11『事務所擬きと探偵崩れ1』

 放課後三人が訪れた部屋にあったのは、ほこりの絨毯に蜘蛛の巣の飾りと天井を通る銀の空調パイプが剥き出しの空間だった。部屋に放置されたボロボロの棚が壁からずれて置かれ、綿の飛び出た二人掛けのソファが何とも平行にならず構えている。

 今から人が使えるとはとても言えないほどすたれた様子だった。


 藁戸くさど町三丁目の東側にある三階建ての灰色ビルの、無骨な外階段を上った二階の鉄扉がその十畳程度の部屋を閉じ込め、部屋にはかびた空気が充満しているような臭いがしていた。


附口つきぐち、お前は確かに『事務所を借りた』と言ったよな」


 と、入口の扉を開けた所で停止した駈壟かけるが呟く。


「僕は『事務所が欲しくない? 部屋を借りたよ』と言ったね。厳密には僕の知り合いが借りた部屋だけど」


 駈壟の後ろに立っている附口が笑顔で答える。しかし明湖あこを含めた三人とも部屋の中を見ているばかりで目は合わなかった。


「もうこれほぼ廃墟ね」


 と明湖が遠慮無く零すと各々がおもむろに部屋へ入り始めた。駈壟は入口傍に唯一ある扉の先がトイレなのを開けて確認しながら、険しい顔で附口に尋ねる。


「ちなみにここの家賃は」


「月三万くらいだったかな、碌に管理されてないし。あ、でもそれも知り合いが都合してくれるよ!」


 嬉しい事のように答えた附口の言葉で、駈壟の眉は更に歪む。


「なんで」


 と駈壟が苦そうに聞くと、附口は貼り付けたような笑みでハキハキと答えてみせた。


「僕らがここを掃除して事務所兼物置として搬入出と管理を手伝うからだね」


「当然のように何も聞いてないが?」


 駈壟は真顔で拳を鳴らし、臆することなく附口は大げさな身振りで埃を舞わせながら説得し始める。


「乗っかっておきなって。一介の高校生がこんな部屋を使っていい機会なんか普通は無いよ?」


「普通無いならなんであるんだよ」


「運が良かったね」


「ムカつくくらいな」


 冷たい鉄のような声でそう返してはいるが、駈壟の拳が振りかぶられる事は無かった。


「ムカつくくらい流石の主人公補正ね」


 その場でマイペースに部屋の間取り感やボロソファの具合を確かめていた明湖は、駈壟を睨み恨み節にそう呟いた。






 部屋の掃除は夕陽が沈んで赤味だけが空に残る頃になっても終わる気配がなく、ビルに備え付けの掃除用具で塵ゴミが一通りかき集められた程度だった。


「今日はこんな所かな。えーとゴミ袋は……」


 附口がちり取りに埃を詰め呟くと、二人ともフンと息で頷く。


「なんかこう、水とか風の能力者とかがドババァン! ってこう、ザザァン! ブワア! みたいな感じでちゃっちゃと掃除してくれないかしらねえ」


 明湖が両手を掲げて振り回し描写をジェスチャーで表すと、駈壟が開けられた窓の傍でブレザーをはたきながら言った。


「んな都合のいい能力者がほいほい居るわけ無いだろ。附口、それちょっと貸せ」


 言われるがままに附口は短い箒と満タンのちり取りを渡す。受け取ると駈壟はしゃがみ、中の埃や砂や丸まったレシートゴミをまとめて全て床に出した。何をし始めたか分からなさ過ぎて反応出来ていない明湖と附口を他所に、駈壟は床に出来た灰色の山を眺めて語り出す。


「さて附口。お前は要らん話をすぐ持ち込むが、丁度良いからここで一つ教えておこう」


 駈壟は出した塵芥ちりあくたの小山を自分と同時に幽霊化する。


 室内で無風だからか炎のように揺らぐ輪郭も穏やかで、駈壟は床へ手を貫通させ二人の目線の高さまでゴミを下から持ち上げた。室内の電灯を拡散するように像は明るく、漂うゴミにも錯覚的な煌めきがある。


