8『落とし物を追って2』

 空っぽの教室にチャイムが鳴り響く。土曜日のグラウンドには野球部の振り抜くヒットが快音を響かせ、空は色を失ったように一面灰色の雲が覆っていた。


 学校の正門前に最後に到着したのは駈壟で、それでも集合時刻の九時半丁度に間に合い遅刻は無かった。

 ただ到着早々に駈壟は、特に顔色は変えないものの明らかに不思議そうな声で訊ねる。


「禅条さん、それは?」


 駈壟が指差したのは、彼女が肩から掛けている少し大きめの黒い箱型の鞄だ。彼女は他に小さいポシェットも持っていたが、ランドセル級の四角い鞄に比べれば全く気にならなかった。


「カメラだよ。もし早めにロケットが見つかったら後で少し撮ろうかなって」


 箱鞄の上にポンと手を乗せ禅条は微笑んで答える。

 薄手のジャケットとズボンと紺のスニーカーで、うら若き女子高生の私服とはかけ離れた地味目の雰囲気を漂わせる彼女は、明湖達が素人目に見れば漠然とカメラマンらしくはあった。


(禅条さんって、意外と癖強い人なのかな……)


 などと思うも明湖は口には出さなかった。その流れに対する感想を三者三様に飲み込んだ上で、唯一附口が追加で確認する。


「今日歩くのに荷物あって平気?」


「うん、慣れてるから」


 禅条は短くそれだけ答え、附口が中身の無い声で「そっか」と呟くと、ひとまず駈壟は腕を組んで話題を変えた。


「とりま集合したし始めるか。落とし物を探すわけだし、効率重視でそれぞれ個別捜索はどうだ?」


 そして話題が変わった瞬間に初めて明湖は、この依頼で自分特有に発生している問題点を認識した。


(まずい、考えてなかった! 単独行動とか絶対主人公補正で駈壟だけ何かの事件に遭うパターンの奴!)


 心の中で一人頭を抱えながら焦り散らかしていた明湖は、苦し紛れながらもそれなりにそれっぽい提言をなんとか構築して、僅かに汗の滲んだ微笑みと共に周囲へ述べた。


「一人だと見落としたりするかもだし皆一緒の方が確実じゃない? 昨日決めた捜索範囲がもし間違っててもすぐ禅条さんに確認出来るし!」


「なら附口と禅条さんは分けて二人ずつで行くか」


 駈壟がそう決めた後にも明湖は少しごねたが、結局四人行動にも駈壟とペアにもならなかった。






 普段明湖が通っている高校は山の中腹にある。集合場所の正門は山向きにあり、門を出てすぐの道は左右に通っていてどちらに進んでも下り坂になっている。そして学校を回り込む形で山を降りる道がほとんどの生徒の通学路だ。

 しかし学校から麓までは道や山林だけではなく、民家や集合住宅も多く建つ。そして複雑に入り組んだ一車線道をある程度降りて坂道が終わると、比較的店が増える町らしいエリアへと辿り着く事になる。


