10『落とし物を追って4』
喫茶店の
コーヒーとココアがそれぞれに減った時間で、一通りの話が済んだ流れの後に、面倒が積もった駈壟は最後の部分を短く済ませる。
「んで附口の通報で来た刑事の人に少し聴取を受けた後は、また探索してから交番で落とし物聞いて、禅条さんから見つかったって連絡が来た感じだ」
「なるほどねえ」
天井の方を見上げながら、明湖はコーヒーの暖気を息にした。
自分の視点と比べてどちらがより重要度の高い事件だったのか、と明湖は自然に考えてしまうわけだが、聞いた限り駈壟の方もそこまで進展があった様子は無い。
何とも言えない微妙な裁定が、彼女の表情に浮かぶリアクションを塗り潰していた。
「そういえば犬は?」
死骸処理という単語を喫茶店で出さぬよう曖昧な言い回しで附口が尋ねると、それを察した禅条が率先して答える。
「ネットには道路緊急ダイヤルへって。で連絡したら『感染症の恐れもあるので触らないでください』って言われたからそのまま」
「業者が後で片付けに来るってさ」
その説明に乗っかり明湖も補足を差し込んだ。が、駈壟は禅条の言葉と話を鑑みて引っ掛かりを覚える。
「……え、でもロケット拾ったんだよな?」
怪訝な様子の駈壟に対し、禅条はやや困り気味の微笑みを浮かべながら手を振って告げた。
「ああ、別に後からそっちの所為とか言わないから」
「そこじゃないが」
と駈壟が返し、その後に感染症に禅条が掛かる事自体への心配だと弁解する事になるほど、駈壟の人格の信頼がナチュラルに低下している事が判明したが、駈壟自身も特に抗議はしなかった。
店の外の道は車通りの少ない二車線弱の狭い道路で、歩行者は一応で白線を超えないように歩くが、自転車は歩行者を避けて多少車道を走っていた。
喫茶店の扉に付いた小さな鐘の音が、退店した直後でも雰囲気を僅かな時間だけ意識に残らせる。だが既に午後に突入した町は飛び交う喧騒が落ち着きをすぐに吹き飛ばした。
四人が店を出ると駈壟は禅条に一声かける。
「悪いな、奢って貰って」
「依頼料だって言ってるじゃん」
禅条はそう答え微笑むが、隣に居る附口も眼鏡をクイと上げて自嘲気味に付け加える。
「けど解決もほぼ禅条さんで完結してるからね」
それも想定済みだったのか禅条は力を抜いた声で即答する。
「だからコーヒー代なの。それに私も将来は写真撮るまでの過程分も払って欲しいし、働いた者は食うべきって事なの」
「なるほど」
すんなりと駈壟は納得した。何せ飲んだ物の値段を三人で割って換算するとおよそ時給は百円である。禅条の思想的な理由が強いとは言え、仕事の探偵でもなく、金銭を得る事自体に慣れていない高校生の駈壟達が報酬を受け取るならば、やはりそのあたりが適切な額なのだろう。
ひとまず四人とも報酬感に疑念が無くなると附口がスマホで時間を確認し、駈壟を見ながら尋ねる。
「それで次はどうしようか?」
駈壟は彼を若干睨みながら答える。
「鼠を調べる。つか今後ずっと鈴の音事件と鼠優先の方針だから」
「今もう解散するかって話だよ」
笑顔で附口が訂正すると、箱鞄を肩に乗せ直し今度は禅条が答えた。
「私は一度帰るかな、バッテリー減ったし。私も鼠の件は気に掛かるし何かあれば知らせるね」
「助かる」
駈壟は短く言う。それに軽く笑み、禅条はそのまま踵を返して手を振った。
「じゃあお先に。今日はありがとう!」
禅条の姿が遠ざかって声が聞こえない程度には離れると、信号待ちに止まる彼女を眺めながら附口は隣に声だけを向ける。
「指があったんだから鼠の事は警察がやると思うよ」
声に反応して駈壟は彼の方を向き答えた。
「だろうな」
「なのにやるのかい?」
「ああ。俺には俺の調べたい……興味ってもんがある。だから今後こんな便利屋
途中一瞬だけブレーキも掛かるが、基本的には即答同然で駈壟は忠告する。すると附口は一呼吸の空気を入れ替えて言った。
「なら訊くけど」
「ん?」