 幽霊化した駈壟はほぼ普通と変わらない声で話す。


「実は俺が自分の幽霊化を解除する時、物をわざと幽霊化の状態で維持しようとするとこういう事が起きる」


 説明の通りに駈壟は自身の幽霊化を解除する。


 少し景色が透けていた肉体が正常に戻ると同時に、宙にあったゴミは認識できないほど細かな粒子まで分裂し、昇華した。特に丸められたレシートが分解されるのは視覚的によく分かった。


 それを見て(私これ説明されてないな)と思い至る明湖を他所に駈壟は解説する。


「俺は成仏と呼んでる。実際どうなってるかは知らん。が、多分生き物にも出来るだろう」


「……やった事あるの?」


 附口の笑顔が汗をかき始めていた。


「まだ無い。で念のため訊きたいんだが、次は俺の断りなく何をしてくれるんだ?」


 いびつだが珍しく笑っている駈壟が附口の肩にポンと手を置くと、


「明日雑巾持ってくるよ!」


 とウィンクと共にサムズアップして彼は答えた。






 三人が掃除を切り上げて玄関扉に施錠する頃には空の夕焼けもほとんどかすれ、町中に点々と灯る街灯が光源の役割を果たし始める。ビル共用の掃除用具を保管場所へ戻すと、明湖はスマホで時間をチラと見て言う。


「じゃ、私はちょっと寄りたいとこあるから」


「何処?」


 という附口の問いがきっかけで、予定も特に無かった二人は「一緒に来る?」という明湖の問いに頷き目的地に同行した。


 事務所から徒歩十分弱で到着する錆びれた商店街崩れの通りに小さなゲームセンターがある事は、この辺りに住む中高生なら大抵は知っている。


 その中では鋭いパンチが、赤く硬いクッションから強烈な打撃音を響かせる。カラフルな筐体からやかましさが止めどなくあふひしめき合う空間の一角で、明湖は歴戦のパンチングマシーンに記録を与えた。

 電子音と共にマシーン上部のデジタル文字には『99.4キログラム』と表示される。


「ピンと来ねー」


 駈壟はその記録を見上げ呟く。ランキングには二百キロ代の値も見られるため恐らく大した力とまでは行かないと駈壟は認識しているが、それにしてもパンチ力をキログラムで表された所で体感の想像は付かなかった。


 一度のパンチで既に満足しているのか、明湖は右手のグローブを外して機械の脇へ戻して訊いた。


「そんじゃ私はもう帰るけど、二人は遊んでくの?」


「え、お前これ一発打ちに来ただけ?」


 明湖の顔は妙にスッキリした表情で、駈壟の反射的な質問にも軽い笑顔で答える。


「いや私ただストレス発散に来ただけだし」


「それでなお遊ばないんだ?」


 回答の理屈が飲み込めるようで引っ掛かり附口が突っ込むと、軽めの溜息混じりに明湖は話す。


「正直他はあんまハマらなくてさ、人間やっぱ暴力なのよねえ」


「物騒だな」


 駈壟がそう反応する横で、附口は財布から百円玉を取り出しパンチングマシーンへ投入した。


「折角だし僕も一回だけ」


 附口の記録は117.1キログラムと表示された。


「じゃあ俺も一発だけ」


 続いて駈壟が百円を投入し附口からグローブを受け取ると、またミットに快音かいおんが響く。スコアは124.9キログラムと出た。


「あんたら同級生の女子相手にパンチでマウント取ってんじゃないわよ」


 呆れた顔で明湖が二人の背後から言葉を刺すと、蟀谷こめかみを掻きながら附口は弁明し始めた。


「いや百キロって凄そうに見えたから活疚さんそんなに強いのかと思って」


「なわけないでしょ」


 声を磨り潰すような噛み歯で明湖がそう言うと、何気なく駈壟は同調する。


「まあ普通そうだよな」


 駈壟の言葉も声も発言と同じく普通だった。何の意図も無く。だがその言葉を聴くと明湖はふと表情から色を失う。


「……そうね」


 明湖の相槌もまた普通だった。反射的に普通の反応に抑え込んでいた。故に間が空いた事は少し目立つ返しになったが附口も駈壟もそれに引っ掛かる様子は無かった。






 それからすぐの解散後の帰路で、独り歩く明湖は部活帰りのごく普通の女子高生と何ら変わらない。

 空は完全に暗くなり、見上げると少しは星が見えるが満天とは行かず、光の弱い数多の恒星は町の明かりに潰れて肉眼では視認出来なかった。


(結局私は普通のままだ)