 明湖と禅条はその町側の探索を担当していた。

 土曜午前の曇天にまだ眠たさが残る町の中でも一際人通りが薄い裏路地の入口で、禅条は大き目のカメラのモニターと周囲の景色を見比べながら呟く。


「この辺からも撮ってるなあ……」


 傍で道路脇の溝を覗き込んでいた明湖は、立ち上がると膝を伸ばしながら話し掛けた。


「そのカメラって結構高そうだよね。バイトとかしてるの?」


「してないよ。これはお父さんのカメラを借りてるの。私もお金貯めて買いたいんだけど、カメラって結構高いんだよね」


 禅条の答えを明湖は意外とも思わないが、高いと言われると彼女の下げている黒い箱が妙に重厚感を伴うような気がした。


「禅条さんってなんでカメラ好きなの?」


「カメラっていうか、写真が好きなの。カメラも好きだけど」


 愛おしそうに手で箱バッグを触りながら禅条は微笑んだ。


「じゃあなんで写真が?」


 明湖は何気なく尋ねていたが、禅条は一呼吸を噛み締めてから答える。


「私が写真を好きなのは、私が見た写真を撮った人が写真に対して真剣だったからだと思う」


 彼女はスマホを操作し横に傾けて明湖へ見せる。その画面を覗き込むと明湖の眼がかすかにひらめいた。


 映っていたのは空の蜘蛛の巣の写真だった。


 雨露あまつゆしたたらせた幾何学きかがく模様が画面いっぱいに広がり、しかし巣の家主の姿は無い。

 ピントは巣に合わせられ、左右の手前に移り込む緑の茂みの奥には、赤茶けた家屋の扉らしき色がけていた。

 そして閉じ込められるように、巣の隙間に張った水の膜へ奥の景色が上下逆さまに小さく映っていた。


「これが私が写真を好きになったきっかけの写真。絶景とかじゃないけど」


 明湖は芸術方面へ秀でた人間ではないが、禅条が数秒見せたその写真が一度で脳裏に焼き付いた。美しさとも目新しさとも異なる奇妙な引力を感じていた。

 分かりやすい表情はしていないが、平然でも無い明湖の様子を見て禅条は満足そうに微笑み語る。


「これを見て、なんだろう。感覚が言葉にならないけど、なんだか写真が好きになたの。『私の全てはきっとこれなんだ!』って思った。それらしい理由とかは無くて、私の中にあるのはこのきっかけと感情だけ。答えになってるかな?」


 灰色の空模様を吹き飛ばすような笑顔で彼女は言った。その表情を見ると、明湖の深緑色の瞳孔が萎む。そして彼女の手を取り仲間を見つけた小動物のように目を輝かせて強く頷いた。


「……なってる! 分かるその気持ち! 心の形に出会ったみたいな感じ!」


「そうそうそんな感じ!」


 同調して嬉しがる禅条と少し跳ね合って、それから明湖は鋭く笑いながら、


「なるほどねえ、私気が合う人全然居なくてさ。こりゃ依頼にも気合が入るわね!」


 と言って胸を張り、気合の拳を掲げて言い放った。






 片手をポケットに入れたまま、猫背気味に駈壟は歩く。

 その様子を横に見ながら附口は呆れ気味に呟いた。


「駈壟さあ、もうちょい気合入れて探しなよ」


「お前が連れて来た依頼者だろ。俺は考え事で忙しいんだよ」


 いつも通り不機嫌そうに駈壟は注意を突っぱねた。


 すぐに町側へ向かう明湖と禅条のペアとは逆に、駈壟と附口の探索範囲は比較的自然と隣接する山の中腹に偏っていた。民家と坂道の入り組んだ道を行ったり来たりしながら、すぐ傍に獣道しかなくなる山林が広がっている。


 その道の側溝を拾った木の枝で時折つつきながら、駈壟は怠そうに依頼へ従事していた。

 とは言え附口はそれで良しとせず、人当たりの良さそうな微笑を浮かべて後ろに尋ねる。


「何か問題があるなら、僕も力になれるかもよ?」


 駈壟は背後で道の反対側を探す附口に対し、振り向かず、呟くように話した。


「鈴の音事件と壊されたビル壁の件が腑に落ちなくてな」


 附口は少し振り向き、興味が浅くも深くも無さそうな声で言う。


「ああ、前も言ってたね。でも犯人は捕まってるしビルを壊した理由も直に分かるんじゃないかい?」


「そこもだ」


 被せるように即答した駈壟の言葉に、眼鏡の奥で附口の真っ黒な瞳が収縮する。


「……というと?」


 絶妙に歯切れの悪い言い方で駈壟は答えた。


「犯人はあの路地で別の奴に襲われた気がするというか」


 やや納得したように附口は浅く同調する。


「あー、壁の壊れ方的にね?」


「違う、だ」


 その同調を彼は、真っ向からパタンと否定した。


 駈壟が抱いていた、違和感への違和感。


 事件における違和感を持つべき着眼点が、本当の違和感からズレていたという感覚。以前明湖にその時点の推理を話した時の、妙な引っ掛かりの正体を彼は既に掴んでいた。


 少し姿勢を整えて、駈壟はそれを説明し始める。


「過去の現場でも同ケースって記事は無いし、凡ミスで残した証拠とは思えない。だがわざとならどう理由を考えても、鈴埋めるより楽な手段はある。何か不可抗力があった筈なんだ」


