がそう呟くと、駈壟は逆に大通りを挟んだ向かい側のコンビニの方を眺めて言った。


「あと調べるなら目撃情報くらいか。ゴミが荒らされ出した時期や時刻は捕獲するためのデータになる」


 捕獲という単語が出てくると塚掘の肩が跳ねた。そしてボストンバッグのベルトを握り弱気な声で話す。


「捕まえるのは危険なんじゃ……」


「そういうつもりの依頼じゃなかったのか?」


 少し怪訝な表情で駈壟が訊き返すと、塚掘は控えめに答えた。


「俺としては種類名とか危険性が分かれば十分くらいのつもりだったけど」


「なら捕まえないと無理だ」


 駈壟は即座に告げる。


「そうなの?」


 明湖の深緑色の瞳に宿る興味が増した。駈壟はスマホを取り出してブラウザアプリの履歴をカンペにしながら説明する。


「ネットで調べただけだが、そもそも赤黒い体色の鼠なんてのは発見されてない」


「なら動物の血肉が付いてただけで普通のドブ鼠とかなんじゃ」


 附口が思い付きの一説を提唱する。

 日本で生息する鼠は主に三種類居る。ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミだ。その内ドブ鼠は明湖が目撃したというそれと体格が一致している。

 だが駈壟は否定した。


「だとしても大型犬の死骸を引っ張れるわけねえだろ」


「新種って事?」


 更なる仮説を明湖は口にしてみるが、これにも駈壟は首を横に振る。


「いや、人の生活域で急に新種が見つかるとも思えない」


「なら他の可能性は……」


 話の流れを塚掘が確かめるようにそう言うと、その先を駈壟はこう続けた。


「誰かの能力で生み出されたか、鼠自身の能力で変異してるかだ」


「能力って動物にも発現するの!?」


 全員に訪れた衝撃から群を抜いて弾けるような驚愕で明湖が声を出した。


「前例は無い。ネットを見た限りはな」


 という煮え切らない答えになるのは、駈壟もその情報がどれほど確度の高いものか分からないからだった。

 当然この場の誰も能力に関する専門家ではない。動物が能力を宿す事がどのくらい有り得ないのかを判断出来ない駈壟に言える結論はこの程度だった。

 だがどちらにせよ能力が関わる可能性が浮上すると、塚掘は必死に訴えかける。


「じゃあなおさら危険だろ! そんなのに関わっちゃ駄目だ!」


 彼の言い分は正しいと三人とも理解していた。しかし誰も同調を示さず、結局駈壟は少し回りくどい言葉で却下する。


「けど探して捕まえない事には調べるもクソも無いだろ」


 そう言われると塚掘は口を閉じる。そこに反論は無いのだ。

 だが今までの不安が充填されたような顔付きが変化し、何かを心に決めたのか彼はボストンバッグのベルトを持っていた手の片方に拳を握ると塚掘は俯いて、調査モードへ戻る駈壟達の雰囲気を無視して唐突めに、抵抗無く言い放った。


「……なら依頼は取り下げるよ」


 想定外の言葉に三人とも反応を忘れ、


「え?」


 と思わず明湖が零すのが唯一だった。

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