 明湖は表情を変えない。

 それは始めから分かっていた事で、ここ最近改めて突き付けられたのが少し気分を下げたに過ぎない。落ち込むほどの事でもない。

 だが積み上がる現実は確かに存在している。


(鼠も取り逃がして次の依頼も見つからない。でも駈壟は特別だ。能力も応用が利いて事務所も手に入れる)


 駈壟と会って明湖の日々は確かに一変している。

 だがその変化は遭遇に限った話であり、満足を手に入れている感覚も傷跡を残せている感覚も無い。事態の開始にも変化にも終了にもただ居るだけであり、その本質的な意義は結局彼に収束する。


(間違いなくこの現状の中心は駈壟だ)


 鼻の奥に疼く息を明湖は深く吸い込む。考える内に明湖は二階建てで一軒家の自宅へ到着していた。居間の方は明るいが明湖は鞄を持って二階の自室へ直行する。


(でも立ち位置を奪っても多分意味はない。何も出来ない探偵の私と、一般人でも主人公の駈壟になるだけ。比べた所で元から違う人間なんだからきっと同じ事にはならない。私には私のやり方が必要だ)


 よくある言葉を念頭に、明湖はブレザーだけ脱いでから、電気の点いていない部屋でベッドへ転がり天井を眺める。


「私に出来る事は……隠れる事。後は普通の女子高生」


 短絡的な考えが口から出たが、ある意味でよく言ったものだと自嘲気味に口角が緩んだ。


 ドアの外から差し込む廊下の照明が明湖の寝転がるベッドのすぐ横を照らす。背丈の低い本棚にはライトノベルや高校受験時の参考書、巻数が不揃いの漫画が並ぶ。スペースが足りていない分の漫画は本棚の上にも何冊か雑に積まれていた。


 直前の発言から連想するように明湖の思考は回る。


(駈壟は頭も回るし能力も強くて探偵って目標もあって事件にも遭う。まさに主人公……いや、比べても意味は無い)


 余計な思考を引き剥がすように寝返りを打つと、本棚の上で傾いていた漫画が落ちる。

 開いたページはバトル漫画の何らかの決着が珍しくもない演出で仕上げられ、主人公の男の吹き出しに書かれた読んだ事のある台詞が目に入った。


『何の取り柄も無い俺にだって』


 部屋の風はジッとしていた。


 明湖は体を起こして布団の上に座り、ページを疎ましく睨むとか細く声を零した。


「…………なんで、私じゃないんだろ」






 三人の事務所掃除は翌日、附口の用意したバケツと雑巾での拭き掃除をもって一旦は完了した。


 据え置きだった古びた家具の下に溜まった埃や汚れも、駈壟の能力で移動させれば容易に掃除出来た。

 ただ駈壟は能力を使っている最中、家具を天井や床下まで貫通させないように気を遣い、また物置としての部屋の借主が軽トラックに乗せて搬入しに来た大き目の荷物は、運ぶ角度やタイミングを見計らって目立たないように慎重を期していた。


 そしてその日の掃除後も三人はパンチングマシーンへ余った体力を一発叩き込んでいた。


 更にその翌日の水曜。駈壟は改めて、事実上事務所として使えるようになった部屋へ訪れた。紛れもなく一度見た内装だが昨日に完成させた時とは違う景色のように見えていた。


「溜まり場になりそうだな」


 駈壟は無人の部屋に呟く。


 床は未だ灰色のコンクリートが端々に残るものの、フローリングのような見た目の薄い敷板によって多少は小奇麗に見えている。中央には長机が連立しパイプ椅子が六つ置かれ、部屋の奥には誰がいつ座るか分からない修繕された二人掛けソファと、ホワイトボードや搬入された荷物の木箱、背の低い棚が並ぶ。