「で戦闘説と。けど報道が無いのは捜査機密だからでしょ」


「かもな。んで他にも色々引っ掛かりがあるから、俺なりに調査して推理をまとめてえんだよ」


 冷静な指摘を否定はしなかったが、それでも頭を掻きながら思考を止められない駈壟を眺めて、附口は貼り付けたような笑みを浮かべながら訊いた。


「そこまで気になるのかい?」


「まあ。建物が壊れてるのに盗難物も怪我人も無い。明らかに不自然な事件だし」


 溜息交じりにそう言うと、駈壟は怠そうにまた道端の落とし物を探し始める。


「……なるほど。こりゃ想像より厄介な問題だ」


 それを見て附口もまた深い呼吸を漏らし、先刻までの会話で一番感情の乗った、面倒をうれうような声で呟いた。






「これは酷い」


 嫌悪感をあらわにしながら明湖は呟く。

 低い雑居ビルの角を曲がると、道脇の青いドラム型のゴミ箱が倒され、はえたかる中身が道端に散乱していた。


「昨日はこんなじゃなかったのに」


 禅条は悲しげに言う。曲がり角の歩いてきた方の道を明湖が振り返ると、少し遠くにも同じように廃棄物の雪崩が見えており、明湖はローテンションを絞り出すように話した。


「これで三ヵ所目。猫かカラスか知らないけど確実にわざとゴミ散らかしてる奴が居るわね」


 二人が見掛けているゴミの散らかり方はただゴミ箱が倒れた拍子に袋が敗れた程度ではなく、漁られたらしき生ごみは配置に微妙な方向を持っており、一部箇所には赤黒っぽい染みも明湖には発見出来た。それがゴミ袋から漏れた液体なのか、何かを引き摺った跡なのかは不明だが。


 鼻を摘み渋い顔をしながら明湖が観察していると、少しだけ離れた位置に居た禅条が思案を口にする。


「こういうのってどうするのが正解なんだろ」


「さあ。でも片付ける道具無いし、調べると他人の出すゴミは地域で条例差がとか出るわね」


 スマホで検索し軽く見出し情報を見ながら明湖が答えると、彼女は腕を組んで頭を傾げながら納得しようとした。


「じゃあ下手に触らない方がいっか……で終わりってのもなんかなあ」


「まあ犯人は気になるわよね。荒らされてる場所をまとめれば行動圏くらいは絞れるかもだけど」


 言った側としては半分冗談混じりの案だったが、明湖が何気なく言った瞬間に素早く禅条は言葉尻を拾った。


「じゃあロケット探す範囲で荒らされてる場所をメモする感じはどう?」


 少し呆気に取られながらも明湖は控えめに賛成する。


「禅条さんがそれでいいなら」


「よし。じゃあ私は現場の証拠写真を……」


 楽し気からは一歩引いていたが、何処か妙に前のめりな様子で禅条は箱バッグからデジタル一眼を取り出し設定し始めた。それを眺め明湖は顎に手を当てる。


(始めたのは依頼主だし私はこっちの方が面白いけど、依頼中に別の事調べ始めたりしていいのかな)


 と考えてはいたが、明湖は別段悩んでいるような素振りは全くせずに、何食わぬ顔で好奇心はアクセルを踏んでいた。






 駈壟は別の事を調べ始めていた。

 明湖が義務的な疑念を浮かべる数十分も前の時点で。


「……なあ附口、これ何に見える?」


 駈壟は乾いた側溝の中をしゃがんで覗き込み、斜め後ろから中腰で同じ物を見る附口に背中越しで訊ねた。


 春終わりの今でも山林と道路の境界すぐに引かれた側溝には、子供か動物に千切られたのか運悪く散ったのか多少の葉っぱが落ちている。その緑が抜けていない葉とコンクリートに、ちらほらと赤黒い点や太い線が滲んでいた。