言葉を省略した声で相槌を打ち、駈壟は顔を背けて青信号を渡り始めた禅条の方を見る。
逆に附口は駈壟を向いて、貼り付けたような笑顔で尋ねた。
「本当に駈壟は探偵になりたいのかい?」
見定めるような瞳だった。
目線の噛み合っていない駈壟はそれを見ていないが、見ずとも声に僅かに籠る厚みで、彼の質問の真剣さが理解出来た。
一歩後ろで耳を傾けていた明湖も、その質問が出ると自然と目線が駈壟へ引き寄せられた。
「……そういう探偵を目指してるんだ」
自分でも苦し紛れだと自覚出来るような呟きしか駈壟には返せなかった。だが附口は上がった口角を降ろさず、存外簡単に納得した様子になった。
「分かったよ、今後はそういう話だけ持ってくるようにするよ」
そのあっさりとした引き際が妙に胡散臭く、駈壟は顔を
「信用ならんな」
と聞くと罠にかかったと言わんばかりに眼鏡を光らせて、附口は芝居がかった様子で尋ねた。
「何言ってるんだい! 僕が一度でも駈壟の信用を裏切った事があったのかい?」
「いや無いな。一度も信用してなかった」
そんな風に二人が揚げ足を取り合う会話をする後ろで、明湖は駈壟達を見つめながらただじっと考えていた。
(……事件に遭っても私は、主人公みたいにはなれなかった)
願った通り、ただ落とし物を探して見つけて終わるだけの依頼で終わる事は回避された。だが結局明湖は事態に際し、主体どころかほぼ何の助力も出来ていない。
(鼠をまた見つけるとして、小さい檻があれば駈壟の能力なら一人で確保出来る。私の出る幕は無いし、逆に私は一人じゃ厳しい)
仮に機会を再び得ても明湖には土壇場で野生動物を捉える手段が無いのだ。一方駈壟は、それこそ鈴の音事件の犯人の男すらも事と次第で捉え得るだけの能力を持っている。
どちらが容易く活躍出来るかは自明だった。
(ただ遭うだけじゃ駄目なんだ。現実は都合良くは進まない。今日みたいに何も出来ず終わらないためには準備が要る)
そうして土日の残りの時間を明湖は、今後の目標整理と作戦立案に費やした。
明湖が導き出した必要事項は『手段』と『情報』だった。
中型動物すら殺した疑いのある鼠を捕まえる現実的な手段と、その鼠を発見するための情報。前者に関しては予算や技術、用意時間を鑑みながらも土日を使い調べれば何かしら選択肢は得られた。
だが月曜の朝になっても明湖は登校しながら悩んでいた。
(鼠を捕まえる方法はネットの英知を頼るとして、肝心の見つけるための情報がなー)
とはいえ上手い解決を歩いて閃くわけでもなく。彼女の後ろから駆け寄って来た女子が背中を叩いて挨拶して来た事で、明湖の思考の渦は離散した。
「おっはよ明湖!」
「おはよ」
声を掛けて来たのは暗めの茶髪をポニーテールに結んだ、並ぶ背丈の少女だった。彼女は明湖の隣から覗き込むようにしてにやけ顔で尋ねる。
「
「嘘だね」
「あら、照れもしないの? まさかガチでガセ?」
「ったり前よ。何、そう見えるの?」
機嫌悪く明湖は訊き返し、少女はそれを意外そうに肯定する。
「うん。先週から急にやたらつるんでるし『あの明湖がまさか恋愛出来るとは!?』って思ってた」
「うるさ~」
明湖の文句同然の相槌は棒読みの声だったが、即ち正方向に感情が振れてない証拠でもあった。
「てかだったら何してんの?」
少女はポニーテールを揺らして尋ねる。
「探偵。ちなみに何か事件とか知らない? 鈴の音事件とかビルの壁壊されてた奴みたいなの。それか事件未満の変な出来事とかでもいいけど」
普通のテンションで明湖から飛び出してきた想像外の答えと質問を受け、難しい顔で少女は首を傾げた。
「事件は知らないけど、変な事って例えば?」
「デカい鼠が町中のゴミ箱荒らしてるとか」
「おー変な事だ。なんか都市伝説的な?」
少女が都市伝説という単語を口にすると明湖の目付きが微妙に輝きを増した。
「都市伝説だと何かある?」