 事務所というよりは会議室と名乗る方が印象に正しい部屋だが、駈壟は存外嫌っていなかった。


「駈壟! ちょっとこれ運んで!」


 外階段の下から明湖の声が聞こえた。駈壟が向かうと彼女は色んな物ががちゃがちゃと詰め込まれた、抱える程の大きさの段ボールを地面に降ろしていた。


「うおっ、なんだそれ」


 そう驚き階段を降りて来る駈壟に向け、少し中身を漁って明湖は話す。


「時計、電気ケトル、コップ、その他色々」


「学校に持ってきてたかそれ?」


「私の家、学校とここの途中にあるのよ」


 しゃがんで駈壟が中身を見てみると、伸縮型の指し棒や小さなホワイトボードなどの珍しくは無いが見掛ける機会の限られるアイテムが奥に詰め込まれていた。


「絶妙に使い時の少ない物が多い」


 そんな小言を零しながらも、駈壟は荷物を少し奥へ運んで階段の前で幽霊化し、上りで楽をして室内へ運んだ。


 一仕事終えた駈壟が椅子に座って一休みする間に、早速明湖はその箱から三十センチ四方の小さなホワイトボードを取り出すと、同じく更に段ボールから太いマジックを見つけ、すらすらとホワイトボードにすべらせた。


「どう?」


 両手でホワイトボードの面を駈壟へ見せる。そこには角ばったゴシック体のような文字で『片里丘高探偵』と書かれていた。

 座って頬杖を付き駈壟はジャッジする。


「そら俺達は片里丘かたりおかの生徒だが、学校が関知しない事に高校の名前はまずいだろ」


「そう、じゃあ」


 割りに素直に却下を受け入れ、明湖は段ボールから白板消しを取り出すと内容を書き直す。


「どう?」


 ホワイトボードには『藁戸探偵』と書かれている。


藁戸くさど町内に多分あるだろそれ。プロとは被らない奴にしろ」


 駈壟の判断に不満は無いのか明湖の表情は曇ってはいないが、とは言え悩ましい様子で彼女はマジックの蓋面を顎に押し当てる。


「意外と難しいわね……キドってどういう字だっけ?」


「その苗字を使うな」


「じゃ私の苗字でいっか」


 そう笑って明湖はホワイトボードの内容を書き換える。駈壟もそれには意見も無く、明湖はそのまま部屋の外へホワイトボードを掛けに行こうとしたが、ノブへ手をかけるより先に玄関が開いた。


「あ、附口君! その人は?」


 明湖のそんな声が聞こえると、座ってぼーっと天井を見ていた駈壟は溜息を吐かずにはいられなかった。


「事務所のお客さん第一号さ」


 そして気怠そうに視線を玄関へ向けると、入口の通行権を譲った明湖と入って来た附口の後ろから、両手を祈り手で組み外や天井をキョロキョロと見て不安そうにする男子生徒が着いてきた。


「その人は?」


 突き放すような低い声で駈壟は訊いた。附口は今日も手本のような笑顔を浮かべて、やや得意げな声で答える。


「駈壟が望む話を持ってる依頼者だよ」


「つまり持っていなかった場合はお前の頭に付いてる言葉が分からない耳を漬物にしてもいいわけだな?」


 依頼者の男子生徒は駈壟の言葉で怯えた顔の影が深まる。


「来ちゃったんだから話くらい聞いてあげなさいよ」


 小さなホワイトボードの看板を持ったまま動けない明湖が呆れ気味にそう言うと、駈壟も髪の癖が強い頭を掻きながら立ち上がる。


「いや聞くけどさ……ちなみにマジで誰だ?」


 男子生徒は肩からかけたボストンバッグのベルトを握って萎縮しつつ喋り始めた。


「二年一組の塚掘つかぼり陽人ようとです。依頼は、その、信じてもらえるか分からないんだけど……」


「なら簡潔に頼む」


 この時点で駈壟は既に面倒が脳内を支配し始めていたが、塚掘と名乗ったその男子の口にした内容は駈壟の意識を走らせるのに十分なものだった。


「俺が見た変な鼠について、調べて欲しくて」

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