 そして附口も同じ物を見ながら答える。


「鼻血とかでしょ」


「つまり血痕だよな」


「駈壟?」


 附口が肩を掴むが駈壟は気にせず、跡の向かう先を目で追う。


「しかも山林に入ってる」


「依頼中だよ?」


「じゃあ依頼は任せた」


「任せないで?」


 肩を掴む力にいよいよ気合が入り始めていたが、駈壟は能力を発動し附口の手は感触を見失った。


「ちょっ、ずる! てか何そのモチベは!?」


 そう叫んでも駈壟は一切止まる気配が無く、地面に幽霊化させた体をうずめて植物の枝葉も関係なく、血痕らしき跡を見失わないように獣道の奥へ進んだ。






 明湖は既に、事前に割り出していたロケットの捜索範囲のギリギリ外まで到達していた。町中のゴミ箱をひっくり返した者はこの時点で半径百メートル圏内に届く数十のゴミ箱を荒らしまわっていた事になる。


「これで何十個目か」


 誰に言うでもない独り言を明湖が吐き捨てた。だが認識ごと流れ作業になり始めていた明湖と違い、今までの様子と異なる部分を禅条はすぐ見つけた。


「ねえあれ、近くで犬が寝てる」


 彼女が指差したゴミの一角の傍で大型犬が寝そべっていた。茶色い体毛で、起きれば明湖の膝くらいの高さになるかもしれない。記憶ではレトリバー系の種類が最も近い。しかし飼い主らしき人影も見えず、ただ散らかったゴミの前で脱力してその犬は寝そべっている。


「ほんとだ。あの犬が荒らしてたのかしら」


 犬の方に向けて禅条はカメラを構えたが、カメラのバッテリー残量が点滅し始めたのを画面で見ると立ち止まり、箱バッグから別のバッテリーを取り出して交換し始める。その間に先んじて明湖は近付いた。


 そして鉄の臭いが強まった事に先に気付いた。


(っ――違う)


 ゴミの中で、動く影が見える。

 明湖は息を短く吸って本能的に歩みを止めた。それは高く短く、そして汚い小動物的な声を軋ませる。その声で禅条も異変を察知し明湖の様子に気付いた。

 二人の警戒の元に、廃棄物の中からそれは姿を現した。


「鼠……?」


 明湖が怪訝な声を零した。


 それは横たわる犬の口元ほどの大きさで、赤黒い体色をしている一匹の鼠だった。毛があるのかも分からず、凶悪な顔には黒ずんだ前歯が見えている。その体長と同じほどの長さの細い尻尾は、触手のように流線型のフォルムを地面へ引き摺り、筋肉で太った本体に短い手足が付いていた。


 鼠は犬の頭を踏む。鼠を目で追いかけていた二人はそこで二つ気付いた。


 犬は死んでいた。


 喉元が食い千切られ大きな傷口から、既に色を失い始めた血か漏れた跡が付いていた。更に傷口には小さなゴミの破片が詰め込まれているのが見えた。


「何、あれ……」


 引き攣った表情で禅条が口を開く。


(犬の死体を袋にして集めたものを持ち運んでるって事……!?)


 そう明湖が予想した通り、鼠は小さな口で犬の頭を噛むとそれを少し引き摺る。

 更に二つ目に気付いた禅条が小さく叫んだ。


「え、あっ、ロケット……!」


 犬の首元に血の付いたロケットペンダントが零れる。


「嘘!?」


 明湖のリアクションに反応し鼠は動きを止め、鼠はロケットを器用に前足で引き戻し犬の首に空いた傷口へ押し込むと、真っ黒な目を二人に向けた。



 一方で駈壟もまた山中にある物を見つけ、呟いていた。


「なんだこれ……!?」


 ガラスの破片やプラスチックの残骸、そうした光物のゴミが粗雑に器のような形が地べたへ作られていた。

 更にその中で食い荒らされた動物の死骸を集めた、巣のような領域が林の奥に出来上がっている。駈壟が見る限りでは猫、カラス、灰色の鼠、恐らく狸。


 そして人間の指も一つ見つかった。

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