その感情の揺らぎを少女は見事に看破し、声を綻ばせながら上機嫌に語りの吟味を始めた。
「定番だと幽霊少女かな。あとは湖のお化け屋敷とか……」
食堂で昼食を取りながら明湖は隠し切れないドヤ顔で話す。
「っていう話を聞いたんだけど、どう?」
使用中の箸で顔を差され、駈壟は相変わらずに染み付いた仏頂面でやる気なく訊き返した。
「どうって何が」
期待していたテンションが帰って来ない事に明湖の機嫌が萎む。
「何がって、つまり、こう……どうなのよ? 調べようって気にならないわけ?」
「ならんな。その話に事実が一個でもあんのかよ」
駈壟は小さな弁当箱の中から卵焼きを丸ごと口へ放った。
「あの鼠も話にすれば同レベルでしょ」
露骨に不満を滲ませた明湖の指摘に何か反応が返ってくる前に、盆を持って附口が駈壟の隣へ座り話し掛けた。
「駈壟、弁当なのに食堂かい?」
食堂で昼食を食べる生徒は基本的には学食を利用している。明湖もラーメンを頼んでいるが、他にも友人都合を兼ねているのか二、三人は弁当を持参している生徒は居た。当然駈壟は明湖が居なければ一人で昼食を食べていたが。
そして附口が持ってきた今日の盆の内容は、初見の組み合わせながら何処か覚えのある法則の奇抜な定食だった。
「お前それ」
「いや、好奇心でね……」
流石の附口もからも後悔が滲み出ており、聞くまでも無く駈壟はその定食の名前が不思議と分かった。
「気まぐれ殺し定食に改名した方が良さそうだな」
「どれかいる? ぬか漬けもフルーツポンチもあるよ」
冗談交じりの笑顔で附口が尋ねると向かいから手が伸びて、器が一つラーメンのサイドメニューへ転職する。
「じゃあフルポン貰うわ。ここの奴食べた事無くてさ」
そう言いながら明湖はラーメンをまだ全然食べ終わっていないにも関わらず、どんぶりに浸かっていたレンゲでデザートに手を付け始め、完食してからという訳でもなくまたラーメンに戻ったりして交互に食べ進めた。
その流れに一切迷いが無さすぎて男子二人は時間に置いて行かれていたが、やがて附口が呟いた。
「活疚さんって味音痴なの?」
「悪食なんだろ」
それから駈壟が解凍されそう言い、何かを言い返したがるような目で明湖は二人を見返すが、口の中にはナタデココがまだある。明湖は別段とぼけた顔でも無く、恐らく自分がどう思われているかは理解はしているのだろうと見切り駈壟は何も言わなかった。
そこで話題は途切れ、次の話を附口が切り出した。
「それはそうと駈壟、事務所欲しくない?」
「待て、何?」
ガタついた駈壟に構わず附口は続ける。
「いやほら探偵するでしょ? 事務所欲しくない?」
「話の流れって知ってる?」
附口は駈壟のツッコミを左から右へ受け流して、スマホに写真を表示し机に置く。
スマホには変哲の無い三階建ての雑居ビルの外観を撮った写真が表示される。灰色のビルが左右のベージュのビルに挟まれていて、大窓が横に並ぶビルだった。
「ここに? 俺の探偵事務所を? お前が? 勝手に? 事後承諾的に? 作りたいと?」
一語一語を
「この部屋を借りるの?」
「もう借りた」
「ちょっとお前ほんとマジで待てよおい」
台風に飛ばされるパラソルの如く転がって止まらない会話に、駈壟は言葉がまとまらないままの待ったを
「てことで放課後行こうって誘いに来たわけさ」
一仕事終えて得意げと言った様子の附口をジトっと見ながら、明湖の呆れは一周回って感心になる。
「附口君のこういうとこは探偵に向いてる気するわね」
「じゃこいつが探偵やれよ! なんであくまで俺に付いて来んだよ!」
駈壟の動揺が叫ぶ手前まで強まると、待ってましたと言わんばかりの表情で附口は答えた。
「それはプライバシーだよ」
「やかましいわ!」
この辺りまで来ると駈壟達の会話は、隣の席と通りすがりくらいからは注目を浴び始めていた。
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